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    タグ:ドイツ民主共和国

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    2016年6月20日、ドイツ連邦共和国の首都がそれまでのボンからベルリンへ
    移転してから25年が経過した。 第2次世界大戦後、ドイツは東西に分断され、
    西側はドイツ連邦共和国、東側はドイツ民主共和国となった。

    東西分断前の首都であるベルリンは、旧ソ連の統治下である旧東ドイツ領内
    にあり、飛び地である西ベルリンに西ドイツの首都を置くことは到底不可能
    だった。 そのため、西ドイツは議論を重ね、1949年5月10日の議会代表会議に
    おいて、首都機能を暫定的にボンに置くことを決めた。

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    それから約41年の長い年月を経て、1990年にドイツは再統一を果たした。
    そして、今からちょうど25年前の今日1991年6月20日に、ボンの連邦議会に
    おいて、ベルリンにドイツ連邦共和国の連邦政府を置き、再び首都とする
    ことを、338対320の18票差で決議した。

    1994年には、『ドイツ統一の完成のための1991年6月20日の連邦議会決議の
    実施に関する法律』(ベルリン・ボン法)が制定され、多くの省庁が
    ベルリンへと移転した。

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    最も印象的だったのは連邦議会の移転で、ベルリンの国会議事堂の大改修
    工事を終えて、ベルリンへ移転したのは、首都決定から8年後の1999年の
    ことであった。

    ベルリン・ボン法には、長らく暫定首都を務めたボンには、適切な補償が
    行われる旨が明記されており、ボンはドイツで唯一の『Bundesstadt(連邦市)』
    と定められた。 首都がベルリンに戻された現在でも、ボンには連邦国防省、
    連邦教育・研究省など6つの省が置かれている。

    【首都機能移転の経緯】
    1990年 東西ドイツの統一
    1991年 連邦議会ベルリン移転決議
    1994年 ベルリン・ボン法の制定(首都機能移転の基本法)
    1999年 ベルリン移転の実施(9月1日)

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    10月3日はドイツ再統一の記念日で、ドイツでも、最も大切なドイツの国民の祝日と
    なっている。
     
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    ベルリンの壁が崩壊したのは、26年前の1989年11月9日だが、ドイツの再統一は、
    それから様々な経緯を経て、西ドイツ=ドイツ連邦共和国(BRD)に加入(編入)する
    形で東ドイツ=ドイツ民主共和国(DDR)という国が消滅し、現在のドイツ連邦共和国に
    なったのは、翌1990年の10月3日、今から25年前の出来事。
     
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    ドイツの『再統一』(Wiedervereinigung)と一般に言われますが、祝日の正式な
    名称は ”Tag der deutschen Einheit” (ドイツ統一の日)と言います。

    【ニュースステーション ドイツ統一スペシャル】


    【ドイツ統一までの道のり】 

    1989年11月9日
    社会主義統一党中央委員会のギュンター・シャボウスキー政治局員は記者会見の際、
    さして重要でもない様子で、ドイツ民主共和国はただちに出入国を自由化すると
    述べました。 その後すぐに、数千人の東ドイツ市民が国境検問所に押し寄せました。
    建設から28年、壁は崩壊したのです。

    1989年11月13日
    社会主義統一党のドレスデン支部長モドロー氏が、人民議会より新政府の構築を
    託されます。 数ヶ月前から行われていた月曜デモの横断幕には、『ドイツ、一つの祖国』の
    文字が見られるようになりました。

    1989年12月3日
    社会主義統一党の中央委員会と政治局メンバーは、一般党員からの圧力により
    総辞職しました。

    1989年12月7日
    円卓会議。党や各組織の新旧メンバーの代表が、教会代表者の司会のもと、国の
    危機的状況打開の提案を行うため会議を行いました。

    1989年12月19日
    ドイツ連邦共和国(西ドイツ)のヘルムート・コール首相(CDU:キリスト教民主同盟)が
    初めて正式に東ドイツを訪問し、ドレスデンでは熱狂的に迎えられます。 『ヘルムート、
    ヘルムート』『ドイツ、一つの祖国』などのシュプレヒコールが湧き起こりました。

    1990年1月15日
    デモ隊が東ベルリンの国家保安省本部の建物を襲撃。建物前には10万人のデモ隊が
    集まりました。

    1990年1月28日
    東ドイツの新旧の党の代表が、暫定政府の設立に合意しました。円卓会議に参加する
    市民権運動グループの代表も、政府に加わることになりました。

    1990年2月1日
    ハンス・モドロウ首相が人民議会で、軍事的中立性と連邦制を基本とするドイツ統一の
    コンセプトを提言しました。

    1990年2月7日
    西ドイツ政府は、通貨同盟に関する交渉を東ドイツに直ちに提案する事を決議しました。

    1990年3月18日
    東ドイツで初めての普通選挙が行われ、CDUをトップにむかえた保守連合が大きな
    勝利を果たしました。

    1990年4月12日
    初めての普通選挙で選出された人民議会が、ローター・デメジエール氏(CDU)を首相を
    選出しました。

    1990年4月23日
    西ドイツの連立政府は、通貨同盟条約の基本路線に関し合意しました。

    1990年5月5日
    アメリカ、ソ連、イギリス、フランス、西ドイツ、東ドイツの6人の外相による、初めての「2+4」
    外相会議をボンで開催しました。

    1990年5月18日
    経済・通貨・社会同盟条約の締結。 コール首相はこれを「自由で統一されたドイツ誕生の
    瞬間」としました。

    1990年7月1日
    通貨同盟発足。東ドイツの通貨は、西ドイツのマルクに切り替わりました。東西ドイツ
    国境では、出入国チェックは廃止されました。

    1990年7月2日
    東ベルリンで、東西ドイツの2つ目の条約となる、統一条約に関する交渉が開始しました。

    1990年7月16日
    コール首相とソ連のゴルバチョフソ連最高会議議長が、同盟関係の問題が解決したと
    発表。 ドイツはそのままNATOメンバーにとどまることになりました。

    1990年7月22日
    人民議会は、東ドイツに州制度を再び導入する法律を決議しました。

    1990年8月23日
    人民議会は、10月3日に東ドイツを西ドイツに統合する事を決議しました。

    1990年8月31日
    東ベルリンで東西ドイツの統一条約に調印。 西ドイツ連邦議会と東ドイツ人民議会は
    9月20日、賛成3分の2でこの条約を承認しました。

    1990年9月24日
    東ドイツがワルシャワ条約機構から脱退しました。

    1990年10月1日
    ドイツが完全な主権を獲得。ベルリンに対する連合国の全ての権利は、10月3日に
    失効することになりました。

    1990年10月3日 午前零時
    ドイツ国歌が演奏される中、ベルリンの帝国議会議事堂の前に黒赤金のドイツ国旗が
    掲揚されました。ベルリン市街では数十万人が祝い、ドイツの各都市でもドイツ再統一を
    祝いました。

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