【七月革命二月革命から帝政へ】

ナポレオンが追放されると、ブルボン朝のルイ18世が王位に就き、立憲君主国
としてスタートした。 しかし、次のシャルル10世が議会を解散すると、1830年に
七月革命が起こった。 オルレアン家のルイ・フィリップが王位に就くが、やがて
中小の市民層が支持する共和派や、社会主義派が力を伸ばし、1848年に二月革命を
起こした。

ここに再び共和制が成立するが、1852年にナポレオン3世が帝位に就いた。 産業
革命や鉄道建設を進め、スエズ運河の建設、パリの都市改造等にも着手した。
外国にも、クリミア戦争への参加、インドネシアへの進出、メキシコ遠征等を
進めるが、1871年にプロイセンとの戦いに敗れ、帝政は崩壊した。

19世紀後半、フランスの文化はさまざまなジャンルで花開いた。 モネやセザンヌ、
ルノアールらの画家が相次いで登場し、パリは芸術と流行の中心として発展した。
それに合わせて、パリでは、万国博覧会が開かれ、世界の注目を集めた。

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【2つの世界大戦】
19世紀末から、ドイツとの緊張が高まった。 フランスは、ロシアやイギリスと
手を結び、ドイツを中心とした三国同盟に対抗した。 1914年に第一次世界大戦が
始まると、フランスは戦場となり、1918年までに140万人もの死者を出した。
1939年に第二次世界対戦が始まると、ナチス・ドイツ軍は1940年にパリを占領
した。

これに対抗して、ド・ゴール将軍は、ロンドンに亡命政権を起こし、国内では
レジスタンスによる抵抗運動が続けられた。 1944年にレジスタンスは反撃に
転じ、パリを開放した。

戦後は海外植民地で独立運動が高まった。 1954年にベトナムの独立を認めたが、
アルジェリアでは1958年に反乱が起こった。 この危機に大統領に選ばれたド・
ゴールは、アルジェリアの独立を国民投票で決め、フランスの工業化を進めると
共に、ヨーロッパ経済共同体(EEC)を発足させる等、独自の路線を展開した。

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経済成長期に北アフリカから多くの移民を受け入れたフランスでは、1980年代から
移民を巡る問題が起こっている。 2005年には中東やアフリカ系移民による暴動が
起こり、政府は非常事態宣言を出した。 移民対して開かれた国でいられるか、
注目されている。

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