人口360万人のうち、トルクメン人の占める割合は72%で、トルコ系民族に属して
いる。 彼らの宗教は、イスラム教のスンニ派で、定住生活を行うようになった
のは、比較的最近のことである。 その他、国を構成する主要な民族は、ロシア人
9.5%、ウズベク人9%で、更に、カザフ人、タタール人、ウクライナ人、
アルメニア人、ベラルーシ人など、多くの小さな民族が住んでいる。
トルクメン人は、数百人の間、数多くの部族に分かれて生活し、戦争の時だけ結集
した。 そのため、トルクメン人について実際に論じることが出来るのは、ようやく
今世紀に入ってからのことである。 トルクメン人は、1869年から1885年の間に
ロシア帝国の支配下に入った。 1916年に中央アジアで起きた、ロシアに対する
大蜂起にはトルクメン人も加わたが、それは逆に、ロシア皇帝政権が中央アジアの
人たちをロシア軍に徴兵する切っ掛けとなった。
ソ連邦の設立後、一部のトルクメン人たちは、『トルキスタン・自治ソビエト
社会主義共和国』に属することになり、他の人たちは、その後、すぐに滅びた
ブハラ共和国とヒバ共和国に属すことになった。 1924年に『トルクメン・
ソビエト社会主義共和国』が設立された。 その後は、他のソビエトの全ての
共和国と同様の歩みをたどった。 すなわち、農業の集団化、工業化、伝統的な
社会秩序の排除、宗教の弾圧や残忍な粛清などが行われた。
プラス面としては、文字教育の推進と、近代学校制度の確立が挙げられる。
1980年代のペレストロイカ(改革)の時代には、トルクメニスタンでも民族自決
運動が起こった。 1990年8月22日、トルクメニスタンは主権宣言を採択し、
翌年10月27日に独立宣言をした。 そして同年12月21日には、独立国家共同体
(CIS)に加盟したが、1992年5月18日、最高会議が大統領権限を強めた新憲法を
採択。 1992年5月にロシア・CIS諸国との集団安全保障条約の署名を拒否。
1995年12月、国連総会において『永世中立国』として承認された(ロシアの
影響力を排除する目的と言われる)。
今のところ、さまざまな民族グループの間に大きな緊張はない。 しかしながら、
これまで数千人のロシア人がトルクメニスタンを離れている。 また、隣接する
各共和国との間に、国境問題や水源の問題で対立が起こる可能性もある。
【お勧めの一冊】
>>トップページに戻る
クリックをお願いします☆
にほんブログ村