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    タグ:コインブラ

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    初期ポルトガルの国王たちは、権力の強化にはローマ・カトリック教会と裕福な
    地主たち支持が不可欠と知って、1211年にアルフォンソ2世は、高位の宗教指導者と
    貴族たちをコインブラに集めた。 これが後のコルテスと呼ばれるポルトガル
    身分議会の始まりである。

    アルフォンソ2世とその後継者、サンチョ2世の時代は、教会と諸王が土地や収入、
    権限を取り合って争い、その結果、ローマ・カトリックの法王は1245年、サンチョ
    2世の王位を与えることを拒否、代って弟のアルフォンソ3世を王位に就かせた。

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    アルフォンソ3世の下、ポルトガル軍は、アルガルベからムーア人を追い出し、
    ポルトガルの領土を現在の広さにまでしたのだった。 ムーア人はこれで、
    イベリア半島のポルトガル側に持っていた最後の砦を失ったことになる。
    アルフォンソ3世は更に、1253年コルテスを創設し、初めて商人や町人も、
    牧師や貴族と同席出来るようになった。

    ポルトガルは、アルフォンソ3世の息子、ディニス王(1279~1325年)の長い
    時代を通じて繁栄した。 ディニス王は、初めて大学を創設し、農業の開発、
    造船工業の育成にも力をつくした。 漁業と貿易も発展し、外国から金属類や
    武器、繊維がリスボンに入るようになった。 一方、ポルトガルからは、ワインを
    始め、ロウ、みつ、オリーブ油が北ヨーロッパに向け出荷されて行った。

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    リスボンは、その富と重要性から、当然のように新しい首都になり、1298年までに、
    政府の所在地は、コインブラからリスボンに移った。 ところが、1340年代、
    リスボンに停泊中の船の中に居たネズミがペストをポルトガルにもたらすことに
    なり、ポルトガル国民の3人に1人がこの伝染病に掛かって死んで行った。 この
    結果、労働人口の減少から農業生産はガタ落ちとなり、その後数十年もの間、
    政府は、荒地となった農地の再開発に取り組まなければならなかった。

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    キリストとイスラムの戦闘が続き、数百年に渡って、両勢力の境界線は常に
    流動的だった。 11世紀半ばの記録によると、ポルトガルはミーニョ川と
    テージョ川の間に位置したキリスト教勢力下の地だった。

    1096年、当時イベリア半島の皇帝を称していたレオン・カスティーヤ王、
    アルフォンソ6世がポルトガルを準独立国にし、自分のムコにあたるフランス人、
    ブルガンティー王国のエンリケにその領土を与えてしまった。 エンリケは、
    その地にローマ・カトリック教会の権限を強化、フランスの修道士を呼び寄せて
    ブルガ、コインブラの宗教区の運営を任せた。

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    エンリケが死ぬと、ポルトガルは、その未亡人であるアルフォンソ6世の娘で
    あるテレサの手に任されたが、テレサは父親の友人たちにかなりの権限を与る
    ようなことをしたため、ポルトガル貴族たちの反感をかった。

    そしてついに、テレサの息子、アルフォンソの軍隊を破った。 アルフォンソ・
    エンリケスは、こうしてポルトガルを支配下に置いたが、レオン・カスティーヤ
    新王国でいとこに当たるアルフォンソ7世のなお支配下にあった。

    王子のアルフォンソ・エンリケスは、独立を求めてアルフォンソ7世を相手に
    およそ10年間も戦った。 ところが、ムーア人から領土を取り上げる好機を
    到来と見るや、その戦いをあっさりとあきらめてしまった。 1130年代末の
    ことである。 その頃、ムーア人も内部抗争で領土が分割、ポルトガル南部への
    統治力は弱まっていた。

    アルフォンソ・エンリケスは1140年代、サンタレンとリスボンを攻撃、敗北した
    イスラム側は、貢物として、現金と品物を供出させられた。 ムーア人は、
    領土境界線をテージョ川から最南端のアルガルベまで後退をせざるを得なく
    なった。

    戦いに勝ち、貢物を受けるに連れ、王子の権力はますます強くなり、1139年から
    ポルトガル国王アルフォンソ1世を名乗るようになった。 1143年、アルフォンソ
    1世の即位を正式に認めた。 ポルトガルのアルフォンソ王朝誕生である。

    12世紀半ばまでに、ポルトガルは、コインブラを首都に独立国となった。 しかし、
    ムーア人の脅威は去らず、1185年までのアルフォンソ時代を通してイスラムとの
    戦いは続いた。 その後、息子のサンチョ1世が後を継ぐと、ムーア人と戦い、
    貿易と農業が盛んになって行った。

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    他のヨーロッパ諸国に比べて、ポルトガルは人口が少なく、1058万人となって
    いる。 そのうち30%は、リスボン、ポルトなどの都市部に住んでいる。
    地方は、農漁村で、それぞれ近くには中規模の市場が開かれている。



    【リスボン】

    大西洋岸に位置し、ポルトガルの首都、かつ最大の都市。 ポルトガルの主要港
    でもある。 リスボンの人口は、約80万7,000人で、周辺を含めた首都圏には、
    約200万人が住んでいる。 丘の斜面には新旧さまざまな建築様式が見られる。
    市の中心部には、広い18世紀時代の広場に面して近代的なビルが立ち並ぶが、
    1988年の大火で焼けたものもある。

    リスボンはその長い歴史を通して、多くの征服者たちが到達したところでもあった。
    ローマの軍隊や北アフリカからやって来たムーア人にリスボンを占拠されたことも
    ある。 1100年代にポルトガルは、このムーア人たちからリスボンを取り戻し、
    約150年後に、リスボンはポルトガルの正式な首都になった。

    15~16世紀には、ポルトガルが世界の探検と植民地化を進めた時代で、冒険家
    たちはリスボンの波止場から世界各地へと航海の旅に出て行った。 リスボンは、
    そうして海外へ築き上げた広大な帝国の中心地となった。 1775年、リスボンは
    地震で崩壊し、地震後に起こった津波と火災で更に大きな被害を受けた。 よって、
    リスボンの建物には、首都が再建された18~19世紀以来のものが多い。

    第二次世界大戦(1939年~1945年)以来、リスボンは港を広げ、製油所や貯蔵
    施設、造船所、修理工場、その他の産業コンビナートを作っていた。 ポルトガルの
    工業製品の多くは、このリスボン港から世界に出荷されて行ったのである。

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    【地方の中小都市】
    ドウロ川沿いのポルトは、ポルトガル北部の代表的な港町で、工業の中心地。
    首都リスボンに次ぐ大きな都市で、人口32万7,000人を超えている。 広域では
    約15万人が住んでいる。 1700年代以来、ポルトは、イギリスのワイン商人相手に
    貿易をし、ポートワインの生産、出荷の中心地となって来た。 ドウロ川沿いに
    ざっと80軒のワイン貯蔵庫が立ち並んでいる。 更にポルトには、食品加工、
    石油精製、繊維加工、タイヤ、陶器類の製造など、各種工場が集まっている
    ポルトガルの一大工業地となっている。

    リスボンの南、半島になった沿岸には、港町、セトゥーバル(人口約7万8,000人)が
    あり、セトゥーバル湾への出入口として栄えている。 この湾には、サド川が流れ
    込む。 1966年には、この半島とリスボンを結ぶ橋が完成し、そのお陰で
    セトゥーバルにも何種類かの重要な産業が発展した。 造船施設、魚の缶詰工場、
    その他の企業が年中、忙しくしている。 毎朝、船体を明るい色に塗った
    パトロール船が港に戻って来ては、採って来た魚で地元の魚市場はひとしきり
    賑わう。

    中西部、モンデゴ川沿いにあるコインブラ(人口約7万4,000人)は、歴史に
    とんだ街で、ローマ人によって造られたが、11世紀までは、ムーア人に占領
    されていた。 12~13世紀の間は、ポルトガルの首都になり、権力を持った
    ローマ・カトリック司祭の所在地でもあった。 ポルトガル最古の大学、主な
    図書館や美術館があるのも、このコインブラとなっており、歴史関係の建築物が
    市内に散在している。 小規模ながら、産業もあり、地元の人たちの仕事に
    なっている。

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