多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:クリミア

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    ウクライナはソ連の優等生
    ウクライナは、ソ連時代までは、温暖な気候を利用した工業化と農業が盛んな
    地方(ロシア語で「地方はクライと言う」)で、ソ連国内では、ロシア、
    ベラルーシと並び、「スラブの3大国」「ソ連の優等生」と呼ばれる程非常に
    発展した国であったが、1991年12月にソ連が崩壊、その後は度重なる経済危機、
    政治クーデター等により、国内はすっかりと荒廃した。 旧ソ連邦構成国家の
    中でも、ソ連時代と比較して発展どころか、後退した国は、このウクライナと
    グルジア(ジョージア)のみ。

    ウクライナ言語地図
    赤がロシア語、オレンジがロシア語とウクライナ語併用、黄色がウクライナ語

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    ウクライナ系アメリカ人とは?
    ソ連邦崩壊後のロシアも状況は同じどころか、ソ連からの独立時に旧ソ連邦が残した
    天文学的な負債をほぼ1国だけで背負ったため、状況的には、ウクライナなどよりも
    遥かに酷かった。 ウクライナは、国内政治の腐敗を長年放置し、そこをアメリカに
    よって国ごと乗っ取られた格好だが、北米へのウクライナからの移民は、1600年代
    初頭から開始されたものの、大規模な移住は、1880年代に入ってからであった。
    ソ連邦崩壊の後、1990年代初頭にもユダヤ人やプロテスタントを中心に、大挙して
    アメリカへと渡って行ったが、大都市に移住するケースが多く、アメリカやカナダ
    国内では、ウクライナ系の少数民族集団を形成しているが、特にウクライナ系住民が
    多いカナダを経由してアメリカへと入国したウクライナ系アメリカ人が非常に多い。

    2000年にアメリカ合衆国が行った国勢調査によると、ウクライナ系アメリカ人が
    最も多い都市圏はニューヨーク(16万人)、フィラデルフィア(6万人)、
    シカゴ(4万6000人)、ロサンゼルス(3万4000人)、デトロイト(3万3000人)、
    クリーブランド(2万6000人)、インディアナポリス(1万9000人)となっている。
    これらのウクライナ系アメリカ人は、元々ウクライナ人であるため、ウクライナ人と
    顔が全く同じであり、当然、ウクライナ語も喋れるため、今回のウクライナ危機でも
    大いに利用された可能性がある。 尚、これらのウクライナ系アメリカ人は、既に
    3世や4世の世代になっているが、その間に「過去の恨み」が増大しており、ロシアに
    対する怨念は並々ならぬものがある。 尚、ウクライナ議会では、これらの
    ウクライナ系アメリカ人がウクライナ国籍取得後にかなり起用されており、さながら
    アメリカの傀儡政権と言ったところ。

    ウクライナ分裂予想図
    ●東部と南部(クリミア、ドンバス、スラビツカ・ウクライナ)がロシア
    ●南部(ブコビナ)がルーマニア
    ●西部(ガリツィア)がポーランド
    ●南西部(カルパチア)がスロヴァキア
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    ウクライナは、ウクライナ人の意思には関係なく、ロシア革命時に重要な役割を
    果たしたボリシェヴィキによって造られた人工国家であるが、第二次世界大戦の
    結果、欧州の国境は大きく様変わりし、ポーランド、スロバキア、ルーマニア等、
    様々な地域が統合された結果生じた人工国家である。 そもそも、ウクライナは、
    西部、中部、南東部と大きく文化的にも分かれており、東部ではロシア語が
    圧倒的に優勢であるものの、西部ではポーランド時代の影響が色濃いため、
    ウクライナ語が普及している。 経済的に見ても、東部では主に工業、西部では
    主に農業が盛んとなっている。

    現在のキエフ政権は、中部と西部が中心となっており、特に、元々ポーランド領で
    あった西部(ガリツィア)がウクライナの唯一のイデオロギーとされている。
    住民らの基本的な物の考え方も親欧的とされている中部&西部、並びに、親露的な
    東部とでは全く折り合わず、1つの国家とされながらも、実際は全くの別国家で
    ある。

    ウクライナでは近年、10代~30代前半を中心とした「ネオナチ」と呼ばれる
    若年層による国粋主義者が台頭しているが、ウクライナのファシストに若年層が
    大幅に多いのは、ソ連邦崩壊から30年しか経過しておらず、ソ連時代の教育とは
    全く異なる教育を受けた世代が台頭して来たためである。 但し、この教育は、
    ソ連時代のファシストであるステパン・バンデラを担ぎ出した洗脳教育となって
    おり、ウクライナにおける若い世代の大幅な劣化が叫ばれている。

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    ヨーロッパ最大の音楽祭『ユーロビジョン』の決勝が2017年5月13日、ウクライナの
    首都キエフで行われ、ポルトガル代表のサルバドル・ソブラルさん(27)が優勝
    した。 ポルトガルの優勝は1957年の音楽祭開始以来、初めてとなる。 次回
    大会は、恐らく首都のリスボンで開催されるものと思われる。



    ウクライナでの開催は2005年に続いて2回目となるが、前回のスウェーデン大会
    では、ロシアが一方的に編入したとするクリミア半島の先住民族タタール系の
    女性歌手ジャマラさん(33)がウクライナ代表で出場し、優勝したためキエフでの
    開催が決定したもの。



    ウクライナ当局は、ロシアがウクライナに軍事介入したと主張し、ロシアの代表
    として既に決定していたユリア・サモイロヴァさん(28)を入国禁止にし、両国の
    緊張が続く中での開催となった。 サモイロヴァさんは車椅子で歌う歌手としても
    有名で、ウクライナ当局は、ロシア編入後のクリミアで演奏したことを非難。

    本人は『問題と思わない』『ユーロビジョンは子供の頃からの夢』として出場を
    強く望んだが、ウクライナへの入国は禁止となり、その報復として、ロシアの
    テレビ局はユーロビジョンのロシアでの放送をボイコットした。

    ロシア系住民の多いウクライナ東部のドネツク州では決勝当日、親ロシア派の
    仕業と見られる砲撃により、住民4人が死亡した。 事態を重く見たポロシェンコ
    大統領は、音楽祭出席を急きょキャンセルした。


     
    ユーロビジョン・ソングコンテストは、ABBAやジンギスカンなども輩出した
    ヨーロッパ最大の音楽祭であり、過去にヨーロッパ内で戦争があった際には、
    このような騒動はなかったため、ウクライナは、ヨーロッパの一員として、確固たる
    態度を取って欲しかったところだが、何もかもをウソで塗り固めているウクライナ
    政府は、そのような事は意に介さずに、一方的にロシア代表を入国禁止にしたため、
    国際的な非難は避けられない。

    ウクライナ政府は、一方的にEUに入りたがっているのだが、このような差別的な
    行為は、EUが最も嫌う行為であるため、EUとヨーロッパの溝が更に深まったと
    見るのが妥当。 ウクライナ政府が本気でまともな先進国の仲間入りを果たしたい
    のであれば、このような無様な対応は避けるべきであった。

    クリミア在住のロシア系住民たちは、全員ロシアへの『返還』を喜んでおり、未だ
    一度たりとも、ウクライナへの帰属を主張している人は居ない。 それどころか、
    クリミアを含む東部ウクライナは、元々、ロシア帝国の領土であった場所で、本来の
    ウクライナの領土は、現在の国土の3分の1程度しかなかったところに、ポーランド
    やら、ハンガリーやら、スロバキアやらから分捕って来た領土を次々と付け足した
    結果、このような意味不明な国家が出来上がったというのがウクライナの真実。

    元々、東部ウクライナに住んでいるロシア人は、ソ連の時代には、特権階級であった
    ために、ウクライナ独立後のウクライナ人中心の不当な扱いには、かなり不満を
    抱いていた。 ソ連独立時にも、特に独立を強く主張した訳でもないウクライナは、
    アイデンティティーの面でも各国からの切り張りの国土を維持するのが難しく、
    ロシア語から聞くと、田舎臭いウクライナ語を政府が強要して来るため、ロシア語
    話者からの反発が激しい。 ウクライナは、ウクライナ人が住んでいる本来の領土に
    戻すのが、一番平和裏に問題を解決する方法。 

    ウクライナ語はロシア語とは非常に似ているため、今後、更に、ウクライナ語化
    政策が取られたとしても、ロシア語話者の権利だけは守るべき。 ウクライナは、
    EUへの加入を熱望しているが、政治が腐敗し切っているため、ドイツやフランス
    からの反発は避けられない。

    現在のEUが抱える数々の問題点を露呈した今年のユーロビジョン・ソング
    コンテストは、オリンピックと並ぶヨーロッパにおける平和の祭典であっただけに、
    ウクライナの対応が残念でならない。

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    ロシア帝国の歴史は、絶え間ない膨張の歴史であり、1600年から1900年までの
    間に、ロシアは、毎日130キロ平方メートルの速度で領土を広げた計算となる。
    東西に自然の障害物がないロシアは、いつの時代にも、繰り返しやって来る侵略に
    対して、全くの無防備の状態であった。 力を持つようになってから、ロシアが
    その国境を広げて行ったのは、ひとつには、攻撃を受けやすい自らの中核地帯を
    守るためであった。

    【ロシア拡大の歴史】
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    イワン雷帝は、ボルガ河畔のカザンに侵攻して、タタール人を打ち破り、シベリア
    への道を開いた。 1581年には、コサックの指導者エルマークが毛皮の豊富な
    シベリア西部まで進んだ。 彼は、840人の兵士を推して先住部族を征服し、
    ロシアの領土を大きく押し広げた。

    ピョートル大帝は、海軍に関心を持ち、オランダとイギリスで造船の勉強をした後、
    ロシア艦隊を創設した。 スウェーデンとの北方戦争(1700~21年)で、彼は
    領土をバルト海にまで広げ、フィンランド南部のスウェーデン領や、現在
    リトアニアとラトビアになっている地域を獲得した。 これによって得た
    フィンランド南部の湿地帯に、大帝は新しい首都である、サンクト・ペテルブルグを
    建設した。 彼はまた、太平洋のカムチャッカ半島と千島列島も獲得した。

    18世紀終わりまでに、ロシアはシベリア、ウクライナ西部、リトアニア、
    ポーランド、タタール、クリミアを自国に組み込んで行った。 1809年には、
    フィンランドが加えられ、19世紀前半には、コーカサスの小国であった、グルジア、
    アゼルバイジャンや、中央アジアの広大な地域がロシア帝国の一部となった。

    1741年頃からは、ロシア人は、豊富な毛皮を求めて、海峡を超え、アラスカにまで
    進出するようになった。 1789年には、ロシアで軍務に就いていたイギリス人の
    ジョーゼフ・ビリングスが秘密の探検隊を率いて、アラスカ先住民とその沿岸部を
    調査した。

    【ナポレオンの時代のヨーロッパの国境線】
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    1812年6月、ナポレオンは50万人の兵力を擁する軍隊を率いて、ロシアへと侵入し、
    9月にはモスクワに近いボロディノへと達した。 激しい戦闘の結果、ロシア軍隊の
    優秀な将軍、グルジア公ピョートル・バグラチオンをはじめ、多くの兵士が重症を
    負った。

    1812年9月にナポレオンは、一旦モスクワの占領に成功したが、自ら火を放つ作戦に
    より、モスクワを守る作戦に出たロシア軍により、冬の補給物資までもを猛火に
    よって焼き尽くされたため、10月には、冬将軍に押されて、撤退を余儀なくされた。
    ナポレオン軍は、寒さと飢えに苦しめられ、90%以上の兵士が逃亡の途中で倒れて
    行った。2年後、アレクサンドル1世率いるロシア軍は、誇らしげにパリに入城し、
    以降、ロシアは、ヨーロッパで大きな役割を果たすこととなる。

    クリミア戦争(1853~56年)では、ロシアは、イギリス、フランス、トルコと
    戦った。 指揮がまずく、補給も十分ではなかったロシア軍は、黒海沿岸の
    セバストーポリまでは1年にも渡る攻防の末に敗れたが、海軍はトルコ軍に勝利を
    収めた。 平和条約によって、クリミアは維持したが、黒海でのロシアの勢力は
    低下した。

    ロシア南部やウクライナでは、逃亡した農奴達がコサックになり、辺境地に入植地を
    作った。 最初のうちは、コサック達は、ロシアの権威に抵抗したが、19世紀には、
    彼らの入植地は、豊かな農村となり、コサック達は、皇帝に忠誠心を示した。

    コサックは、毛皮の長い帽子と羊の皮の外套という独特の制服を着て、刀と長い
    やりを持って戦った。 コサックの男達は皆、騎馬兵部隊で軍務に就くことが
    義務付けられ、忠誠心、勇敢さ、乗馬の巧みさで知られた。

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    ウクライナは、10年ぐらい前の時とは、全く別の国に成り果てた。 元々旧ポーランド領、
    旧ハンガリー領、旧ルーマニア領、旧ロシア領とバラバラの広大な領土を抱えている国で
    あるため、本来、良いものであるはずの『愛国心』が『ファシズム』と化し、それらの地域を
    束ねる唯一の方法として利用されてしまったため、こうなったものだが、元々は、
    オーストリア領であった、ウクライナ西部地域に対する、オーストリア人の対応は、かなり
    ひややかなものがある。 ドイツ人の対応も似たり寄ったりで、フランス人に至っては、
    興味すらないと思われる。

    米国は間違っていた ウクライナ政府は「バラバラ」だ
     
    2014年末にウクライナのユーロ・マイダンで蜂起が起きた際には、日本の某新聞社も、
    『マイダンで戦って死んでいった英雄たちは、アメリカ側から日給にして30ドル程度を受け
    取ってテロ活動を行っている』と報じたのだが、その後、一切何も言わなくなった。
    ウクライナ内部から始まったとされているこのマイダンも、そもそもが、アメリカが後ろで
    糸を引いていたため、何もかもが、アメリカ寄りの報道しかなされなかった。 よって、
    ロシア側から、ウクライナに対して、人道支援が行われた際にも、国境付近で1週間も
    待たされたり、ウクライナに住んでいるロシア系住民が空爆で何千人も殺されようが、
    西側では一切報道されず、逆に、ロシアがウクライナに侵攻しているとされた。

    >>ウクライナとロシアの自己決定

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    クリミアのロシア返還に関しても同様で、元々、住民達がウクライナ支配を嫌い、
    住民投票を開き、正式にウクライナから独立した後に、クリミア住民達の意思に
    従い、ロシアへと正式に返還されたものなのにも関わらず、日本では、『ロシアが
    不法に占拠しているクリミア』の枕詞が消えることは最後までなかった。

    今回のウクライナ危機は、『情報戦争』とも呼ばれており、各国が、自分達に都合の
    良いように報道を広めたが、その証拠となるようなものは、一切提示されない
    ばかりか、後に、アメリカのバラク・オバマ大統領ですら、アメリカのウクライナへの
    関与を認めている。

    >>オバマ大統領、ウクライナへの政治的関与を認める

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    日本では、外国語教育としては、英語のみしか選択出来ないため、一斉にアメリカ寄りの
    報道がなされたが、ヨーロッパの報道は、これとは全く異なる。 ヨーロッパで、アメリカが
    好きな人は、むしろ稀で、アメリカが嫌いと答える人がその大部分を占める。 物事は、
    一点ばかりから見ると、判断を完全に誤るという、典型的な事件が、今回のウクライナの
    内戦から得た日本の教訓なのでは? 早急に英語以外の外国語を小学校から学べるように
    すべし。

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    【ウクライナ事情】
    旧ソ連から独立を果たしたウクライナは、欧米諸国では、常にロシアに虐げられた
    可哀想な国という扱いで、10年程前までは、ここまで極右化した国ではなかった。

    アメリカのグランドゼロで起こった9.11も、アメリカの自作自演だと言われて
    いる通り、世界の警察を自称して止まないアメリカがくちばしを突っ込んでくると、
    世界各地では必ず戦争が起きるため、アメリカは、常に、差別する相手と敵を
    探していると言える。


     
    日本では、徹底して悪者扱いをされている、ヤヌコビッチ ウクライナ前大統領は、
    それまで、公の場では、ウクライナ語でしか喋る事を許されなかったのを、これまで
    通り、ロシア語でも喋れるように戻した人物。 ユーシェンコの時代には、
    ロシア語を外国語扱いとし、公の場で話す事を禁止していた。 ウクライナ全土
    では、概ねロシア語のみで話していのにも関わらず、このような愚かな言語統制を
    行ったのは、世界広しと言えども、ウクライナぐらいであろう。

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    【クリミアの帰属】

    クリミアは、元々が、ロシアの領土であり、第二次大戦の末期に、クリミア半島の
    ヤルタで、スターリン、チャーチル、ルーズベルトの三者会談が開かれたのだが、
    その時に、クリミアがソ連邦内のどこの共和国の所属だったかというと、ロシア。

    その後、ウクライナ人のフルシチョフ書記長によって、クリミアは、ウクライナに
    一方的に併合され、当時は、それを「友好の証」と称していたが、その当時の
    ロシアとウクライナの国境線は、日本で言うところの、県境程度の簡単なもので、
    国境を超える際に、特にパスポートも必要なかったため、ロシア人達もクリミアの
    併合を特に気にも止めていなかったのだが、ソ連邦が崩壊して、ウクライナが独立を
    果たしてからは、それまでの支配層・特権階級であったロシア系住民は、逆に、
    ウクライナ人から迫害や乱暴狼藉をされる側になった。



    クリミア住民は、20年以上にも渡り、ウクライナ人からの差別、乱暴、レイプ等に
    耐え抜いたものの、2014年になって、ついに、堪忍袋の尾が切れて、住民達による
    正式な住民投票を経て、ウクライナから一旦独立の後、住民達の意思に従って、
    クリミアはロシアに返還された。

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    【ドンバスへの被害の拡大】

    その後、ロシア系住民(日本では、親ロ派と呼ばれている)の不満が東部へと拡大
    したのが、現在のウクライナであり、旧ソ連時代のウクライナ東部は、ロシア人の
    移住が進み、元々は、支配的な立場であったロシア系住民の多くは、ウクライナ人の
    事を田舎者扱いし、一時期ウクライナ語は禁止されていた。

    ウクライナの独立後、ウクライナは、ウクライナ人だけの国となってしまったため
    (これは、旧ソ連邦の他の国も状況は同じ)、ロシア系住民は、逆に、差別、弾圧の
    対象と成り下がった。 ウクライナ東部では、ロシア系住民への空爆や、殺戮が
    繰り返され、数十万人単位でのロシアへの避難民が出ているが、そのような不都合な
    事実は、西側メディアでは一切伝えられていない。

    >>無誘導ロケット砲での民間人殺害 人口集中地域でのグラート・ロケット砲使用停止を

    【忍び寄るアメリカ】
     
    独立後、事あるごとにロシアに楯突いて来たウクライナに目を付けたのは、
    アメリカで、前回のオレンジ革命でも、ロシアを陥れるために、アメリカが
    大々的に裏で糸を引いていたのは、明白な事実。 その結果、ウクライナでは、
    数年間に渡り、ロシア語が禁止になったのは、既に述べた通り。

    ウクライナでは、ポーランド寄りにある西部の極一部を除いて、皆ロシア語で
    話しているのだが、そのロシア語は、ウクライナでは、外国語扱いとされ、
    ロシア語放送には、全てウクライナ語の字幕が義務付けられ、日本から、
    ウクライナへ何か製品を輸出したければ、ウクライナ語のマニュアルの添付が
    強制化された。

    >>日本が見習うべきはロシア。プーチンのようにユダヤ金融資本を日本から追い出せ

    それを解除したのが、今回追放された、ヤヌコビッチ元大統領。 ウクライナの
    政治は、汚職が蔓延しており、政治家は、国民のためではなく、自分たちのため
    だけに暴利をむさぼり、その不満を愛国心に転化して、ロシアに非難の矛先を
    向けている。 ウォール街のユダヤ資本家に操られて、世界中で戦争を繰り返して
    いるのは、むしろ、アメリカの方で、戦争でお金儲けをしている人たちがいなく
    ならない限り、この世から戦争はなくならない。

    >>マレーシア17便は墜落していなかった。ボストンと同じように役者たちが演技していた
    マレーシア航空機17便最後の映像 ウクライナ空軍が撃墜したと言われている

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    この事実を完全に無視して、アメリカ寄りの報道しかしていない日本のメディアは、
    ウソ、偽り、間違を平気で公共の電波を通して垂れ流しているが、そもそも、
    ドイツ、フランス等のまともなヨーロッパ人は、この事実を知っているため、
    ウクライナをまともには助けようとはしない。

    ロシアは、これまでにも、アメリカの一方的な偏見により、数々の嫌がらせや、
    ウソのプロパガンダばかりを流されて来たのだが、このような事実関係をしっかりと
    知っていれば、日本政府やマスコミの情報操作には騙されずに済んだと思うのだが、
    そもそも、日本には、ロシアの事をまともに認識出来ている人間が、皆無に近い
    ため、この先も、ロシアと日本との関係は、一向に改善しない。

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    ロシアのアレクサンドル・コットが監督した作品、「草原の実験」を見に行きました。

    映画の内容は、大まかに説明をすると、カザフスタンにあった世界最大級の
    核実験場、セミパラチンスクでの核実験が始まった頃の話で、草原のド真ん中に
    ぽつんと建っている小さな家に住んでいる少女と父親、そして、近くの村に住んで
    いる青年と、後からその草原にやって来たロシア人青年との三角関係が中心に
    なっているが、その草原で、ある日突然、大事故が起こるという設定。 見渡す
    限りの草原と、そこで起きた核実験によって、一瞬で何もかもが奪われるという
    内容だが、セリフのない無声映画のため、ある程度の予備知識がないと、話の
    展開が早いため、この場面では一体何を意味しているのか、分からなくなる時が
    あるため、要注意。

    今後、渋谷の他にも、宮城、群馬、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡でも順次公開予定。

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    今から、4ヶ月以上も前に、この作品の監督インタビューの部分の翻訳を依頼
    されたのですが、その際に、クライアントから渡されたものは、ロシア語で書かれた
    監督のインタビュー記事のみ。 その時は、Youtubeに動画すらなかったため、
    ロシアのサイトを探りつつ、一体何の映画だろうと思ったのですが、今日映画を
    見てきて、想像通りの映画であったため、翻訳の内容が合っていた事が証明
    されました。

    この映画は、セリフがひとつもない無声映画であるため、劇中でのセリフの翻訳は
    必要なかったため、映画館の内で販売されているパンフレットを買わない限り、
    日本語は出て来ませんが、元々のロシア語での本作品の原題が、『Испытание
    (実験)』であるため、参考資料として頂いた記事の中に小さく書かれていた
    『草原の実験』が、この『Испытание』である事に気付くまでに時間が掛かりました。



    実際に翻訳をした内容は、パンフレットに掲載されている内容の3倍ぐらい訳した
    のですが、適当に編集されていたため、かなり短くなっていました。 この映画の
    舞台は、カザフスタンという事になっていますが、実際に撮影が行われたのは、
    ウクライナのクリミア半島です。 この事実は、パンフレットを買わない限り分かり
    ません。

    翻訳をしていて、毎回感じる事としては、まともな参考資料すらない状態で、かなり
    高度な事を要求されるため、ネットでの検索は欠かせないのと、納品をした後に、
    その後どうなったのかという通知が一切ないため、かなり疑問を感じます。

    今回のこの翻訳も、特に何も連絡を受けていないため、いつから上映されるのか、
    そもそも、日本で公開される事自体知らなかったため、公開直前になって、ようやく
    知った始末。

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    日本の翻訳者の地位が全く向上しないのは、翻訳が単なるツールでしかないと
    思われている事と、機械翻訳と同じで、何でも丸投げしておけば、適当に全部翻訳
    してくれると思われているところで、そもそも、依頼をしているあなたが分からない事が、
    赤の他人の翻訳者に分かりますか?という点に尽きると思う。 何でも右から左に
    流すだけで、中間マージンを取っている自称翻訳会社が多いため、結局はこうなる
    のだが、その翻訳コーディネーターが自体が、使い捨てであるため、それに操られる
    翻訳者も当然、そのような扱いのまま。。

    >>映画『草原の実験』公式サイト

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    ウクライナでの内戦が勃発して以来、ウクライナ人の国外への避難民や出稼ぎ者の
    数が激増しているが、そのうち、ウクライナ人の出稼ぎ者が多い主な国は以下の
    通り。

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    ロシア:392万人
    イタリア:104万人
    チェコ:104万人
    ポーランド:56万人
    スペイン:32万人
    ポルトガル:24万人
    ハンガリー:16万人

    日本では、アメリカのプロパガンダにより、ロシアがウクライナを侵略している
    事になっているものの、クリミアは、元々ロシアの領土であり、ウクライナ人の
    フルシチョフが、ソ連時代に『友好の証』として、ロシアからウクライナに勝手に
    併合した領土。 ソ連時代のロシアとウクライナの国境は、日本で言うところの、
    県境程度の線でしかなかったため、特に誰も気にも留めていなかったものの、
    ウクライナ独立後は、ウクライナが極右化したため、火種となった場所。
    よって、日本のメディアが枕詞としている、『ロシアが一方的に併合した』と
    するのは、完全に間違っています。

    クリミアのロシアへの返還は、クリミア住民達が自ら住民投票を行い、一旦
    ウクライナから独立の後、住民達の意思に従って、ロシアへと返還された領土なので、
    日本やアメリカの政治的なプロパガンダには騙されないようにした方が賢いと
    思います。 ソ連の歴史をまともに知らない人間や、ロシア語をまともに理解
    出来ない人間がモスクワ駐在員等を務めているため、結局は、歴史が完全に湾曲
    されています。 日本には、所詮、こんな程度の専門家しか居ないという証拠だと
    思います。

    クリミア住民達は、ロシアへの返還を非常に喜んでいるため、ウクライナによる
    クリミア支配がどれ程酷かったのか、すぐに理解出来ると思います。 そもそも、
    ウクライナがロシアに本当に侵略されていたとしたら、ロシアになど、誰も
    出稼ぎには行きません。 ロシアでは、逆に、ウクライナ人が増え過ぎたため、
    仕事ななくなったと言われています。 ロシア国内で最も多いロシア民族以外の
    外国人は、ウクライナ人です。

    こんな簡単な事実でさえ、良く確かめもせずに平気で報道をしている日本の
    メディアには疑問しか感じません。

    クリミアの真実 ~欧米寄りの報道の矛盾~

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    ロシア帝国支配以前のクリミア半島は、『モンゴル・タタールのくびき』と呼ばれる約300年
    にも及ぶタタール人が支配する国、クリミア・ハン国があり、多数のイスラム教徒と少数の
    ギリシャ正教徒、アルメニア正教徒、ユダヤ教徒が混住していた。 タタール人は、元々は、
    モンゴル人で、1223年、チンギス・ハンの時代から始まったルーシ侵攻により、1240年
    には、ルーシ諸国の首都であったキエフ大公国は、名実ともに滅亡した。 その後南進を
    続けたモンゴル軍は、混血を繰り返して、タタール人となり、クリミア半島に留まり、その後
    約300年間に渡ってルーシを支配し続けた。

    20140302105301

    この際、南方のルーシ諸国は、モンゴル軍によって、徹底的に破壊されたため、その
    状態から立ち直る事が出来なかったが、逆に、北方のモスクワ大公国が力を付けて、
    『モンゴル・タタールのくびき』からいち早く抜け出した。 その後、モスクワ大公国は、
    ルーシの正当な末裔である現在のウクライナの地を併合すると、『ルーシ国』と言う
    意味のロシアを名乗り、それまで長きに渡って支配者であったタタール人を逆に血祭りに
    あげた。

    ロシア帝国は、クリミア・ハン国を18世紀末に併合して以来、国策としてスラヴ人
    (ロシア人とウクライナ人)キリスト教徒のクリミア移住を進めて来た。 この政策の結果、
    クリミアはロシア帝国の末期には、既にウクライナ周辺の中でも、特にロシア人の占める
    割合が多い地域となった。

    1921年、ソビエト連邦は、クリミア自治ソビエト社会主義共和国を置いたが、既に人口的に
    少数派になっていたクリミア・タタール人には十分な自治権は与えられず、第二次世界
    大戦中には、クリミア・タタール人追放が行われ、自治共和国は廃止された。 自治
    共和国の廃止により、クリミアは、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクリミア州と
    なったが、1954年、フルシチョフによって、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管
    された。 この移管は、ソ連の解体が想定されていなかったため当時は問題とはなら
    なかったが、40年後のソ連崩壊により、クリミアのロシア人達は再びロシアへの帰属を
    求めるようになった。

    2013年から2014年に掛けて、ウクライナ経済の低迷を切っ掛けに、ウクライナ国内で
    親露派と親欧米派の対立が激化し、2014年2月24日、ヴィクトル・ヤヌコヴィチ政権が
    崩壊し、暫定政権が発足するが、クリミア自治共和国では、暫定政権への移行に反対
    する親ロシア派のデモが拡大し、反ロシア派住民との間に衝突が発生した。

    3月11日に自治共和国議会とセヴァストポリ市議会は、クリミア独立宣言を採択した上で、
    3月16日には、ウクライナ内の自治共和国に留まって自治権を拡大するか、ロシアに編入
    されるかを決める住民投票を実施した。 その結果、ロシアへの編入が賛成多数となり、
    翌17日にはクリミア共和国としてセヴァストポリと共に独立し、主権国家として、ロシア
    連邦と権限分割条約を結び、ロシアの連邦構成主体として編入される事を求める
    決議を採択した。

    ロシアの・プーチン大統領は同日中にクリミアの主権を承認する大統領令に署名し、
    翌3月18日、クリミアのアクショーノフ首相と編入に関する条約に調印した。 プーチン
    大統領、および『クリミア共和国』は条約署名をもってクリミア共和国、および、セヴァス
    トポリ市はロシアに編入され、ロシア連邦の構成主体になったとの見解を示しており、
    一方でクリミアの独立とロシアへの編入を認めないウクライナとの間で論争が続いて
    いる状態となっている。

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    クリミアがロシアへの返還を果たして、早1年。 クリミアは、ロシアが
    一方的に編入したものではなく、正当な住民投票により、圧倒的多数で、
    ウクライナから独立の後、住民の意思に従い、ロシアが編入したもの。

    ウクライナ支配時代のクリミアでのウクライナ人達の乱暴狼藉には一切目も
    向けずに、ロシアや鳩山氏を批判するのは、単なる知識不足であり、
    しっかりとクリミアの歴史を理解していれば、この地が元々ロシアの領土で
    あったと理解出来る筈。 第二次世界大戦の戦後処理を話し合うために
    このクリミアのヤルタで、スターリン、ルーズベルト、チャーチルの
    3者が揃って『ヤルタ会談』を開いたが、当時のクリミアの帰属はロシア。

    krimia

    ロシアがクリミアを一方的に編入したとするのであれば、ソ連時代、
    ウクライナ人のフルシチョフが、何の前触れもなく、一方的にクリミアを
    ウクライナへ編入した事実も正しく伝えるべき。 尚、クリミアの譲渡は、
    当時は、ロシアとウクライナとの『友好の証』とされたが、キエフ政府の
    クリミア支配がどのようなものだったのかも、しっかりと知るべき。
    ロシアへの編入後、クリミアでのウクライナへの返還運動等は起きておらず。



    クリミアは、ロシア系住民の割合が6割以上を占めており、このため前々から
    ウクライナからの独立を目指した運動がありましたが、それを快く思わない
    ウクライナ政府からは、常に冷遇をされて来ました。 それに業を煮やして
    住民が反発をしたのが、今回のクリミア問題です。 韓国は、今回の
    ロシアへの経済制裁を断っているため、日本の選択肢としては、一番最初に
    経済制裁を解除する事が重要。 50数年ぶりにロシアへと帰還を
    果たしたクリミア人の選択を祝福してあげましょう。

    鳩山由紀夫元首相は、宇宙人か馬鹿か天才か

    【お勧めの一冊】


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    旧ソ連時代のみならず、現代のロシアポップス界をも牽引している大御所、ソフィア・
    ロタルの1981年に発表したアルバム『愛はいずこに』 ソフィア・ロタルは、
    ウクライナのルーマニア系の家系に生まれ、その後、クリミアへと引っ越したため、
    現在は、ルーマニア系、元ウクライナ人で、現在はロシア人。 但し、ロシア国籍を
    拒否したという話なので、結局のところ、まだウクライナ人のままなのか?

    gde

    写真なのか、絵なのか全く判別が付かないこの画像。 恐らく、写真を上から絵の
    具か何かで修正したものw ソフィア・ロタルのアルバムの中で、このアルバムだけは、
    CD化されておらず、MP3音源化されただけ。



    ロシアは、ガラパゴス国家の日本とは異なり、MP3音源がかなり普及しており、
    普通にCD屋でもそのまま販売をしております。 このアルバムに収録されている
    曲の中で、最も有名なのは、『赤い矢号』。 モスクワとレニングラード
    (現ペテルブルグ)を結ぶ寝台特急の名前。



    その昔、ロシアの学生証を所持していた際に、ハバロフスク→ノボシビルスク間を
    丸4日間掛けて乗車したのだが、チケットは、当時の学割で、400円で御座いました♪
    当時、飛行機は、燃料不足のため、数ヶ月間に渡り、全便欠航。 当時のロシアの
    平均給与は、3,000円~6,000円ぐらいで、湯水のごとくお金を使ったとしても、
    生活費は、月に1万円も掛からなかった♪

    ソ連時代のレコード会社は、このメロヂヤ1社しかなかったのだが、ソ連末期に、
    メロヂヤ以外の別レーベルが設立された時は、かなり衝撃的で御座いました。

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    旧ソ連時代のみならず、現代のロシアポップス界をも牽引している大御所、ソフィア・ロタルの
    1981年に発表したアルバム『愛はいずこに』 ソフィア・ロタルは、ウクライナの
    ルーマニア系の家系に生まれ、その後、クリミアへと引っ越したため、現在は、
    ルーマニア系、元ウクライナ人で、現在はロシア人。 但し、ロシア国籍を拒否したという
    話なので、結局のところ、まだウクライナ人のままなのか?
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    写真なのか、絵なのか全く判別が付かないこの画像。 恐らく、写真を上から絵の具か何かで
    修正したものw ソフィア・ロタルのアルバムの中で、このアルバムだけは、CD化されて
    おらず、MP3音源化されただけ。



    ロシアは、ガラパゴス国家の日本とは異なり、MP3音源がかなり普及しており、普通にCD屋
    でもそのまま販売をしております。 このアルバムに収録されている曲の中で、最も有名
    なのは、『赤い矢号』。 モスクワとレニングラード(現ペテルブルグ)を結ぶ寝台特急の名前。



    その昔、ロシアの学生証を所持していた際に、ハバロフスク→ノボシビルスク間を丸4日間
    掛けて乗車したのだが、チケットは、当時の学割で、400円で御座いました♪ 当時、
    飛行機は、燃料不足のため、数ヶ月間に渡り、全便欠航。 当時のロシアの平均給与は、
    3,000円~6,000円ぐらいで、湯水のごとくお金を使ったとしても、生活費は、月に1万円も
    掛からなかった♪

    ソ連時代のレコード会社は、このメロヂヤ1社しかなかったのだが、ソ連末期に、メロヂヤ
    以外の別レーベルが設立された時は、かなり衝撃的で御座いました。

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    2014年度の『世界で最も影響力のある人物ランキング』で1位を獲得した、
    ロシアのプーチン大統領。

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    日本は、何もかも、全てアメリカの言い成りで、単に、英語のニュースをそのまま
    直訳して垂れ流しているため、未だに、テレビなどでは、『親露派』や、『ロシアが
    不法占拠しているクリミア』などという、情報を明らかに、操作するような表現を
    用いて、国民を洗脳しているが、『親露派』とは、『ロシア系住民』の事であり、
    ウクライナ正規軍を相手に、武装をして暴れまわっている、恐ろしい武装集団と言う
    イメージが日本では強いものの、実際のところは、単なる『ロシア系住民』で、
    常に、ウクライナ軍の攻撃にさらされており、今回のウクライナ危機の後に、
    ロシア系住民、約4,000名が、ウクライナ軍によって、殺されたと言われている。

    そのような緊急を要する状況下であるため、『親露派』と呼ばれる、ロシア系住民
    たちも、当然、武装をしなければ、ウクライナ政府に、殺されてしまうという非常に
    厳しい状況下にあります。 元々、このロシア系住民の人たちは、旧ソ連の時代は、
    ウクライナ国内を支配するような立場に居た人たちでしたが、ソ連の崩壊と共に、
    ウクライナが、漁夫の利で独立を果たし、何もかもが、取って付けたように、完全に
    ウクライナ化される中で、このロシア系住民は、今度は、それまでの恨みを一心に
    受けて、差別、暴行、レイプの対象となりました。

    元々、クリミアを始めとする、ウクライナ南東部~クリミア半島に掛けては、
    ロシア語圏であり、住民の殆どが、ロシア語だけで、生活をしていたものの、
    ウクライナの独立後は、ロシア系住民と言えども、国語として、ウクライナ語が
    強要されたため、これが、ウクライナ政府への反発ともなっています。 分かり
    やすく言うと、『言語戦争』とも言い換えられるのですが、元々、支配をして
    いた階層が、今度は、支配される側に回ると、このようになるという事実を如実に
    表しているのが、ウクライナです。 

    同じロシア語圏でありながら、アメリカが介入してくると、ここまで対立を
    深めるのかという事実も、見逃してはなりません。 特に、自ら望んで独立を
    果たした訳ではない国が、ファシズムにより、急速にウクライナ化されたため、
    あちらこちらに、その歪が出ております。

    マレーシア航空機の撃墜事故は、事故当初から、アメリカとウクライナの自作自演
    だとされており、キエフで、騒乱が始まったのが、昨年の年末、その戦いが、更に
    激化したのが、ロシアのソチオリンピック開催期間中であったため、アメリカの
    ユダヤの大金持ちたちが、金にものを言わせて、後ろで、ウクライナの糸を
    引いていたと見るのが、妥当な見方。

    長年に渡る汚職により、国民も疲れ果てたところに、アメリカの甘い汁が舞い込んで
    来たため、ついつい、それになびいて、争いが激化したもの。 首都キエフでの
    争いの当初、戦いに参加すれば、アメリカから、日当にして、3,000円程度が
    支払われるという日本の新聞会社の記事があったが、そういう不都合な事実は、
    何も伝えないのが、世界の大手メディアなのか。

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    マレーシア航空機墜落直前の衛星写真。 やはり、ウクライナ軍の戦闘機スホイが
    至近距離から攻撃した模様。 墜落したマレーシア航空機の機体にも、機関銃の
    ようなもので撃たれた跡が残っていたため、やはり、戦闘機による攻撃と見るのが、
    一番無難な見方。

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