ヘンリー7世在位中のイングランドは、1066年のノルマン征服時に比べ、
大きく変化していた。 ノルマン人とアングロ・サクソン人の違いは、ほぼ
なくなっていた。 400年もの間に両者の結婚、混血が進んでいた。 14世紀の
腺ペストの流行でイングランドの人口は、減ったが、15世紀には、また増え
始めた。

全ヨーロッパからの産物が首都ロンドンに運ばれた。 イングランドの羊は、
数百万頭におよび、羊毛は輸出されたり、勃興期の織物業の原料となった。
織物業の中心地であるリーズ、ハリファックス、ブラッドフォードは、未加工の
羊毛を輸出する他の都市より栄えた。

倹約家で頭の切れたヘンリー7世は、テューダ朝を強化、イングランドの財政
状態を改善した。 1509年、富み安定した王国は、ヘンリー8世に引き継がれた。
新王は、強力な海軍を編成して、フランスと戦い、正式にイングランドと
ウェールズを統一した。

ヘンリー8世は宗教書も著し、ローマ法王の認可を得た。 一方、この頃
ヨーロッパでは、多くの人々がローマ・カトリック教会の権威を否定する活動を
起こしていた。 これを宗教改革と言う。

当時、イングランド王国の王位継承権は、男子のみを認めようとする人々が
大半であったが、時のヘンリー8世は、スペイン王室から嫁いで来た妻との間に、
娘は居たが、存命の息子は居なかった。 ヘンリー8世は、男児を得るため妻と
離婚し、別の女性と結婚出来るようローマ法王に願い出るが、法王は離婚を
認めず、1533年、ヘンリー8世は、自分がイギリス国教会の首長となる宣言をし、
イングランドは、ローマ・カトリック教会とは別れて宗教改革へと動いた。

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【エリザベス1世の時代】
ヘンリー8世は1547年に死ぬまで6回結婚したが、子供3人は全て王位に
就いている。 その中で、末子エリザベスは、女性ということで世間の偏見は
あったが、エリザベス1世として1558年、25歳で王位に就いた。 エリザベスは、
イングランドを小海洋国家から大海軍国へと成長させた。

新教徒であったエリザベスは、イギリス国教会がイングランドの正式な宗教、
つまり、国教であることを確認した。 また、エリザベスは、閣僚の選択にも
優れ、議会の扱いも 巧みで、議会も女王を支えた。

16世紀半ば、議会は単なる諮問機関から、国王政府の重要な1組織となっていた。
この立法府は、上院と下院から成り、課税と立法にあたった。 上院は、貴族と
イギリス国教会の高位聖職者から成り、下院は、貴族に次ぐ階層から成っていた。

イングランド海軍は、その基礎をエリザベスの父ヘンリー8世により強力に固め
られていた。 そのため、スペインが1588年に海路、イングランドに侵入しよう
とした時、イングランド海軍は、既に対抗力が付いていた。 スペインのアルマダ
艦隊は、イングランドの執拗な抵抗にあい敗走した。 この勝利により、
イングランドは、ヨーロッパ強国としての地位を築いて行く。

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