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    タグ:ノルマン人

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    現在、イギリスに住む人の多くはケルト人、ローマ人、アングロ・サクソン人、
    デーン人、ノルマン人など、かつてイギリスに侵入し、住み着いたヨーロッパ
    民族の子孫である。 イングランドには、ケルト人が刻んだ石灰石の像や、
    ノルマン人が建てた聖堂など、先祖の造った物が残っている。

    18、19世紀に激しかった貧富の差は、2回の世界大戦で縮まった。 社会的
    差別は尚もあるものの、以前ほど厳しいものではない。 例として、1964年
    以降、どの首相も中流ないし、労働者階級の出であることがあげられる。 また、
    若者は、独自の流行や言葉を生み出し、かつては服装や言葉遣いにハッキリ
    見られた階級差は消えた。

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    20世紀にはヨーロッパ、インド、パキスタン、香港、カリブ諸島から難民として、
    あるいは、かつての植民地からよりよい暮らしを求めて、大勢の人がイングランドに
    移住して来た。 1990年代前半には、移民は500万人にも上った。 その多くは、
    都市のスラム街に住んでおり、少数派であるがために、住居や職を探すのに差別を
    受けることがある。

    民族の違いから来る都市生活の不安も、イギリスにおける新しい問題である。
    ロンドン、リバプール、ブリストル、バーミンガムなどでは、黒人や東洋人の
    住んでいる地区で暴動が起きている。 原因は、失業率の高さなどの経済問題や、
    警察と住民の関係の悪さにあると考えている人が多い。

    しかし、最近の総選挙では、東洋系や黒人の下院議員が誕生しており、また、
    少数民族が地域ごとに、自分達自身の力で問題解決の計画を立て、運営するなど、
    明るい動きも見られる。

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    【デンマークによる征服】
    アルフレッド王死後も、王国の統一は破られず、平和が続いた。 だが、11世紀
    初頭に再びデンマークが侵入して来ると、ウェセックスのエセルレッド王は、
    デーン税と呼ばれる税金を徴収し、この金でバイキングを買収し、その襲来を
    防ごうとした。 しかし、これも長続きせず、1013年にデンマーク人が大軍で
    襲って来た。 スウェイン王の下、デンマークのバイキングはエセルレッドの
    領土を征服した。

    スウェイン王が1014年に死んだ後、王国は息子のカヌートが引き継いだ。
    カヌートは、イングランド人にもデンマーク人にも支持されたが、カヌートの
    後継者には人望のあつい者が出ず、また、直径の跡継ぎも残さずに死んだ。

    1042年、ウェウセックスの指導者達は、エセルレッド王の息子であり、
    ノルマンディー(現在のフランス北西部地方)で育てられたエドワードを
    イングランド王に選んだ。 懺悔王のあだ名を持つエドワードは、信仰心があつく、
    治世の大半をロンドンの寺院建設に費やした。 現在のウェストミンスター
    寺院がそれである。

    1066年、エドワード王が跡継ぎを残さずに死ぬと、イングランドの指導者達は、
    義理の弟ハロルドを王位に就けようとしたが、ハロルドは、その難しさを
    知っていた。 故エドワードの遠縁ノルマンディー公ウィリアムなどが王位
    継承を主張していたからだ。 ウィリアムは兵を率いて、イングランド南部に
    上陸、1066年10月14日ヘースティングスの戦いでハロルドを破った。
    ウィリアムは、ノルマン人初のイングランド王となり、ウィリアム征服王と
    呼ばれた。

    westminster

    【ノルマン人治下での変化】

    ノルマン人の勝利の後、ノルマン人の貴族、聖職者、役人、職人、商人が
    大挙してイングランドに渡り、ウィリアム征服王は、イングランド人から
    奪った土地を彼らに分け与えた。 ノルマン人は、独特の建築様式を持ち込み、
    新たに建てられた城塞や聖堂に反映された。

    ノルマン人の言語であるフランス語は、裕福で教養のある上流階級の言葉
    となるが、一般の人々は、アングロ・サクソンの言語から発達した初期の
    英語(古英語)を依然として使っていた。 ノルマン征服はまた、
    イングランドの権力構造を激変させた。 土地所有者は、資力がどれほど
    大きくとも、その地位は、王位の下にあり、また、王室を除く全ての人は、
    自分より上の地位にある人に責任を負うことになった。

    paradigm

    ウィリアムとその後継者達は、この封建制と呼ばれる制度を1世紀掛けて強化して
    行く。 内乱や、不満を募らせたノルマン人、イングランド人貴族の小さ反乱は
    あったが、封建制は続き、1154年までにノルマンの政治形態が確立された。

    この年、ウィリアムの曾孫アンジュー(ノルマンディーの南)のヘンリーが
    イングランド王となり、フランスのアンジュー、アキテーヌ、ノルマンディーの
    地に加え、イングランドも所領として支配することになった。

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