16世紀に宗教改革を成し遂げたことによって、スイス同盟の結束は強化され、
その世紀末には、同盟は13州に増えた。 ヨーロッパの他の国々では、新教と
旧教の対立が切っ掛けで、三十年戦争(1618年~1648年)になるが、スイスは
中立の立場をとった。 三十年戦争を終わらせたウェストファリア条約で、
スイスの独立と中立が法的に認められた。
やがて、スイス各州の指導者によって、全州をゆるくまとめる政府がつくられ、
国会と呼ばれる総会が開かれ、各州から2人の代表が送られた。 だが、国会は
定期的に召集されるものではなく、元々強い権力を与えられていなかったので、
各州の重要な決定は依然として州政府が行っていた。 更に、宗教も州によって、
ローマカトリックかプロテスタントに分かれていた。
住民のほとんどがカトリック信者であった農村州では、住民は『ランツゲマインデ』
と呼ばれる州民集会に直接参加して、法案などを投票で決めた。 ベルン、
フルブール、ゾーロツェルン、ルツェルンなどのようなプロテスタントの多い
都市州では、富裕な地主の一族が州政府を支配していた。
チューリヒ、バーゼル、シャウハウゼンの各州も政治の仕組みはこれと同じ
だったが、支配者は地主ではなく、交易で富を築いた商家だった。 スイス同盟は、
国家として団結が掛かったため、州との間で対立が生じることもあったが、何とか
安定を保ち、紡織と時計産業の発展に力を注いだ。
18世紀になると、スイスの産業は繁栄した。 小作人は乳牛を育て、穀物を栽培し、
町の製造業者に食料を売った。 また、羊を飼い、紡績業が盛んな州に羊毛を供給
した。
18世紀末には、チューリヒ、グラールス、バーゼルの繊維産業が活発になる。
ジュネーヴとジュラ山脈地方の小規模な時計製造業は、国際的な産業に発展した。
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