『南スラブ人の国』を意味するユーゴスラビアは、1929年から2003年までの間
存在した国家で、70年余りの間に、ユーゴスラビア王国(1929年)、
ユーゴスラビア民主連邦(1943年)、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
(1963年)など、5回国名が変わり、2003年2月に地球上からその国名が消滅した。
最も安定した時代は、チトー大統領の時で、チトーは、『労働者にとってだだ
1つの資本主義国との違いは、ソビエトでは失業が無い、ただそれだけである』と
発言、その後もスータリンの指導に反し、経営概念を元に資本の所有者は労働者、
経営者は労働者が求人するとした企業の自主管理と、各共和国に大幅な自治権を
与えた独自の自主管理社会主義を建設して行った。
この当時のユーゴスラビアは『7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、
3つの宗教、2つの文字、1つの国家』と呼ばれた。 1つの国家として、これほど
複雑な表現を持つ国は他にはなかった。 裏を返せば、統治の難しさを表した
言葉でもあった。
【連邦制の崩壊と民族対立】
1980年、チトーの死去とその後の東欧革命の中で、ユーゴスラビアも徐々に崩壊に
向かう。 1990年に行われた自由選挙では、各共和国に民主主義色の強い政権が
生まれた。 ユーゴスラビア時代、政治、経済の最大の拠点となったべオグラードを
首都に持つセルビアでは、民族主義勢力が推すスロボダン・ミロシェビッチが政権が
生まれた。 クロアチアでは、フラニュ・ツジマンの民族主義政党が議会の3分の2を
占める。 ボスニア・ヘルツェゴビナではムスリム(イスラム教徒)が多数派となり、
モンテネグロやコソボ自治州では、ミロシェビッチ派のクーデターでの支配下に入る
など、モザイク国家だったユーゴスラビアの崩壊は修復不能の状態に陥った。
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