多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

世界80言語対応の『多言語翻訳GoWest』を運営しています。 お見積もりはお気軽に『お問い合わせ』からお願い致します (^-^)b 『我孫子ゲストハウス』の運営も行っております。



    ブログランキングに参加していますので、クリックをお願いします!
    I’m participating in blog ranking, please click the following buttons!
    Je participe au classement des blogs, veuillez cliquer sur les boutons suivants !
    Ich nehme am Blog-Ranking teil. Bitte klicken Sie die folgenden Schaltflächen!
    Я участвую в рейтинге блогов, пожалуйста, нажмите на следующие кнопки!
    にほんブログ村 外国語ブログへ
    にほんブログ村
    人気ブログランキング

    タグ:ザルツブルグ

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    オーストリア国内には、以下の6つのハイパフォーマンススポーツに対応した
    ナショナルトレーニングセンターがある。

    キャンパススポーツ・チロル・インスブルック
     (チロル州 インスブルック市) 国立インスブルック大学

    ザルツブルグ・リフ (ザルツブルグ州)
       国立ザルツブルグ大学とザルツブルグ州の共同出資施設
       ※施設内に軍スポーツセンターもある

    フォアアールベルグ(フォアアールベルグ州 ドルンビルン市)

     スポーツランド・オーバーエスタライヒ
      (オーバーエスタライヒ州 リンツ市)

    ケルンテン (ケルンテン州 クラーゲンフルト市)

    ウィーン・シュメルツ(ウィーン特別市) 国立ウィーン大学

    10_2018

    1999年にオーストリアでは、ハイパフォーマンススポーツの包括的な
    支援を目的とした「オリンピックセンター」の公募が始まり、オーストリア・
    オリンピック委員会による4年のオリンピック周期での施設指定制度が
    導入され、2013年11月27日以降、国内にあるこれら全てのハイパフォーマンス
    施設では、アスリートに対するスポーツ科学、心理学、医学、パフォーマンス
    診断、理学療法、栄養科学、キャリアプランニング等のサポートが保障されて
    いる。 これらの候補施設の中には、各種スポーツ施設、大学トレーニング
    センターや軍施設等が含まれている。

    オーストリア・オリンピック委員会による「オリンピックセンタ―」
    としての評価基準

    オーストリア・オリンピック委員会は、ある一定の基準を満たした
    パートナーと「オリンピックセンター」としての協定を結んでいる。
    この名称は、各オリンピックサイクルに合わせて、最大で4年間、一時的に
    与えられるものであり、予算配分は地域のスポーツ施設からは独立している。
    オリンピックセンターとしての評価基準は、オリンピック/ハイパフォーマンス
    スポーツに対応しているかが最も重要視され、オーストリア・オリンピック
    委員会は、オリンピックセンターの指定数を制限する権利を有している。

    1. ガイドライン
    ● オーストリア・オリンピック委員会が定める各項目が満たされているか
    2. 公募と評価
    ● 4年周期で施設指定のための公募を行い、オーストリア・オリンピック
       委員会が審査を行う
    3. 全体的なシステム改善計画
    ● 施設やトレーニング方法等を含む指定による予算獲得後に改善出来る
       項目を提出
     
    【過去のオリンピックセンター】

    【軍スポーツセンター】
    ● ウィーン/ズュートシュタット
    リンツ
    ● グラーツ
    インスブルック
    ● ファーカーゼー
    ● ザルツブルク
    ドルンビルン
    ● ホーフフィルツェン
    ● ゼーベンシュタイン

    【HPスポーツ対応大学施設】
    ウィーン
    ● ザルツブルク
    ● リンツ
    インスブルック
    クラーゲンフルト
    ● グラーツ
    ● レオーベン
    ザルツブルグ・リフ
     
    ※赤字の都市は同一都市のため、同一施設、あるいは、近隣施設の可能性あり

    各スポーツセンターは、スポーツ省から融資を受けており、通常はスポーツ
    競技における何らかの専門性があることを特徴としている。 オーストリア
    国内の7大スポーツセンターは以下の通り。

    ● ハイパフォーマンス スポーツセンター ズゥートシュタット
    ● 国内9州全てのサッカーアカデミー
    ● ノルディックトレーニングセンター アイゼネツ
    ● スキースクール シュラドミング
    ● 卓球トレーニングセンター シュトッケラウ
    ● バスケットボールトレーニングセンター クロスターノイブルク、
       ザンクト・ペルテン、ウィーン
    ● ハイパフォーマンスセンター ザンクト・ペルテン

    olympiazentrum

    【オリンピックセンター】
    8482e2e387addd84d8c66aec0e3967fd-0

    2011年1月1日、オリンピック機能センター・チロル・インスブルックの
    暫定的な運用が開始された。 これは、チロル州、インスブルック市、
    インスブルック大学の3者が連携した施設であり、ハイパフォーマンス
    スポーツのサポートを目的としてインスブルック大学スポーツ科学研究所
    (ISW)トレーニングセンターが2002年から行なっているサポート部門が
    拡大されたものである。 2011年9月1日にはオーストリア・オリンピック
    委員会から「オリンピックセンター」の指定を受けた。

    8482e2e387addd84d8c66aec0e3967fd-1

    この施設では、チロル州、インスブルック市、インスブルック大学が連携
    することにより、ターゲットが明確化され、最適な環境作りの一環として、
    ハイパフォーマンススポーツのシステム向上を目指している。 この
    オリンピックセンターは、インスブルック大学スポーツ科学研究所(ISW)が
    運営しており、インスブルック大学では、この他にも、オーストリア国内でも
    有数の高度を誇るスキー場であるキュータイ(12月から5月まで滑走可能)に
    ある高地トレーニングセンターとも連携しており、標高2,000mでの
    トレーニングを行うことが出来る。

    8482e2e387addd84d8c66aec0e3967fd-2

    インスブルックは、既に3回の冬季オリンピックが開催された地であり、
    1964年と1976年にインスブルック冬季オリンピック、2012年1月には、
    第1回冬季ユースオリンピックが開催された。 この施設には11名の従業員が
    働いており、理学療法士、栄養士、心理を担当する4名の外部ドクターが居る。

    8482e2e387addd84d8c66aec0e3967fd-3
    8482e2e387addd84d8c66aec0e3967fd-4
    8482e2e387addd84d8c66aec0e3967fd-5

    オーストリアでは、政府がスポーツ組織を統括しており、オーストリア
    スポーツ機構(BSO)、オーストリア・オリンピック委員会(ÖOC)、
    その他、協会や団体がある。

    政府機関では、公共サービス・スポーツ省、防衛省、内務省がスポーツに
    おける部門担当となっており、これとは別に、個々の特定分野は、他の省庁の
    担当とすることが出来る。 

    連邦スポーツ振興法2017(BSFG)に則り、Bundes-Sport GmbH (BSG)
    (連邦スポーツ社)が資金配分機関として国家予算で設立され、法律的な
    問題を解決するために国内に9つの地域スポーツ総局が設置された。

    Bundes-Sportは、法律に基づく予算管理、その他補助金の取り扱い、競技
    大会の推進活動、更には、大規模国際イベント(オリンピック、パラリンピック、
    世界選手権、欧州選手権、オーストリア各地の主なイベント)の実施、女性
    アスリート推進事業、科学的分析、障害者を含むハイパフォーマンススポーツの
    推進活動を行なっている。

    Bundes-Sportの監査役員は、スポーツ省とオーストリア スポーツ機構(BSO)
    それぞれから1名の2名で構成されている。 非政府機関では、オーストリア
    スポーツ機構が統括組織となっており、関連政府機関との調整業務を
    行なっている。

    オーストリア・スポーツ機構の正式メンバーは、オーストリア・スポーツ協会、
    オーストリア・総合スポーツ協会、スポーツ連盟、オーストリア障害者スポーツ
    協会、オーストリア・オリンピック委員会、オーストリア・パラリンピック
    委員会等、現在60の業界団体がある。 特別会員には、オーストリア企業
    スポーツ連盟、軍事スポーツ連盟等がある。

    正式メンバーは、オーストリア スポーツ議会、オーストリア スポーツ協議会、
    スポーツ専門家連盟の各委員会で投票する権利がある。

    >>トップページに戻る





    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 外国語ブログ 通訳・翻訳(英語以外)へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    キリスト教は1世紀はじめに、イスラエルのイエス・キリストの教えに基づいて
    成立した宗教である。 代々のローマ皇帝は、この宗教を敵視し、厳しい
    禁止令を設けて信者達を迫害したが、伝道師達のたゆみない努力により、
    キリスト教は、帝国領土内の人々の間に着実に広まり、4世紀には、帝国の
    国教として公認された。

    ローマ帝国が滅んで、戦乱や侵入が激しくなる最中で、キリスト教は一層の
    広がりを見せ、8世紀には、ローマに住む教皇の下、単一の宗教組織としての
    カトリック教会が成立した。

    この宗教がこの地域に伝えられたのは、西隣りのバンエルンからで、人々は
    両地域の境のザルツブルグに寺院を建立した。 798年、ザルツブルグは独立の
    大司教管区と定められた。

    crlmg

    この頃、ゲルマン人の一派であるフランク族の皇帝でフランスに君臨していた
    シャルルマーニュ(カール大帝)は、領土を東に広げて、788年、この地域を
    征服し、ここを『オスト・マルク』 、つまり、『東の防衛線』と名付けた。
    東からフランク帝国を攻撃して来るスラブ人やアヴァール人などへの牽制の
    意味を持つ名称となっている。 この名称は、後に『エステルライヒ(東の王国)』
    と変えられ、オーストリアの正式な国名となった。

    814年にシャルルマーニュが死ぬと、相続者達は、帝国の覇権をめぐって争った。
    817年オーストリアは、シャルルマーニュの孫ルートヴィッヒの支配する
    バイエルン王国の一部となった。 834年にヴァルダン条約が締結されて
    相続争いは終わり、ルートヴィッヒは、東フランク王国を創設した。 これは、
    現在のオーストリアとドイツのほとんどを含む広大な領域である。

    876年、ルートヴィッヒの死後の後継者達の争いで、東フランク王国は弱体化した。
    9世紀末、アジア系の遊牧の民マジャール人は、ドナウ川沿いに、スラブ人と
    アヴァール人は東と南東から、それぞれオーストリアに侵入し、数多くの都市や
    農場を破壊した。 955年、ドイツ王オットー1世は、レッヒの戦いで
    マジャール人を破り、オーストリアを独立の領邦、つまり、小国家と定めた。

    【お勧めの一冊】




    お財布.com - 無料で手軽に貯まる魔法のお財布

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    オーストリアの首都ウィーンは、スロヴァキアとの国境から、およそ64.4kmの
    ドナウ川南岸にある。 人口は、約160万人で、国の総人口のおよそ5分の1
    となっている。 市内や郊外に数多くある宮殿や歴史的な建造物は、かつて
    権力の中枢だったこの都市の重要性を良く示している。

    ウィーンは、ヨーロッパ中部の重要な交易ルート沿いに位置する。 およそ
    2000年前、ケルト人達は、ここに最初の定住地を建設した。 紀元前15年に、
    ローマから来た兵士達は、そのケルトの町の跡に、ウィンドボナという名の
    要塞を築いた。 ウィーンは、13世紀以来、政治の中心であり、文化と産業の
    中心でもある。

    hjkuio38

    市街の最も古い部分は、リング(輪)と呼べれる大通りに囲まれている。
    リングの1.6km外側には、ギュルテル(帯)という第二の環状道路があって、
    比較的新しいアパートやオフィスビルが、ギュルテル沿いに建っている。

    ウィーンの主な建造物は、第二次世界大戦中の爆撃で損害を被ったが、市民達は、
    せっせとそれを再建した。 15世紀に建てられた聖シュテファン寺院は、今でも
    街の中心にそびえている。 国立オペラ劇場は、1800年代にリング沿いに建て
    られた厳しい建造物の1つである。 かつてオーストリアの君主達が暮らしていた
    ホーフブルグとシェーンブルンの両宮殿は、今では歴史と美術に関係のある、
    様々な文化財を展示するために使われている。

    この国第一の工業都市であるウィーンは、機械、薬品、繊維、電気製品、食品、
    各種手芸品等が生産されている。 ウィーン大学の他、美術、音楽の大学も
    ここにはある。 国家間の協議や平和会議もしばしばここで開かれた。 国連の
    機関のいくつもがウィーンに置かれている。

    hgtuk9o17

    【その他の都市】
    シュタイヤーマルク州の州都であるグラーツは、人口25万人で、かつてここには
    大きな要塞があり、トルコ軍の攻撃から何度か、ウィーンとハプスブルグ帝国を
    防衛した。 現在のグラーツは、工業都市で、薬品、鉄鋼、自動車等の工場がある。
    近くの鉱山からは、鉄鉱と石炭が採掘される。

    ドナウ川沿いの都市リンツは、人口20万人で、古代のローマの時代から河港として
    交易の中心だった。 リンツは、ヨーロッパの北部と西部諸国を、東部と南部諸国に
    結び付ける重要拠点だった時期もある。 1832年、リンツと現在のチェコ領との間に
    オーストリア最初の鉄道が開通した。 現在、この都市には、大型機械、薬品、
    鉄鋼を生産する大工業コンビナートがある。

    人口13万8,000人の都市ザルツブルグは、付近でザルツ(岩塩)が採掘されること
    から付けられた地名となっている。 ドイツとの国境に近いザルツァッハ河畔の
    この都市は、18世紀の大作曲家モーツアルトの生まれ故郷で、毎年夏に開かれる
    モーツアルト音楽祭には、世界中から大勢の音楽愛好家達が集まる。 旧市街には、
    大きな要塞や教会等の歴史的建造物が多い。

    人口11万6,000人のインスブルックは、チロル州の首府で、13世紀に建設され、
    北ヨーロッパとイタリアとを結ぶ交易の重要な拠点として成長した。 ここでは、
    1964年と1976年の2回、冬季オリンピックが開催され、その際に建設された
    スポーツ施設には、今でも冬季スポーツの愛好家達が多数訪れる。

    【お勧めの一冊】


    お財布.com - 無料で手軽に貯まる魔法のお財布

    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

    モーツアルトが、オーストリアのザルツブルグに生まれたのは、1756年のこと
    だった。 『神童』と呼ばれた彼は、大司教の宮廷副楽長だった父に連れられ、
    幼い頃からヨーロッパ中を演奏旅行に出掛けた。 モーツアルトの滞在を示す
    銘板が、各地で誇らしげに掲げられているのは、このためである。



    ザルツブルグには、モーツアルトの痕跡が至る所にある。 生家に住居、銅像、
    モーツアルトの名前を冠した『モーツアルト クーゲル』というチョコレート
    まである。 しかし、神童を迎え入れる宮廷はどこにもなかった。 ザルツブルグ
    もモーツアルトを評価した訳ではなかった。 父親の口利きで、何とか大司教に
    召し抱えられたものの、袂を分かち、ウィーンに移り住んだ。 順風満帆の筈
    だったが、華々しさの裏で、浪費癖は治らず、ギャンブルに明け暮れ、生活は
    逼迫した。 そして、数多くの名作を作りながら、わずか36歳でこの世を去った。



    ザルツブルグ音楽祭(Salzburger Fetsspiele)が始まったのは、1920年の事だった。
    1842年にモーツアルトの没後50周年を記念して開かれた音楽祭が基となった。
    モーツアルトの世界的な評価が高まり、ザルツブルグにもようやく認められる契機と
    なった。 それが、音楽、オペラ、演劇と総合的な音楽祭へと発展した。

    フルトヴェングラー、ベーム、カラヤンや、輩出した芸術家達が音楽祭を牽引して
    来た。 音楽祭の舞台のひとつ、『岩窟乗馬学校(Felsenreitschule)』は、元々、
    大司教が乗馬競技を見学するために創られた。 メンヒスブルグの岩盤を繰り
    抜いて造られた見物席がそのまま舞台に活かされている。 隣接する祝祭劇場は、
    世界最大級の舞台で、音響に細心の注意が払われて設計されている。
    ザルツブルグ音楽祭は、毎年7月から8月までの夏の期間に開催されている。



    【お勧めの一冊】


    >>トップページに戻る



    クリックをお願いします☆
    にほんブログ村 海外生活ブログ ヨーロッパ情報へ
    にほんブログ村

    このページのトップヘ