シュレスウィヒとホルスタインのドイツ系住民は、新憲法の受け入れを拒否した。
そして、他のドイツ諸領邦のつくる連邦に加盟しようと、デンマーク政府に対して
反乱を起こした。 ドイツ連邦の両大国プロイセンとオーストリアは、
シュレウィヒと ホルスタインを支持して、デンマーク・ドイツ戦争が始まった。

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1864年、ドイツ連邦軍は、デンマーク軍を敗北させた。 ウィーン条約によって、
シュレスウィヒとホルスタインは、プロイセンとオーストリアに引き渡された。
こうしてデンマークは、最も肥沃な農地の一部を失った。

若い道路技師エンリコ・ダルガスは、農地の損失を補う方法を考えた。 1866年、
ダルガスは、海を埋め立てて農地を作るための組合組織を創設した。 農民達は
沼地を干拓して常緑樹を植え、土壌の浸食を防いだ。 その結果、砂性の土壌に
穀物が出来るようになった。 この埋め立て事業は極めて広範囲に行われたので、
両地域の損失に十分見合った。

同じ時期、農業協同組合の運動が起こって、農業の生産性が高められた。 最初に
協同組合を作ったのは、スティリング・アネルセンというヒェディングの
農民である。

アネルセンは、地元の農民達を説得して、個別に行われていた牛乳の加工を
共同作業で行うことにした。 共同作業場の出現で、機械の購入、加工法の
研究、販路の拡大などが、個人ではとても不可能な規模で出来ることが分かった。

最初の農業協同組合は、その製品の品質の高さでたちまち有名になった。 農作
業面でのその他の改良も進み、協同組合運動は、たちまちデンマーク全土に
広まった。

1870年代になると、別の種類の衝撃がヨーロッパの農業市場を襲った。 アメリカ
合衆国とロシアの農民が、大量の穀物を極めて低い経費で生産出来るようになり、
余剰農産物をヨーロッパでも売り始めたのである。 ヨーロッパの生産者達は、
安い輸入品に対抗することが出来ず、穀物の価格は下落した。

最初は、穀物価格の下落はデンマークの農民達に損害を与えたが、彼らはやがて
安い輸入穀物を使って、以前より数多くの家畜を飼うようになった。

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1880年代には、デンマークの農業協同組合は、多量の乳製品とベーコンを
イギリスに輸出するようになった。 20世紀末には、この種の産物の輸出国の
トップとなった。

デンマークはまた、19世紀末に大きな政治問題をひとつ解決した。 この国の2大
政党である保守党と自由党が、議会の上院と下院の権限の配分について議論を
重ねた。 自由党は下院で多数を占め、保守党は上院を制覇していた。 両党の
妥協が成立して、保守党の政治家やヤコブ・エストルップが首相となって政権を
握った。

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