東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:カザフスタン

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     2018年8月9日、カザフスタンの最大都市、アルマトイで7月19日に刺殺された
    デニス・テン選手にちなんで名付けられた公立財団が設立されることが発表された。
    刺殺現場となったアルマトイ市内の現場には記念碑が建設されるという。

    旧ソ連国内で放送された追悼ドキュメンタリー番組


    デニス・テン選手の母親であるオクサーナ・テンさんは、家族が多大な困難に
    直面している際にも、カザフスタン国民の方々に支えて貰ったことに対して、
    まずは感謝し、デニスの友人、ファン、彼の教え子らに対して、デニスの記憶を
    永続的に残すための今後の取り組みについて語った。 現在、カザフスタン
    国内では、多くのアイデアや提案が表明されており、文化スポーツ省と
    アルマトイ市と共に話し合いと行い、公的資金の調達と今後の活動に対する
    理解を両者から得たと語った。

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    その上で、既にこのプロジェクトは動き出しており、『デニス・テン特別公立基金』
    が創設され、カザフスタン文化スポーツ省は、デニス・テン記念スケート・
    アカデミーの創設を計画していると言う。 更に、アルマトイ市側は、デニス選手の
    功績を称えて、毎年スケートの国際トーナメントを開催することを約束し、殺害
    現場となってしまった場所には、デニス選手の記念碑を建設するため、彫刻家の
    選定を行っており、デニス選手の生家にプレートを取り付けて、本の出版も
    約束した。 そのため、オクサーナさんは、デニス選手の友人らと共に出版へ
    向けての準備を行っていると語った。 このため、デニス・テン公式Instagram
    では、本に掲載出来るデニス選手の画像を募集している。

    我々は、援助の手を差し伸べてくれた全ての人達に感謝しており、全ての
    プロジェクトの実現に向けて、近々、デニス・テン基金の公式な住所を発表すると
    述べた。

    【カザフスタン】デニス・テン選手の突然の死に5,000人超が彼の死を悼む

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    ドキュメンタリー番組『テンと言う名の星』


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    ザフスタンで刺殺されたソチオリンピック・フィギュアスケート男子、
    銅メダリストのデニス・テン選手の追悼式典が2018年7月21日にアルマトイで
    行われ、ファンなど5,000人を超えるファンや関係者が訪れ、テン選手の
    ひつぎに花を手向けた。

    テン選手は、カザフスタンにフィギュアスケートで初めてメダルをもたらした
    国民的英雄で、アルマトイの他、カザフスタン各地で献花台が設けられ、
    市民がテン選手の突然の死を悼んだ。 東京にあるカザフスタン共和国
    大使館内にも献花台が設置され、多くの人々が彼との別れを惜しんだ。

    【カザフスタン】デニス・テン記念 フィギュアスケート・アカデミー創設

    デニス選手への追悼メッセージボード(メッセージが書き込めます)

    Instagram

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    カザフスタン共和国オリンピック委員会のチムール・クリバエブ会長は、
    2014年ソチ冬季五輪のフィギュアスケート男子シングルで銅メダルを獲得した
    同国出身のデニス・テン(25)の早過ぎる死に関して、彼の両親に対して、
    以下の哀悼の意を贈った。



    『カザフスタン・オリンピック委員会と我々の国全体のスポーツ界を代表して、
    私はあなたの息子である、デニス・テンの早過ぎる死に深い哀悼の意を表明します。
    若きフィギュアスケート選手の才能と創造性を愛し、応援していた我々全員に
    とって、今日は本当に暗黒の日です。 デニスは、明確な目標と精神力を持ち
    合わせ、チャンピオンとしての気構えを持った皆の見本であり、このような
    若い段階でフィギュアスケート界で頂点に立つことが出来きました。
    カザフスタンは今日、才能ある選手を失った。 我々は、あなた哀悼の意を
    表明します。 デニス・テンの記憶は、常にカザフスタン国民全ての心の中に
    残るでしょう。』


    デニス・テン選手は2018年7月19日午後3時(日本時間同6時)頃、アルマトイ
    市内のベイザトワ通りとクリマンガジー通り(Байсеитова и Курмангазы)が
    交差する場所にあるカフェテリアで友人らと食事を楽しんでいたが、店から出た
    ところで自分の車からミラーを盗もうとしていた2人組の暴漢を見つけ、
    数十メートル追った場所で口論となり、太もも部分数ヶ所を刺され、約3リットルの
    血液を失った心配停止の状態で病院に緊急搬送されたが、その搬送先の病院で
    午後5時30分に死亡が確認された。



    【デニス選手の最後の画像】
    この店を出た直後に暴漢と口論となり刺殺された・・・
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    【デニス選手が刺殺された場所】
    ベイザトワ通りとクリマンガジー通りが交差する場所付近


    【デニス選手の車から盗まれたミラー】
    愛車のレクサスLX570は、ソチ五輪で3位になった記念に大統領から
    貰ったもの・・・
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    拘束されたのは1994年生まれのヌラリ・キヤソフ(Nurali Kiyasov)容疑者で、
    20日夕方、警察はもう1人の容疑者である2人目の容疑者も拘束した。先に
    拘束された容疑者とともに容疑を認めているという。 尚、この暴漢2名は、
    同様の事件での前科があり、デニス選手が刺される数日前に首都アスタナで
    釈放されたばかりだった・・・

    カザフスタンでは、国をあげてこの死を悼んでおり、インターネット上では、
    カルムハンベト・カスイモフ(Kalmukhanbet Kassymov)内相の辞任を求める
    呼び掛けも起きている。

    【在東京カザフスタン共和国大使館内に設置された献花台
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    デニス選手は5歳からフィギュアスケートを始めると、9歳にしてロシアでの
    試合で優勝。 本格的に練習を行うため10歳のときにロシアに移住し、世界の
    舞台で活躍する選手へと成長。

    2013年にカナダ・ロンドンで開催された世界選手権で銀メダルを勝ち取ると、
    翌年のソチオリンピックでは銅メダルを受賞。カザフスタンのフィギュアスケート
    選手として、初めてオリンピックメダルに輝くという偉業を達成した。

    【アルマトイでのお別れ式】
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    世界中のファンから悲しみの声があがるなか、フィギュアスケート界の選手
    仲間たちもSNSでメッセージを発信。各大会でメダルを競った羽生結弦選手や
    カナダのパトリック・チャン選手をはじめ、アメリカのネイサン・チェン選手、
    日本の高橋大輔選手、浅田真央選手などがデニス選手との思い出を交えながら、
    突然の別れを惜しんだ。

    【各界からの声】

    「デニス・テンの悲劇のニュースに、とても悲しんでいます。スケート界は、
    美しいスケーターを失ってしまいました。我々の想いを、彼の家族に捧げます。
    あなたのパッションは、今後も生き続けるでしょう。羽生結弦、ジェイソン・
    ブラウン、ハビエル・フェルナンデス、ガブリエル・デールマン、エフゲニア・
    メドベージェワ、チームのメンバー一同より」
    -ブライアン・オーサー

    「デニス・テンと同じ氷上で滑れたことを、とても誇りに思います。彼は最も
    美しいスケーターのひとりでした。 私の思いと祈りを、想像に絶する時を過ごす
    彼の家族へ捧げます。 デニスとともに時間を共有できた幸運を、一生大切に
    したいと思います」
    -パトリック・チャン

    「練習仲間だったデニス・テンの死が、本当に辛いです。練習に対する彼の熱意を
    、私はいつも尊敬していました。彼がこの世を去ったこと、そして今後、彼の
    才能を見ることができないことが、信じられません」
    -長洲未来

    「デニス・テンの死を受けて、とても悲しく、ショックです。彼は僕だけでなく、
    スケート界全体にインスピレーションを与える存在でした」
    -ネイサン・チェン

    「僕のスケーター友達、デニス・テンが本日、亡くなりました。彼はすべての人に
    優しく、そして多くの人にとってのインスピレーションでした。デニス、
    チャンピオンになるための道順を示してくれて、ありがとう。僕たちが一緒に
    過ごせた時間は、あまりにも短かかった。永遠に愛している」
    -アダム・リッポン

    「デニス・テンの死を受けて、悲しみに打ちのめされています。彼は才能に
    溢れていただけでなく、とても聡明で優しい心の持ち主でした。彼の死は
    あまりにも大きな損失であり、悲劇です。私の祈りを、彼の家族と彼が愛した
    人たちへ捧げます」
    -ジョニー・ウィアー

    「世界は本日、輝くスターを失いました。デニスはとてつもない才能に溢れて
    いただけでなく、彼の持つ優しさ、そして輝きが、リンクを超えて伝わるような
    アスリートでした。 彼の家族、友達、そして彼から笑顔をもらっていた人々へ、
    私の祈りを捧げます。あなたがいなくて、本当に悲しい」
    -アシュリー・ワグナー

    「安らかにお眠りください」
    -ハビエル・フェルナンデス

    【日本で最後となった2017年の演技】


    【デニス選手の埋葬場所】
    デニス選手は、アルマトイから約120キロ離れた彼の祖母が住むドゥルージバ村に
    2018年7月21日に葬られた。

     

    尚、カザフスタンでは、首都のアスタナに7月4日カザフスタンで初のナショナル
    トレーニングセンターが完成したばかり。

    【デニス・テン ドキュメンタリー】


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    旧ソ連構成国だった中央アジアのカザフスタンが国際化を目指して、カザフ語の
    ロシア(キリル)文字表記を止めてローマ字に変更することを決定した。 若者は
    既に携帯電話のメールをローマ字で送るなど、かなり以前からロシア文字離れが
    加速していた。

    『ローマ字は今日、情報通信分野を席巻している』。 2006年にこう述べていた
    ナザルバエフ大統領は今年4月、国営紙に論文を発表。 この中で、表記変更の
    具体的なスケジュールを提示した上で、2025年にはローマ字に完全移行すると
    宣言した。

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    カザフスタンでは、カザフ語が国語、ロシア語は公用語とされているが、多くの
    外国人観光客にとっては、ロシア文字は読むことすら難しい。 カザフスタンは
    元々、イスラム教徒が多数派を占めており、旧ソ連からの独立直後は、アラビア
    文字へ変更する運動も行われたが、定着しなかった。

    1930年代、カザフスタンでは、チュルク系のルーン文字からラテン文字へ、ラテン
    文字からロシア文字へと、2度文字が変更された。 ロシア文字に転換された結果、
    国外のカザフ人とカザフスタンのカザフ人が、文字の上で分断された。

    カザフスタン内には、100以上の民族が暮らしており、カザフ語とロシア語の他に
    先住民族であるウズベク語、タジク語、ウイグル語が教育言語として認められて
    いる。 旧ソ連から独立した1990年代には、カザフ語を強化拡大する政策に重点が
    置かれた。 1997年に言語法が定められ、高等教育まで一貫して受けられるのは、
    カザフ語とロシア語だけとなっているため、カザフ人とロシア人以外の少数民族は、
    カザフ語かロシア語のバイリンガル教育に力を入れている。

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    現在、カザフスタンでは、ロシア系住民が約2割を占めているが、この先、正式に
    ローマ字を使うことになるため、ロシア系住民の国外脱出の機運が更に高まると
    考えられている。 旧ソ連からの独立時、カザフスタンでは、約6割超がロシア系
    住民で占められており、カザフ人は、むしろ、少数派だった。 但し、独立後は、
    カザフ人中心の政策に切り替えられたため、多くのロシア人やウクライナ人たちは、
    カザフからは去って行った。

    カザフ政府筋は『カザフ語のローマ字化後もロシア語は残る』と反論しており、
    『中高年がローマ字に慣れるのは難しいかも知れない』としている。

    尚、これまでにロシア文字を捨てて、ローマ字へ移行した国には、ルーマニア、
    モルドバがあり、現在、セルビアがローマ字へ移行中となっている。

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    カザフスタンの人口は、約1680万人で、そのうち、この国の名に由来するカザフ人
    (チュルク系の言語を話し、イスラム教スンニ派を信仰)の占める割合は、約40%に
    過ぎない。 また、スラブ系民族に属するロシア人は、人口の38%を占めており、
    カザフスタン人とほぼ同じ割合である。

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    主な少数民族としては、ドイツ人6%、ウクライナ人5%が挙げられるが、その他にも
    タタール人、ウズベク人、ウイグル人、ベラルーシ人、朝鮮人も住んでいる。
    カザフ人と言うのは、トルコ系とモンゴル系の両民族の血を引いている。
    『カザフ』という言葉が使われるようになったのは、16世紀である。 17世紀に
    なると、カザフ民族は、3つの独立した集団に分離し、互いにしばしば対立し、
    また、モンゴル系の部族とも争いを繰り返した。 彼らは、19世紀まで主に
    遊牧民として生活をしていた。

    1822年以来、カザフ人の住む地域は、ロシアに占領されていた。 1873年に併合
    された後、1880年代を中心に、ロシア人の入植が始まった。 1916年には、皇帝
    支配に抵抗して、暴動が起こったが、流血のうちに鎮圧された。 1917年のロシア
    革命後の数年間、カザフスタンは、内乱の舞台となったが、ボリシェビキの勝利に
    終わった。

    1920年、キルギス自治共和国がロシア共和国内の自治共和国として設立された。
    当時、キルギスという言葉は、カザフと混同して使われた。 1926年には、カザフ
    自治共和国と改称し、更に、1936年には、ソ連構成の一共和国に昇格した。

    その中でソビエト化や集団化の政策は暴力をも辞さずに推進された。 1941年には
    数十万人のロシアに住むドイツ人が、強制的にカザフスタンに移住させられた。
    1954年、新しく開拓地を広げる運動が起こったが、結果的には、ますます多くの
    ロシア人入植者をもたらしただけであった。

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    1985年からの、ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)の気運の中、1986年に
    反ロシア抵抗運動が初めて起こった。 1990年10月25日にカザフスタンは、主権
    宣言を採択し、翌1991年12月16日に独立宣言を採択した。 同年12月21日は、
    独立国家共同体(CIS)に加盟。 この国家連合は、まだ創立後間もなく、形態が
    定まっていなかったのだが、その加盟国の中でカザフスタンは、際立った存在で
    ある。

    非スラブ系の共和国の中で、核兵器を所有するのは、カザフスタンのみで、国内
    では、カザフ民族とカザフ以外の多民族の間の緊張が高まっている。 また、
    ロシアとの国境問題もある。

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    1993年当時、カザフスタンの首都であった、アルマ・アタ(現在の首都は
    アスタナ)は、『緑の街』の別名を持っている通り、緑豊かな中央アジアの
    大都市で、旧ソ連邦の中では、かなり南に位置しているため、果物や野菜も
    豊富だった。 当時のノボシビルスクは、ロシア第3の都市とは言うものの、
    外国から最も遠い位置にあるため、ロシア国内でも物資が最も足りていない
    場所であった。

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    カザフスタンにあって、ロシアにはないものを挙げるとすると、馬乳酒の
    クムイスと餃子のお化けのような食べ物マンティを思い浮かべることが出来る。
    クムイスは、若干すっぱく、少々癖のある味で、かなり苦手な味がしたため
    それ以来、一切飲んではいない。

    マンティは、時々、カザフ人の友人宅でご馳走になっていたので、結構馴染みが
    あった。 旧ソ連の中では南国の部類に入るのだが、実際の緯度は札幌と同じ
    程度であるため、冬はかなり寒い。
     
    実は、このアルマ・アタ滞在中に、天山山脈を越えて、中国のウルムチへ行き
    たかったのだが、残念ながら、ロシア側の学生ビザが下りなかったため、断念
    した。 後日ドイツのベルリンにも行こうとしたのだが、こちらも許可され
    なかった。 許可が下りなかった理由は、『学生には必要ないから』という、
    非常に理不尽なものであった。

    当時のロシアのビザには、写真2枚が必要で、そのうち、一枚は、ロシア入国時に
    提出させられ、ビザの中には、滞在都市の記載があったのだが、そこに記載されて
    ある都市以外へ行くことは当時は禁止されていた。 よって、このアルマ・
    アタへの旅行は、ロシアの出入国と滞在都市以外へ行ったという、2重のリスクを
    犯しての旅であった。

    但し、電車に乗る際に、たまたま駅で出会ったカザフ人の友人の知り合いが
    一緒の電車に乗ることになったため、万事事なきを得たが、周囲が全員カザフ語で
    喋っていたため、全く気付かなかったのだが、実際には、車掌に何度もお金を
    要求されたとその知り合いから教えて貰った。

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    ビザが下りなかったため、ウルムチに行くのは諦めたが、せめて、キルギスの
    首都であるビシケク(ソ連時代はフルンゼという名前だった)にだけは行きた
    かったのだが、時間的にこちらも無理だった。 その後、キルギスの担当をして
    いたため、毎日キルギスには電話をしていたが、今でもキルギスには行った
    ことがない。

    尚、アルマ・アタからは、天山山脈がハッキリと肉眼でも見えており、その山脈を
    越えると、そこは中国の新疆ウイグル自治区となっている。 カザフスタンの北の
    端には、世界最大の核実験場であったセミパラチンスクが、また、この新疆ウイグル
    自治区も中国の核実験場として有名な場所となっている。

    ソ連崩壊とは何だったのか? その①
    ソ連崩壊とは何だったのか? その②

    ソ連崩壊とは何だったのか? その③
    ソ連崩壊とは何だったのか? その④
    ソ連崩壊とは何だったのか? その⑤
    ソ連崩壊とは何だったのか? その⑦

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    ロシア連邦、中国、キルギス、ウズベキスタン、トルクメニスタンと国境を接し、
    カスピ海にも面したカザフスタンは、国土の大部分が砂漠やステップ地帯である。
    人が住める場所は限られていて、人口の大半は、首都のアスタナやアルマトイ
    といった一部の地域に住む。

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    ソビエト連邦が崩壊した後は、カザフスタン共和国として独立したが、ロシアを
    中心とする独立国家共同体(CIS)に加盟、ロシアとは良好な関係を結んでいる。
    国民の6割近くがカザフ人で、残り3割をロシア人が占め、その他にも、
    ウクライナ人やウズベク人も住んでいる。 宗教もイスラム教とロシア正教が
    中心となっている。

    ソビエト連邦を構成していた他の共和国とは異なり、大統領のヌルスタン・
    ナザルバエフはソ連時代から今日までずっと大統領職にあり、強力なリーダー
    シップを発揮している。 一見、安定した国家のように見えるが、アルマトイでは、
    反ナザルバエフ派の市長が殺されたり、2006年には、野党連合の共同議長が射殺
    死体となって発見されるなど、事件が続き、この時は、容疑者として、国家保安
    委員会のメンバー5人が逮捕されている。

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    日本の7倍もある国土は長大で、全ての国境を警備することは不可能に近い。
    特に、2001年の9.11テロ以降は、テロ組織アルカイダや外国の反政府組織の
    メンバーらが潜伏するのに好都合とばかりに、出入りしている事実もあり、
    中でもウズベキスタンとの国境は、厳重な警備が敷かれている。

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    ロシアのアレクサンドル・コットが監督した作品、「草原の実験」を見に行きました。

    映画の内容は、大まかに説明をすると、カザフスタンにあった世界最大級の
    核実験場、セミパラチンスクでの核実験が始まった頃の話で、草原のド真ん中に
    ぽつんと建っている小さな家に住んでいる少女と父親、そして、近くの村に住んで
    いる青年と、後からその草原にやって来たロシア人青年との三角関係が中心に
    なっているが、その草原で、ある日突然、大事故が起こるという設定。 見渡す
    限りの草原と、そこで起きた核実験によって、一瞬で何もかもが奪われるという
    内容だが、セリフのない無声映画のため、ある程度の予備知識がないと、話の
    展開が早いため、この場面では一体何を意味しているのか、分からなくなる時が
    あるため、要注意。

    今後、渋谷の他にも、宮城、群馬、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡でも順次公開予定。

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    今から、4ヶ月以上も前に、この作品の監督インタビューの部分の翻訳を依頼
    されたのですが、その際に、クライアントから渡されたものは、ロシア語で書かれた
    監督のインタビュー記事のみ。 その時は、Youtubeに動画すらなかったため、
    ロシアのサイトを探りつつ、一体何の映画だろうと思ったのですが、今日映画を
    見てきて、想像通りの映画であったため、翻訳の内容が合っていた事が証明
    されました。

    この映画は、セリフがひとつもない無声映画であるため、劇中でのセリフの翻訳は
    必要なかったため、映画館の内で販売されているパンフレットを買わない限り、
    日本語は出て来ませんが、元々のロシア語での本作品の原題が、『Испытание
    (実験)』であるため、参考資料として頂いた記事の中に小さく書かれていた
    『草原の実験』が、この『Испытание』である事に気付くまでに時間が掛かりました。



    実際に翻訳をした内容は、パンフレットに掲載されている内容の3倍ぐらい訳した
    のですが、適当に編集されていたため、かなり短くなっていました。 この映画の
    舞台は、カザフスタンという事になっていますが、実際に撮影が行われたのは、
    ウクライナのクリミア半島です。 この事実は、パンフレットを買わない限り分かり
    ません。

    翻訳をしていて、毎回感じる事としては、まともな参考資料すらない状態で、かなり
    高度な事を要求されるため、ネットでの検索は欠かせないのと、納品をした後に、
    その後どうなったのかという通知が一切ないため、かなり疑問を感じます。

    今回のこの翻訳も、特に何も連絡を受けていないため、いつから上映されるのか、
    そもそも、日本で公開される事自体知らなかったため、公開直前になって、ようやく
    知った始末。

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    日本の翻訳者の地位が全く向上しないのは、翻訳が単なるツールでしかないと
    思われている事と、機械翻訳と同じで、何でも丸投げしておけば、適当に全部翻訳
    してくれると思われているところで、そもそも、依頼をしているあなたが分からない事が、
    赤の他人の翻訳者に分かりますか?という点に尽きると思う。 何でも右から左に
    流すだけで、中間マージンを取っている自称翻訳会社が多いため、結局はこうなる
    のだが、その翻訳コーディネーターが自体が、使い捨てであるため、それに操られる
    翻訳者も当然、そのような扱いのまま。。

    >>映画『草原の実験』公式サイト

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