1300年代にオーストリアを征服し、そこを新しい根拠地にしていた
ハプスブルグ家の狙いは、ウーリ地方南部のサンゴッタルド峠を通るアルプス
越えの重要ルートを管理する事だった。 1315年に、ハプスブルグ軍は、
シュウィーツ地方で、同盟軍と衝突し(モルガンテンの戦い)、敗北した。

14世紀の後半には、ベルン、ルツェルン、ツーク、チューリヒ、グラールスの
各州が、スイス同盟に加わり、同盟の領域は広がった(いわゆる『8州
(カントン)同盟』)。 軍事力を増強した同盟軍は、1386年、88年と続いて
ハプスブルグ軍を打ち破る。同盟軍はまた、ヨーロッパの他の軍勢を相手に
領土をめぐって何度か戦いを交わし、そのつど勝利をおさめた。

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同盟体が拡大するに連れて、州の代表達の間で、勢力範囲についてほぼ同意が
取り交わされていた。 ところが、1400年代の中頃、チューリヒ州は、境界の
東方と南方の領地を吸収するため、ハプスブルグ家と再び同盟を結ぶ。 同盟軍は、
それに対抗し、チューリヒとの間で何度か激しい戦いが交わされた。

1450年についにチューリヒは敗北を認め、スイス同盟に復帰した。 その後、
同盟軍は、1470年代に、フランス北東部のバーガンディー公国と戦った。
オーストリアとフランスの援軍を得て、同盟軍は、勝利をおさめる。 戦いで、
スイス側に付いたフリブールとゾーロツェルンの2地域が、1481年、スイス同盟に
加入する。

1490年代に、オーストリア皇帝マキシミリアン1世は、再び神聖ローマ帝国の
支配権を握ろうとする。 当時スイス同盟は、少なくとも、名目上は、まだ
神聖ローマ帝国に属していた。

オーストリア軍がスイス同盟の東方の地域、グラウビュンデンを攻撃すると、
同盟軍は、反撃に出る。 同盟軍は、勝利をおさめ、事実上、神聖ローマ帝国
からの独立を獲得した。

1500年代に入り、スイス同盟は、オーストリア、フランス、イタリアを相手に、
イタリア北部の広大で肥沃な平野を獲得する争いに関わる。 1515年、同盟軍は、
フランス軍に敗北し、8000以上の兵を失った。

その語の和平条約で、スイスは、領土の南方の広大な土地ティチーノを手に入れる。
この条約によって、スイスとフランスの間の自由貿易が広がった。

やがて農村から都市へ移住する人が増え、織物やガラス、木、金属製品の生産に
従事したため、スイスの産業は発展した。 また、スイス兵は戦いに熟練して
いたので、他の国の兵士として働きに出るようになる。 特に、当時戦力を拡大
する必要性があったフランス軍には、大勢のスイス兵士が加わって戦った。

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