1328年にフィリップ4世の後継者、シャルル4世は、後継ぎが居ないままに
死去した。 シャルル4世のいとこ、ヴァロフ家のフィリップが王位に就き、
フィリップ6世としてヴァロワ朝の第1代となる。 ところが、イギリス王
エドワード3世は、フランスのカペー朝フィリップ4世の直系だから、イギリスと
フランスの両方を統治する資格があるとフィリップ6世の王位継承に意義を
申し立てて、実力行使に出た。 エドワード3世は1337年、ノルマンディーに
侵攻し、100年以上続く戦争に火がついた。

百年戦争が始まると、イギリスの勝利が続いた。 1348年にマルセイユで発生
した黒死病(ペスト)のため、フランスの戦力は低下した。 港に入る船に
住むねずみが、ヨーロッパ中に疫病を伝染させていたのだ。 数年間でフランスの
住民の3分の1近くが疫病で死んだ。

14世紀後半は、不安、病気、戦争の時代だった。 物価は高騰し、兵士たちは、
群れを成してフランス国内で略奪を働いた。 フランス国王ジャン2世は、
イギリスに捕らえられ、フランスはその釈放のため巨額の身代金を支払った。
もうひとりの国王シャルル6世は、精神異常をきたしながら、42年間も王位に
就いていた。

1415年に、イギリス国王ヘンリー5世が、カレー港近くのアザンクールで
フランス軍を破った後、フランスの大半はイギリスの手に落ちた。 1422年に
シャルル6世を継いだシャルル7世は、領土を持たない国王だった。 イギリス軍が
田舎を占領している間、都市から都市へ移動ばかりしていた。

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フランスが悲惨のどん底に落ちていた1420年に、ロレーヌ地方の農家の娘、
ジャンヌ・ダルクが現れる。 天使の教えに従ったと主張して、シャルル7世の
宮廷に来たジャンヌは、百年戦争の行方を変えた。 カトリック教会と王に
対するジャンヌの献身的な愛情は、フランス兵を奮い立たせ、ジャンヌ自身も
軍隊を率いて、1429年に、オルレアンを包囲していたイギリス軍を粉砕した。

オルレアンの戦いの後、イギリスの侵略軍は次々に破れ、海岸まで押し戻された。
だが、ジャンヌは、イギリス軍に捕らえられて処刑されたが、フランスの抵抗を
表すひとつの象徴となった。

最後にシャルル7世は、イギリス軍を殆んどフランスから追い払い、百年戦争は
1453年に終わった。

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