タンジェから青の街シャウエンへ
タンジェからシャウエンまでは、約3時間のバスの旅。 途中、このような
雄大な景色が広がります。 テトゥアンで20分ほど休憩し、そのまま
シャウエンへと向かいます。 尚、この日の宿泊地は、このテトゥアンですが、
一旦シャウエンに行ってから、テトゥアンに戻る形になります。
タンジェからシャウエンまでは、約3時間のバスの旅。 途中、このような
雄大な景色が広がります。 テトゥアンで20分ほど休憩し、そのまま
シャウエンへと向かいます。 尚、この日の宿泊地は、このテトゥアンですが、
一旦シャウエンに行ってから、テトゥアンに戻る形になります。
約3時間のバスの旅を終えて、青の街シャウエンに到着。 但し、その青の街は、
旧市街メディナの方なので、新市街のバスターミナル付近は特に何もありません。
よって、ここから2キロ、徒歩20程度の距離にありますが、街中全て青を
イメージして来たため、街の入り口が意外と白い建物ばかりで、若干ガッカリ
しましたw メディナまでの通りには、市場や個人商店が軒を連ねていました。
旧市街メディナの方なので、新市街のバスターミナル付近は特に何もありません。
よって、ここから2キロ、徒歩20程度の距離にありますが、街中全て青を
イメージして来たため、街の入り口が意外と白い建物ばかりで、若干ガッカリ
しましたw メディナまでの通りには、市場や個人商店が軒を連ねていました。
さて、ここからが、シャウエンのハイライト、旧市街のメディナです。
何故このような青ばかりを使うようになったのはか、定かではないものの、
ある一定の法則に則り計画的に造られたものは、綺麗であるという結論に達し
ました。 青にも色々な青がありますが、濃い青から淡い青まで、ありとあらゆる
青が存在しています。 但し、よくよく見ると、街自体は結構汚いため、
青だけをお楽しみ下さいw
シャウエンは、 リーフ地方の山中にあり、タンジェとテトゥアンから内陸に
入ったところに位置する。 1471年にムーレイ アリ ベン ムーサ ベン ラチェッド
エル Alamiが、モロッコ北部のポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として
設立した。 この地域のGhomara部族と共に、多くのモリスコとユダヤ人が、
スペインによるレコンキスタの後、ここに定住した。 建物が青く塗られたのは、
ユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説もあるが、
単なる虫除けとの説もある。
【旧市街の終点付近】
【ハマム広場】
【シェフ・シャウエン旧市街】
イスラム圏は基本的に、銀製品のお土産が多く、ランプや陶器が多いのが特徴。
お土産は買わなくとも、見ているだけでも楽しくなります。 シャウエンは、
非常に辺鄙な場所にあるため、大概の人たちは、この街に宿泊をしますが、
時間がないため、ここには泊まらずに、バスで1時間半行った、テトゥアンに
泊まりましたが、そちらの旧市街の方が実は凄かった。
何故このような青ばかりを使うようになったのはか、定かではないものの、
ある一定の法則に則り計画的に造られたものは、綺麗であるという結論に達し
ました。 青にも色々な青がありますが、濃い青から淡い青まで、ありとあらゆる
青が存在しています。 但し、よくよく見ると、街自体は結構汚いため、
青だけをお楽しみ下さいw
シャウエンは、 リーフ地方の山中にあり、タンジェとテトゥアンから内陸に
入ったところに位置する。 1471年にムーレイ アリ ベン ムーサ ベン ラチェッド
エル Alamiが、モロッコ北部のポルトガルの侵略と戦うための小さな要塞として
設立した。 この地域のGhomara部族と共に、多くのモリスコとユダヤ人が、
スペインによるレコンキスタの後、ここに定住した。 建物が青く塗られたのは、
ユダヤ教で青が天や神を示す神聖な色であることに由来するとの説もあるが、
単なる虫除けとの説もある。
【旧市街の終点付近】
【ハマム広場】
【シェフ・シャウエン旧市街】
イスラム圏は基本的に、銀製品のお土産が多く、ランプや陶器が多いのが特徴。
お土産は買わなくとも、見ているだけでも楽しくなります。 シャウエンは、
非常に辺鄙な場所にあるため、大概の人たちは、この街に宿泊をしますが、
時間がないため、ここには泊まらずに、バスで1時間半行った、テトゥアンに
泊まりましたが、そちらの旧市街の方が実は凄かった。