ベトナムの歴史は、現代ベトナム人の祖先が少なくとも4000年前に住んでいた
紅河デルタから始まる。 彼らはやがて耕作地を求めて南へと移動し、現在
ベトナム中部とされている地域で、チャム族、クメール族と接触する。

チャム族は現代カンボジア人と人種的に関係が深い種族であり、クメール族は
メコンデルタを支配していた。 ベトナム人は結局、この2つの種族と紛争を
引き起こし、18世紀半ばまでに敵対する種族を破って、現代ベトナムを
形作くっている国土の全部を支配した。

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【初期の諸王国】
遺跡の発掘で分かったことだが、紅河デルタに最初の大きな中央集権の国が
現れたのは紀元前800年ごろだった。 当時を『ドンソン文化期』と言う。
人々はデルタの河川の治水のため、堀や運河を掘った。 また、らく田と
呼ばれる稲作水田の灌漑に、南シナ海の潮の干満を利用した。 洪水や日照りから
土地を守り、また、灌漑をすることによって、ドンソン文化期には必要な
だけ収穫をあげていた。

ドンソン人たちは、丸木舟など小舟を使って旅や交易をした。 インドシナ
半島での交易を通じて冶金の知識を広げ、青銅器の制作を学んで工具、武器、
鼓、器や装飾品を作った。

紀元前250年前に、ベトナムの支配者、安陽王は、デルタ地帯のドンソン人たちと
近隣の高地の人々を統合して、オウラク王国を打ち立てた。 その首都は、
ハノイの32km北にあるコーロアだった。 王国の人々は大概、現地の土豪の
所有地である稲作水田で働く農民だった。

紀元前207年になると、中国の将軍、趙佗が紅河デルタを征服し、自ら王に
なって独立国、南越を打ち立て、中国の承認を得た。 紀元前111年には、
中国(前漢)の武帝の軍隊が南越を襲って滅ぼし、中国領にしてしまった。

中後くの文化はベトナム社会を変えた。 例えば、中国の儒教哲学が、
ベトナムにおける政治と日常生活の厳格な規範となった。 また、ベトナム人は
中国の官吏や教育者が読み書きに使っていた漢字を採用した。

中国のベトナム支配は1000年間続いた。 その間、ベトナムの知識階層は
、中国の仏教信仰をはじめ、中国文化を受け入れて行った。 中国人はまた、
ベトナム人に養蚕、貨幣の鋳造、磁器の生産を教えた。 ベトナムの海岸沿いに、
対外貿易を推し進めるために港もいくつか建設した。 貿易が発展するにつれて、
富と力を蓄えたベトナム人の一族も出て来た。

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