多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

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    タグ:カトリック

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    19世紀の終わりまで、ドイツは、沢山の小さな国家の集まりだった。 しかし、
    これらの国家は、団結して、より大きな集団を結成した。 その集団の中でも、
    最も強大だったのは、神聖ローマ帝国で、形を変えながら、800年から1806年
    まで存続した。

    神聖ローマ帝国は、ローマ教皇によって、カール大帝が西ヨーロッパ全域に
    またがる帝国の皇帝として戴冠した時に始まる。 数世紀に渡る歴史の中で、
    神聖ローマ帝国の領土が現代のドイツと重なる時期が何度かあった。
    神聖ローマ帝国は、15157年、改宗に続いて、プロテスタントがドイツで誕生
    した後、カトリックを保護するために力を尽くした。

    最後の神聖ローマ帝国皇帝フランツ2世は、1806年に退位した。 フランスの
    ナポレオン・ボナパルトによって、神聖ローマ帝国は、解体された。

    【1756年の神聖ローマ帝国】
    537993800

    【統一ドイツの誕生】
    人類が北ヨーロッパに定住し始めたのは、およそ1万年前、最後の氷河期が
    終わった後のことだ。 約5,000年前には、現代のドイツ語に似た言語を話す
    最初の人々がこの地域に住んでいたと考えられる。 しかし、ドイツという国が
    出来るまでには、それから何千年という年月が掛かった。 1871年になるまで、
    ドイツは、国王や諸侯が治める小さな領邦国家の寄せ集めだった。 これら
    領邦国家の多くは、神聖ローマ帝国の一部でもあったが、国民全員がドイツ語を
    話し、多くの伝統を共有しているとは言え、それぞれがハッキリとした独自性を
    保っていた。

    領邦国家の間には、しばしば戦争が起こり、特に宗教改革後は、それが増加した。
    宗教改革を切っ掛けに、キリスト教の新しい宗派が生まれ、ドイツを、そして、
    ヨーロッパ全体を2つに引き裂いた。 ドイツの領邦国家のうち、プロテスタントに
    改宗した者もあれば、そのままカトリック教会に従う者もあった。

    【1871年のドイツの国境】
    d0550

    1871年に、ドイツででは大幅な変化が起きた。 領邦国家の中の強国
    プロイセンの政治家オットー・フォン・ビスマルクが、いくつかの同盟と
    戦争によって、他の国々をまとめ上げた。 こうして出来た統一国家は、
    ベルリンを首都として皇帝ヴィルヘルム1世により、統治された。

    19世紀の終わりになると、ドイツは、他のヨーロッパ諸国と争うように、
    アフリカやアジアに植民地を建設した。 ヨーロッパの強国同士の対立は、
    ついに、1914年~1918年の第一次世界大戦へと発展した。 ドイツとその
    同盟国は、イギリス、フランス、アメリカとその連合国に惨敗した。
    これは、これまでに世界が経験したことのない悲惨な戦争であった。

    何百万人という兵士と市民がこの戦争で生命を失った。 戦後のベルサイユ
    条約によって、ドイツは、海外植民地を失い、自国の領土の一部を近隣諸国に
    割譲させられた。 戦争を引き起こした責任を取らされ、戦争中に破壊された
    ものを修復する費用として、多額の賠償金を課せられた。

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    ソルブ語は、ドイツ東部のザクセン州とブランデンブルク州にまたがるラウジッツ
    地方を中心に居住するソルブ人の言語で、ポーランド語やチェコ語に近い言語で
    あるため、ドイツ国内にありながら、西スラヴ語に属している。



    ラウジッツは、ソルブ語では、ウジツァと呼ばれており、ゲルマン系とは異なる
    スラブ系のソルブ人が住んでいるため、『ソルビア』とも言われている。 ソルブ人は、
    ドイツ国内に住んでいるため、発音や文法、語用のさまざまな側面において、
    ドイツ語からの言語干渉が見られるが、通常、ソルブ人は、ドイツ語も話せる
    バイリンガルなのに対して、ドイツ人でソルブ語を話せる人は、非常に稀なため、
    この周辺のドイツ語には、影響が出ていない。



    ラウジッツ地域におけるソルブ人の歴史は、紀元後500~600年頃、東方から
    スラヴ系の諸族が移動して来たところまで遡ることが出来るが、西からゲルマン系
    諸族の植民が始まり、次第に各地でドイツ語への同化が進んだ。 19世紀末には、
    ソルブ語話者は、15万人を超えていたとされているが、20世紀になってからは、
    ナチス時代の政治的な迫害や第二次世界大戦後のドイツ人この地域への大量
    流入によって、急速に衰退し、現在のソルブ語話者は、多く見積もっても4万人以下、
    日常的な使用者は1万人に満たないとされている。
     
    Siedlungsgebiet

    ソルブ語は、色々な方言から成っているが、大きく分けて、南部の上ソルブ語と北部の
    下ソルブ語の2つに大別する事が出来る。 現在のブランデンブルク州の一部である
    下ソルブ地域では、一部を除き、既に言語自体が消滅の危機に瀕しているが、
    ザクセン州の一部となっている上ソルブ地域では、現在でも、ソルブ語が日常生活で
    使われている地域がある。

    Bautzen_Ortsschild

    ルターの宗教改革の発祥の地でもある現在のドイツ東部では、宗教改革後、
    プロテスタントが優勢になったが、一部、カトリック教徒がまとまって残った地域があり、
    その一つが、上ソルブ地域のカトリック地域となっているため、地元の教会の強力な
    支援に支えられて、ソルブの言語とアイデンティティが今日まで強く保持されている。

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    ブログネタ
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    ロシアのクリスマスは、日本やヨーロッパよりも約2週間遅れでやって来る。
    これはロシア正教の暦によるもので、西洋諸国ではグレゴリオ暦を使っている
    ため、12月25日にクリスマスを祝うが、ロシア正教では、ユリウス暦という
    古い暦を使っているため、1月7日がクリスマスとなっている。

    12月25日は、あくまでもカトリックのクリスマスであるため、ロシアでは、
    この日は特に特別な食事や特別なパーティは開かれないことが多い。 そもそも、
    ロシアでは、一般的にクリスマスを盛大に祝うという風習がない。 熱心な
    信者は教会へ行き、ミサに参加する。 そして、大多数の一般人は、ほとんど何も
    しない。 世界中がお祭りムードで盛り上がる12月25日のクリスマスもロシア正教
    とは関係がないため、一般のロシア人は、実は、ほとんど何もしない。
     
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    しかし、大晦日から元旦に掛けての年明けの瞬間は、ロシア中がお祝いムードに
    一色に包まれます。 そこで登場するのがёлка(ヨールカ)と呼ばれるクリスマス
    ツリーとДед Мороз(ジェット・マロース)と呼ばれるサンタクロースのような
    マロース爺さんとその孫娘のスネグーラチカ(雪娘)です。

    1700年頃、ピョートル大帝がロシアのヨーロッパ化を推し進めると同時に、この
    ヨールカの原型であるクリスマスツリーがドイツからロシアに入って来ました。
    ドイツでは、キリスト教以前からモミの木を飾る風習がありましたが、当時の
    ロシアでは、モミの木は「死の象徴」とされていたため、人々は家の中にモミの
    木を持ち込もうとしませんでした。 それから100年以上経った1852年に、モミの
    木は初めて、サンクト・ペテルブルグのエカテリーナ駅(現モスクワ駅)構内で
    飾られる事となりましたが、これがヨールカの始まりとなりました。
     
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    ジェット・マロースは、 Дед(ジェット)がお爺さん、 Мороз(マロース)は
    極寒という意味。 元々は冬の神様、冬の精のような存在だったものが、19世紀
    後半になって、ロシアでもサンタクロースのような存在を導入する動きが高まり、
    サンタクロースとジェット・マロースが結び付けられました。 しかし、
    ソビエト時代に入り、宗教弾圧によって、ジェット・マロースも一旦姿を
    消します。
     
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    1935年、ソビエト政府は、子供達のために新年を祝う計画を発表をし、
    1937年には、ソビエト政府の公認により、ジェット・マロースが孫娘の
    スニェグーラチカを連れて登場しました。 スニェグーラチカは、ロシア
    民話に登場する雪で作られた女の子で、19世紀末から20世紀初頭に掛けて、
    子供たちが新年に演じる芝居の中で度々登場するようになり、ヨールカに
    人形が飾られるようになりました。 それ以来、ジェット・マロースと
    スニェグーラチカは、ロシアの新年のシンボルとなりました。

       【ジェット・マロースが登場する物語の一例】
    継母に虐げられる娘がいた。 継母は連れ子を溺愛するあまり娘を家から
    冬の野に追い出してしまった。 悲嘆する娘の前にジェド・マロースが現れ
    冷たい風を吹き付ける。 ジェド・マロースは娘に「暖かいか」と問い、娘は
    「暖かい」と答える。 問答を何度か続けた後ジェド・マロースは毛布や
    食料を与えた上で娘を生かす。

    生還した娘を見て継母は連れ子にも同じ幸運を受けさせるべく連れ子を外に
    放つ。 先と同様ジェド・マロースが現れるが、性格の悪い連れ子は「寒い」
    と一点張り。 連れ子は凍死する。

    【お勧めの一冊】


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