ヨーロッパなどの国際社会では、社会批判が社会の抑止力として機能をしており、
特に、何もかも否定をするのが当たり前のフランスでは、この傾向が強い。 では、
どうして、社会批判が、社会の抑止力になり得るのかと言うと、様々な視点から
物事を見る事が出来るからである。

例えば、日本のように、肯定的な意見しか許さず、皆同じような意見の人間ばかりで
凝り固まってしまった場合、誰もそれを止める事が出来ずに、あらぬ方向に社会が
進んでしまう事が多々ある。 同じような意見ばかりを述べていると、例え間違って
いたとしても、誰もそれを否定出来なくなるため、抑止力が利かなくなるのである。

そもそも、社会批判をする際には、それなりの知識が必要となり、当然、自分の頭で
色々と考えなければならないのだが、思考停止社会では、それが出来ず、何もかも
上からの言いなりとなってしまうため、他者と異なる事を極端に恐れる、いわゆる、
監視社会となってしまう。

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日本社会が息苦しいと言われているのは、正にこの点で、一度過ちを犯したり、
道を外れてしまうと、二度と全うな道には戻れないため、自殺者が後を絶たない。
国が国民を治める場合、何も考えずに、意見も言わない国民の方が当然コントロール
しやすいため、いわゆる、独裁国家では、このような状況に陥りやすい。

独裁社会でもない日本が、このような状況に陥ってしまったのは、ひとえに、政治が
原因であり、ちょっとしたネガティブな話題ですら一切許さない、許容性のなさから
来ている。 政治批判すらままならない日本の社会には、絶望を通り越して、
恐怖すら感じるのだが、たった一人がクレームを言い出しただけで、一々右往左往
する社会にも疑問を感じる。

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そもそも、日本には、無責任な言論の自由はあるものの、責任を伴った言論の自由は
存在していない。 よって、適当な事柄は、散々意見されるものの、実際に困った
状況に陥った際には、見捨てられる事が多い。 綺麗ごとばかりを言っている間に、
現実をまともに見る事すら出来ない人間が多くなったのではないだろうか。

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『前向き』や『ポジティブ』を常に口にしている人も多いのだが、本当の『前向き』や
『ポジティブ』とは、ネガティブな事柄や、不都合な事実にふたをして、見て見ぬ振りを
する事ではない。 本当の『前向き』や『ポジティブ』とは、ネガティブな事柄をしっかりと
受け止めた上で、プラス思考で居られる人たちの事。 よって、ネガティブな事柄を
全く受け入れられない人達は、単なるネガティブ。

社会批判や政治批判は、決してネガティブな事柄ではない。 堂々と自分の意見を
公の場で述べる事こそが、言論の自由であり、ひいては、社会浄化へも繋がって行く
ため、間違っていると思う事柄は、どんどんと否定して行った方が良いと思う。
多様性を認め合える社会こそが、真の自由主義なのではないだろうか。

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