多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:ドイツ

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    南ドイツの中心都市ミュンヘン
    ミュンヘンは、ドイツ第3の都市で、南ドイツの経済と文化の中心地。
    空港からミュンヘンの中心街へ行くためには、ドイツの郊外電車Sバーンを
    利用すると非常に便利。 このSバーンに揺られること約45分程で、マリエン
    広場までたどり着きました。 ドイツ語の「Marienplatz(マリーエン・プラツ)」の
    意味は、「マリア広場」で、ドイツ語は、スペースなしで単語をそのまま連結する
    ことができるため、慣れないと単語が非常に長く感じるものの、単語の切れ目が
    分かるため、そこで意味を判断すると分かりやすく、ドイツ語は、世界一合理的な
    言語とも言えます。

    ドイツの鉄道は、自分で打刻が必要
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    【Sバーン路線図】
    munich

    【冬の食べ物】
    南ドイツの冬の風物詩と言えば焼き栗ですが、「栗」はドイツ語では、
    「Kastanien(カシュターニエン)」と言うものの、焼くと何故か「Maroni
    (マローニ)」となり、イタリア語へと変わる。 お隣りオーストリアの
    ウィーン方言もミュンヘンと大体同じで、こちらでも、「焼き栗」は、
    やはり「Maroni(マローニ)」と言います。

    焼き栗屋
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    ミュンヘン新市庁舎とフラウエン教会は、どちらも非常に重厚な建物で、
    ミュンヘンのシンボル的な建物となっています。 新市庁舎の方では、毎時
    定時になると、仕掛け時計が動き出すため、絶好のシャッターシャンスと
    なります。

    ミュンヘン新市庁舎
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    フラウエン教会
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    【ミュンヘン】
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    南ドイツの春の風物詩
    南ドイツ名物の「Maibaum(マイバウム)」は、5月のお祭りの時期になると、
    南ドイツでは割と普通に建てられる春のシンボル的な存在ですが、実は、
    これと同じ物が札幌の大通り公園にも置いてあります。 こちらは、
    ミュンヘン市から姉妹都市である札幌市へと寄贈された物。

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    ドイツの標準語とは
    ドイツは東西南北で言語も風習も大きく異なるため、それぞれの地方の方言を
    聞いているだけでも楽しい。 特に、ミュンヘンは、南部の訛りが非常に強い
    バイエルン弁を話している地域となっており、この方言は、オーストリアと
    概ね同じとなっている。 ドイツでは、通常、標準語ではなく、それぞれの
    地方の方言のみで話していますが、他の地域の人達と話す時だけは、標準語で
    ある「高地ドイツ語」で話しています。

    【マリエン広場】
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    フランクフルトまでの交通手段
    EU経済の中心地、並びに、ドイツ経済の中心地でもあるフランクフルト市内
    までは、近郊電車Sバーンを利用した場合、往復で切符を購入するよりも、
    1日フリー乗車券を購入した方が、割引率が高くなります。 空港から
    フランクフルト中央駅までは、Sバーンで1駅、10分弱で行くことが出来ます。

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    ドイツ国内には、フランクフルト・アム・マインとフランクフルト・アン・デア・
    オーデルの2つの都市がありますが、どちらの街かを区別するため、正式名称には、
    「アム・マイン」が入っており、ドイツ語で「マイン川のほとりにある
    フランクフルト」と言う意味。 「アン・デア・オーデル」の方は、ポーランド
    国境の旧東独にあるのだが、こちらは、「オーデル川のほとりにある
    フランクフルト」と言う意味で、ドイツの地名には、「川」がサブタイトル
    として入っていることが多くなっています。

    【フランクフルト空港→中央駅】
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    フランクフルト・アム・マイン中央駅に到着。「Hbf」とは、「Hauptbahnhof」の
    省略形で、日本語では、「中央駅」と言う意味。 ヨーロッパの中央駅は、
    行き止まり式が多いのだが、このフランクフルト中央駅も行き止まり式。 よって、
    ドイツの新幹線 ICEは、何度も前後の方向転換をしながら進みます。 日本の様に
    郊外に新駅を建設するよりも、こちらの方が中心部を通るため、効率的だと
    思います。

    フランクフルトの主な観光地
    フランクフルト旧市街レーマー広場は、中央駅から歩いて25分程度の場所に
    あります。 ここを訪れた時には、既にクリスマスは終了していたものの、
    ライトアップはまだ行われていました。 フランクフルトの滞在時間に
    余裕がなく、1ヶ所だけ観光地を周るとすれば、レーマー広場が最もお勧めの
    観光スポットです。

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    【レーマー広場】
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    ドイツは、東京一極集中の日本とは異なり、地方分権の連邦制国家であるため、
    いわゆる、大都市は存在せず、フランクフルトにも60万人程度の人口しかいない。
    フランクフルトがドイツ経済のみならず、EU経済の中心地になり得た理由は、
    単にドイツの地理的に真ん中であるため。 ハンブルクは北寄り過ぎるし、
    ミュンヘンは南寄り過ぎるからという単純な理由からである。 旧西ドイツの
    暫定首都であったボンも、すぐ隣に100万都市のケルンがあるのにも関わらず、
    とりあえず、暫定首都であるため、ボンで良いと言う理由でした。

    【フランクフルト旧市街→空港】
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    日本では何故か消滅した食堂車は、ヨーロッパでは、まだまだ現役で、車窓を
    眺めながらのビールは、これまた格別。

    フランクフルトからダブリンまでのフライト時間は、たったの1時間半であるため、
    機内では、火を一切使わない、ドイツ名物の「カルテス・エッセン」が出て
    来ました。

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    2018年12月30日、ルフトハンザ・ドイツ航空を利用して、リスボン→
    フランクフルト→ダブリン、並びに、ダブリン→ミュンヘン→リスボンを
    往復しました。 往路のリスボン→フランクフルトは、2時間弱のフライト時間。

    ドイツの航空会社であるため、乗客の殆どがドイツ人でした。 実は、リスボン→
    ダブリン間は、アムステルダム経由のロイヤル・ダッチ航空の方が1万円程度
    安いのだが、ドイツ語を喋りたかったため、わざわざルフトハンザ航空を
    選びました (^-^)

    【ルフトハンザ航空】
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    2時間半のフライト時間で提供される機内食は1回のみで、最初から水が付いて
    いるのが非常に合理的。 機内放送は、ドイツ語と英語だけでしたが、ドイツ人は
    やはり英語が上手い。 同じ西ゲルマン語同士なので、語順は違えど、簡単なの
    でしょう。

    途中、スペイン、フランス上空を通過しましたが、ピレネー山脈らしき高い山の
    上空を通過しました。 フランクフルト・アム・マイン空港到着後は、空港地下に
    ある駅から近郊型電車のSバーンに乗り、10分弱で簡単に市中心部まで到着しました。

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    エリートスポーツ学校とは、ドイツオリンピックスポーツ連盟が主に10歳から
    15歳を対象とするスポーツタレントに、学校教育と寄宿舎での居住を保障しつつ、
    強化種目に関する高度なトレーニングを実施していると認定した育成施設である
    (認定制度の開始は1997年)。

    現在ドイツには43のエリートスポーツ学校が存在しており、それぞれに地域性や
    伝統が反映された強化種目が設定されている。 各エリートスポーツ学校は、
    夏季および冬季オリンピック大会が終了するごとに、該当する強化種目に応じて
    認定評価を受けなくてはならない。 尚、現在約11,300人のスポーツタレントが
    エリートスポーツ学校で育成されている。

    エリートスポーツ学校の運営形態は、スポーツ教育に重点を置く、いわゆる
    「スポーツ強化学校」の中にトレーニング、学校教育、寄宿舎での居住の3機能を
    集中させる「単一学校型」と、オリンピック支援拠点にトレーニングと寄宿舎での
    居住の2機能を、また、その近郊にある複数の学校に教育の機能を担わせる
    「包括施設型」に大別される。 前者は、ドイツ民主共和国の児童・青少年
    スポーツ学校の後継施設である場合が多く、従って東部ドイツ地域に集中的に
    みられる。

    近郊に位置する競技力の高いフェラインとの連携の下で、午前の授業時間内と
    午後の放課後にトレーニングを実施出来る点が特徴である。 後者は、基本的には
    再統一前のドイツの全寮制スポーツ学校の運営形態を引き継いでおり、従って
    西部ドイツ地域に多い。 スポーツタレントは、オリンピック支援拠点において
    常時トップレベルのコーチによる指導を受けることができる。 尚、両者共に
    学校教育をトレーニングと同様に重視しており、それによって、学業を優先し、
    スポーツキャリアを断念するスポーツタレントが以前よりも減少しているという。
    近年のオリンピック選手に占めるエリートスポーツ学校出身者の割合は高く、
    例えば2008年の北京オリンピック夏季大会では29%、また2010年のバンクーバー
    オリンピック冬季大会では51.3%に達している。 こうしたデータは、エリート
    スポーツ学校が、ドイツの競技スポーツシステムを支える極めて重要な育成施設で
    あることを示している。

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    【エリートスクール】
    ドイツ国内には現在、下記の43都市にスポーツ・エリートスクールがある。
    ● アルテンベルク ● カールスルーエ
    ● ベルヒテスガーデン(スキー) ● クリンゲンタール
    ● ベルリン(HPスポーツセンター) ● コブレンツ
    ● ベルリン(フラトフ・ハイスクール) ● ライプツィヒ
    ● ベルリン(ペルヒャウ・ハイスクール) ● レーヴァークーゼン
    ● ボッフム・ヴァッテンシャイト ● マグデブルク
    ● ボン ● マンハイム
    ● ケムニッツ ● ミュンヘン
    ● コットブス ● ノイブランデンブルク
    ● ドレスデン ● ニュールンベルク
    ● エアフルト ● オーバーホーフ
    ● エッセン ● オーバーストドルフ
    ● フランクフルト(マイン) ● オーバーヴィーゼンタール
    ● フランクフルト(オーデル) ● ポツダム
    ● フライブルク ● ロストック
    ● フルトヴァンゲン ● ザールブリュッケン
    ● ハレ ● シュヴェリーン
    ● ハンブルグ ● シュトゥットガルト
    ● ハイデルベルク ● タウバービショフスハイム
    ● ハノファー ● ヴィンターベルク/ヴィリンゲン
    ● イエナ ● カイザースラウテルン

    ※ドイツサッカー協会にも同様サッカーのエリートスクールがある

    【チャンピオンスポーツのためのパートナー大学】
    1999年には「チャンピオンスポーツのためのパートナー大学」制度も開始され、
    現在約90のパートナー大学に在籍する約1,200人の学生アスリートが、
    トレーニングによって生ずる学業負担の補償支援を受けながら、スポーツと
    高等教育修了のダブル・キャリアの実現を目指している。

    【スポーツ指導者の種類と指導内容】
    ①C級トレーナー:特定の種目についての基礎的指導、競技力向上へと導く。
    ②B級トレーナー:特定の種目についての専門的指導、競技力向上のための
     優秀な選手の発掘。
    ③A級トレーナー:特定の種目について体系的に競技力向上の指導を行い、
     各個人の高度な技術指導を行う。
    ④ディプロムトレーナー:国際級選手のトレーニングの計画、実施、評価、
     実技指導者やコーチに対する指導、助言を行う。
    ⑤専門指導者:特定の種目について基礎的指導を行い、生涯スポーツ活動の
     推進をはかる。 各スポーツ種目で、初歩的な運動プログラムを提供する。
    ⑥指導者:スポーツ種目全般の基本的運動プログラムを提供し、生涯スポーツの
     推進を図る。
    ⑦予防・リハビリテーションスポーツ指導者:障害者などの特別なトレーニングや
     練習プログラムを指導する。
    ⑧青少年指導者:生涯スポーツにおける青少年に適したプログラム作りと実施、
     並びに、余暇教育、青少年施策についてのスポーツ以外の催し物とプログラム
     作成、および、それらの実施を行う。
    ⑨スポーツ理学療法士:トップアスリートに対して治療を施したり、海外遠征、
     競技会に随行し、治療にあたる。
    ⑩組織マネージャー:スポーツフェラインの運営管理の仕事に携わる。
    ⑪組織マネージャー:(専門養成1-4)専門養成
     1:スポーツフェラインにおける指導と法律の仕事専門養成
     2:スポーツフェラインにおける企画と運営専門養成
     3:スポーツフェラインにおける財政、税金、保険専門養成
     4:スポーツフェラインにおける広報活動、宣伝およびマーケティング
    ⑫組織マネージャーA:スポーツフェラインおよびスポーツ関係団体責任者として、
     統括、指導、
    運営管理を行う。
    ⑬スポーツ経済専門ディプロマ:組織マネージャーの最上級資格であり、
     社会科学的分野の指導的立場に立つ人材として、専門的な仕事に携わる。

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    OlympischerSportbund

    2006年月5月20日、ドイツスポーツ連盟(Deutscher Sportbund = DSB)と
    ドイツオリンピック委員会(Nationales Olympisches Komitee = NOC)が
    合併し、ドイツオリンピックスポーツ連盟(Deutscher Olympischer Sportbund
    = DOSB)としてスタートした。

    この合併を後押ししたのは、スポーツ界が、特に行政に対して、ひとつの声
    としてまとまり、向き合うことの必要性が認識されたことである。 つまり、
    スポーツに関する窓口をDOSBに一本化したのである。 合併の必要性を感じない
    関係者も多くいた。 しかし、競技スポーツを例に取ると、それまでは、
    連邦内務省によるトップスポーツへの強化費を競技団体へ分配するのはDSB、
    オリンピックへ選手を派遣するのはNOCというように、統轄組織が分かれており、
    両者の考えが一致しないこともあった。

    合併の目的は、色々な団体や競技スポーツ、生涯スポーツのそれぞれ異なった、
    多層に渡る関心事を、スポーツ界の一つの声に束ねることにあった。 そして、
    傘下にある約9万のスポーツクラブと98の各スポーツ団体、そこに属する
    2,700万人以上のスポーツ愛好者や選手達たちを束ね、まとめて行くことであった。

    DOSBは、1950年にドイツスポーツ連盟(DSB)として設立された。 DOSB
    として新たなスタートを切るにあたり、その初代会長にはトーマス・バッハ氏が
    選ばれた。 再選され2期目に入ったバッハ氏は2013年にIOC会長となり、任期
    1年を残してDOSB会長を辞任した。 その後任には、ドイツスキー連盟前会長の
    アルフォンス・ヘアマン(Alfons Hörmann)氏が選ばれた。 DOSBのメンバー
    組織は62種目別競技団体(オリンピック競技34、非オリンピック競技28)、
    16州スポーツ連盟、20の特別の課題を持ったスポーツ団体(ドイツ大学スポーツ
    連盟、ドイツ鉄道員スポーツ協会等)から成る。 実際のスポーツ活動が行われて
    いるスポーツの基盤・底辺となるのは、全国にある90,800のスポーツクラブである。
    このスポーツクラブには2,780万人の市民が会員となっており、この人数はドイツ
    総人口の約1/3にあたる。 DOSBの本部はフランクフルト・アム・マインにある。

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    【DOSBの予算】
    DOSBの予算は、会費、連邦予算、マーケティングライセンス、宝くじの収入に
    よって賄われている。 州や地方自治体からは、スポーツ施設の建設費用や
    保守メンテナンス費用など、かなりの費用が捻出されている。

    2006年から2009年までに、トップスポーツの助成に連邦予算では、8億4,000 万
    ユーロ(約966億円)が準備された。 国家予算が緊迫していたにも関わらず、
    その額はドイツオリンピックスポーツ連盟(DOSB)から絶対に必要とされた
    額に達したとされている。 その大きな部分が連邦内務省の費用である。 この期間に
    おいて連邦内務省は、とりわけDOSBからの要求に応じ、トレーナー給与の増額、
    トレーナーポストの増大、トレーナーの専門・継続教育の改善に取り組んだ。
    更にトップチーム幹部のトレーニングおよび競技方策が拡大され、最適な
    トレーニング場が整備された。

    【連邦政府からのスポーツ助成金】
    現行の資金調達額は約1億7,000万ユーロで、2020年の東京オリンピックに向けて、
    2019年には1億1,000万ユーロ、2020年には更に1億3400万ユーロを必要として
    いる。 この予算調達の大部分が内務省からの予算となっているが、この他にも
    外務省、財務省、労働社会省、国防省、保健省、環境・自然保護・原子力安全省、
    家庭・高齢者・婦人・青少年省、教育研究省が予算を提供している。

    【州のスポーツ予算と配分】
    ドイツのスポーツに関わる予算財源は各州により異なる。 州間の協定で、
    各州にくじ等から630万ユーロ(約8億円)が配分されるところは同様である。
    しかし、シュレスビッヒ=ホルシュタイン州のように、くじ等の630万ユーロ
    のみで一般会計から拠出しないところや、ノルトライン=ヴェストファーレン州の
    ように、くじ等の財源と一般会計の両方のところもある。 例えば、シュレスビッヒ
    =ホルシュタイン州では、近年州の負債が増加傾向にあるが、630万ユーロが保障
    されているため、スポーツ予算は横ばいである。 この630万ユーロは、90%が
    州スポーツ連盟に、8%が内務省に、2%が文部省に配分されている。

    【国際競技力向上施策】
    1990年のドイツ再統一以後、オリンピック大会に参加したドイツ選手にはある
    傾向がうかがえる。 先ず、1つには、旧ドイツ民主共和国の驚異的な国際競技力を
    支えた児童・青少年スポーツ学校出身の選手が多いということである。 これは
    特にドイツ民主共和国の遺産を受け継いだ1990年代にみられる。 更にもう1 つは、
    再統一後の児童・青少年スポーツ学校の改革・再編を端緒として生まれたドイツ
    オリンピックスポーツ連盟(DOSB)認定のエリートスポーツ学校出身の選手の
    割合が、とりわけ近年のオリンピック大会で高くなってきていることである。
    エリートスポーツ学校では、さまざまな施策によって発掘され入学してきた、
    主に第5から10学年(ほぼ10歳から15歳)を対象とするスポーツタレントが、
    未来のトップアスリートに成長すべく集中的に育成されている。






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    ドイツ連邦政府では、主に連邦内務省がスポーツ政策を担当しているが、
    外務省、連邦国防省などにも連邦政府予算が計上され、スポーツの普及
    発展に関わっている。 ドイツでは総合的な内容を持つスポーツのための
    基本法は制定されていない。 ドイツの憲法として位置付けられている
    「ドイツ連邦共和国基本法」(Grundgesetz für die Bundesrepublik Deutschland、
    1949年、以下基本法と表記) においても、スポーツに関する条項は
    見当たらないが、「人格の自由」(第2条)や「結社の自由」(第9条)などが
    スポーツの権利に関する拠り所となっている。

    leistungssport

    1990年の東西ドイツの再統一は、スポーツ界にも影響を及ぼした。 両国の
    スポーツ統括団体やオリンピック委員会の合併が図られると共に、ドイツの
    スポーツクラブに当たるスポーツフェライン(Sportverein)レベルでの
    交流なども実施され、東西のスポーツの接近が図られた。 統括団体に
    関しては、2006年にドイツスポーツ連盟とドイツオリンピック委員会が合併し、
    ドイツオリンピックスポーツ連盟(Deutscher Olympischer Sportbund:DOSB)
    となった。

    ドイツでは学校教育の一貫としてのスポーツの部活動は原則としてない。
    ドイツにおける青少年のスポーツ活動の核は、地域の「スポーツフェライン」
    であり、彼らはそこで中高齢者に至るまで週1~2回程度スポーツ活動を実践する。
    地域のスポーツフェラインへ加入すると、州スポーツ連盟およびドイツ・
    オリンピックスポーツ連盟(DOSB)の会員として登録されると同時に、
    自分の参加するスポーツ種目の競技連盟へ登録される。

    ドイツのスポーツ組織体制図
    どいつ-2
    【中央組織】
    1) スポーツ行政組織
    ドイツのスポーツ行政機関は、基本法の第30条「連邦と諸州の権限分配」
    などに従い、連邦と州が役割を分担している。 資金という観点からも、
    連邦では特に次の事項を担当している。

    ・全国家を代表すること(たとえば、オリンピック、パラリンピック、
     デフリンピック、世界およびヨーロッパ選手権、ワールドゲームズ)
    ・外交関係(スポーツの促進援助も含む)
    ・国家的でない中心的組織の諸方策の助成(連邦全体として重要であり、
     一州のみでは効果的に実施することができないもの、例えば、ドイツ・
     オリンピックスポーツ連盟(DOSB)、スポーツ諸連盟)
    ・管轄に属する任務(例えば、管轄に付属する研究計画など)

    kanu-polo

    連邦政府内では、連邦内務省(Bundesministerium des Innern)が、次にあげる
    スポーツに関わる連邦の業務を調整している


    ・トップスポーツ
    ・障害者の競技スポーツ
    ・スポーツ医学/スポーツ科学
    ・連邦警察のトップスポーツ
    ・若い移住者 ・外国人
    ・競技スポーツのためのスポーツ場建設の助成および国際的な事項
    ・不利な立場にあるドイツ青少年のスポーツによる統合

    連邦内務省に付属する部局および職員数は以下の通りである。
     
    ・連邦内務省スポーツ局(53人)
    ・連邦スポーツ科学研究所(33人)
    ・応用スポーツ科学研究所(102人)
    ・スポーツ器財研究開発研究所(50人)

    ドイツの障害者スポーツ組織体制図
    どいつ-1
    ①連邦内務省と②連邦教育研究省の他、第12次スポーツ報告書によると、
     連邦政府内では、8つの省がその所轄範囲内でスポーツを部分的に
     担当している。
    ③外務省:外交的文化政策におけるスポーツの助成。
    ④連邦財務省:スポーツの税問題、連邦税関のトップスポーツの助成、
     郵便行政のスポーツ。
    ⑤連邦労働社会省:リハビリテーション範囲内での障害者スポーツ、
     労働生活の中でのスポーツ。
    ⑥連邦国防省:連邦軍におけるトップスポーツの助成、職務および
     リフレッシュスポーツ。
    ⑦連邦家庭・高齢者・婦人・青少年省: 連邦の児童・青少年政策内での
     青少年スポーツ、婦人・少女スポーツ、ファミリースポー ツおよび高齢者の
     運動、遊戯、スポーツ、兵役代替社会奉仕におけるスポーツの助成。
    ⑧連邦保健省:健康管理範囲内のスポーツ。
    ⑨連邦交通・建設・都市開発省:鉄道職員スポーツフェラインの助成。
    ⑩連邦環境・自然保護・原子力安全省: スポーツと環境の問題および言及
     された領域での計画の資金調達;連邦自然保護法のよう な法的規則。
    ⑪連邦経済協力開発省:
    現在直接的なスポーツ助成を引き受けていない。 しかし、連邦経済協力
    開発省は、貧困との闘い、HIVの啓蒙、児童・青少年活動、ソーシャルワーク
    および紛争減少のためのプロジェクトのために、開発政策的協力の範囲内で、
    スポーツの社会的統合的要素を利用する。

    【地方組織】
    連邦共和制であるドイツは、16の州(Land)で構成されている。 州政府は、
    自治権を大幅に認められており、特に、文化、教育、福祉行政に関しては、
    その殆どが州政府に委ねられている。 多くの州では、内務省がスポーツを
    所管しているが、社会省や文部省がスポーツを所轄する州もある。 特別市
    であるハンブルクでは、文部・スポーツ省がスポーツを所轄している。 また、
    「連邦議会スポーツ委員会」が設置されているように、州や自治体に
    も議会スポーツ委員会や諮問委員会などが置かれている。

    【スポーツ関連法】
    ドイツ連邦共和国基本法 ドイツでは総合的なスポーツ法(いわゆるスポーツ
    基本法)は制定されていない。 このことは、ドイツ民主共和国では 1950年の
    「青少年法」にスポーツにかかわる事項が明記され、1956年に総合的 な
    スポーツ法「ドイツ民主共和国における身体文化・スポーツのさらなる促進に
    関する決定」が制定されたことと異なる。 ドイツの連邦共和国基本法(1949年)
    においてもスポーツに関する条項は見当たらないが、スポーツの権利に関する
    拠り所となっている以下の2つの条項が重要である。

     「人格の自由、人身の自由」(第2条1項): 何人も、他人の権利を侵害せず、
    かつ憲法的秩序または道徳律に違反しない限り、自らの人格の発展を求める
    権利を有する。 「結社の自由」(第9条1項): 全てのドイツ人は、団体および
    結社を結成する権利を有する。 その他、第32条1項[対外関係]、第91a条1項
    [大学付属病院を含む大学の拡充および新設]、第91b条[協定に基づく連邦と
    諸州の協力](教育計画および科学の振興)、第104条(a)4項[連邦および 諸州の
    支出負担、財政援助]などがスポーツに関係する。 州政府レベルでは、ベルリン、
    ブレーメン、ラインラント・プファルツなどの州がスポーツ振興に関する特別な
    法律を制定している。

    2009年の省庁別では、トップスポーツなどを担当する連邦内務省が最も多く
    (全体の約65%)、連邦国防省がそれに続いている。後者は、オリンピック
    大会などでメダルを獲得するドイツ選手の中で連邦軍所属の選手が多いことに
    関連すると思われる。

    組織構成2010年8月現在、16の州スポーツ連盟、61の競技連盟
    (34のオリンピック種目の競技連盟と27のオリンピック種目でない競技連盟)、
    20の特別な課題を持つスポーツ連盟、15人の個人構成員で構成されている。
    20の特別な課題を持つスポーツ連盟の中で、会員数が多いものは、ドイツ・
    カトリック系スポーツ連盟(DJK-Sportverband、約55万人)、ドイツ企業
    スポーツ連盟(Deutscher Betriebssportverband、約29万人)、ドイツ警察・
    スポーツ管理機関(Deutsche Polizei Sportkuratorium、約24万人)である。

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    オリンピック・サポート拠点(Olympiastützpunkt 以下OSP)ベルリンでは、
    現在30以上のオリンピック競技から、約500名のA-C級のナショナル選手を
    総合的にサポートしている。 OSPベルリンでは、ベルリンの主要な
    ナショナル選手のサポート事業に加えて、ベルリン市内5カ所の施設、並びに、
    キーンバウムでの協力協定に基づき、約20のスポーツ競技において、
    ナショナル選手をサポートしている。

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    【重点競技】
    オリンピックセンターにおける重点競技の決定は、DOSBのハイパフォーマンス
    スポーツ専門部門と各オリンピック競技連盟とが連携して決定する。
    ベルリンでは、現在以下の23のオリンピック競技が主要なスポーツとして
    認定されている。

    バスケットボール男子、ビーチバレーボール、アーチェリー、ボクシング、
    ホッケー、ハンドボール、フィギュアスケート、スピードスケート、ホッケー、
    フェンシング、ウエイトリフティング、柔道、カヌー、空手、陸上競技、
    近代五種競技、自転車競技、ボート、水泳、セーリング、体操、バレーボール、
    水球男子

    【その他の競技】
    バドミントン、サッカー、レスリング、新体操、ラグビー、射撃、テニス、卓球

    【障害者スポーツ】
    カヌー、体操、車椅子バスケットボール、車椅子テニス、車椅子卓球、水泳、
    セーリング

    【OSPベルリンの主な施設】 
    ① Sportforum Berlin ④ Sportkomplex Olympiapark
    Fritz-Lesch-Str. 29 Berlin Friedrich Friesen Allee Berlin
    ② Sportkomplex Europasportpark ⑤ Sportkomplex Hohenzollerndamm
    Paul-Heyse-Str. 29 Berlin Jungfernheideweg 80 Berlin
    ③ Sportkomplex Grünau ⑥ Bundesleistungszentrum Kienbaum
    Sportpromenade 3 Berlin Puschkinstraße 2 Kienbaum

    2010年以来、連邦内務省は年間約3,000万ユーロの基金を拠出していおり、
    2016年、OSPベルリンは最も多くの援助額である428万ユーロを受けた。
    OSPバイエルンは403万ユーロ、OSP内で最低の補助金は、OSPフライブルグ・
    シュワルツヴァルトで71万ユーロであった。 2016年度は、18拠点合計で
    3,115万ユーロの資金調達が行われた。

    OSPベルリンでは、ベルリンのナショナル選手全員に対して、スポーツ医療、
    理学療法、科学トレーニング、スポーツ心理学、社会福祉サービスを提供している。
    約35名の常勤スタッフと10名を超える名誉職員が、アスリートとコーチの競技力
    向上のために最も適した方法を見つけられるようにします。 OSPベルリンでは、
    20人以上のコーチが直接雇用されており、日々最高レベルのトレーニング方法に
    より、アスリートを支えている。

    ベルリン郊外にあるキーンバウム連邦トレーニングセンターは、ナショナルチームに
    とって、特別な意味を持っている。 多くの場合、トップアスリート達は主要
    競技大会の数週間前に「最終調整」を行う。 エリート選手、トレーナー、
    アーチェリー選手、カヌー選手など、これらの競技には、OSPベルリンが主に
    関与している。

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    ドイツ国内には、連邦政府が運営するナショナルチームのための
    オリンピック・サポート拠点(Olympiastützpunkt 以下OSP)が18ヶ所ある。
    以下、国内の主な施設の内容。

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    OSPバイエルンは、1989年にミュンヘンに設置され、冬季競技を中心とした
    ナショナルチームのアスリートやトレーナーのための専用施設である。
    OSPミュンヘンは、1972年に開催されたミュンヘンオリンピックのオリンピック
    パーク内にあり、オリンピックパークGmbHからの資金提供により設立された。
    OSPバイエルンは現在、ドイツ最大のナショナルトレーニングセンターであり、
    900人以上のアスリートが在籍している。

    【対応競技】
    冬季オリンピック競技中心、陸上競技、水泳、柔道、テコンドー、レスリング、
    ホッケー、射撃、カヌースラローム、テニス、卓球、乗馬、バレーボール、
    バスケットボールエリートスポーツ学校が付属


    OSPベルリンは、OSPベルリン協会の後援により1987年に設立され、
    30以上のエリートスポーツの競技に対応しており、現在約500名が在籍している。
    OSPベルリンでは、現在23のオリンピック競技が主要な競技として認め
    られている。

    【対応競技】
    バスケットボール男子、ビーチバレーボール、アーチェリー、ボクシング、
    ホッケー、ハンドボール、フィギュアスケート、スピードスケート、ホッケー、
    フェンシング、ウエイトリフティング、柔道、カヌー、空手、陸上競技、
    近代五種競技、自転車競技、ボート、水泳、セーリング、体操、バレーボール、
    水球男子、バドミントン、サッカー、レスリング、新体操、ラグビー、射撃、
    テニス、卓球

    【障害者スポーツ】
    カヌー、体操、車椅子バスケットボール、車椅子テニス、車椅子卓球、水泳、
    セーリング


    ③【OPS ブランデンブルグ
    OPSブランデンブルグは、ブランデンブルグ州のコットブス市、フランクフルト
    ・アン・デア・オーデル市、ポツダム市の3施設に大きく分かれている。
    この施設での科学サポートは、特にカヌーレースとサイクリングに特化している。
    フランクフルト(オーデル)とポツダムには、低酸素トレーニングルームがあり、
    主に水泳、柔道、自転車競技の選手が使用している。

    【フランクフルト(オーデル)】
    フランクフルト(オーデル)のスポーツ施設は1973年に設置され、ドイツ統一後に
    完全に改装された。 旧東独地域にあるOPSは、このフランクフルト(オーデル)の
    施設が基になっているとも言われている。

    【コットブス】
    自転車競技に特化しており、BMXや自転車競技への参加人数の増加により、
    2014年に新たに陸上競技場が完成し、旧トレーニングホールは、自転車競技専用
    競技場として改修された。

    【ポツダム】
    カヌー、ボート競技、レスリング、陸上競技、水泳のトレーニングに特化しており、
    水泳は、低酸素トレーニングが可能。 旧東独時代からトップアスリートが
    トレーニングを受けていた。

    【対応競技】
    障害者スポーツ、ボブスレー、ボクシング、サッカー、体操、ウエイトリフ
    ティング、ハンドボール、柔道、カヌースプリント、陸上競技、近代五種競技、
    自転車競技、レスリング、ボート競技、水泳、射撃、トライアスロン、
    バレーボール、水球


    1988年設置。 本部はハンブルクにあるが、キールとラッツェブルクにも
    支部がある。 オリンピック競技25種目、約300名のアスリートが在籍している。
    エリートスポーツ学校は2006年設立。 エリートスポーツのトレーニングの他にも、
    キャリアアドバイス、陸上競技トレーニング、スポーツ理学療法、スポーツ医学、
    スポーツ心理学、栄養カウンセリングを主な活動の中心としている。

    【競技種目】
    重点競技は、ビーチバレーボール、ホッケー、水泳、ボート競技、セーリング

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    1988年にOSPフランクフルト・アム・マインとして設立され、2008年に
    OPSヘッセンへと名称が変更された。 本部はフランクフルト・アム・マインに
    位置し、オリンピック種目20競技から約250名のアスリートが在籍している。
    DOSBの公式な分析では、監督の質の高さから、ドイツで最も重要な3つの
    拠点うちの1つとなっている。

    OPSヘッセンは、スポーツクリニック・フランクフルトと協力して、スポーツ
    医療、理学療法、キャリアコーディネート、キャリアガイダンス、住宅援助、
    栄養アドバイス、スポーツ心理ケアを行っている。

    【主な対応種目】
    ホッケー、体操、新体操、トランポリン、レスリンググレコローマン、射撃、
    卓球、ボート競技、バスケットボール、バレーボール、陸上競技


    旧東独のメクレンブルク=フォアポンメルン州内のロストック、
    ノイブランデンブルク、シュヴェリーンの3拠点に大きく分かれている。
    スポーツ医学、理学療法、科学トレーニング、スポーツ心理のサポートを
    行っている。

    【対応競技】
    ● ロストック(ボート、飛び込み、トラックスピードスケートショート、
       セーリング)
    ● ノイブランデンブルク(陸上競技、カヌー、トライアスロン)
    ● シュヴェリーン(ボクシング、バレーボール、自転車競技)


    1986年ニーダーザクセン州ハノーバー市に設置。 スポーツ医学、理学療法、
    科学トレーニング、心理学、栄養科学ケア、キャリアガイダンスに対応。

    【対応競技】
    水球、水泳(男子)、陸上競技、柔道、体操(男子)、ホッケー(女子)、
    トランポリン、射撃、ボクシング、テニス、卓球、ボート競技、バイアスロン
    その他、パラリンピック、デフリンピック(聴覚障害者)アスリートをサポート。

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    モスクワから飛行機で約2時間半のロシアの飛び地、カリーニングラードの
    主な観光地と見所。

    【ロシアの母像
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    旧ソ連圏によくある『○○の母』の像。 カリーニングラードでは
    『ロシアの母像』という名前。 1974年に設置されたこの像の場所には、
    かつてはスターリンの石像があった。 2007年には、カリーニングラード州の
    文化遺産に指定された。

    ソビエトの家
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    ドイツ時代のケーニヒスベルグ城があった場所に建てられており、その代わりの
    街のシンボルとして計画されたが、建設中に地盤が緩く、傾き、ヒビが入り、
    使用出来なくなった廃墟。

    ケーニヒスベルク大聖堂
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    レンガ造りのゴシック様式の大聖堂。 1333年から1380年の間に建築。
    1944年8月の第二次世界大戦中イギリス空軍の二夜に渡る空襲で街は
    大きく破壊され、大聖堂もこれによって大きく破壊された。 空襲を
    まぬがれるために100人ほどが聖堂に避難したが多数の死者が出てしまった。

    第二次世界大戦で残った数少ない建物のひとつであり、大戦後にドイツの
    敗北と共に、ドイツ領からソ連領へと移ったカリーニングラードには、
    ドイツ風の建物が多いとされているが、実際は、戦時中にかなり破壊され、
    ドイツ風(ゴシック様式)の建物は実は少ない。 川沿いに残された、
    この一体だけが、唯一、ドイツ風の建物が残っている観光スポット。

    【プレゴリャ川付近】
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    プレゴリャ(独語名プレーゲル)川沿いにある、ドイツ風の建物。 かつては、
    この川の流域には、バルト語派のプルーセン人が住んでおり、ドイツ語の
    川の名であるプレーゲルは、プロシア語で深い場所を意味する『preigillis』から
    来ている。 ドイツ人の東方殖民と、北方十字軍による異教徒の征服が進むと、
    次第にプルーセン人はドイツ人に同化されていった。

    IMG_1228

    プレーゲル川河口付近に作られた港湾都市ケーニヒスベルクは、流域の
    プロイセン地方の物資を集散し、バルト海を経由して各地へ輸出する港として
    中世以来繁栄した。 後には、プロイセン公国が建国されプロイセン王国へと
    拡大したが、第二次世界大戦後、ドイツ領だった東プロイセンは、ポーランドと
    ソ連に分割され消滅し、ケーニヒスベルクもカリーニングラードと改称された。

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    【雑 記】
    前々から、iPhoneの調子が悪かったため、カリーニングラードで、iPhoneの
    バッテリーを交換。 15分ほどであっという間に終わった。 特に、外人とも
    思われなかったため、パスポートや、身分証明書の提示も必要なかったw
    交換料金は、中国製のバッテリーが1,400ルーブル、正規品が2,400ルーブル
    だったので、日本の約3分の1以下であった。

    【カリーニングラード・フラブロヴォ空港】
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    カリーニングラード南駅にあるバスターミナルから、フラブロヴォ空港行きの
    空港バスが出ており、約40分程度で空港まで到着出来ます。
    カリーニングラードは、ロシアの飛び地であるため、面積が非常に狭く、
    1時間も車を走らせれば、国外に出てしまう程小さい。

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    カウナスは、第二次世界大戦、すなわち、ソ連邦への併合以前までは、
    リトアニアの首都であったため、『杉原千畝記念館』は、元々は、
    日本大使館であった。 1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻により、
    多くのユダヤ人たちは隣国リトアニアへ逃げ込んだが、ソ連によるリトアニア
    併合が確実となり、彼らには日本通過ビザを得て、第三国へ逃げるという
    方法しか残されていなかった。

    >>杉原千畝 ~六千人の命のビザ~

    杉原は、苦悩の末、外務省の訓命に反し、『人道上、どうしても拒否出来ない』
    という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても、独断で通過査証を
    発給した。 それは、人道、博愛精神第一という大きな決断であった。 その後、
    戦況が悪化したため、日本大使館は閉鎖、カウナス市内を転々としながら、更に
    ビザの発給を続けた。 合計で約2,000枚のビザを発給したものの、本国からの
    命令に逆らったとして、その後は、ルーマニアヘと送られ、後に、外務省をも
    追われる事となる。

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    カウナス駅に今でも杉原千畝のプレート残されている。 日本大使館が閉鎖され、
    最後の最後までビザを書き続けたのがカウナス駅。 千畝は、その後、汽車で
    ベルリンへと向かった。 ユダヤ人たちが日本の通過ビザを欲しがったのは、日本へ
    行きたかったからではなく、日本を経由して、第三国へ脱出しかたったためで、
    当時は、シベリア鉄道に乗って、日本を経由して、オランダ領のキュラソーに
    行くしか残された道はなかったのである。

    その後、杉原は、ユダヤ人たちからは非常に感謝されたが、日本での扱いは、
    外務省に無断で勝手にビザを発給したとして、名誉剥奪のまま無念の死を遂げた。
    2000年に日本政府から正式に名誉回復がなされたのは、杉原の没後14年目、
    そして生誕100年という節目のことであった。

    【お勧めの一枚】


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    ベラルーシのミンスク経由で午後10時半過ぎにヴィリニュス駅に到着した。
    そのままタクシーに乗って、宿まで行く途中で、スーパーに寄って貰ったところ、
    周囲の人達が、2回程、何やら英語でアドバイスをしてくれたため、よくよく
    ロシア語(ヴィリニュスは大体ロシア語が通じる)で詳細を問い返してみた
    ところ、『午後8時以降はアルコールの販売が禁止されているため、購入出来ない』
    とのことだった。 買うのであれば、ノンアルコールにしなさいとのことで
    あったが、にわかにはその話が信じられなかったため、タクシーの運転手に
    再度確認したところ、やはり、午後8時以降はアルコールの販売が禁止されており、
    特に、日曜日は、午後3時以降はアルコール販売は禁止されていると言われたため、
    この日は、ミネラルウォーターのみを買ってすぐに宿へと向かった。

    翌日早朝から、いよいよ、十字架の丘へ
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    一夜明けて、午前7時代の電車で約2時間半掛けて、リトアニア第3の都市である
    シャウレイへと移動。 シャウレイ駅とバスターミナルは、歩くと実は10分弱
    掛かる。 しかも、バスの本数が非常に少なく、鉄道との接続が悪い。 更には、
    最寄の『ドマンタイ』のバス停から、十字架の丘までは、約2キロ程離れて
    いる。 このため、シャウレイ駅からタクシーで世界遺産の十字架の丘へと
    向かうことにした。

    実は、この十字架の下には、遺体は一切なく、すぐ隣りのラトビアやエストニア
    にも同様の十字架があるのだが、何故かリトアニアの十字架の丘だけが有名と
    なっており、世界遺産にも指定されている。

    今回、タクシーに乗って、時間を節約したのは、その後、リトアニア第2の
    都市であるカウナスへ移動するため。 実は、シャウレイからカウナスへは、
    鉄道で行くと、一旦ヴィリニュスまで戻って、更にV字に遠回りして行くため、
    1日で両都市を見て回る場合は、乗車時間の短いバスしかない。

    シャウレイからカウナスへは約3時間程度で、高速バスではなく、単なる一般
    バスであるため、距離の割には、妙に時間が掛かるため、どちらも余りゆっくり
    とは見て回る時間がないため、タクシーを使って、可能な限り、行きたい場所を
    限定して見て回るしかない。

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    十字架の丘の歴史
    リトアニアは1795年の第3次ポーランド分割で、ロシア帝国の支配下に置かれる
    こととなった。 ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して蜂起を起こした
    (1831年の11月蜂起、および1863年の1月蜂起)が、いずれも失敗に終わる。
    これら2つの蜂起はこの十字架の丘の始まりに関係している。 反乱兵の家族が、
    彼らの遺体のかわりに十字架をこの丘に建てたのである。 1918年、リトアニアは
    独立を回復。 独立期、この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちの
    ために祈る場所となった。 その後、ナチスドイツのホロコーストや、再度
    ソ連の支配下へ置かれたりと、辛い時期を経験したリトアニアだが、この丘には、
    リトアニアの独立を願って、十字架を建てる人たちで溢れた。 1991年末に
    ソ連の崩壊と共に、リトアニアは再び独立を回復。 その当時、この丘には、
    約6万の十字架が建てられていたと言う。 現在は、約20万もの十字架が建て
    られているとも言われている。

    【十字架の数】
    1900年 130
    1902年 155
    1922年 50
    1938年 400 以上
    1961年 5,000 が破壊される
    1975年 1,200 が破壊される
    1990年 約 55,000

    リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年、十字架の丘は特別な意味を
    持っていた。 丘へ行き十字架を捧げることで、リトアニア人たちは彼らの宗教や
    遺産への忠誠心を示した。 それは、非暴力による抵抗を表していた。 にも
    関わらず、ソ連は3度に渡りブルドーザーでこの丘にある十字架を撤去しようとした。

    1993年9月7日、教皇ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪れ、ここが希望と平和、愛、
    そして犠牲者のための場所であると述べた。 2000年、フランシスコ会の修道院が
    この丘の近くに完成した。 内部の装飾は、フランシスコの身体に聖痕が現れた
    とされるトスカーナのラ・ヴェルナのものと関連している。この丘は未だいずれの
    管轄にも属していないため、自由に出入りし、十字架を建てることが出来る。

    【お勧めの一冊】


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    平和になっても、フランスは国王支持の王党派と下院(国民議会)を支える共和派に
    分裂していたが、ナポレオン戦争の荒廃から、次第に立ち直った。 ルイ18世の後、
    1824年に国王になったシャルル10世は、中央集権制度を強化し、参政権など多くの
    個人の自由を制限した。 下院を解散して選挙法を改正しようとしたため、1830年
    7月に3日間、パリで革命が起き、シャルル10世は王位を追われた。 下院は
    ブルボン家のルイ・フィリップを新国王にした。

    ルイ・フィリップ国王の治世下で、フランスは工業化が急激に進んだ。 経済は、
    新しい工場や製造技術によって変化した。 労働者は、村や農場から大都市に移って
    来た。 政府は、鉄道や学校を建設した。 だが、王政は労働者に参政権を与える
    ことを拒否した。

    1846年に経済不況になると、都市では人民の代表を選出しようとする気運が
    高まった。 1848年に、パリで街頭デモ行進が行われると、暴動が広まった。
    反乱者は憲法も国王も葬り、共和派の指導者は第2共和制を打ち立てた。

    1848年2月の革命の後、社会改革を一層推し進める要求が続き、都会の暴動は
    日常的になった。 共和派は政権を保ち、新憲法を採択した。 これによって
    全ての男性市民参政権、選挙による大統領選出と1院政議会が保障された。
    ナポレオン・ボナパルトの甥のルイ・ナポレオンが最初の大統領選挙で勝ったが、
    議会が大統領の権限を制限するのではないかと恐れて、憲法を廃棄して自ら
    皇帝ナポレオン3世を宣言し、第2帝政の時代となった。

         0801MSF2

    【第3共和制】
    ナポレオン3世は経済開発を進めた。 諸外国との貿易を奨励し、田舎や都市での
    公共事業計画を認可した。 フランスに限らず、ヨーロッパではこのようにして
    工業化が進んだ。 他方、プロイセン(現在のドイツ)は近代陸軍を創設、幾つかの
    ドイツ民族国家を統一して強力な帝国を築こうとしていた。 この脅威を防ぐため、
    フランスは1870年にプロイセンに宣戦を布告した。 フランス陸軍は初めから
    敗戦が続き、ナポレオン3世は捕虜となり、フランス軍はプロイセンに降伏した。
    この結果、フランス北東部の重要なアルザスとロレーヌの2地方をプロイセンに
    取られてしまった。

    プロイセン戦争に敗れると、フランスの官僚は第2帝政を覆し、第3共和制を
    宣言した。 だが、新政府は内輪もめして、力がなかった。 共和派と王政派の
    争いは1880年代を通じて続いたが、社会の改良は進んだ。 19世紀末になると、
    工業が拡大した。 労働者は労働組合を結成した。 政府は全ての小学校児童の
    教育を無料とし、義務化した。

    この期間に、フランスは、2つの重要な同盟を結んだ。 ロシアとの同盟
    (1894年)とイギリスとの協商(1907年)である。 ロシアとイギリスも1907年に
    同盟を結んだので、この3カ国の関係は三国協商と呼ばれた。 これは、ドイツの
    ビスマルク首相がイタリア、オーストリアとの間に三国同盟(1882年)を
    結んだ上、ドイツの軍事力が高まっていたので、ドイツと力の均衡を保とうと
    したものだった。

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