クヌッド4世の弟ヴァルゼマール2世が1202年に国王になると、ドイツの
諸侯との間で抗争が生じた。 ヴァイゼマール2世は、バルト海沿いの
ドイツ騎士団と戦って、エストニア、メクレンブルク等各地を占領した。

北ドイツの諸侯は、反撃を開始して、1223年、ヴァイゼマール2世を捕らえて
監視した。 ヴァイゼマールは、自由を回復するため、征服した領土のうち、
エストニアを除く大部分を放棄した。

ヴァイゼマール2世が1241年に死ぬと、再び内戦が頻発した。 王族、貴族、
聖職者達が権力抗争を始めたのである。 1282年、貴族達は、ヴァイゼマール
2世の孫にあたる国王エーリック5世に強制して、王権を制限する憲章に
署名させた。

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1286年にエーリック5世の後を継いだ息子のエーリック6世メンヴェドは、
北海とバルト海沿岸のドイツ商業都市の連合体であるハンザ同盟の勢力を抑え
ようとした。 王はそのために、国土の一部を抵当に入れて軍備を調達した。
スコーネまでがドイツ貴族の所有となった。

1333年、スウェーデンはドイツのホルスタイン公からスコーネを買い取った。
これは、デンマークへの重大な脅威と考えられた。 エーリック5世の孫
ヴァイゼマール4世アッターダーは、1346年、エストニアをドイツ騎士団に
売却し、その金で抵当に入れられていた国土を買い戻した。

こうして力を付けた王は、1360年、スコーネをスウェーデンから回復し、翌年、
ゴットランド島にあるハンザ同盟の有力都市、ヴィスビを占領した。 また、
娘マルグレーテをノルウェー王ホーコン6世と結婚させた。

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