モントリオールは、フランス語では、『モン・レアル』と言い、それは、
ジャック・カルティエが1535年にここの山を『モン・レアル』と呼んだことに
由来する。 16世紀のフランス語では『王の山』という意味で、その名前が、
島の名前となり、やがて、町の名前となって、今日に至っている。 それを英語
読みしたのが、『モントリオール』となっている。

セントローレンス川の巨大な中洲に位置するこの街は、2006年の調査では、
人口162万人、周辺部も入れると、約360万人で、カナダ第2の都市である。
これは、750万人というケベック州全体の半分近くを占める。

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ダウンタウンには、ガラス張りの高層ビルが立ち並び、ここがビジネスの中心地で
あることが良く分かる。 ここから少し離れた場所に、旧市街がある。 石畳、
そびえ立つノートル・ダム寺院、そこを走る観光用の馬車、まるでヨーロッパの
古い街に来たかのような錯覚を覚える。 超近代的な高層ビル街と旧市街が隣り
合わせにあるところ、それもまた、モントリオールの魅力である。
モントリオールは、2006年にユネスコから、『シティー・オブ・デザイン』に
指定された。

642年にメゾン・ヌーヴォ、および、ジャンヌ・マンスがモントリオール島に
ヴィル・マリという街を建設した。 これがモントリオールの始まりとされ、
その後、フランスが北米に領土を広げるための基地となった。 イギリス領に
なってからも経済、文化の中心地として発展を続け、19世紀中頃には、カナダで
並ぶものがない地位を築いた。

そして英語系の大企業もここに本拠地を構え、カナダ経済に大きな影響力を
振るっていた。 その後、幾多の変貌を遂げたが、経済的には、1967年に1つの
ピークを迎える。 それは、万国博覧会の年であった。

6ヶ月に渡って繰り広げられたこの博覧会を契機として、モントリオールの人々の
目が世界に開いた。 また、モントリオールは、ケベック各地から芸術家を
引き付け、音楽、演劇、スペクタクル、展覧会、出版等、あらゆる分野で、
文化を生み出す中心地として重要な存在となった。

1976年の夏季オリンピック大会もまた、世界の注目を集めたが、これは
モントリオールにとって、大きな財政負担となり、以後、長期に渡って経済を
苦しめる結果となった。 その頃を境に、モントリオールは、カナダ最大都市で
経済の中心地という座をトロントに譲った。

更に1977年の『フランス語憲章』によるフランス語化政策の推進が、そこに
拍車を掛け、いくつもの英語系大企業がトロントに本社を移し、英語
コミュニティに属する人々が多数流出してしまった。

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その後、1990年頃まで経済成長は低調だったが、フランス語系
ビジネスエリートの台頭により、1990年代には回復し、今日では、商工業、
金融、国際取引、テクノロジー等の分野で中心都市となっている。 特に、
航空宇宙産業、エレクトロニクス、テレコミュニケーション、製薬等の分野に
強みを発揮している。

更に、マルチメディア産業に関しては、北米の中心地として脚光を浴びている。
実際、『モントリオール・ジャズフェスティバル』を始めとして、この都市には
国際的に注目を浴びる文化的な催しが沢山ある。 映画やテレビ制作の拠点
でもあるし、世界有数のサーカス団、シルク・ド・ソレイユの本拠地でもある。

ケベックのみならず、カナダの芸術文化の発信地として、この街は燦然とした
輝きを放っている。 また、モントリオールには、国連の専門機関である国際
民間航空機関(ICAO)をはじめ、60にも及ぶ国際機関の本部が置かれている。

モントリオールは、カナダでも強い経済力を持っているため、移民を引き付け、
その結果として、マルチエスニックな様相を呈している。 2006年の国勢調査に
よれば、モントリオールの人口の24.5%が移民一世となっており、これは、
カナダ全体の16.2%よりもかなり高い。

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