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    タグ:テージョ川

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    モスクワから5時間半のフライトでポルトガルのリスボンに到着。 まずは、
    自動券売機で地下鉄の切符を買わなければならないのだが、これがなかなか
    分かりづらい。 この券売機ではクレジットカードでの支払いが出来るのと、
    ポルトガル語と英語が選択出来るものの、デポジット制プリペイドカード式の
    券売機であるため、1回買うごとに0.5ユーロの手数料(返金なし)が一々掛かり、
    バスや路面電車も同一の切符で乗れるものの、プリペイド式ではなく、車内で
    購入した場合は、2倍以上の値段となるため、最も賢い切符の買い方は、10回分
    ぐらいをまとめて一気に買ってしまうこと。 1日に4回以上乗るのであれば、
    1日フリーチケットを購入するのが一番お得。

    尚、リスボンの地下鉄は3両しかないため、ホームの長さに対して、車両が極端に
    短いため、ぼ~っとしていると、電車に乗り遅れるため、要注意。

    【リスボンの地下鉄】
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    日本とリスボンは、時差が9時間もあるため、朝の6時から観光開始。 リスボンの
    地下鉄は、午前6時半からしか動てはいないため、路面電車が動いている場所まで
    徒歩で移動しました。 このため、最終日は宿から空港まで約65分掛けて全て
    歩くこととなった。

    市中心部のロシオ広場から15番の路面電車で20分あまり、リスボン西部にある
    ベレン地区まで移動しました。 ヨーロッパの交通機関は、概ねゾーン制を採用
    しているため、20分乗車しても料金は同じ1.5ユーロ。 この地域は、歴史的な
    建物が非常に多く、空高く建つキリスト像は、リオ・デ・ジャネイロのキリスト像を
    模して作成された物。 この場所は、ポルトガル国鉄も並走して走っているものの、
    付近には駅がないため、路面電車を使う方が断然便利。

    ポルトガル語では、『城』のことを『カステーロ』と言うが、これが日本語の
    『カステラ』の語源。 スペインの『カスティーリャ地方』が語源と言う説もある
    ものの、どちらも『城』と言う意味では、同じ語源。

    【ロシオ広場~ベレン地区】
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    世界遺産『ベレンの塔』。 営業時間は午前10時からであったため、中には入れ
    なかったものの、ポルトガルが世界的な大帝国であったことをまざまざと見せ
    付けられる建物。 16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ・ダ・ガマの世界一
    周の偉業を記念して作られた建造物で、テージョ川を往来する船の出入りを
    監視するための要塞となっている。

    ポルトガル大航海時代を再現した『発見のモニュメント』。 インド航路発見者の
    ヴァスコ・ダ・ガマ、ブラジル発見者のペドロ・アルヴァレス・カブラル、初めて
    世界一周を成し遂げたフェルディナンド・マゼラン、喜望峰を初めてまわり
    インド洋へ到達したバルトロメウ・ディアス、日本へ1549年にキリスト教を
    伝道した宣教師フランシスコ・ザビエルとざっと見ただけでも、かなりの偉業を
    達成した人物ばかり。

    同じくベレン地区にある世界遺産『ジェロニモス修道院』。 マヌエル様式の
    最高傑作とも言われ、大航海時代の富をつぎ込んで建築された。 建築資金は当初、
    バスコ・ダ・ガマが持ち帰った香辛料の売却による莫大な利益によって賄われ、
    その後も香辛料貿易による利益によって賄われたが、途中で建設が中断したため、
    最終的な完成までには300年以上の時を費やした。

    ベレンの塔~発見のモニュメント
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    リスボンの交通機関は、デポジット式のプリペイドカードを利用すると説明したが、
    車内でも清算が可能なものの、その料金は、前払いと比較して約2.5倍の3.8ユーロ
    (約480円)となり、元の1.5ユーロ(約190円)と比較すると、非常に高いため、
    2回以上車内で清算をする場合は、1日フリーパスが断然お得となる。

    リスボン観光の目玉、サンタ・ジュスタのリフト(エレベーターはアメリカ英語)。
    リスボンは港町であるため、高低差の起伏が激しく、このリフトで上に登ることが
    出来る。 ポルトガル土産は、スペインと同じく、絵柄の付いたタイルが多い
    のだが、青い色が多いのは、海のそばにある街ならでは。

    ジェロニモス修道院~サンタ・ジュスタのリフト
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    この日は、そのままフランクフルト経由でダブリンまで飛ばなければならないため、
    観光は早朝だけにして、午前中の便でダブリンへと向かいます。 今回の旅では、
    リスボンには、合計で3回来ることになるため、この日は、お土産は買わずに、
    品定めだけして、すぐに地下鉄に乗りました。 リスボン空港までは、ここからは
    地下鉄の乗り換え1回で行けるため、地下鉄が一番便利な交通手段と言える。

    ポルトガル名物のエッグタルト。 同じ物は、旧植民地であるマカオにもある
    ものの、やはり、本場リスボンで食べるエッグタルトは一味違う♪ この日は
    時間がなかったため、途中の乗換駅で、ピザとエッグタルトを買い、そのまま
    空港へと向うことにした。

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    キリストとイスラムの戦闘が続き、数百年に渡って、両勢力の境界線は常に
    流動的だった。 11世紀半ばの記録によると、ポルトガルはミーニョ川と
    テージョ川の間に位置したキリスト教勢力下の地だった。

    1096年、当時イベリア半島の皇帝を称していたレオン・カスティーヤ王、
    アルフォンソ6世がポルトガルを準独立国にし、自分のムコにあたるフランス人、
    ブルガンティー王国のエンリケにその領土を与えてしまった。 エンリケは、
    その地にローマ・カトリック教会の権限を強化、フランスの修道士を呼び寄せて
    ブルガ、コインブラの宗教区の運営を任せた。

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    エンリケが死ぬと、ポルトガルは、その未亡人であるアルフォンソ6世の娘で
    あるテレサの手に任されたが、テレサは父親の友人たちにかなりの権限を与る
    ようなことをしたため、ポルトガル貴族たちの反感をかった。

    そしてついに、テレサの息子、アルフォンソの軍隊を破った。 アルフォンソ・
    エンリケスは、こうしてポルトガルを支配下に置いたが、レオン・カスティーヤ
    新王国でいとこに当たるアルフォンソ7世のなお支配下にあった。

    王子のアルフォンソ・エンリケスは、独立を求めてアルフォンソ7世を相手に
    およそ10年間も戦った。 ところが、ムーア人から領土を取り上げる好機を
    到来と見るや、その戦いをあっさりとあきらめてしまった。 1130年代末の
    ことである。 その頃、ムーア人も内部抗争で領土が分割、ポルトガル南部への
    統治力は弱まっていた。

    アルフォンソ・エンリケスは1140年代、サンタレンとリスボンを攻撃、敗北した
    イスラム側は、貢物として、現金と品物を供出させられた。 ムーア人は、
    領土境界線をテージョ川から最南端のアルガルベまで後退をせざるを得なく
    なった。

    戦いに勝ち、貢物を受けるに連れ、王子の権力はますます強くなり、1139年から
    ポルトガル国王アルフォンソ1世を名乗るようになった。 1143年、アルフォンソ
    1世の即位を正式に認めた。 ポルトガルのアルフォンソ王朝誕生である。

    12世紀半ばまでに、ポルトガルは、コインブラを首都に独立国となった。 しかし、
    ムーア人の脅威は去らず、1185年までのアルフォンソ時代を通してイスラムとの
    戦いは続いた。 その後、息子のサンチョ1世が後を継ぐと、ムーア人と戦い、
    貿易と農業が盛んになって行った。

    【お勧めの一冊】



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