多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:ジュリアス・シーザー

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    紀元前58年にヘルベチア族は、恐らくゴール地方(現在のフランス)の
    財宝を求めて東方に進出する。 すると、ローマ帝国の軍隊がヘルベチア族を
    攻撃し、やがてヘルベチア地方を占領した。 一方、ローマ軍は、ジュリアス・
    シーザー指揮の下、ヨーロッパ大陸の他の地域に住む民族を征服して領土を
    広げて行く。 紀元前15年には、ラエチア族も制服された。

    ヘルベチアは、ローマ帝国の支配下に入るが、自治は認められていた。 また、
    ローマ帝国の領土の一部として、ヘルベチアは繁栄する。 牧畜を行い、穀類や
    果物を栽培し、ワインを製造した。 新しい道路が開けて、交易が盛んになり、
    小さな市場を持つ街の人口が増えた。

    german

    紀元前253年に、ライン川の北に定住するゲルマン部族のアラマン族が、
    ヘルベチア族の定住地を次々と侵略する。 ローマ軍は、これに対抗して戦い、
    ヘルベチアの領土を取り返した。 しかし、この戦いに掛かった費用を
    取り戻すため、ローマの役人はヘルベチア人に高い税金を払わせ、無給で
    働かせた。

    Charlemagne

    【ゲルマン民族による統治】
    フランク王国の支配下で、スイス地域に住む人々は、段々とキリスト教に
    改修し、ローマカトリック教会に所属した。 9世紀には、カロリング家の
    カール王(後のカール大帝)が現在のスイス、フランス、オランダ、
    オーストリア、イタリア、そして東ヨーロッパの殆どの地域を含む広大な
    キリスト教徒の領土を統一し、大帝国が誕生した。 ローマ教皇もカール王の
    力を認め、800年には神聖ローマ帝国の皇帝として王冠を授けた。

    王国各州に任命された諸侯(貴族階級)は、広大な領土を所有し、外敵の
    侵入に備えて兵を雇った。 諸侯は、領地内での支配権を握っていたが、
    王には服従した。 王位は、世襲で続き、王国に対する諸侯達の忠誠も
    代々受け継がれた。

    領地には、諸侯の下に家老、職人、小作人がいて、階級制度が出来
    上がっていた。 小作人は、農奴と呼ばれ、諸侯のために無報酬で働く
    代わりに、食料を与えられ、保護を受けた。 その身分は、法的に領地に属し、
    領地を離れることは許されなかった。

    小作主も領主に保護され、その返礼として農園の収穫物の一部を差し出した。
    封建制度と呼ばれるこの政治と社会の仕組みは、その後、数百年間続いた。

    【お勧めの一冊】



    お財布.com - 無料で手軽に貯まる魔法のお財布

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    イギリス諸島は、元からヨーロッパ大陸とは離れていたと思われていたが、
    4万年前は、地続きであった。 紀元前5000年に最後の氷河期が終わり、氷が
    溶けて水位が上がったため、大ブリテン島とヨーロッパ大陸の間に狭い海峡が
    生まれ、イギリスは島国となった。

    当初、大ブリテン島に住んでいたのは、大陸からやって来た人々であった。
    彼らは、石や骨格製の道具を使って巨大な森林を開き、農耕を営んだ。

    紀元前3000年頃にヨーロッパから新たな人々が移住し始め、紀元前2000年前後
    には、今日のドイツから大集団がやって来た。 彼らは、青銅器を使い、石や
    木でヘンジと呼ばれる円形の祭場を作った。 ストーンヘンジはそのひとつで、
    南イングランド中央部のソールズベリーに現存する。

    123567

    約1500年後には、また新たな人々が移住して来た。 ケルト人と呼ばれる
    好戦的な彼らは、北ヨーロッパ出身で、鉄製武器を使い、やがて大ブリテン島を
    征服した。 ケルト人は、クランと呼ばれる氏族に分かれ、氏族間で権力を争った。
    落ち着くと、農耕を営み、紀元前500~100年には、イングランドは農業国
    となった。 言葉はクランで共通のケルト語を使った。

    3893b752

    【ローマ時代】
    イングランドは、ヨーロッパ本土とは海で隔てられていたため、イタリアに中心
    勢力を持つローマ帝国の支配力は及んでいなかった。 しかし、紀元前55年には、
    ローマ軍指令官ジュリアス・シーザーがイギリス海峡を渡り、短期間だけだが
    イングランド南東部を襲撃、翌年更に大きな軍隊を率いて来た。

    ケルト人は、必死に抵抗したが、ローマ軍に敗北した。 シーザーは、和平条件を
    示したが、ケルト人はフランスの地で反逆活動を行い抵抗した。 シーザーは、
    イングランド支配を諦め引き上げた。

    cached

    紀元前43年、ローマ皇帝クラウディウスは、軍隊をイングランド南東部に出動
    させた。 ケルト人は、ボアディケア女王を中心に、激しく抵抗したが、奮戦
    むなしく、1世紀末には、島を征服された。 ローマ人は新しい領土をケルトの
    1クラン、ブリトンにちなんで、ブリタニアと名付けた。

    征服者となったローマ人は、イングランドに道路を敷き、砦や都市を築いた。
    紀元後120年代には、ローマ皇帝ハドリアヌスの指揮の下、ローマ人は制圧
    出来なかった大ブリテン島最北の民族がイングランドへ侵入するのを防ぐために、
    『ハドリアヌスの長城』と呼ばれる城壁を築いた。

    ローマ支配が進むにつれて、ラテン語がケルト語に入り込んだ。 3世紀には、
    ローマ人宣教師がキリスト教布教のために来島した。

    文化的には強い影響力を持っていたのだが、ローマ帝国は、4世紀には崩壊し
    始めた。 ローマ軍司司令官や貴族達が権力争いをし、ローマの領地に及ぶ
    支配力が弱まった。 イングランド駐屯のローマ部隊は、帝国の他の地域を
    防衛するためにブリタニアを去った。

    4世紀後半、大陸ではゲルマン人達が反抗していたが、ローマ人は強いて鎮圧し
    ようとはしなかった。 5世紀半ばには、ローマはブリタニア支配を放棄していた。

    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ