多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:ドイツ語

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    その昔、ロシア語とドイツ語を学び始めた切っ掛けは、実はユーゴスラビアと
    ポーランドとハンガリーに興味があったからなのだが、その当時、サラエボ
    オリンピックと、その翌年には、ロサンゼルスオリンピックが控えていた。
    当時は、東西冷戦により、東西両陣営に分かれて、それぞれのオリンピックへの
    出場をボイコットをしたのだが、上記の東欧3ヶ国だけは、冷戦時代にだったの
    にも関わらず、どちらのオリンピックにも出場した。


     
    元々、旧ユーゴに非常に興味があったため、セルビア・クロアチア語を学びた
    かったのだが、残念ながら、当時の日本では、セルビア・クロアチア語を
    学べる場所はなかったため、一番似ているロシア語を選択したのだが、実は、
    ロシア語よりも、ドイツ語の方が旧ユーゴでは通じるという事に後で気付いたため、
    すぐにドイツ語にも手を出した。 この組み合わせは、両言語共に、文法構造が
    かなり複雑であるため、日本国内では、非常に珍しい組み合わせとなっており、
    その昔、大学院を受験した際に、この2言語で外国語を受験したが、ロシア語と
    ドイツ語で受験をした人は、我が校始まって以来と言われた。
     
    大学時代は、たまたま、学内に旧ユーゴの第一人者がいたため、そのゼミを迷わず
    選択し、卒業後は、東欧に最も近いという理由で、ドイツではなく、オーストリアに
    留学をした。 一番最初にモスクワに留学をした際に、クラス内にユーゴスラビア人
    (セルビア人)がいたのだが、ロシア人とは異なり、顔立ちがなかりヨーロッパ的に
    見えた。 当時の旧ユーゴは、東欧内では、唯一ビザが必要ない国であったため、
    非常に先進的な国に見えたものだが、他の東欧諸国と比較して、余りにも進み
    過ぎていたため、足並みが全く揃わず、結局は、民族浄化による各民族間の激しい
    対立にまで発展し、平和だった国が、一瞬で廃墟と化した。

    そんな時に、旧ユーゴで最も有名な歌手で、サラエボオリンピックでメインソングを
    歌った、ヤドランカ・ストヤコヴィッチが日本に住んでいるという情報を小耳に
    挟んだため、早速ライブに行って、声を掛けたところ、非常に仲良くして頂き
    ました。 そのヤドランカも、ボスニアでのライブの途中に、急に体調を崩して、
    そのまま、ボスニアに帰ってしまった。

    東欧好きが転じて、その昔、旧ユーゴスラビア大使館と、ウクライナ大使館へ強引に
    経歴書を送付して、面接に呼ばれた事があるのだが、旧ユーゴスラビア大使館は、
    今のセルビア大使館に当たる。 大学時代に、もっとお金があれば、本当は、
    コソボにも行きたかった。 ウィーンに留学をしていた際には、クラスの中に、
    セルビア人も、クロアチア人もコソボ人もいたが、当時は、それぞれの民族が
    激しく対立していたため、気軽には話し掛けられる雰囲気ではなかった。

    東欧には、セルビアやポーランドをはじめ、非常に親日的な国が多いが、その
    当事者である日本人が、その事実を全く知らないのは、恥ずかしい限り。

    22201771

    セルビア共和国
    Republic of Serbia

    1.面積
    77,474平方キロメートル(北海道とほぼ同じ)

    2.人口
    712万人(2011年国勢調査)

    3.首都
    ベオグラード(人口164万人)

    4.民族
    セルビア人(83%),ハンガリー人(4%)等(2011年国勢調査)

    5.言語
    セルビア語(公用語),ハンガリー語等

    6.宗教
    セルビア正教(セルビア人),カトリック(ハンガリー人)等

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    日本の都道府県名をドイツ語に直訳した名前がカッコいいと話題になっている。
    ドイツ語は、硬い音が多いため、男性的な言語だと言われる事が多いが、
    英語のような滑らかさはないものの、その特徴がよく出ていると言える。


    1909.jpg

    1908.jpg
    1907.jpg

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    ドイツでは、トルコからの移民が非常に多いのだが、それを如実に表して
    いるのが、この動画。 トルコ人は、実際のところ、キリスト教徒も
    多いのだが、基本的には、イスラム教徒の方が多いため、ドイツ語圏では
    非難や差別の対象となりやすい。




    ドイツでは、未だに人種差別が一部では根強く、白人第一主義が幅を
    利かせているのだが、それを逆手に取ったこの動画は、非常に愉快ww 尚、
    この動画で喋っているのは、ドイツの標準語である『高地ドイツ語』や
    方言などではなく、トルコ人がいかにも言いそうな変なドイツ語w

    トルコ人たちが最初、正確なドイツ語で自己紹介をしたところ、先生が
    『トルコ人らしいドイツ語』に直したというお話ww 更には、ドイツに
    対する悪口まで習ったという落ちwww



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    Geld ist nicht alles, aber es ist für uns sehr wichtig. Wenn man genug Geld hat,
    gibt es nicht genug Zeit. Im Gegenteil, wenn man genug Zeit hat, gibt es nicht
    genug Geld, und ich denke, dass es mehr psychisch schmerzhafter ist, weil
    nichts ohne Geld bewegt. 


    Ganz schnelle Antworten von den Zuschauern. Ich sehe fast jeden Tag Easy German
    an, und ich finde, dass das Programm sehr schön ist.  Viel erfolg für Easy German,
    besonders mit dem Projekt!



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    オーストリア共和国は、ヨーロッパにある連邦共和制国家で、首都は、いわずと知れた、
    音楽の都ウィーン。 約650年もの間、中央ヨーロッパにおいて、ハプスブルク家の帝国
    として君臨し、第一次世界大戦前までは、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアと並ぶ欧州
    五大列強国とされていた。 1918年、第一次世界大戦での敗戦、並びに、革命により、
    1867年より続いたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、共和制となった。

    かつては、多民族国家であった旧帝国のうち、支配的な民族であったドイツ民族が多数を
    占める地域のみにおおむね領土が削られ、現在に至っている。 1938年には、ナチス・
    ドイツに併合され、敗戦後の1945年から1955年に掛けては、連合国軍による分割占領の
    時代を経て、1955年に独立を回復した。 EU加盟以降は、同言語同民族でありながら、
    複雑な国家関係が続いていたドイツとの距離が再び縮まりつつあり、一部では、ドイツ
    民族至上主義が台頭している。



    ドイツ語での国名、Österreich は、『東の国』という意味であり、フランク王国の頃にオスト
    マルク東方辺境領が設置された事に由来する。 オーストリアは、しばしばオーストラリアと
    間違われるが、オーストラリアは、ラテン語で『南の地』を意味しているため、オーストリア
    とは語源的にも無関係である。

    日本では、オーストリア大使館とオーストラリア大使館を間違える人もおり、東京都港区
    元麻布のオーストリア大使館には、同じく港区三田の『オーストラリア大使館』への地図が
    掲げられている。

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    オーストリアとオーストラリアの国名の混同は日本だけではなく、英語圏の国にも広く
    見られ、聞き取りにくい場合には "European" (ヨーロッパのオーストリア)が付け
    加えられる場合がある。 2006年10月に、駐日オーストリア大使館商務部は、
    オーストラリアとの混同を防ぐため、国名の日本語表記を『オーストリア』から
    『オーストリー』に変更すると発表した。

    オーストリーという表記は、19世紀から1945年まで使われていた『オウストリ』という
    表記に基づいている。 発表は大使館の一部局である商務部によるものだったが、
    署名は、当時のペーター・モーザー大使とエルンスト・ラーシャン商務参事官の連名で
    行われ、大使館および商務部で変更を検討し、オーストリアの国名の全面的な変更を
    思わせるものであった。
     
    20061115-01

    しかし、2006年11月、大使は、国名表記を決定する裁量は日本国にあり、日本国
    外務省への国名変更要請はしていないため、公式な日本語表記は『オーストリア』の
    ままであると発表した。 ただし、オーストリーという表記が広まる事により、
    オーストラリアと混同される事が少なくなる事を願っているとされた。
     
    その後、大使館商務部以外では、大使館、日本の官公庁、マスメディアなどに
    『オーストリー』を使う動きは見られない。 昨年度から、旧ソ連邦構成国家であった、
    グルジアが、『ジョージア』と改名されたが、こちらもその名前が、どれほど定着する
    のか、かなり懐疑的である。

    オーストリアのドイツ語は、ドイツのドイツ語とは差異が大きく、ドイツ語の一方言とする
    のか、または、別言語とするのか、言語学的に見ても、かなり難しいところ。 民族と
    言語はドイツと同じだが、国家とその歴史がドイツとは異なるのがオーストリア。 国が
    異なれば、言語も別であろうとするウクライナとは対極を行っている国。 普段は、
    100%オーストリア・ドイツ語だけで話しているが、基本的に、標準的なドイツ語も喋れる
    のがオーストリア人。

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    イタリアのボルツァーノ自治県は、イタリア共和国トレンティーノ=アルト・
    アディジェ特別自治州に属する県で、県都はボルツァーノ。 イタリアでは
    唯一、イタリア語・ドイツ語・ラディン語の3つの公用語を併用する県と
    なっている。 歴史的には、「チロル」と呼ばれた地域の一部で、「南チロル」
    とも呼ばれている。 この地域では、ドイツ語を母語とするドイツ系住民が
    人口の半分以上を占める他、レト・ロマンス語群の言語である、ラディン語の
    話者も居るため、地域内での言語事情が非常に複雑となっている。
    tirol
    1922年にムッソリーニ政権が誕生すると、ボルツァーノ県では、イタリア化
    政策が推進されたため、ドイツ語の使用が禁止となり、人名、地名は全て
    イタリア語に変更された。

    学校教育もイタリア語で行われるようになった他、イタリア南部からの移住も
    推奨され、徐々にイタリア語系住民の比率が高まって行った。 1939年、
    ムッソリーニは、アドルフ・ヒトラーから、ドイツ語系住民に、ドイツへの
    移住か、イタリアに留まり、イタリア人との同化政策を受け入れるかの選択を
    させる事を提案され、同意した。 住民は、故郷を捨てるか、母語を捨てるか
    という苦渋の選択を迫られた。

    第二次世界大戦後期の1943年、イタリア王国が連合国に降伏すると、直ちに
    ドイツ軍はイタリア北部を占領する。 ボルツァーノ県域は、名目上、イタリア
    社会共和国に属するとされたものの、ドイツ軍の占領統治下に置かれた。
    1945年5月のドイツ降伏に先立ち、4月27日にドイツからの独立を宣言した
    オーストリアの臨時政府は、1938年の独墺合邦の無効を宣言し、チロル州も
    オーストリア領に復した。 ボルツァーノ県の住民も南チロル人民党を結成
    するなど、オーストリアへの復帰を望んだが、国際情勢がそれを許さなかった。

    1946年9月5日、パリにおいて、イタリアのデ・ガスペリ首相兼外相と
    オーストリアのグルーパー外相との間で会談が行われ、同県のイタリア領有、
    および、ドイツ語系住民への自治権の付与について合意に達した。 1948年
    1月の法律で、自治権が保障されたが、パリでの合意に及ぶものではなく、
    ドイツ語系住民にとっては、不十分な内容であった。

    また、中央政府が南イタリアからの移住を推進した事に対しても不満があった。
    このため、完全自治、あるいは、チロル再統一を要求する組織が作られ、
    1950年代半ば以降、テロ活動が続き、1960年代には激しさを増した。
    1960年には、国際連合でも議題にあげられ、平和的解決が求められた。


    家庭内の会話における使用言語全国
    イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語45.5%25.2%
    地方言語のみ、あるいは主に地方言語16.0%1.5%
    イタリア語と地方言語の双方32.5%4.1%
    他の言語5.1%65.5%

    【ドイツ語】
    ドイツ語話者は、県人口の約70%を占める。 2011年の「言語集団調査」に
    よれば、県の116コムーネのうち、103コムーネでドイツ語話者が過半数を占める。
    住民のほぼ全てが、ドイツ語話者であるコムーネも多く、ドイツ語話者が人口の
    90%以上を占めるコムーネが77コムーネ、98%以上を占めるコムーネが
    26コムーネある。 マルテッロでは、ドイツ語話者が100%となっている。
     
    公文書や教育・メディアなどでは、標準ドイツ語が用いられている。 ただし、
    この地域で話されているドイツ語は方言で、県内でも地方ごとに差異があり、
    東部はバイエルン人/バイエルン語話者、西部はアレマン人/アレマン語話者が多い。

    【イタリア語】
    イタリア語話者は、県人口の約25%で、県都ボルツァーノをはじめとする南部に
    多い。 2011年の「言語集団調査」によれば、イタリア語話者が過半数を占める
    のは、5コムーネで、ボルツァーノ(73.80%)、ライヴェス (71.50%)、
    ブロンツォーロ (62.01%)、サロルノ (61.85%) 、ヴァーデナ(61.50%) となって
    いる。 これに次ぐのは、メラーノ (49.06%) で、ドイツ語話者と拮抗している。

    【ラディン語】
    ラディン語は、レト・ロマンス語群の言語で、イタリア語とは同じロマンス
    諸語に含まれる。ラディン語話者は、オルティゼーイをはじめとする、県東南部の
    ヴァル・ガルデーナ、および、ヴァル・バディーアに集住しており、8コムーネで
    過半数(いずれも80%以上)を占める。 2011年の「言語集団調査」によれば、
    ラディン語話者が最大の比率を占めるのはラ・ヴァッレ (97.66%) である。
    8コムーネ以外では、オルティゼーイに隣接するカステルロットで15.37%を占める。

    ラディン語話者はボルツァーノ自治県、トレント自治県、ベッルーノ県に
    またがる山間地域に集まっており、これらの地域は、「ラディニア」と呼ばれる。
    ラディン語話者は、全体で約3万人とされており、ユネスコの「危機に瀕する言語」
    では「危険」と評価されている。 ボルツァーノ県にはこのうち約2万人が
    暮らしている。



    オーストリアは、長年に渡り、イタリアに対して、ドイツ語話者の多い南チロルの
    返還を求めているが、イタリアは、これに応じず、南チロルは、未だイタリア領の
    まま現在に至っている。

    世界には、このような、国境と言語が一致していない個所が多く見られるが、
    むしろ、日本のように、国境と言語が一致している国の方が珍しいのかも知れない。

    【お勧めの一品】


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    EUが、ウクライナを仲間に入れない理由は、分かりやすくひとことで言ってしまうと、
    東欧が嫌いだからなのだが、その事は、EU内でロシア語で実際で喋ってみると、かなり
    体感出来る。 更に、ドイツ語、フランス語が理解出来ていると、あからさまに周囲から、
    悪口を言われているのも分かる。

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    EU、特に、ドイツ、フランスにとっては、ロシアもウクライナも旧ユーゴも似たり寄ったり。
    ブルガリアとルーマニアをEUに入れてしまった事を後悔しているのが、EU、特に、
    ドイツです。 ドイツは、ブルガリアとルーマニアからの労働者の移動を7年間規制して
    いたものの、最近、それが解除されてしまったため、現在、ブルガリアとルーマニアに
    居住していた、ジプシーこと、『ロマ』が、列挙して、『EU市民』として、ドイツ、フランス等
    に押し寄せている。

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    EUは、第二のブルガリア、ルーマニアを恐れているだけではなく、それ以上の劣悪な
    環境の国をEUには入れたがらない。 EUの中でも、1人勝ちと言われているドイツは、
    これ以上の余計な重荷を背負いたくはないため、むしろ、ドイツが、EUから脱退する
    可能性もある。

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    正式名称は、ベルギー王国。 隣国のオランダ、ルクセンブルクと合わせてベネルクス
    とも呼ばれる。 公用語は、フランス語、オランダ語、ドイツ語の3言語。 立憲君主
    国家であるため、国王が国民に向けてスピーチをする際には、この3言語にて、行われる。
    日本では、ビールやチョコレートなどで知られる。 ヨーロッパの十字路に位置している
    ため、古代から多くの戦乱の舞台となり、建国後もドイツやフランスなどの強国に
    翻弄されてきた。

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    首都のブリュッセルは、ヨーロッパ連合(EU)の主要機関の多くが集まっているため、
    『EUの首都』と呼ばれている。 19世紀にネーデルラント連合王国から独立した国家で、
    オランダ語の一種であるフラマン語が公用語の北部フランデレン地域と、フランス語が
    公用語の南部ワロン地域とにほぼ二分される。 建国以来、単一国家であったが、
    オランダ語系住民とフランス語系住民の対立(言語戦争)が続いたため、1993年に、
    フランデレン地域とワロン地域とブリュッセル首都圏の区分を主とする連邦制に移行した。

    紀元前後になると、ローマ人との接触がはじまり、ガイウス・ユリウス・カエサルが、
    紀元前57年に著した『ガリア戦記第二巻』に、この地に居住する民族について初めて
    言及がなされた。 カエサルは、同地に居住するゲルマン人との共通性を持つケルト人の
    多くを総称して『ベルガエ族』と呼んだ。 これが、現在のベルギーの国名の語源と
    なっている。

    3世紀に入り、海進によって居住地を失った人々が大規模な移住をはじめた。
    これによってフランク族がライン川を越えてローマ帝国へ侵入をはじめ、ライン川近郊の
    多数の都市が占拠されて行くと、帝国の国境はブローニュとケルンを結ぶ軍用道路線
    まで後退した。

    こうして北部ではゲルマン人の定着に伴うフランデレン語が、南部ではワロン語が
    浸透して行き、その結果生まれた境界線は、以降のベルギーにおけるラテン系・
    ゲルマン系という民族紛争、言語戦争の起源となった。 

    ブリュッセル~ワロンの画像

    14世紀にこの地に栄えた、ブルゴーニュ公国は終焉を迎え、フランドル地方は、
    ハプスブルク家の支配下に組み込まれる事となった。 同家がスペイン系と
    オーストリア系に分かれると、ベルギーは、スペイン領となった。 16世紀には、
    スペインの支配に対して反乱を起こし、ネーデルラント17州のうち、ユトレヒト同盟を
    結んだ北部7州は、ネーデルランド連邦共和国として正式に独立を承認されたが、
    南部諸州はスペインの支配下に留まった。

    この南ネーデルラントが現在のベルギー王国の起源となっている。 フランデレン
    地方は、18世紀のスペイン継承戦争の後に、オーストリア領となった。 1789年に
    ハプスブルク=ロートリンゲン家の支配に対して、革命が起こり、1790年には
    独立国家であるベルギー合衆国が建国されたが、短期間で滅ぼされた。

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    ベルギー、並びに、ルクセンブルクは、南ネーデルランドとして再びハプスブルク家の
    支配下に戻るが、その後フランス革命戦争により、フランス軍に占領された。 フランス
    革命勃発後、ジャコバン派がフランス革命国民義勇軍を主導したが、ベルギー戦線で、
    2度に渡り、オーストリア軍を殲滅し、その後、フランス軍は、南ネーデルランドを
    占領した。 その際、ナポレオンとオーストリアは、カンポ・フォルミオ条約を結び、
    その結果、南ネーデルランドは、フランスに併合された。

    アントワープ~フランドルの画像 

    ナポレオン戦争の終結後、1815年のウィーン議定書によって、ベルギーは、オランダと
    共に、ネーデルラント連合王国として再編された。 一方、ルクセンブルク大公国は、
    ドイツ連邦に加盟した。 1830年、ベルギーは、ネーデルラントの支配に対して、独立
    革命を起こし、同年に独立を宣言する。 1839年、オランダとベルギーとの平和条約が
    締結されたた、そこでは、オランダがベルギーの独立を認める見返りに、ベルギーは
    永世中立国の宣言をせよという事になっていた。 これはプロテスタント国家オランダに
    とって、カトリック国家フランスとベルギーとの同盟による軍事的脅威をなくすための
    ものであった。 このように、ベルギーの永世中立国化はオランダの安全保障が
    関わっていた。

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    第一次世界大戦では、中立政策を無視して進入したドイツ軍によって、ほぼ全土を
    占領された。 戦後、ドイツの脅威に対抗するため、フランスと軍事協定を結んだが、
    1936年にはこれを破棄して、中立政策へと回帰した。 第二次世界大戦においても、
    ドイツ軍によって国土を占領された。

    ロンドンに亡命政権が立てられたが、国内に残った国王レオポルド3世は亡命政府の
    意向を無視して、ドイツに降伏し、国王の権限を逸脱するものとして戦後に問題視される
    事となった。 第二次大戦後のベルギーは、1951年の欧州石炭鉄鋼共同体参加以来、
    ヨーロッパ統合において中心的な役割を果たしてきた。 現在、首都ブリュッセルは
    欧州委員会などの欧州連合の主要な機関が置かれており、欧州連合の『首都』的な
    性格を帯びている。 ブリュッセルは、2014年、ビジネス、人材、文化、政治などを
    総合評価した世界都市ランキングにおいて、特に『政治的関与』が高く評価され、世界
    11位の都市と評価された。

    ベルギーは、1993年の憲法改正により、連邦制に移行した。 連邦は、ブリュッセル
    首都圏地域、フランデレン地域、ワロン地域の3つの地域と、フラマン語共同体、
    フランス語共同体、ドイツ語共同体の3つの言語共同体の2層、計6つの組織で構成
    される。 そして、フランデレン地域とワロン地域の2つの地域は、それぞれ5つの州に
    分かれている。 ただし、フラマン語共同体とフランデレン地域については、ブリュッセル
    首都圏を除き領域が完全に重なるため、現行憲法が施行されて間もなく、フラマン語
    共同体政府がフランデレン地域政府を吸収する形で統合された。

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    統合された自治体は単にフランデレンと呼ばれている。つまり、現在のベルギーには
    連邦構成主体は、憲法上は6つ存在するが、実際上は5つしか存在しない。 フランデレン
    地域とワロン地域の境界線は、国土のほぼ中央を東西に横切っており、言語境界線と
    呼ばれる。 ベルギーの住民は、オランダ語のベルギー方言とも言うべきフラマン語を
    話すフランデレン人が58%、フランス語を話すワロン人が31%、その他混血などが11%と
    なっている。 特に首都ブリュッセルは、中東系を中心とした移民が多い。 ベルギーの
    国土は、使用言語により、3つの言語共同体に分かれており、それぞれに地方公用語が
    ある。

    北部のフランデレン地域は、フラマン語共同体に属し、フラマン語(オランダ語)が
    公用語となっている。 また、フローネン、ネーメン、コミーヌなどはフランス語地域と
    なっている。 しかし、フランデレン地域の大抵のフラマン人は、老若男女を問わず
    フラマン語(オランダ語)以外にも、フランス語と英語を習得している。

    南部のワロン地域は大部分がフランス語共同体に属し、フランス語が公用語となっている。
    ベルギーのフランス語は発音・語彙に若干の特徴があるが、フランスの標準フランス語と
    ほとんど同じである。 ただし、標準フランス語の他に、ワロン語とフランス語のいくつかの
    方言も広く話されている。 フランス語の諸方言は、主にフランス国境地域で話されている。
    また、南東部のルクセンブルク国境地域では、ルクセンブルク語が話されている。 ワロン
    地域の住民で、オランダ語や英語を話す者は非常に少ない。 また、ワロン地域では、
    英語がほとんど通じない。 ワロン地域の北東極一部のドイツ国境地域は、ドイツ語
    共同体に属し、ドイツ語が公用語となっている。 ただし、それぞれの話者の割合は
    均等でなく、オランダ語が60%程度、フランス語が40%程度、ドイツ語が1%未満である。

    尚、首都ブリュッセルでは、オランダ語の使われるフランデレン地域に囲まれているが、
    フランス語話者が8割以上を占めており、フラマン語共同体とフランス語共同体の双方が
    自治権を持っている。 フランデレン地域の人々とワロン地域の人々の間には、
    『言語戦争』とまで呼ばれる対立関係が存在する。

    2006年12月13日、ベルギーの公共放送RTBFが『フランデレン地域が独立を宣言して
    前国王アルベール2世がコンゴ民主共和国に亡命した』という架空ニュースを流した
    ところ、一時国内が大混乱に陥り、地域間の溝の存在を露呈する結果となった。

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    旧ソ連邦構成国家である、『グルジア』の日本語での表記名が『ジョージア』へと
    変更されたが、2006年にオーストリア大使館商務部が、『オーストリア』の
    ドイツ語名である『Österreich』の日本語表記名を『オーストリア』から
    『オーストリー』に変更するとアナウンスした事は、既に誰も覚えていない
    かも知れない。

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    その後、オーストリア大使館商務部が、この『オーストリー』の名称を
    推進する事を撤回したため、結局、この国名は日本では定着しなかった。
    そもそも、オーストリア大使館商務部が『オーストリー』という国名を
    提唱したのは、同じ麻布十番にある『オーストラリア大使館』と頻繁に
    間違われる事が関係しており、『オーストリア大使館』の前には、
    『オーストラリア大使館』への行き方が分かりやすく表示されている。

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    オーストリアにある州の名前は、『上エステルライヒ州』、
    『下エステルライヒ州』となっているため、日本語での国名も
    ドイツ語名に則り、『エステルライヒ』にすべきなのでは。

    尚、元グルジアことジョージアでは、ロシア語がかなり通じるのだが、
    とてつもなくブロークンなロシア語となっており、例え、ロシア人で
    あったとしても、ジョージア人のロシア語を100%理解するのは不可能と
    なっているため、最初から英語で話し掛けた方が無難かも知れない。

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    ドイツ語で、『定冠詞』が付いている国は、何故か変な国が妙に多い。

    例: der Iran, der Irak, der Libanon, die USA, die Ukraine
    (イラン、イラク、レバノン、アメリカ、ウクライナ)

    まともな国は、die Niederlande, die Schweiz ぐらいか。。
    (スイス、オランダ)

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