19世紀の末になると、カナダは経済力を発揮し始め、農業、鉱業、漁業、製造業が
盛んになった。 1886年にカナディアン・パシフィック鉄道が旅客列車の運行を
始めると、植民地や移民の大群が西部へ向かって移動し出した。 大平原に定住
しようとする者もいれば、ノースウェスト準州のクロンダイク地方で発見された
金鉱にひかれて移住して来る者もいた。

1893年に、同地方を中心としてユーコン準州が設立された。 大平原に定住する
者が大幅に増えたので、初のフランス系カナダ人の首相ビルフレッド・ローリエの
政府は1905年、更に、アルバータとサスカチュワンの2州をカナダ自治領に加えた。

【ゴールドラッシュで造られたユーコン準州のドーソン・シティー】

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新しい開拓地と金鉱の町は、1873年に創設されたノースウェスト騎馬警察(後に
王立カナダ騎馬警察と改称)によって治安と秩序が維持された。 政府はこの地域の
インディアンと条約を結び、インディアンの狩猟地を買い上げて、代りに居留地と
農機具を与え、保護を約束した。

20世紀の最初の10年間、カナダは大量の移民を迎えた。 その結果、1901年には
540万人だった人口が1911年には720万人に急増した。 人口が増したのは
主として、ブリティッシュ・コロンビア州とユーコン準州で発見された金鉱に
人々が殺到したためだった。

1913年頃には小麦の新種が導入され、カナダの穀物収穫量が増す一因となった。
また、安価な水力発電が開発されて、オンタリオ州をはじめとする各地で工業が
発達した。 鉄道も更に敷かれて、国土の全域を結び、農工業製品を外国の市場に
送ることが可能となった。

1911年に、ローリエ政権は貿易問題と対イギリス政策が原因で退陣に追い
込まれた。 ローリエはアメリカ合衆国が提案する、関税引き下げのための
通商協定に賛同した。 また、イギリスが戦時におけるイギリス海軍への協力を
要請すると、カナダ独自の海軍を創設することにした。 しかし、このローリエの
政権は2つ共極めて評判が悪く、彼の率いる自由党政権は1911年の選挙で敗北した。

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