無事成田空港を飛び立ち、6時間30分程度で「シベリアの首都」ノボシビルスクに
到着しました。 シベリア鉄道だとハバロフスクから丸4日も掛かる行程も
飛行機を使えばあっという間。 眼下に流れているのは、世界第5位の流域面積を
誇るオビ川。 ノボシビルスクは、このオビ川に橋を建設するために建設された
街で、125年前の建設当時の名前はノボニコラエフスク。 

【ノボシビルスク】
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ノボシビルスクは、シベリア最大の都市であるばかりではなく、ロシア科学
アカデミー他の研究機関が集積する学術研究都市としても有名で、日本の筑波は
このノボシビルスクを手本として造られた街です。 世界で最も最初期に建設
された学術研究都市は、このノボシビルスクと筑波とボストンらしいのだが、
その3つ共行ったことがある人間は、なかなかいないかも知れない。

25年前にノボシビルスク大学に留学をしていた際にも、ノボシビルスクに
国際空港が建設されるという話があったものの、このトルマチョーヴォ空港
ではなく、街の北部にある飛行場を拡張計画であった。 トルマチョーヴォ空港は
大昔からあり、設備は古かったものの、新しくターミナルビルを建設して、新しく
なっていた。 空港のあるトルマチョーヴォ村からノボシビルスク中央駅
(スラブ語では何故か「重要駅」と言う)までは、乗り合いタクシーの
「マルシルートカ」で約60分掛かる。

ノボシビルスク
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ロシア第3の都市であるノボシビルスクは、日本の札幌と姉妹都市となっており、
1990年から交流が始まった。 最終的にノボシビルスク大学に入学する
切っ掛けとなったのは、1992年に札幌で開催された「コミュニケーション
ワールド'92北海道2000」という博覧会にノボシビルスクにあるロシア科学
アカデミー考古学研究所の学術研究員が参加し、トロゴンテリー像の展示を
行った際に、学生通訳としてアルバイトをしたため、ロシア科学アカデミーの
副所長にノボシビルスク大学に入りたいと直接交渉したためであった。

ノボシビルスクに到着した2018年6月25日(日)は、ノボシビルスク建設
125周年の記念日だった。 この街に住んでいたのは、ちょうど25年前なので、
その時にもノボシビルスク100周年と言っていたのを思い出した。 この日は、
街の中心部はお祭り一色で、メインストリートである「赤の大通り」は車両を
全て封鎖して歩行者天国になっていた。 その歩行者天国では、あちらこちらで
ライブが開催されており、街全体がお祭り騒ぎだった。

尚、ロシアでは、ストリートミュージシャンと言えども、音楽学校、あるいは、
音楽大学(コンセルヴァトワール)を卒業しない限りなれないため、歌の下手な
歌手、顔の酷い歌手は存在しないw 因みに、ロシアでは、大学の専門以外で
就職することはまずなく、職種を変えたい場合は、大学に再度入学し直さなければ
ならない。

ノボシビルスク
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ノボシビルスクの中心部には、中央市場があるのだが、その真向かいに、巨大な
ショッピングモールが出来ていた(;^_^A 25年前のノボシビルスクは、ソ連崩壊
直後のハイパーインフレの真っ最中であったため、この中央市場ですら、まともな
レベルでは物が売っていない時代であった。 ハイパーインフレとは、どのような
ものかと言うと、物価の上昇に対して、貨幣の供給が追いつかないため、朝見た
値段と夕方の値段とが異り、欲しい物が目の前にあった場合、全て買い漁らなければ
ならないというレベル。

当時は、2カ月おきに物価が2倍になっており、ソ連崩壊から見て、最終的に物の
値段が2万倍(2万円が1円の価値になったのと同じ)になった1997年にゼロを4つ
切り捨てるデノミ政策を行ったのであった。 尚、2ヶ月ごとに物価が2倍に
なるとは、1年間で物価が32倍になるという意味で、ロシアルーブルはこの時代、
1日で20ルーブルづつ米ドルに対して下落していた。 1989年当時のソ連
ルーブルは、1ルーブル約350円だったのだが、今では、1円が約1.7ルーブル
となっている。 1993年当時のロシアの平均給与は約3,000~6,000円程度
しかなく、CD1枚が3,500円もした時代であったが、今では、そのCDですら、
殆んど見せには並ばない時代になった。

ノボシビルスク大学に在学中は、シベリア猫を飼っていたのだが、この
ノボシビルスクのどこを探しても、キャットフードなどという物は1つたりとも
売っていなかったのと、アカデムゴロドク自体に食べ物が全く売っていなかった
ため、週に1度、バスと地下鉄を乗り継いで、丸1時間掛けて中央市場まで
食料品の買出しに来ていたという時代であった。

【お勧めの一品】


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