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    タグ:スコーネ

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    1588年、若くて人気のあるクリスティアン4世が王位に就いた。 王は、
    コペンハーゲンの市街を拡張し、株式交換所や、フレゼレグスボア城など、多くの
    華麗な建築物を建造させた。 しかし、クリスティアン4世の領土的な野望は、
    やがてこの国の財政を重く圧迫することになった。

    1611年、クリスティアン4世は、スウェーデンと戦争を始めたが、敗北の
    連続で、経費ばかりがかさんだ。 1613年から1618年に至る5年間の平和により、
    デンマークの経済力は回復した。 1618年にドイツで三十年戦争が始まると、
    クリスティアン4世とその軍隊は、ドイツのプロテスタント勢力を助けて、
    カトリックの軍と戦った。

    1626年、デンマーク軍は、ドイツのハルツ地方で大敗北を喫した。 3年後、
    ドイツのカトリック諸侯軍は、ユトランド半島を占領し、クリスティアン4世は、
    和議を結ばなければならなかった。 1643年、スウェーデンがデンマークを攻撃し、
    デンマークは、またもや敗北した。

    helsingborg

    1648年に講和条約が結ばれ、デンマークは、ゴットランド島をスウェーデンに
    返還し、現在スウェーデンの中央部となっているイェムトランとヘレダーレンを
    割譲した。 デンマーク海軍は壊滅し、貿易は衰退して国力は傾いた。 元老院は、
    クリスティアン4世の息子フレゼレグ3世を国王に選ぶに先立って、王権に厳しい
    制限を付け、勝手に戦争をする事を禁じた。 それにも関わらず、フレゼレグ
    3世は、1657年、失われた領土を回復しようとスウェーデンに攻撃を加えた。

    1658年、スウェーデン軍は氷結したエーレ海峡を渡ってデンマークに攻め込み、
    フレゼレグ3世は、講和を余儀なくされた。 その結果、デンマークは、
    ノルウェーのトロンヘイム地方を割譲した他、スコーネとボルンホルム島を
    スウェーデンに譲渡した。

    1660年、スウェーデンとの戦争が再度勃発し、オランダと同盟したデンマークが
    有利となった。 講和条約によってスウェーデンは、トロンヘイム地方と
    ボルンホルム島をデンマークに返還したが、スコーネなどエーレ海峡東岸地域は、
    最終的にスウェーデンの領土となった。

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    クヌッド4世の弟ヴァルゼマール2世が1202年に国王になると、ドイツの
    諸侯との間で抗争が生じた。 ヴァイゼマール2世は、バルト海沿いの
    ドイツ騎士団と戦って、エストニア、メクレンブルク等各地を占領した。

    北ドイツの諸侯は、反撃を開始して、1223年、ヴァイゼマール2世を捕らえて
    監視した。 ヴァイゼマールは、自由を回復するため、征服した領土のうち、
    エストニアを除く大部分を放棄した。

    ヴァイゼマール2世が1241年に死ぬと、再び内戦が頻発した。 王族、貴族、
    聖職者達が権力抗争を始めたのである。 1282年、貴族達は、ヴァイゼマール
    2世の孫にあたる国王エーリック5世に強制して、王権を制限する憲章に
    署名させた。

    hanzadoumeikouekiti

    1286年にエーリック5世の後を継いだ息子のエーリック6世メンヴェドは、
    北海とバルト海沿岸のドイツ商業都市の連合体であるハンザ同盟の勢力を抑え
    ようとした。 王はそのために、国土の一部を抵当に入れて軍備を調達した。
    スコーネまでがドイツ貴族の所有となった。

    1333年、スウェーデンはドイツのホルスタイン公からスコーネを買い取った。
    これは、デンマークへの重大な脅威と考えられた。 エーリック5世の孫
    ヴァイゼマール4世アッターダーは、1346年、エストニアをドイツ騎士団に
    売却し、その金で抵当に入れられていた国土を買い戻した。

    こうして力を付けた王は、1360年、スコーネをスウェーデンから回復し、翌年、
    ゴットランド島にあるハンザ同盟の有力都市、ヴィスビを占領した。 また、
    娘マルグレーテをノルウェー王ホーコン6世と結婚させた。

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    現在のデンマークの国土で、最後の氷河期の氷が解けて消え始めたのは、紀元前
    1万2000年頃である。 紀元前1万1000年頃には、遊牧民の集団がやって来た。
    彼らは、トナカイを捕獲して、食料と毛皮を得ていたらしい。 紀元前3000年
    頃には、人々は定住地を作り始め、森林を焼き払って、灰の中に穀物を栽培した。
    食料用の家畜も飼われていた。

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    紀元前3000年前後に氷河が解けたため、ヨーロッパ北西部の一部は水没した。
    その後、比較的標高の高い地面が海面から次第に姿を現し始め、一部がこの国の
    島々を形作った。 紀元前2000年から1500年位の間に、東と南から新来の人々が
    ユトランド半島に侵入した。 彼らは、現在のデンマーク人語の祖先である
    ゲルマン語を話していたと思われる。 そして、青銅製の頑丈な武器や精巧な
    装飾品を作り、帆船で海を渡って、ヨーロッパの他の地域と交易をしていた。

    紀元前500年頃までに、この国土の住民達は、鉄製の武器や道具を作る方法を
    会得した。 その後、600年余りの事は良く分からないが、この間に北欧全体の
    気温が寒冷化して、人口が減少し、他の地域との交易も衰えたらしい。
    一部の集団は、南に移住したと思われる。 紀元前100年以降、この国の人々は、
    他の国との交易を再開した。

    6世紀までに人口が急増し、多数の小王国が成立した。 紀元前500年前後、現在の
    スウェーデン南部のスコーネ地域から、デーン人と呼ばれる人々が、エーレ海峡を
    超えてデンマークにやって来た。

    Dannebrog

    その後の300年の間に新来者は、スコーネ、シェルラン島、ユトランド半島に
    またがる王国を建設し、この国の名をダンマルク、つまり、『デーン人の国』と
    呼んだ。 これが、デンマークの国名の起源である。

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