1917年、ロシアで共産主義者と呼ばれる革命家達が政権を握った。 この政権は、
第一次世界大戦の戦線から離脱し、ポーランド人が自らの政権を樹立するのを
認めた。 ポーランド臨時政府が成立し、やがて共和国の樹立が宣言された。
ピウスツキは、共和国の国家主席になった。

ヴェルサイユ講和条約の結果、ドイツは武装解除され、ヨーロッパ北部と中部に
新しい国境線が引かれた。 ポーランドは、ヴィスワ川からバルト海岸に及ぶ
細長い地域をドイツから獲得した。 隣接するグダニスク港は、住民の大半が
ドイツ語を話すため、ダンツィヒ自由市となり、結成された国際連盟の管理下に
置かれた。

ピウスツキは、3回に渡るポーランド分割以前に存在した国境を回復しようと考え、
そのためロシアと紛争を起こした。 当時ロシアでは、共産主義政権が、皇帝の
支持者たちと戦い続けていた。 1920年から始まった戦争で、ポーランド軍は
ロシア国内の混乱に乗じて、東部国境外の地域を奪い取った。 1921年、
ポーランドとロシアは、やっと平和協定を結んだ。

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ロシアの共産主義者たちは、やがて国内の混乱を鎮圧して、1922年ソビエト連邦を
創設した。 同じ年、ポーランド国会は新憲法を制定し、ピウスツキは国家主席の
地位を辞任した。

1920年代、再建された下院議会は、教育、労働法、地主制度の改革案を成立
させた。 産業労働者たちは、労働組合を結成し、田園地帯の農民は自分たちの
私有地を獲得した。 貿易を振興させるために、ポーランド政府は、バルト海岸に、
新しくグディニア港を建設した。

ポーランドの指導者たちは、見事にポーランドの再建しつつあったのにも関わらず、
政党間の激しい争いが政府を弱体化させた。 その上、ウクライナ人、ドイツ人、
ベラルーシ人などがポーランド人の統治に対して民族的な反感を持ち、また、
物価が高騰して失業が広まったために、政治的な危機が生じた。 1926年ごろには
問題が深刻化して、政府の機能は麻痺した。

国会の失敗に失望したピウスツキは、軍の支持を受けて、1926年、政界に復帰し、
政府を転覆させた。 ピウスツキは、下院議員の権限を制限し、自分の戦友のを
総理大臣に任命した。 1920年代後半から30年代前半に掛けて、ピウスツキは
軍の総司令官になり、1935年に病死するまで独裁者として国を支配した。

1930年代になると、ドイツでアドルフ・ヒトラーのナチス政権が成立し、急速に
再軍備を始めた。 1938年、ヒトラーは、チェコスロバキアの大部分を手中に
収めた。 この国は、第一次世界大戦後、ポーランドの南につくられた国家
である。 ヒトラーはまた、ダンツィヒをドイツの支配下に戻すように要求した。

東では、ソビエトの指導者、ヨシフ・スターリンがポーランド東部はソビエトの
領土であると主張した。 1919年の夏、ヒトラーとスターリンは、ポーランドを
侵略して分割する秘密協定に調印した。 ヒトラーはダンツィヒとポーランド
西部の領土を要求し、ポーランドはそれを拒否した。 イギリスとフランスは、
ドイツが攻撃した場合には、ポーランドを支援すると誓約した。

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