東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:タクシー

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    カリーニングラード・フラブロヴォ空港からモスクワ・シェレメチェヴォ
    空港へは、約2時間のフライト+1時間の時差があるため、モスクワ到着が、
    夜中の11時30分過ぎとなり、アエロエクスプレスは午前0時30分が最終列車で
    あるため、タクシーに乗車した。

    【夜中のタクシー乗車時の注意点】
    空港内には、客引きが多数おり、ここで値段交渉をしなければならないのだが、
    空港内の客引きは、既に定価を示すボードを所持しており、当初の値段よりは
    1,000ルーブル値下げして貰ったものの、シェレメチェヴォ空港からタクシーで
    40分程度のベラルーシ駅前にあるホテルまで、4,000ルーブル(約7,000円)も
    取られる結果となった。

    それまでは、何度タクシーに乗っても、大体250ルーブルとか、ワールドカップで
    大渋滞であったカリーニングラード市内ですら、最高で1,000ルーブルまでしか
    請求されなかったのだが、ここ首都モスクワでは、物価が地方とはまるで違う。
    モスクワは、収入に対する物価の高さが世界一の都市であるため、夜中に
    タクシーに乗るのは止めた方が無難。

    【空港からモスクワ市内へ】
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    この日は、ベラルーシ駅前のホテルに宿泊したため、まずは、ベラルーシ駅に移動。
    モスクワのホテルは、どこも高いのだが、今回の旅行で最も高い値段であった
    ホテルは、一番ボロボロで冷房も付いていなかった。

    その後、世界一美しいと言われているモスクワの地下鉄で中心部へと移動。
    モスクワの地下鉄は、有事の際には、核シェルターとなるため、地下4階以上の
    浅い部分は一切通らず、そのため、エスカレーターが異様に長いのが特徴。
    但し、日本のエスカレーターの様に、とんでもなく遅い物はひとつもなく、
    日本の3倍以上の超高速運転をしているため、初めてモスクワを訪れた場合は、
    度肝を抜かれて、なかなかロシアのエスカレーターには乗れない。

    【ボリショイ劇場付近】
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    地上に出ると、すぐ目の前には、ボリショイ劇場と、カール・マルクスの像が
    あった。 社会主義の生みの父であるカール・マルクスが語った最も有名な言葉は
    『全世界の労働者階級たちよ団結せよ!』で、この言葉は、旧ソ連邦の象徴である
    エンブレムにも、15共和国全ての言語で書かれていた。

    29年前は、モスクワに留学をしていたのだが、それ以来、丸29年ぶりに
    ツムデパートへ。 当時は、ソ連末期であったため、深刻な物不足で、
    ろくな物が売っていなかったのだが、29年の時を経て、三越もビックリの
    超高級デパートへと大変貌を遂げていた。 昔は、マルボロとかグラビア雑誌が
    賄賂の代わりだったのだが、今では、その賄賂も物価上昇により、とんでもない
    値段となっておりますw

    【赤の広場】
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    さて、ここからが、モスクワ観光のハイライト☆ 市の中心部にある赤の広場へと
    入ります♪ ワールドカップ開催期間中のため、荷物の持込が規制され、トランクを
    持っては中に入れなかった。 ロシアの建物は、非常に大きいため、見えてからが
    遠く、基本的に、凄まじく歩くこととなるのだが、ロシア人の主な趣味は『散歩』
    なので、数キロ程度であれば、普通に皆歩いております。

    モスクワ中心部の赤の広場~グム百貨店~レーニン廟~聖ワシリー寺院付近。
    クレムリン宮殿の中にも入る予定であったが、ワールドカップ開催期間中の
    ため、警備が非常に厳しく断念。 クレムリン宮殿は、ロシアの政治の中心地で
    あるばかりではなく、モスクワ観光の目玉でもあります。

    クレムリンへの入り口、スパスカヤ塔(一般人はここからクレムリン内へは
    入れない)とグム百貨店とその内部。 グム百貨店へ入るためには、赤の広場
    手前の検問と、グム百貨店手前にある入り口で再度検問を受けなければなら
    なかった。『グム』とは、『国営百貨店』の意味で、カタカナで表記すると、
    『ゴスダールストヴェンヌィー・ウニヴェルサーリヌィー・マガジン』の
    頭文字を取った省略形。

    【モスクワ市内から空港へ】
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    毎時定時に衛兵交代が行われる、『無名戦士の墓』。 無名戦士の墓とは、歴史を
    通して起きた戦争で戦死し、かつ身元が分からない兵士の遺骨を埋葬、または、
    納めた墓。 遺骨は無く、遺品を納めたり、英霊として葬り、祀る墓もある。
    モスクワの無名戦士の墓は、独ソ戦で亡くなった英霊を祭っており、永遠に消えない
    『炎』が燃えている。 また、このお墓には『君の名は分からないが、君の偉業は
    死なない』と記されている。

    【お勧めの一冊】


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    モスクワ発ビリニュス経由の特急琥珀号でロシアの飛び地カリーニングラードへ。
    ロシアの列車の全車両には、必ず、お茶のセットが付いており、1両づつそれぞれ
    担当の車掌が付くシステム。 ヴィリニュスから1時間半程度でロシアとの国境へと
    到着した。

    リトアニアの国境駅であるキバルタイ駅での出国手続きは、何故か30分程度も
    掛かり、その後、ゆっくりとロシア側へと移動し、国境駅である
    チェルヌィシェフスコエ駅で再度ロシアへの入国手続きが行われたが、ロシアでの
    入国手続きは15分程度と比較的スムーズに行われた。 国境から20分程度で、
    州都のカリーニングラードへと到着した。

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    この日のカリーニングラード市内は、ベルギーVSイングランドの試合の日だけ
    あって、市内の至る所で渋滞だらけ。 ロシアでは値段交渉制が当たり前の
    タクシーも、料金がバラバラ過ぎて相場がつかめず。 ロシアは、『搾り取れる
    ところから搾れるだけ搾り取る』というシステムの国であるため、この日だけは
    仕方ないと諦め、通常200ルーブルぐらいだろうなと思っていたところに、
    1000ルーブルとか言われ、多少ビックリしたものの、渋滞だらけで車が進まない
    からこんな値段なんだと言われて諦めた。 その後、アプリで呼ぶYandex
    タクシーの方が安いことが判明したものの、こちらは渋滞のため、全く捕まらず。

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    カリーニングラード・バルチカスタジアムへは、試合開始3時間前に到着したため、
    ほぼ一番乗りに近い4番目での入場となったものの、何故かWiFiの持込が禁止されて
    おり、コインロッカーへ預けることとなった。 場内にある無料WiFiもロシアの
    電話番号を持っていないと利用登録が出来ないため、全く使えないという、
    矛盾をはらんでいた。

    スタジアム入場後、まずは、公式グッズを購入し、腹ごしらえをした。 会場内は、
    公式グッズ以外の販売はないため、何もかもが高い。 肝心の席は、ゴールの
    目の前で、第2期の販売開始時刻と共に購入したため、かなり良い席を確保出来た。

    試合は、ベルギーVSイングランドのため、予選大会なのに関わらず、ベルギー
    チームの大応援団が駆けつけていた。 ベルギーは、オランダ語圏とフランス語圏に
    パックリと2分されているが、何故か、オランダ語圏からの応援団が非常に多く、
    フランス語は余り聞こえて来なかった。

    試合は、2対1でベルギーの勝利だったのだが、混雑を避けるため、試合終了30分前
    には、スタジアムを後にしたため、無料のシャトルバスを使って、かなりスムーズに
    カリーニングラード北駅(カリーニングラードのメインは南駅)までたどり着く事が
    出来た。 カリーニングラードは、元々は、プロイセン建国の地であるため、一部の
    建物がドイツ風なのだが、戦争時に、かなり多くの建物が破壊され、その後再建
    された建物が多いため、そこまで、ドイツ風という感じは受けなかった。

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    カリーニングラードには、南駅と北駅があるのだが、南駅がメインの駅。
    ワールドカップ開催期間中は、至る所で手荷物チェックが行われていた。
    南駅構内にあるのは、巨大なコップホルダー(ロシア語では「ポドスタカンチク」)
    で、ロシアの列車には、必ず、サモワールとこのコップホルダーが常備されており、
    いつでも、熱いお茶を飲むことが出来る。

    【お勧めの一品】


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    ベラルーシのミンスク経由で午後10時半過ぎにヴィリニュス駅に到着した。
    そのままタクシーに乗って、宿まで行く途中で、スーパーに寄って貰ったところ、
    周囲の人達が、2回程、何やら英語でアドバイスをしてくれたため、よくよく
    ロシア語(ヴィリニュスは大体ロシア語が通じる)で詳細を問い返してみた
    ところ、『午後8時以降はアルコールの販売が禁止されているため、購入出来ない』
    とのことだった。 買うのであれば、ノンアルコールにしなさいとのことで
    あったが、にわかにはその話が信じられなかったため、タクシーの運転手に
    再度確認したところ、やはり、午後8時以降はアルコールの販売が禁止されており、
    特に、日曜日は、午後3時以降はアルコール販売は禁止されていると言われたため、
    この日は、ミネラルウォーターのみを買ってすぐに宿へと向かった。

    翌日早朝から、いよいよ、十字架の丘へ
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    一夜明けて、午前7時代の電車で約2時間半掛けて、リトアニア第3の都市である
    シャウレイへと移動。 シャウレイ駅とバスターミナルは、歩くと実は10分弱
    掛かる。 しかも、バスの本数が非常に少なく、鉄道との接続が悪い。 更には、
    最寄の『ドマンタイ』のバス停から、十字架の丘までは、約2キロ程離れて
    いる。 このため、シャウレイ駅からタクシーで世界遺産の十字架の丘へと
    向かうことにした。

    実は、この十字架の下には、遺体は一切なく、すぐ隣りのラトビアやエストニア
    にも同様の十字架があるのだが、何故かリトアニアの十字架の丘だけが有名と
    なっており、世界遺産にも指定されている。

    今回、タクシーに乗って、時間を節約したのは、その後、リトアニア第2の
    都市であるカウナスへ移動するため。 実は、シャウレイからカウナスへは、
    鉄道で行くと、一旦ヴィリニュスまで戻って、更にV字に遠回りして行くため、
    1日で両都市を見て回る場合は、乗車時間の短いバスしかない。

    シャウレイからカウナスへは約3時間程度で、高速バスではなく、単なる一般
    バスであるため、距離の割には、妙に時間が掛かるため、どちらも余りゆっくり
    とは見て回る時間がないため、タクシーを使って、可能な限り、行きたい場所を
    限定して見て回るしかない。

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    十字架の丘の歴史
    リトアニアは1795年の第3次ポーランド分割で、ロシア帝国の支配下に置かれる
    こととなった。 ポーランド人とリトアニア人はロシアに対抗して蜂起を起こした
    (1831年の11月蜂起、および1863年の1月蜂起)が、いずれも失敗に終わる。
    これら2つの蜂起はこの十字架の丘の始まりに関係している。 反乱兵の家族が、
    彼らの遺体のかわりに十字架をこの丘に建てたのである。 1918年、リトアニアは
    独立を回復。 独立期、この丘はリトアニア人が平和や独立戦争での死者たちの
    ために祈る場所となった。 その後、ナチスドイツのホロコーストや、再度
    ソ連の支配下へ置かれたりと、辛い時期を経験したリトアニアだが、この丘には、
    リトアニアの独立を願って、十字架を建てる人たちで溢れた。 1991年末に
    ソ連の崩壊と共に、リトアニアは再び独立を回復。 その当時、この丘には、
    約6万の十字架が建てられていたと言う。 現在は、約20万もの十字架が建て
    られているとも言われている。

    【十字架の数】
    1900年 130
    1902年 155
    1922年 50
    1938年 400 以上
    1961年 5,000 が破壊される
    1975年 1,200 が破壊される
    1990年 約 55,000

    リトアニアがソ連の統治下にあった1944年から1990年、十字架の丘は特別な意味を
    持っていた。 丘へ行き十字架を捧げることで、リトアニア人たちは彼らの宗教や
    遺産への忠誠心を示した。 それは、非暴力による抵抗を表していた。 にも
    関わらず、ソ連は3度に渡りブルドーザーでこの丘にある十字架を撤去しようとした。

    1993年9月7日、教皇ヨハネ・パウロ2世がこの丘を訪れ、ここが希望と平和、愛、
    そして犠牲者のための場所であると述べた。 2000年、フランシスコ会の修道院が
    この丘の近くに完成した。 内部の装飾は、フランシスコの身体に聖痕が現れた
    とされるトスカーナのラ・ヴェルナのものと関連している。この丘は未だいずれの
    管轄にも属していないため、自由に出入りし、十字架を建てることが出来る。

    【お勧めの一冊】


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    モスクワから1時間半のフライトで、ベラルーシの首都ミンスクに到着。
    このミンスク第2空港は、中国の資本で建設されたとかで、あちこちに漢字
    表記があるため、日本人には非常に便利。 空港到着後は、ベラルーシの
    厳しい入国審査があるのかと思いきや、一切何もなく、そのまま外に出て
    しまったため、拍子抜けした。 夜中の11時半にミンスクに到着したため、
    タクシーが一切捕まらず、色々と交渉した結果、恐らく、ミンスク市が
    運営している予約制のタクシーを1時間後にようやく予約出来たため、
    夜中の1時過ぎに本日のお宿である健康センターへとたどり着いた。

    【ミンスク】
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    空港から宿までの道には、街灯がひとつもなく、正に漆黒の闇の中を林の
    中へとずんずん突き進んだ場所にこの健康センターがあるのだが、一夜明けて、
    朝になると、素敵な森の中にある施設である事が判明。 日本円にして1,200円
    程度でスウィートルームを予約したため、朝から気分は大金持ちのおぜう様w
    健康センターだけあって、マイナスイオンたっぷりの朝の散歩が気持ち良い。
    敷地内には、サウナやらレストランやら、色々な施設があった。

    ミンスク市内は、ロシア語とベラルーシ語のちゃんぽん表記が多く、周囲は
    皆ロシア語だけで話しているのに、地下鉄の放送は、ベラルーシ語と英語のみ。
    元々、ベラルーシ語は「死語」と呼ばれる程すたれた言語だったが、近年になって、
    徐々に復活をしている模様。 旧ソ連邦の国々では、ロシア語のみが公用語で
    あったため、ベラルーシ語やウクライナ語が激しく規制されていた時代もあった
    影響で、各民族語がすたれたのだが、ソ連から独立の後は、各民族語の復活に
    力を入れている国々もあるものの、ウクライナのように、余りにも強引な
    やり方をして、ロシア語話者の人権を無視している国もあるため、ベラルーシ語の
    復活にも、慎重な体制で臨んで欲しいところ。

    【ミンスク】
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    基本的に、ベラルーシ語はロシア語に非常に似ているため、特にロシア語の
    アナウンスをしなくとも理解出来るのだが、周囲で喋っている言語と、公共
    放送とのズレがあるのには違和感を感じた。 大阪で標準語の放送等、この逆
    パターンは、幾らでもあると思うのだが、道路表記は、話し言葉が追いついて
    来てから変更した方が良いと思った。

    ミンスク駅構内のキオスクでは、溢れるばかりの商品が並べられていた。
    一部の旅行雑誌には、「ベラルーシは、旧ソ連邦の中でも最もソ連時代の面影を
    残している国」との記載があったため、どれほど古めかしい国なのかと思いきや、
    こんな程度のレーニンやらモニュメント的な遺物は、ロシアこくないにもまだまだ
    残っているため、ロシアとベラルーシの決定的な違いは見出せなかった。
    ベラルーシでは、チェルノブイリ原発事故の影響で、国内を旅行するという
    習慣がないそうなのだが、その現実を後で何気ない場所で見る事となった。

    【ミンスク】
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    ミンスク駅前には、重々しい重厚な雰囲気の建造物があり、社会主義建設の
    象徴となっている。 この日は、このまま夜にこの駅からビリニュスへ向けて
    旅立つため、まずは、駅の下見から。 行き先とホームの番号が記載されている
    ものの、ビリニュス行きの電車は、1番線の最先端部分にある21番線からの出発と
    なっており、非常に分かり辛い。 ミンスク空港から入国し、5日間のビザなし
    訪問でベラルーシへやって来た人達の場合は、鉄道での国境越えは絶対に出来ず、
    今回は、わざわざベラルーシのビザを取得して来ているため、この超難ルート
    での国境越えに挑みます。 ミンスク空港からのビザなし訪問でベラルーシへ
    入国した場合は、絶対にミンスク空港から以外は出国出来ないため、ご注意
    くだされ(出発前にベラルーシ大使館に確認済み)
    。 

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    【セブ島へ】
    フィリピン中部の海に浮かぶ南国の島、セブ島へは成田空港から空路で4時間
    40分ほど。 マクタン・セブ国際空港は、セブ島のお隣のマクタン島にあるため、
    セブ・シティーまでは、タクシーで約1時間ほど掛かる。

    セブ空港からの公共交通機関は一切なく、タクシーを利用する以外の選択肢はない。
    空港を出て暫く歩くと、若干割高の黄色いホテルタクシーとかなり割高の白い
    タクシーの2種類しか選ぶことが出来ない。 セブ島内ではバスは殆んど走って
    おらず、庶民の足として利用されている、ジプニーやトライシクルも空港には
    乗り入れていない。

    現地のツアーガイドに聞いた話では、空港からセブ・シティーまでの平均的な
    タクシー料金は300ペソ程度だそうで、空港からの白のタクシーでは、大概500
    ペソを要求されるため、帰りのセブ・シティーから空港までのタクシーでは、
    行きは350ペソしか支払っていない旨を伝えたところ、400ペソになった。
    セブでは、何事でも一々値段交渉をしなければならないという、なかなか
    アジアチックなカオスな場所。

    【マクタン島】
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    空港を降り立ち、タクシーでまずは、最寄の観光地であるマゼラン記念碑へと
    向かったのだが、空港からこの場所までは300ペソであった。 バイクに荷台の
    ようなものを付けたトライシクルの方が安いため、トライシクルを探したところ、
    空港には乗り入れられないようだったため、仕方なく値段の高いタクシーに
    乗ることとなったのだが、通常のタクシーはどうせかなりボラれるため、
    最終的には、例え多少割高でも、黄色いホテルタクシーの方が安いと思う。

    この地には、マゼラン上陸記念碑とスペインからやって来たマゼラン一向に
    戦いを挑んでマザランを殺したこの地の領主であったラプラプの像があるため、
    それに因んで、マクタン島最大の都市の名前はラプラプ・シティーとなっている。
    マゼラン上陸記念碑周辺にあるお土産屋の値段は、日本人の感覚としては非常に
    安いものの、セブの平均的な月給は、1万2千円程度しかないため、それを考えると
    ここまでのタクシーの値段300ペソは、べら棒に高い。

    勇者ラプラプの像とその周辺は島であるため、綺麗な海が見えるのかと思いきや、
    セブ島も含めて、海は殆んど見えない。 南国リゾート地をイメージしてセブに
    来ると、完全に期待を裏切られるため、東南アジアの超ド貧乏な地域をイメージ
    して来る事をお勧めする。 リゾートホテルが乱立している極々一部の地域のみが
    リゾート地なのであり、マクタン島では、一歩外に出ると、観光客目当ての
    たかりが沢山集まって来る場所と心得えておいた方が良い。

    【マクタン島で何故か勝手に船に乗せられることに】
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    東南アジア名物、頼みもしないのに、あちこち連れ回されました。 ラプラプの像
    からは、海が全く見えなかったため、15分ぐらい歩けば、海が見えるだろうと思い、
    道路を歩いていたところ、現地の人たちから次々に声を掛けられたため、
    とりあえず、空港のそばにあるマリーナモールからセブ・シティー行きの格安の
    ワゴンタクシーが出ていることを思い出し、マリーナモールまで行きたいと伝えた
    ところ、100ペソ(約200円)と言われたため、とりあえずこのトライシクルに
    乗ることにした。 因みに、現地のトライシクルの初乗り運賃は8ペソ(約16円)。

    ここで、ついでに海が見たいと言ったのが運の尽き。 勝手に自分の船まで連れて
    行かれ、しかも、そのまま沖に出てしまった。。 その後、海上で料金を尋ねた
    ところ、5,000ペソ(約1万円=現地の月給並み)と言い出したため、とっとと岸に
    戻せと言うと、どんどん言い値が切り下がって来たものの、そもそも、空港では
    3,000円しか両替をしておらず、1,250ペソ程度しか持ち合わせていないにも
    関わらず、この船に乗っている間中、3人のお土産売りのおばさんらに囲まれて、
    お土産を買え!攻撃を延々とされた。。

    最後は、近所の別のショッピングモールまで乗せて貰う約束の筈が、何故か道端の
    タクシーが居るところで勝手に降ろされ、チップとして1,000ペソ(約2,000を)を
    要求されたが、日本円で1,000円しか支払わなかった。 当初は100ペソのみと
    言っていたくせに、5,000ペソまで勝手に切り上げるのは、東南アジア独特の風習と
    言って間違いない。 日本のおもてなしも、全く頼んでもいないのに、勝手に
    過剰サービスを強要されて多額のお金をふんだくられるため、システム的にかなり
    これに近く、アジアの国は基本的に嫌いだ。

    空港からの出だし早々、ボッタクリに遭遇してしまったため、気を取り直して、
    セブ・シティーへと向かった。 セブの人たちは、人間的には良い人たちが多い
    とは思うものの、要求して来る値段が日本円に換算しても高過ぎる。。 最後は、
    土産物売りのおばさんとさっきまで1個1,000ペソ(約2,000円)だと言われていた
    サメの歯の細工と、先日香港で35香港ドル(約500円)で買ったバッタ物の時計とを
    交換し、完全に元を取った(笑)

    【セント・ニーニョ教会とマゼランクロス】
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    タクシーでセブ・シティーに到着後は、セント・ニーニョ教会の前で降ろして
    貰ったため、そのまま目の前にあるセント・ニーニョ教会に入ったところ、
    フィリピン最古のカトリック教会だけあって、5,000名程度でミサを行っていた。
    フィリピンは敬虔なカトリックの国であるため、毎日午後3時と午後6時には、
    神のありがたいお言葉と共に、全ての業務が1分程度ストップする。 以前、
    オーストリアにも住んでいたが、同じカトリックの国でも、こうも違うものなのか
    と思ってしまった。 オーストリアには断食はあるのだが、こういうものは
    なかった。

    セント・ニーニョ教会では、皆ろうそくに火をともしていたので、周囲の真似を
    して5つぐらいのろうそくに火をともし、その場を立ち去った。 ミサは全て
    英語で行われており、フィリピン人の約75%が英語を喋れるという事を実感した
    ものの、フィリピンよりもハッキリ言って、香港の方が断然英語が通じる。
    フィリピン人の英語は、相当訛っているため、非常に聞き取り辛い。

    セント・ニーニョ教会の直ぐ隣には、マゼランが作ったとされているマゼラン・
    クロスがある。 マゼランがフィリピンを発見したのが1521年であるため、
    約500年前にマゼランによって作られた十字架がそのまま展示されていること
    になる。 マゼラン自体は、ラプラプ王によってマクタン島で殺された。
    マゼランはスペインからやって来たため、スペイン人なのかと思いきや、実は
    ポルトガル人。

    セント・ニーニョ教会、マゼランクロスのすぐそばにあるサン・ペドロ要塞は、
    スペイン統治時代に建設されたもので、現在その周辺はセブ港湾地区、独立広場
    となっている。 フィリピンは、スペイン統治時代が長かったため、そこかしこに
    スペイン時代の名残が残っている。 サン・ペドロ要塞は、フィリピン最古の
    要塞であり、初期のスペイン人入植者にとっての中心的な拠点であったもの。
    セブはフィリピンの歴史の始まりの地であるため、フィリピン最古のものが
    多数ある。 この影響で、セブ州で話されているビサヤ語の中には、時々
    スペイン語の単語が残っており、ビサヤ語は何となくスペイン語に響きが似ている。
    フィリピンは、日本支配時代とアメリカ統治時代を経て独立を果たしているため、
    英語に似た単語も多数含まれている。

    【サン・ペドロ要塞とカルボン・マーケット】
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    セブ港のそばにあるフィリピン最古の要塞、サン・ペドロ要塞。 夜は
    ライトアップされており、午後7時半まで中に入ることが出来る。 直ぐ隣には
    独立広場があり、共にセブ・シティーの中心部にある。 セブ・シティーは実は
    余り観光化されていないため、主な見るものとしては、サン・ペドロ要塞、
    セント・ニーニョ教会とマゼランクロスぐらいしかない。 この後は、
    ナイトマーケットへと繰り出したが、台湾や中国のような華やかなマーケットだと
    思っていたところ、大きな勘違いであったことに気付いた(笑)

    セブ・シティー市民の台所、カルボン・マーケットには、実は観光客は殆んど
    おらず、現地の人たちばかりなので非常に雑多。 アジア的なカオスな場所が
    好きな人以外は余りお勧め出来きない場所となっている。 カルボン・
    マーケットは、 人ごみが凄いため、スリに気をつけるようにとガイドブック
    には記されていたが、そこまでの危険性は感じなかったものの、基本的に非常に
    暗いため、何を売っているのか、良く分からない。 カルボン・マーケットは、
    実際のところ、道に物を広げただけの戦後の闇市と言った方が分かりやすい。
    雰囲気的に、正に70年ぐらい前といった感じ。

    カルボン・マーケットから滞在地であるフエンテ・オスメーニャまでは、約2キロ
    程度離れており、セブ・シティーではバスが一切走っていないため、フィリピン
    独自の乗り物、ジプニーで移動しようかとも考えたものの、さほど遠くないため、
    街をぶらぶらしながら、歩くことにした。

    【フエンテ・オスメーニャ】
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    セブ・シティーは、全体的に街が暗くて汚いため、夜の一人歩きは余りお勧め
    出来ないが、途中で何ヶ所かナイトマーケットを見つけたり、格安のマッサージ屋を
    見つけたりと、それなりの収穫があった。 滞在地としては、カルボン・マーケット
    周辺、あるいは、フエンテ・オスメーニャが最もお勧め。 どちらも24時間営業の
    店が多いため、夜遅く到着しても大丈夫。

    カルボン・マーケットから約2キロ離れたフエンテ・オスメーニャまでの途中では、
    かなりの数のジプニーとすれ違ったが、この乗り物にはバス停と言うものが存在
    せず、自分で降りる場所を運転手に伝えて降りる仕組みであるため、現地の人間
    以外は非常に使い辛い。 セブ島にはバス停が一切ないため、バスの乗り降りは
    全てこの仕組み。 しかも、定員オーバーで車体から人間がはみ出していることも
    日常茶飯事。 普通に車の荷台に人間が山盛り乗っているため、ある意味危険だが、
    ある意味見ていて面白い(笑)

    最後は、滞在地のフエンテ・オスメーニャにあるショッピングセンター内の
    Joliebee(フィリピンで人気のハンバーガーショップ)で遅い夕食を食べた。
    この後、午後9時からは、寝る間を惜しんで、3時間のオイルマッサージに行った。
    ここでは、3時間で600ペソ(約1,200円)のマッサージのフルコースを選択し、
    色々なマッサージの中から自分で選択出来るため、1時間フットマッサージ、
    1時間背中のマッサージ、1時間スウェーデン式マッサージをして貰った。
    日本では逆にオイル式のリンパマッサージがなかなかない(あったとしても女性
    限定が殆んど)のと、3時間もマッサージをやって貰うと最低でも2万円は取られる
    ため、かなりの破格値☆ 翌日の集合時間は午前4時50分だったのだが、午前0時
    30分、セブ島の滞在初日がようやく終わった。

    【お勧めの一冊】


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    日本から2時間半で行ける、非日常、中国の上海に行って参りました♪ 今回は、
    ジェットスター上海便就航記念と言うことで、航空運賃は何と!1980円w
    出入国税込みでも、8,500円程度でした。 但し、新規でのLCC航空会社の参入
    であるため、運行時間にかなり無理があります。 東京駅から成田空港第三
    ターミナルまでは、高速バスが安くて便利♪ ほぼ10分間隔で東京駅から出発して
    おり、概ね定時で運行しています。

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    成田空港第三ターミナルからの出発は午後10時15分で、上海・浦東(プドン)
    空港への到着は、現地時間の午前0時40分。 但し、この日は上海での天候不良、
    並びに、空港混雑の影響により、30分以上も送れて到着。

    まずは、中国元へのお金の両替という問題がありましたが、上海・浦東空港内には、
    自動ATM機のような自動両替機が設置されており、間違いだらけの日本語による
    説明付での24時間体制の両替が可能ですが、問題はその手数料。 試しに1,000円を
    入れてみたところ、何と!8元しか出て来ませんでした。。 よくよく見たところ、
    両替機による手数料が50元(約900円)取られるということで、大量に両替をする人
    以外は、空港内での両替は絶対にお勧め出来ません。

    成田空港では天候不良により、関空に引き返す可能性もあるというアナウンスが
    あり、不安の中、機内へと誘導されましたが、最終的に30分遅れで上海・
    浦東空港へと到着。 現地時間午前1時過ぎの到着と言うことで、浦東空港での
    交通機関は、タクシーのみという状況でしたが、そこは中国なので、白タク
    運転手が空港内でご丁寧に山盛り声を掛けて来るため、英語は全く通じない
    ものの、数字程度であれば、何とか通じることが判明。

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    一番最初に声を掛けて来た人は、当初、空港から8キロ離れたホテルまで約15キロ、
    250元(約4,500円)とかなり吹っ掛けて来たため完全無視。 その直後、150元まで
    一気に値下げして来たものの、うざいので完全無視。 その後、タクシー乗り場の方
    へとスタスタと歩いて行ったところ、次なる客引きが50元(約900円)と言って来た
    ため、そちらに決定☆

    空港の客引きからはホテルまでは50元(約900円)だと言われていたものの、
    ホテルに到着した際に、こちらから100元を渡したところ、運転手からチップだと
    言われて、95元(約1,710円)も取られました。。 実際にタクシーを利用した
    場合は、恐らく、100元以上取られたであろうと容易に推測出来たのと、いい加減
    眠かったため、とりあえず、この日はこれでよしとしました。。

    成田空港での中国元への両替は、100元単位でしか出来ないため、中国へ行く際
    には、細かい紙幣を持参することを強くお勧めします。 最終的に、現地時間の
    午前3時に無事に予約をしたホテルに到着、チェックインしました♪

    尚、成田空港からの飛行時間は、2時間半で、上海は、沖縄へ行くよりも近いことが
    判明しました。

    【お勧めの一冊】


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    被災地で始まった、新しい試みのひとつとして、『語り部タクシー』なるものがあるが、個人的な
    意見を忌憚なく述べると、これは、かなり難しいと思う。 首都圏では、未だブラック企業が
    猛威を振るっているため、まともな給与はこの先も期待出来ず、自分が生きて行くだけで
    精一杯の状態であるため、正直、被災地に関心がある人は、極端に少ない。 そもそも、
    わざわざ被災地まで行く人間が、かなり少ないのと、例え、被災地まで足を運んだとしても、
    高額なタクシーに気軽に乗れるのは、バブル世代以上のプラチナ世代程度にほぼ限定される。
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    もし、自分が、語り部タクシーに乗るか?と言われたなら、恐らく、乗らないだろうし、被災地に
    多少は興味はあるが、そこまでする気はない人たちのために、「語り部タクシー」に変わる、
    『語り部Skype』、あるいは、『語り部Youtube』を考えてみた。 この2つは、場所さえ
    あれば、どちらも無料で出来るし、これであれば、被災地の人たちとその他の地域の
    人たちをいつでもどこでも簡単に結ぶ事が出来る。 最近の会議では、Skypeを使った
    会議が通常化しているが、それを被災地に応用したもの。 首都圏では、既に、災害の
    風化すらも終わり、何も無かった事になっているが、それは、そもそも、中央メディアが、
    まともに被災地を報道していないため。

    一番良いのは、当然、被災地まで足を運んでもらって、お土産を買うなり、食事をするなりして、
    現地に多少なりもお金を落として貰うのが一番だが、首都圏にそんな余裕はない。 余裕は
    ないが、何もかも無かった事にされるのも、何の進歩もないのと、首都圏でも、多少なりとも、
    被災地に関心がある人は居るため、その中間を取ってみたが、如何なものであろうか?

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