多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

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    タグ:サマルカンド

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    サマルカンド観光のハイライトは、中心部にあるレギスタン広場だけではなく、
    実は、シャーヒ・ズィンダ廟群も見所となっている。 この廟群は、11世紀から
    19世紀までの9世紀の間に建造され、現在では20以上の建造物の集合体と
    なっている。

    シャーヒ・ズィンダ廟群
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    シャーヒ・ズィンダ廟群
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    シャーヒ・ズィンダ廟群は建物の建つ位置の高さから大きく3つのグループに
    分かれており、これらの建築物はチャルタクと呼ばれる、4つのアーチ状をした
    ドーム型の通路で結ばれている。 当時の建築物の基礎部分や墓石などの主な部分は
    現代まで残っており、建物の大部分は14~15世紀に建設された。 16~19世紀に
    再建築がなされたが、建物の構成や外観は変化していない。

    シャーヒズィンダ廟群に入る際に、入り口に2台あったバンコマート(ATM)で
    現金を引き出そうとしたところ、2台共故障していたため、お金が全く引き出せず、
    係りの人に相談したところ、クレジットカードでも大丈夫と言われたため、窓口で
    カードを渡したところ、そのクレジットカードのターミナルも壊れていたため、
    タダで入って良しと言われましたw

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    サマルカンドは、「青の町」と言われるだけあって、建物は基本的に青が多い。
    手作りで焼かれた陶器を組み合わせて作られた建物は、非常に美しい。 基本的に
    霊廟であるため、ところどころにお墓があり、歴史の深さが感じられた。

    シャーヒ・ズィンダ廟群内部は、どこまでも青く、霊廟の内部はこのような構造に
    なっていのだが、数世紀に渡り増築を繰り返したたため、お墓がむき出しの
    ままとなっている。

    青いタイルの模様を1つづつ見て行くと、こんな感じとなる。
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    市場とシャーヒ・ズィンダ廟群の間には、前ウズベキスタン大統領のカリモフ氏の
    廟所であるハズラティ・ヒズル・モスクがあり、常に参拝者が絶えない。

    ハズラティ・ヒズル・モスク
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    サマルカンドを後にして、タシケントへと向かいます。 例によって、列車の
    チケットが取れないため、タクシーでの移動。 サマルカンド→タシケントの
    距離は約350kmで、移動時間約5時間、30ユーロ。 今回は、途中でタクシーを
    乗り換えることなく、全て同じタクシーでの移動となりましたが、サマルカンドの
    ホテルに2つ荷物を置いて来てしまったため、その旨をタクシーの運転手に話した
    ところ、速攻で電話を掛けて、後続のタクシーでその荷物を持って来て貰える
    ことになりました♪ 翌朝の早朝に、タシケントのホステルにその荷物が届いて
    おりました。 ウズベキスタンでは、お金で解決出来ない問題はない。
    Byタクシー運転手談w

    サマルカンド駅
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    タシケントは旧ソ連邦の中では、第4の都市であったため、このサマルカンドでも
    バンコマートのATMがそこら中にあるのかと思いきや、なかなかの独裁国家で
    あるため、バンコマートがほとんどない。 よって、お金を引き出すためだけに、
    タクシーに乗る必要性があり、尚且つ、かなり大手の銀行に行かない限りは、
    米ドルの引き出しが出来ない。 最初に行った銀行では、パスポートと仮住所
    登録票が必須であるため、更にタクシーに乗って、大手の銀行に行って下さいと
    言われたため、お金を引き出すのだけでも、3時間程度の時間を要したため、
    ウズベキスタンへ行く際には、現金を必ず用意しましょう。

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    ウズベキスタンの古都サマルカンドは、シルクロードの要衝として栄えながら、
    13世紀にモンゴル軍の侵攻によって廃墟と化した。 この地を甦えらせたのが、
    一代で大帝国を築き上げた英雄ティムールであった。 ティムールは世界の
    どこにもない美しい都市を目指し建設しようと、各地の遠征先から優れた技術者や
    芸術家たちを連れ帰った。 建物を飾る「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる
    鮮やかな青色タイルは、中国の陶磁器とペルシアの顔料が出合って誕生したもの。
    まさに「文化交差路」のサマルカンドは2001年、世界遺産に登録された。

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    サマルカンド旧市街にあるレギスタン広場の寺院の中は、現在では、お土産屋と
    なっているものの、これらの建物は、元々は学校で、イスラム建築の粋を結集し、
    この様な豪華絢爛な内装となっている。

    シルクロードの重要交易地であったサマルカンドは、長らくこの地の首都であった
    ため、様々な文化を吸収して、独自の文化となった。 サマルカンドは、元々は
    イスラム文化圏ではなかったそうで、西遊記の元となる「大唐西域記」を記した
    玄奘三蔵(三蔵法師)も実際にこの地を訪れたとか。

    中央アジアでは、ウズベキスタンに限らず、このおじいさんの焼き物が至る
    ところにあるのだが、これは、ユーモアのシンボルだそうで、手に持っている物も
    パン、すいか、弦楽器など、中央アジアを代表する物ばかり。

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    サマルカンドで見るべき物は、レギスタン広場だけではなく、その他にも色々と
    見る物があります。 サマルカンドは、紀元前から栄える歴史の古い町であるため、
    街全体が世界遺産に指定されている。

    ヒビニハムモスクは、中央アジア最大のモスクで、たった5年でこの巨大なモスクを
    建設しのだとか。 建設を急ぎ過ぎたため、ところどころ、建物が崩壊しているのが
    難点。。

    ヒビニハムモスク
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    中央アジア最大級のモスク、ヒビニハムモスクの真向かいにあるのは、ティムールが
    愛した妻の霊廟。 ヒビニハムモスクの巨大な正面玄関を入ると、西側には
    大モスク、南と北には小モスクがあり、四方にはミナレットが建っている。

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    青の都 サマルカンド
    サマルカンドは、街全体が世界遺産に指定されています。 その中心部にある
    レギスタン広場は、イスラム文化の総力を上げて建設された正にイスラムの中心地。
    こちらの入場料は、ウズベク人、CIS国民、外国人のそれぞれの料金体系に分かれて
    おり、ウズベク人が3,000ソム、CIS国民が3万ソム、外国人が4万ソムであった
    ため、当初4万ソムを請求されたが、ロシア語で「ここに3,000ソムと書かれて
    いるのに、何で4万ソムなのか?と訊ねたところ、CIS国民は3万ソムです」と
    言われたため、3万ソムで入場しましたw 旧ソ連圏は、ロシア語が話せると、
    どこに行ってもお得♪

    【レギスタン広場】
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    レギスタン広場は、「砂の場所」という意味を持っており、広場内には、マドラサ
    神学校が三棟建っている。 向かって左側にはウルグ・ベク・マドラサ、右側に
    シェル・ドル・マドラサ、更に、中央にはティリャー・コリーモスクマドラサが
    建っているが、の内部は現在では全てお土産屋になっており、高い入場料を支払わ
    なければならない割には、博物館はないという矛盾を抱えている。

    この日は、どうもお祭りらしく、レギスタン広場では、学生らによる演奏が行われて
    いました。 レギスタン広場にあるモスクは、現在ではお土産屋として使用されて
    おり、中に入ると、様々なお土産が売られています。 日本人観光客が多いため、
    あちらこちらから「チョットミルダケ」の呼び込みをされますが、これは、
    ウズベク語では、「ソコノカモネギサン オミヤゲイッパイウリツケルワヨ」と
    言う意味なので、無視した方が良いです。

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    ウズベキスタンに限らず、この焼き物のおじいさんは、中央アジア全体で
    見られるお土産で、ユーモアの象徴なのだとか。 独特の青の装飾も美しく、
    このおじいさんの焼き物と、いかにもアラブのお土産っぽい雰囲気の物を
    1品づつ購入しました。

    【サマルカンド土産】
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    【サマルカンドの歴史】
    ティムールの孫ウルグ・ベクの時代に天文台が築かれて、その当時の建物を含めて
    文化交差点としてユネスコの世界遺産(文化遺産)となっている。 1868年に
    中央アジア一帯はロシア軍に占領され、ロシア領トルキスタンに編入された。
    サマルカンドは、元々ブハラと同様イラン系であるペルシア語話者、すなわち、
    タジク人の多い都市であったが、ソビエト連邦時代の1924年、民族的境界画定に
    よりウズベク・ソビエト社会主義共和国に区分され、1930年までサマルカンドが
    その首都であった。

    サマルカンドは、紀元前10世紀こ頃からイラン系民族のオアシス都市として
    発展し、ギリシャ史料では紀元前4世紀にソグド人の都市「マラカンダ」は、
    アレクサンドロス3世率いるマケドニア王国遠征軍に近郊の "Sogdian Rock"で
    最後まで抵抗した。

    【サマルカンド】
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    712年にクタイバ・イブン・ムスリムによってウマイヤ朝のアラブ連合軍に
    征服され、サマルカンドでのイスラム化が始まった。 イスラム時代を通じて、
    ブハラと並びマーラワーアンナフルの中心都市として発展した。 751年の
    タラス河畔の戦いで捕虜となった製紙職人によって、759年にイスラム世界で
    最初の製紙工場が営まれたのもサマルカンドと伝えられている。

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    イスラム教では、偶像崇拝を禁じているのだが、建物の上部に虎の絵があります。
    これは、この建物の建築を指示した皇帝が自分の力を誇示するために書かれた物で、
    現在では、サマルカンドのシンボルとなっています。

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    ウズベキスタンの移動手段は、タクシーが早くて便利
    ウズベキスタンの観光シーズンは、事前に鉄道のチケットを予約をしておかいないと
    座席がなかなか取れないため、タシケントからタクシーをかっ飛ばして、約600キロ
    離れたブハラまで移動し、3時間ほど観光をした後、更にタクシーで約300キロ
    離れたサマルカンドへと移動しました。 よって、この日1日のタクシーによる
    総移動距離は、900キロを越えました。

    タシケント南駅
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    【ブハラ】
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    シルクロードの交易地 ブハラ
    ブハラは、シルクロードの交易地として繁栄を極めた悠久の都であり、
    旧市街には、今でもそのたたずまいがそのままの状態で残っています。
    完全にイスラムの世界であるため、1日に数回程、お祈りのために全ての
    業務が止まります。

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    カラーン・ミナレット
    ブハラ観光のハイライト、カラーン・ミナレット。 1127年に建てられた
    カラーン・ミナレットの高さは48mもあり、当時のイスラム建築技術の粋を
    集めて建造されました。  このカラーン・ミナレットは、地球の歩き方の
    表紙にもなっているほど有名な観光地であり、「ミナレット」は「塔」という
    意味。 かつては塔の上に明かりが灯され、砂漠を渡る隊商の道標になって
    いたと伝えられている。 また、戦争の際には敵を発見するための見張り台
    としても使われていた。 カラーン・ミナレットは戦争や地震によって何度か
    破損されたが、その都度修復作業が行われた。 19世紀後半までは罪人を生きた
    まま袋に入れて塔の上から投げ落とす刑が行われていたため、「死の塔」の
    別名でも知られるようになった。

    【カラーン・ミナレット】
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    タクシーでの移動
    たった3時間のブハラ観光を終え、ここから更に300キロ離れたサマルカンドを
    目指します。 サマルカンドはブハラからは、乗り合いタクシーで約3時間、
    交渉の結果30ユーロで、バスターミナルが最後のブハラの地となりました。
    ウズベキスタンの白タク運転手は、横の連携が凄いらしく、乗り込んだ車1台で
    サマルカンドまで行くのかと思いきや、途中で2回他のタクシーに乗り換え
    されられました。 その度に、目の前でお金の受け渡しが行われるため、
    人身売買かと思いましたw  最終的に、サマルカンドへ到着したのは、
    午後10時半過ぎであったが、到着時、サマルカンドでは、一部地域で停電が
    発生していたため、ホテルに到着してからは、電気が使えず、そのまま
    就寝しました。。

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    翌朝、テレビを付けたところ、ウズベキスタンでは、何故か熊本と沖縄の
    特集を放送していた。 旧ソ連邦諸国では、日本語の教育が盛んで、
    ウズベキスタンでも小学校から日本語を選択することが出来る程の親日国。
    この日は、サマルカンドの中心部にあるレギスタン広場では、イベントが
    開催されており、色々なアーティストがステージで演奏を行っていました。

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    2018年7月19日、ウズベキスタン・オリンピック委員会は、スポーツ文化省が
    担当している体育とスポーツ強化のための基金創設に関する記者会見を行った。
    この会見には、体育とスポーツ基金の臨時理事であるハルボエフ・ジャモル氏、
    事務次官のアクマル・ババフ氏、メディアの代表者らが出席した。
    2018年3月5日付けウズベキスタン共和国大統領令UP-5368には「行政制度を
    根本的に改善するための措置」が記載されており、これに基づき、ウズベキスタン
    共和国の体育・スポーツ省内に体育とスポーツ振興基金が設立された。 この
    法令では、課題と役割、基金の活動を組織化する手続き、資金形成とその使用
    方法、権利と義務が明確に定義された。

    この基金により、対象範囲が拡大し、以前は19歳未満の選手のみがサポート対象
    であったが、今回から年齢カテゴリによる制限がなくなった。

    この基金の活動では、年齢カテゴリーに関わらず、スポーツ選手をサポートする。
    この基金では、スポーツ施設の建設問題のみを取り扱うのではなく、その課題や
    組織構造が根本的に見直されている。

    2018年〜2019年の対象期間中に、ウズベキスタン・スポーツ文化省の
    体育スポーツ振興財団から資金提供を受けた体育施設やスポーツ施設の建設、
    改築、改修に関する報告会が行われた。 このプログラムの一環として、
    51のスポーツ施設が建設される他、多くのスポーツ施設の改修や修繕が行われる
    予定となっている。 更に、規定に基づき、51のスポーツ施設に対して、必要な
    スポーツ器具を購入する予定となっている。

    上記の例としては、スポーツ施設(アンディジャン、サマルカンド、ブハラ、
    タシケントに4つの総合スポーツ複合施設、12の青少年体育学校とオリンピック
    候補生養成青少年特別体育学校、12の屋内スイミングプール)の建設のために
    238億の予算が割り当てられている。

    既存の15の子供スポーツ複合施設、オリンピック候補生養成体育学校、4つの
    スイミングプールを改修するために950億ドル強の援助が割り当てられる。
    全てのスポーツ施設では、350億ドル相当のスポーツ用具と機材を購入する予定
    となっている。

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