700年代はじめに、西ゴート勢力内部分裂を起こし、反乱派は、北アフリカから
戦術に長けてい軍隊を呼び寄せ、西ゴートを統治していたロデリック王に対して
謀反を起こした。 この反乱軍がムーア人と呼ばれ、アラブ人とバーバル人の
混成である。 彼らの宗教は、イスラム教と呼ばれる一神教で、アラビアで
生まれ、後にイスラム教として知られるようになった。

このイスラムによる、イベリア半島侵攻がスペインで始まったのが711年。
ムーア人はロデリック王の軍隊を蹴散らし、王は戦死した。 侵攻したムーアの
軍は北アフリカには帰らずに、コルドバやトレド(現在はスペインの都市)など
豊かな街を次々と占領して行った。

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ロデリック王を倒した西ゴートの反乱勢力もムーア人の進撃を阻止出来ず、18世紀
半ばまでに、北部の山岳地帯を除くイベリア半島の大半がムーア人の支配下に
入った。

ポルトガル北部のカトリック教徒たちは、イスラム教のムーア人たちに抵抗した。
キリスト教軍は、侵攻して来たムーア人を50年以内にドウロ川の南に追いやり、
現在のポルトガルにあたる街とその周辺の領土を取り返した。

11世紀半ばまでには、キリスト教軍は更に、コインブラの南にまで勢力を広げて
行った。 貴族達はこうして、スペイン北部の広大な土地も含めてキリスト教の
勢力下におさめた。 ポルトガル、および、コレインブラ周辺の一帯は、
ガリシア地方として、レオン・カスティーリャと呼ばれる北イベリア王国の
領土になった。

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