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    タグ:カール大帝

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    カール大帝によって創始された王朝が途絶えた後、919年に、フランケンと
    サクソンの諸侯は、サクソンのハンリッヒ1世をドイツの国王に選出した。
    ハインリッヒ1世はドイツの5大諸侯に強力な同盟を結ばせ、その息子の
    オットー1世は王国を東西に拡大して行った。

    優れた戦略家であったオットー1世は、955年、遊牧民マジャール人の侵入を
    防ぎ、965年には、同じく領地の侵略に頭を痛めていた教皇の要請に応じて、
    イタリアに進軍した。 この功労に対し、オットー1世は神聖ローマ帝国の
    帝冠を受け、以後何世紀にも渡りドイツ王国は、同時に神聖ローマ皇帝を
    兼ねるようになる。

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    神聖ローマ帝国の皇位を継承して行ったのは、オットー1世の一族であったが、
    帝国自体は、大小様々な諸侯が各領地を支配していた。 これらの諸侯は
    独自の宮廷、法律、軍隊、そして国王を選出する権限を持っていた。 中央
    集権的な権力のないドイツ国王は、都市から都市へと渡り歩き、領地の小作料に
    よって宮廷の費用をまかなう他なかった。

    1100年代には、ドイツはフリードリヒ1世の下に、短期間とは言え統一される。
    バルバロッサのあだ名で有名なフリードリヒ1世(赤ひげ王)は強く、大胆な
    指導者で、1152年には国王、3年後には神聖ローマ皇帝になった。 軍事力と
    交渉によって、フリードリヒ1世の支配力は、現在のポーランドやハンガリー
    にまで拡大し、その後、野心家であった息子のハインリヒ6世が北イタリアも
    領地に組み込んだ。

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    486年には、フランク族の王クローヴィスがそれまでガリアを支配していた
    ローマ人を破り、北ヨーロッパにフランク王国を建設した。 クローヴィスは、
    キリスト教に改宗したことでも知られている。 キリスト教は中東から
    ヨーロッパに伝えられた宗教であるが、フランク族は宗教上、西欧キリスト
    教会の主座を占めるローマ教皇に服従していたのである。

    クローヴィスの死後、王国は息子たちの間で分割され、勢力は弱まった。
    そこでゲルマン民族の中には、フランク族からの独立を主張する者が多く表れ、
    例えば、北ドイツに勢力のあったサクソン族は、キリスト教に激しく反発した。

    768年にフランク族の支配者となったカール大帝は、サクソン族を破り、中央
    および西ヨーロッパに領地を広げた。 こうして、800年にはローマ教皇レオ3世
    からローマ教皇の冠を授けられ、西ローマ帝国の復活を果たしたが、これは
    かつての西ローマ帝国と性格の異なるものであった。 数年の間にカール大帝は
    ゲルマン民族を統一し、西ヨーロッパにおける戦争や侵略に終止符を打った。

    また、首都アーヘンにて中央集権政治を確立、学校や修道院の建設を命じ、
    教育や学問を奨励した。 こうして進歩的な支配者であったカール大帝の
    監修の下、初めてドイツ語の辞書が編纂された。

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    カール大帝の死後、後継者たちは領地の支配をめぐって争い、843年には、
    孫3人が帝国を三分割することを取り決めたヴェルダン条約を締結した。
    この条約によって、ルートヴィッヒ2世はライン川東岸を含む東フランクを、
    ロタールはライン川西岸の中部フランクを、カール2世(禿頭王)は西フランク
    (後のフランス王国)を、それぞれ獲得することになった。

    9世紀になると、東方からの侵略者が東フランク王国に襲撃を企てるようになった。
    ドイツの諸侯は、王国を守るのに手柄があるごとに、王国から称号や領地を
    授けられ、これらの諸侯はやがて、ドイツ内に独立した公国をつくって行った。
    その中でも最も強大なサクソン、シュヴァーベン、フランケン、バイエルン、
    ロートリンゲンなどがあった。

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    アッティラが敗退すると、フランク族はライン川からロワール川にまたがる
    ガリア地帯を数十年支配した。 486年、フランク族の国王クローヴィスは、
    北フランスのソワッソンでローマ軍を破ってガリア北部を征服し、この地を
    フランキアと呼んだ。

    冷酷でずる賢いクローヴィス王は、フランク族を終結し、メロヴィング朝の基礎を
    築いた。 496年にフランク族の宗教を捨ててキリスト教に改宗し、フランク帝国も
    キリスト教国となった。 キリスト教の中心はローマであり、ローマ・カトリック
    教会は信徒を支配した。

    クローヴィスの死後、帝国は4人の息子に分割された。 遺産の分割はその頃の
    慣習だったが、相続者たちは、自分の領土を広げるために戦争し続けた。
    フランキアは南部と東部の土地を併合して大きくなったが、分裂状態のメロヴィング
    朝の勢力は衰えて行った。

    国王の行政権は、メロヴィング朝の王たちの最高顧問であった大宰相に移って
    行った。 こうした大宰相の中でも最も力のあったエリスターベルのペピン
    (ペパン)は、優れた指揮官だった。 ペピンが714年に死んだ時、既に強力に
    なっていた王国を継いだのは、息子のシャルル(カール)だった。

    シャルルは、『つち(槌)』を意味するマルテルというあだ名の通り、戦争では
    負け知らずだった。 北イタリアのロンバルディア人がローマを攻略するのを
    防いだので、フランク王たちとローマ・カトリック教会との関係は密接になって
    行った。

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    【シャルルマーニュ(カール大帝)】
    シャルル・マルテルの息子が、フランキアの新しい王朝のカロリング朝を打ち
    立てた。 シャルルと同じ名前の孫シャルルは、ライン川の東側に住んでいた
    ザクセン人、バイエルン人、アヴァール人を征服した。 若いシャルルはまた、
    北アフリカからスペインとポルトガルに侵攻して来たムーア人を、フランス南部で
    食い止めた。 シャルルは武将であり、精力的な統治者だった。 ドイツ、
    北イタリア、現在のフランスの殆んど全部を占領地にした。

    800年にシャルルは、軍隊を率いてローマに赴いた。 ローマの貴族の教皇の間の
    争いを調停するためだった。 シャルルは、教皇に有利になるように争いを解決
    した。 感謝した教皇はサン・ピエトロ寺院で、シャルルに金の王冠を載せ、
    西ローマ帝国の皇帝にした。 その後、シャルルはシャルルマーニュ(カール大帝)
    と言われるようになった。

    シャルルマーニュはその政治手腕と権限で、広い帝国を統治した。 814年に
    亡くなると、領土は相続者たちに分けられた。 孫のシャルル禿頭王の領地となった
    ライン川の西の地域の西フランク王国は、現代フランスの先祖である。

    カロリング朝の力は、9世紀から10世紀初めに掛けて衰え、北ヨーロッパからの
    侵略者バイキングを阻止出来なかった。 裕福な地主たちは防衛のため城を築き、
    私兵を雇った。

    やがてこの貴族たちは、城の周りの地域を統治する領主になった。 農民は、
    侵略者から守ってもらう代わりに、領主の農地で働いた。 農民はまた、領主に
    忠誠を誓い、収穫の一部を年貢として献納した。 領主たちは、その財産と富で、
    フランス国王に影響を与え、自分たちで国王を選出する程になった。

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    スラブ人は、6世紀に中央アジアから来たアヴァール人の侵入で大損害を受けた。
    アヴァール人は、ボヘミア一帯も支配していた。 7世紀はじめに現れたドイツ人の
    商人サモが、チェコ人と結んでアヴァール人を破り、ボヘミア地帯にサモ王国を
    つくったのが、はじめてのチェコ人の国である。 しかし、その後100年以上に
    渡ってチェコ人は、アヴァール人、ポーランド人、フランク人なとど地域の
    支配権を争った。 尚、サモ王国は、7世紀に出現した歴史的に実証し うる最初の
    スラブ人国家となっている。

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    チェコ人にとって西にあるフランクは強い国で、805年になると、ボヘミアと
    モラヴィアは外敵からの防衛を条件に、フランクの支配者カール大帝
    (シャルルマーニュ)に貢納するようになり、フランク王国防衛の最前線地方に
    なった。 優れた武将であったカール大帝は、アヴァール人を破り、ヨーロッパの
    北部と西部をフランクに編入した。 ローマ教会と繋がりが強いフランクは、
    スラブ人を力ずくでキリスト教に改宗した。

    814年のカール大帝の死後、フランク王国は分割された。 孫のルードヴィッヒは
    東フランクの統治者になり、現在のドイツの地域に相当する複数の有力な公国を
    与えられ、頻繁にチェコ人の領土やボヘミアとモラヴィアの間題に介入した。

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    キリスト教は1世紀はじめに、イスラエルのイエス・キリストの教えに基づいて
    成立した宗教である。 代々のローマ皇帝は、この宗教を敵視し、厳しい
    禁止令を設けて信者達を迫害したが、伝道師達のたゆみない努力により、
    キリスト教は、帝国領土内の人々の間に着実に広まり、4世紀には、帝国の
    国教として公認された。

    ローマ帝国が滅んで、戦乱や侵入が激しくなる最中で、キリスト教は一層の
    広がりを見せ、8世紀には、ローマに住む教皇の下、単一の宗教組織としての
    カトリック教会が成立した。

    この宗教がこの地域に伝えられたのは、西隣りのバンエルンからで、人々は
    両地域の境のザルツブルグに寺院を建立した。 798年、ザルツブルグは独立の
    大司教管区と定められた。

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    この頃、ゲルマン人の一派であるフランク族の皇帝でフランスに君臨していた
    シャルルマーニュ(カール大帝)は、領土を東に広げて、788年、この地域を
    征服し、ここを『オスト・マルク』 、つまり、『東の防衛線』と名付けた。
    東からフランク帝国を攻撃して来るスラブ人やアヴァール人などへの牽制の
    意味を持つ名称となっている。 この名称は、後に『エステルライヒ(東の王国)』
    と変えられ、オーストリアの正式な国名となった。

    814年にシャルルマーニュが死ぬと、相続者達は、帝国の覇権をめぐって争った。
    817年オーストリアは、シャルルマーニュの孫ルートヴィッヒの支配する
    バイエルン王国の一部となった。 834年にヴァルダン条約が締結されて
    相続争いは終わり、ルートヴィッヒは、東フランク王国を創設した。 これは、
    現在のオーストリアとドイツのほとんどを含む広大な領域である。

    876年、ルートヴィッヒの死後の後継者達の争いで、東フランク王国は弱体化した。
    9世紀末、アジア系の遊牧の民マジャール人は、ドナウ川沿いに、スラブ人と
    アヴァール人は東と南東から、それぞれオーストリアに侵入し、数多くの都市や
    農場を破壊した。 955年、ドイツ王オットー1世は、レッヒの戦いで
    マジャール人を破り、オーストリアを独立の領邦、つまり、小国家と定めた。

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