共和制が成立し、新しい議会(国民公会)の選挙が行われても、広がる不安と
外国の侵略は阻止出来なかった。 秩序を確立し、まだ王政を支持する者を
排除するために、国民公会の一部議員が公安委員会を設けた。 公安委員会は、
1974年まで続いた恐怖政治の間、沢山の平民、貴族、僧侶を処刑した。 一方で、
新政府の軍隊は外国軍を追い払った。

1795年に国民公会は新しい憲法を制定した。 この憲法で、5人の総裁から成る
総裁府と、2院制の立法府が置かれた。 この変革で、フランスは政治の安定を
多少取り戻したが、更に不安と暴力は4年間続いた。 王政復古を願うフランス
国民は、新政治体制に反対した。 総政府に不満だった王党派は、1799年に
共和制を覆すと宣言した、若く精力的なナポレオンを支持した。

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【ナポレオンの治世】
 優れた軍事・政治の戦略家であるナポレオンは、軍と政府を掌握した。
ナポレオンの指令で、法律家達は国家の新たな法律として、ナポレオン法典を
編纂した。 この法典は、言論の自由、宗教の自由、および、職業選択の自由を
確立した。 新政府は、経済を完全に組み替えて、フィリップ4世以来続いて来た
王宮の会計検査院を廃止し、国立中央銀行としてフランス銀行を創設した。

再びフランスの軍事力をヨーロッパ最大のものにするために、ナポレオンは
イタリアやヨーロッパ中部のハプスブルグ家支配の各地に攻め入って勝ちまくった。
これらの国の支配者は、ただちに講和を申し入れて来た。 ナポレオンはまた、
イギリスとの貿易、軍事上の紛争を解決し、ローマ・カトリック教会と宗教協約を
結んだ。 こうしてナポレオンは、ヨーロッパ大陸を支配するフランス大帝国の
創設を着々と計画して行った。

ナポレオンは1804年に、自ら皇帝を宣言し、再びヨーロッパ中央部の侵略を
始めた。 ナポレオンの敵は速やかに、フランスに対抗する同盟を結んだ。
イギリスは制海権を握ってフランスの港を封鎖し、フランスとって重大な海外
植民地との貿易を阻んだ。 ナポレオンのロシア攻撃は失敗し、ナポレオン自慢の
大陸軍は崩壊した。 反仏同盟軍は1813年、ナポレオンをドイツから追い払い、
皇帝は1814年に遂に退位した。 戦勝国はブルボン朝の王位を復活させ、ルイ
16世の弟、ルイ18世を王位に就けた。

ナポレオンに反抗した同盟軍は、ナポレオンをイタリア領エルバ島に流した。
しかし、ナポレオンは1815年3月、強力なフランス陸軍を率いてフランスに
上陸した。 同年6月18日、同盟軍はベルギーの街ワーテルロー付近に集結して
ナポレオン軍を迎え撃って破った。 皇帝はイギリスに降伏した。 イギリスは
今度は遠いセント・ヘレナ島にナポレオンを流した。 1821年、この島で
ナポレオンは死んだ。 同盟諸国は平和のための最善の道として、再びルイ18世を
王位に戻した。 また同盟軍は、民衆を抑えるために、フランスに駐留した。

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