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    タグ:ドゥシャンベ

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    首都ドゥシャンベ
    地球の歩き方にドゥシャンベは、「歩いて回れるコンパクトな街」との
    記載があったため、街を歩いて見ることにした。 ドシャンベのメイン
    ストリートは、個人商店が中心であるため、それなりに活気がある。
    タジキスタンの首都と言っても、人口は68万人程度しかないため、
    歩いて街を全て見て回ることが出来る。

    ドゥシャンベ駅
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    【ドゥシャンベ】
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    タジキスタンでは、持参したWiFiルーターの対応国だったのだが、電波が全く
    入らず、しかも、SNSは全てブロックされているため、日本であらかじめ
    インストールしていたVPNを初めて使うこととなった。

    ドゥシャンベは、実はスーツを着た人が多いため、非常にビジネスチックな
    街であった。 海外からのビジネス客も、中国人ばかりで、日本人は1人たり
    とも見掛けなかった。 緑の多いドゥシャンベの街並みは、この場所で
    内戦があったことなど一切感じさせない程穏やかであった。

    ソ連の面影
    旧ソ連内では、自動販売機「ガゾィローフカ」が当たり前の様にあったのだが、
    この自販機は、コップを洗って使い回すというスタイルであるため、通常は、
    マイコップを持ち歩いて使うのだが、ロシアでは、既に完全に姿を消した
    この自販機がタジキスタンでは、まだ現役である事自体、驚きであった。
    タジキスタンでは、この他にも、アイスクリームの「スタカンチク」も普通に
    販売している。

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    ドゥシャンベの街は、想像していたよりも暗い感じはなく、かなり開放的。
    但し、中央アジアは、どこも独裁色が強く、タジキスタンでも、至るところに
    大統領の肖像画が飾られてた。 中心街は、重厚なソ連式の建物が連なって
    いるため、旧ソ連邦内で最もソ連を感じさせる国かも知れない。

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    エアー・アスタナ
    カザフスタンのエアー・アスタナでアルマトイからタジキスタンの首都、
    ドゥシャンベへと飛びました。 アルマトイからドゥシャンベまでは、
    1時間半のフライト時間。 機内では、ピロシキとチョコレートの簡単な
    食事が1度だけ提供されましたが、賞味1時間半のフライト時間の場合、
    水平飛行の時間が30分程度しかないため、かなりあっという間の
    フライトでした。 エアー・アスタナは、今回初めて乗りましたが、
    最新の機材を使用しているため、なかなかの乗り心地でした。

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    エアー・アスタナの機内にはモニターがないため、機内のキャビンクルーに
    確認したところ、何と!WiFiとスマホを使って、映画を見れるのだとか。
    試しにWiFiに接続をして見たがネットに繋がらないw 機内には色々な
    映画があったのだが、WiFiに接続が出来なかったため、ドゥシャンベ到着
    まで、ぼ~っと過ごしました。 アルマトイを飛び立つ前に、タジキスタンの
    ビザについて質問されましたが、ネットに繋がらないため、ビザを見せ
    られないと空港係員には伝えたものの、その後、問題が発覚しました。

    【ドゥシャンベ】
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    ドゥシャンベ空港でのビザ申請手続き
    「ドゥシャンベ」とは、タジク語で、「月曜日」と言う意味で、毎週月曜日に
    市が立っていたため、この様な名前になりました。 中央アジアの中では、
    トゥルクメニスタンと並んで、ビザが必要な国であるため、事前にeビザを
    申請して置いたものの、何かの手違いで、空港到着後、ビザが許可されて
    いない事が判明しました。

    【ドゥシャンベ】
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    ドゥシャンベ空港では、ビザの発給手続きがあるため、延々と待たされることと
    なりましたが、そもそも、領事が窓口に居ない。 何をしているのかと窓の中を
    覗き込んで見ると、どうやら、お祈りをしているらしい。 そんなこんなで、
    30分以上も入国に時間が掛かってしまったものの、日本で事前に申請をして
    置いた筈のビザは、その後、ビザのカテゴリー選択間違いのため、発給され
    なかった事が判明。 但し、タジキスタンのビザは、実は空港でも取得出来る
    ため、その場で50米ドルを支払って新しいビザを発給して貰いました。

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    翌日、メールにて、タジキスタン大使館に、古い方のビザは、キャンセルで
    お願いしますとロシア語と念のため英語で再度メールしたものの、結局のところ、
    こちらのビザがキャンセルになったのかどうかは、未だに分からないまま。
    空港内は撮影禁止だそうで、係員から注意を受けました。

    ドゥシャンベの生活は、思っていたよりも酷くない様子で、スーツ姿で歩いて
    いるため、非常にラフな格好で街中を歩いていたのは、私だけでしたw
    タジク人は、イラン系の人種であるため、カザフ人とは異なり、見た目で既に
    外人だとバレているものの、タジク人は全員ロシア語が話せるため、
    コミュニケーション上で特に問題はありませんでした。

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    ウズベキスタンは、ソビエト時代の民族別国境画定(1924年~1925年)によって、
    人為的に国境が定められて来た。 フェルガナ盆地の東端がウズベキスタンと
    キルギスに分割され、更に1929年には、ウズベキスタンの一自治州だった
    タジキスタンが連邦構成国へと昇格したことで、現在の国境線が画定された。
    ソビエト連邦崩壊後、かつての共和国が民族や宗教、それに領土をめぐって
    憎しみ合ったり、紛争に至ったりする原因は、ウズベキスタンも同じだ。

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    1999年8月、JICA(国際協力機構)から派遣された日本人技師4人が拉致された
    事件で、犯行声明を出したのは、『ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)』と
    呼ばれるイスラム原始主義をうたったテロ組織だった。

    IMUは、1998年に組織され、創設者は、原理主義者のタヒル・ユルダシェフとソ連の
    落下傘部隊出身のジュマ・ナマンガニ。 彼らは、ウズベキスタンのカリモフ政権
    打倒を掲げていたが、本音はウズベキスタン、タジキスタン、キルギスの3国に
    またがるフェルガナ盆地に、イスラム国家を樹立することだった。

    IMUがその名前を知られるようになったのは、1992年、隣国タジキスタン共和党系
    政府と、イスラム系野党勢力タジキスタン・イスラム復興党の間で起きた内戦で、
    野党の信任を得て参加したことだった。 そしてこの時、パキスタンのペシャワルで
    オサマ・ビンラディンと繋がったという。 その後IMUは、タジキスタンやタリバン
    支配下のアフガニスタンをベースに、武装闘争を宣言、1999年から2000年には、
    ウズベキスタン政府軍への攻撃を続けていた。

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    創設者の1人、ナマンガニは、2001年10月に『テロとの戦争』 を遂行する北部同盟
    および、アメリカ軍との戦闘で戦死。 ユルダシェフは、2009年にパキスタンの
    部族地域のひとつ、ワジリスタンでアメリカ空軍の攻撃を受け死亡した。

    アメリカのアフガニスタン侵攻後、ウズベキスタンやタジキスタンのイスラム武装
    組織の力は弱体化したと言われている。 しかし、IMUは、以前アフガニスタン
    との国境地帯で活動中であり、タジキスタンの反政府勢力も、首都ドゥシャンベ
    市内で2007年~2009年に7件の爆弾テロ事件を起こすなど、以前不安定な状況
    にある。

    【お勧めの一冊】


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