多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:ウクライナ

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    先日外国人を締め出す方針を明らかにしたウクライナ・オデッサ州で、前グルジア大統領
    である、サアカシュヴィリ氏が州知事に就任するという前大見ものの体制が発表された。
    サアカシュビリ氏は、2008年の南オセチア紛争を仕掛けて、ロシアの逆撃を被り、敗北して
    グルジア国民の支持を失った。 今回はウクライナ国籍を取得して、親露派の反乱を鎮圧
    した経緯のあるオデッサ州の知事になった。
     
    20100711_911014

    オデッサで発生したウクライナ人たちによるロシア系住民の虐殺は、日本では全く
    報道されなかったが、これでウクライナは更に盤石な独裁体制を確立したとも言える。 
    オデッサ州では、ウクライナ人は、パスポートの携帯、外国人の場合は、滞在許可を
    得なければ、オデッサ州には、滞在出来なくなったため、既にほぼ北朝鮮並の厳戒
    体制と言っても過言ではない。

    ドイツやフランスにウクライナを支持しろと言うのは、アメリカの命令により、日本が
    北朝鮮を支持しろと言うのと似たりよったりな状態。 アメリカ仕立ての自称かわいそうな
    国は、正にアメリカに翻弄された哀れな国。 ウクライナ国民の困窮を尻目に、大統領の
    ポロシェンコは、富を着実に蓄えており、大統領に就任する以前と比較すると、数倍は
    金持ちになったと言われている。

    OYT1I50011-L

    ウクライナの汚職度ランキングは、175カ国中、142位。 ウクライナ政府は、何をやっても
    とりあえず全てロシアのせいに出来るため、悪質極まりなし。 世界の常識が全く通じない
    ウクライナ。 ウクライナでは、情報もカネで支配されているため、テレビで報道している
    ないようもウソ八百ばかりで全く信用出来ない。

    EUへ移住したいウクライナ人の数は、シリア、イラク、ソマリアからの難民の数へと迫って
    おり、既にロシアへ大量に移住した人の数も含めると、既にその数を上回っているであろう。
    国際社会を目指している筈が、その真逆へと突き進んでいるウクライナ。 ウクライナ人
    以外は認めないというところにも、ナショナリズムが見え隠れしている。



    画像は、2015年6月4日にウクライナで行われたサッカーの試合の様子。 このような
    有り様で、EUやNATOに加入させろと言われても、迷惑極まりなし。 何でもやりたい
    放題やった後に、全てロシアのせいにして来るウクライナは、一度デフォルトして、
    ゼロからやり直すべきなのでは? 旧ソ連崩壊後に、ここまで酷くなったのは、ウクライナ
    だけ。 ものの2年半ぐらい前までのキエフはかなり安全な街だったのに、今では、
    こんな感じに成り果てた。

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    ガリツィヤ地方とは?
    現ウクライナ領のガリツィヤ地方は、元々ポーランド領としての歴史の方が
    長く、今後、ポーランドからの領土返還運動が起きる可能性が高いが、
    ウクライナ国内で、ウクライナ語を日常的に使用しているのは、このガツィヤ
    地方ぐらいであるため、今後、本格的な帰属問題が起きる可能性が高い。
    第二次大戦後、ポーランドは、その領土を国ごとドイツ側、つまり、西側に
    ずらされたが、そのウクライナ側で西側にずらされた地域がこのガリツィヤ地方。

    Halychyna

    広義でのウクライナは、当然このガリツィヤが含まれるが、元々ウクライナ人が
    居住していた地域は、キエフ寄りの地域であるため、狭義でのウクライナは、
    ガリツィヤが含まれない。 ウクライナ語で、『ウクライナ』とは、『国』や
    『内国』という意味であるが、元々のスラブ語では、『クライ』が『地方』や
    『僻地』を指すため、ロシア語話者に、ウクライナは、『田舎』と誤解される
    事が多い。 このため、ウクライナ人は、ウクライナに対する前置詞として、
    на ではなく、必ず в を使用するのだが、ロシア語としては、明らかな間違い。

    ロシア語とウクライナ語の関係
    スラブ語の中では、ロシア語とウクライナ語が最も似ていないが、それは、
    この周辺地域から、わざわざ人工的にウクライナ語を復活させたため。
    それ以前のウクライナ語は、長年に渡って使用が禁止されていたため、ほぼ死語で
    あった。 旧ソ連邦の崩壊と共に、国家の象徴として急遽にウクライナ語が
    引っ張り出されたのだが、ソ連崩壊以前にウクライナ語を使用していたのは、
    かなりの高齢者であるため、実際にウクライナ語をネイティブとして使用
    出来るのは、20代と80代以上、並びに、よほど田舎の方に住んでいた人たち
    ではないかと思われる。

    それ以外の世代は、元々全員ロシア語がネイティブ言語であるため、方言程度の
    差しかないウクライナ語を習得するのは、かなり容易となっている。 現在の
    ガリツィヤの中心都市は、リボフであるが、ウクライナ語では、リビウと
    呼ばれている。 リボフの人たちも当然、ロシア語で話す事は出来るが、かなり
    ウクライナ語訛りが入っているのが特徴。 
     Львова

    キエフ・ルーシ
    ルーシ人とは、現在のロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人を指すが、
    大ロシア人がロシア人、小ロシア人がウクライナ人と分類されており、モンゴル軍
    襲来後に、モンゴルに支配されたか否かで、分かれた民族。 ベラルーシは、
    旧ソ連崩壊前までは、『白ロシア』と呼ばれていたが、その理由は、黄色民族で
    あるモンゴルに支配されていない『白人のルーシ』という意味。

    現在のロシアは、元々は、『モスクワ公国』が起源であるが、ルーシの後継者
    である、現在のウクライナを手に入れた時から、『ルーシ国』という意味の
    ロシアを名乗るようになった。 尚、モスクワの地名の起源は、市内を流れる
    『モスクワ川』から取ったもの。
     
    0002

    ルーシの都であったキエフは、その当時、ヨーロッパでは、ロンドンに次ぐ大都市で
    あったが、モンゴル・タタール軍により、徹底的に破壊しつくされたため、その後、
    数百年間に渡たり、復活する事が出来なかったため、北方にあるモスクワが台頭し、
    その後、ウクライナがポーランドからの一時的な独立を果たした際には、同じ
    正教徒のモスクワの力を借りて独立したもの。

    これは、ブルガリアも同様で、約500年間にも渡ってオスマン・トルコに支配されて
    いたが、露土戦争でロシアが勝利を収めたため、独立を勝ち取ったもの。 よって、
    その後、ブルガリアは、一貫して親露路線を歩んだ。

    第二次大戦後
    ドイツは、東西統一を果たした際に、ゴルバチョフ氏から、今後永久に領土の
    要求をしない事を約束させられているため、ドイツからの領土要求はないものと
    思われるが、ポーランドはどうなるのか分らない。 ポーランドは、歴史上、
    3分割されて、国が滅んだ悲劇の国として語られる事が多いが、実際のところは、
    モンゴル・タタール軍に攻め滅ぼされたルーシ(現在のウクライナ)を約300年
    以上にも渡って支配していたため、同じような事を別の国にやられただけ。

    ウクライナでは、この他にも、旧ハンガリー領のカルパチア、旧ルーマニア領の
    ブコビナ、並びに、ベッサラビアがあるため、東部での内戦を上手く処理出来ない
    場合は、西部地域にまで、その火の子が飛び火する事となる。

    【お勧めの一冊】


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    ウクライナのチェルノブイリ原発が未曾有の原発事故を起こしたのは、1986年4月26日
    1時23分(モスクワ時間)。 それから、29年が経過したが、事故を起こした4号機には
    炉心から溶け出た「象の足」と呼ばれる核燃料などが手つかずのまま残されているなど、
    原発の廃炉作業が未だに目途が立たず、問題が山積みのまま残されている。

    後に決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) において、最悪のレベル7に分類
    される事故である。 当時、チェルノブイリ原子力発電所にはソ連が独自に設計開発した
    黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK)のRBMK-1000型を使用した4つの原子炉が
    稼働しており、そのうち4号炉が炉心溶融(メルトダウン)ののち爆発し、放射性降下物が
    ウクライナ・ベラルーシ・ロシアなどを汚染した。 1991年のソ連崩壊以後は、原子力
    発電所が領土内に立地しているウクライナに処理義務がある。



    2015年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、
    原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度
    汚染地域が約100箇所に渡って点在し、ホットスポット内においては、農業や畜産業などが
    全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。

    事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電
    系統の実験を行っていたが、この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したと
    される。 爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に量にして推定10t前後、14
    エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された。 これに関しては、広島市に投下された
    原子爆弾による放出量の約400倍とする国際原子力機関 (IAEA) による記録が残され
    ている。



    当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を内外に公表せず、施設周辺
    住民の避難措置も取られなかったため、彼らは数日間、事実を知らぬまま通常の生活を
    送り、高線量の放射性物質を浴び被曝した。 しかし、翌4月27日にスウェーデンの
    フォルスマルク原子力発電所にて、この事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が
    検出され、近隣国からも同様の報告があったため、スウェーデン当局が調査を開始、
    この調査結果について、事実確認を受けたソ連は、4月28日にその内容を認め、事故が
    世界中に発覚した。



    爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。 爆発した4号炉をコンクリートで封じ込める
    ために、延べ約80万人の労働者が動員され、4号炉を封じ込めるための構造物は石棺と
    呼ばれている。
     
    事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、
    約16万人が移住を余儀なくされた。 避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、事故
    発生から1か月後までに、原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したと
    ソ連政府によって発表されている。 しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人
    などの一部の住民は、移住せずにその場での生活を続けた。 放射性物質による汚染は、
    現場付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアにも拡大した。

    現在、チェルノブイリ4号機の建物の内部では、毎時7マイクロシーベルトという、高い
    放射線量を示している。 4号機には、合わせて19万トンもの高レベル放射性廃棄物が
    あり、廃炉に向けて、高さ109メートルの新しいシェルターの建設が進められている。
    このシェルターの計画は、当初の予定から2年ほど遅れ、2017年完成予定となっている。

    核燃料の除去に関しては、現状、そのような技術がないため、遠い将来の課題となって
    いる。 爆発から29年が経したが、チェルノブイリ原発は、廃炉に向けた目処すら立って
    いない。

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    ロシア帝国支配以前のクリミア半島は、『モンゴル・タタールのくびき』と呼ばれる約300年
    にも及ぶタタール人が支配する国、クリミア・ハン国があり、多数のイスラム教徒と少数の
    ギリシャ正教徒、アルメニア正教徒、ユダヤ教徒が混住していた。 タタール人は、元々は、
    モンゴル人で、1223年、チンギス・ハンの時代から始まったルーシ侵攻により、1240年
    には、ルーシ諸国の首都であったキエフ大公国は、名実ともに滅亡した。 その後南進を
    続けたモンゴル軍は、混血を繰り返して、タタール人となり、クリミア半島に留まり、その後
    約300年間に渡ってルーシを支配し続けた。

    20140302105301

    この際、南方のルーシ諸国は、モンゴル軍によって、徹底的に破壊されたため、その
    状態から立ち直る事が出来なかったが、逆に、北方のモスクワ大公国が力を付けて、
    『モンゴル・タタールのくびき』からいち早く抜け出した。 その後、モスクワ大公国は、
    ルーシの正当な末裔である現在のウクライナの地を併合すると、『ルーシ国』と言う
    意味のロシアを名乗り、それまで長きに渡って支配者であったタタール人を逆に血祭りに
    あげた。

    ロシア帝国は、クリミア・ハン国を18世紀末に併合して以来、国策としてスラヴ人
    (ロシア人とウクライナ人)キリスト教徒のクリミア移住を進めて来た。 この政策の結果、
    クリミアはロシア帝国の末期には、既にウクライナ周辺の中でも、特にロシア人の占める
    割合が多い地域となった。

    1921年、ソビエト連邦は、クリミア自治ソビエト社会主義共和国を置いたが、既に人口的に
    少数派になっていたクリミア・タタール人には十分な自治権は与えられず、第二次世界
    大戦中には、クリミア・タタール人追放が行われ、自治共和国は廃止された。 自治
    共和国の廃止により、クリミアは、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のクリミア州と
    なったが、1954年、フルシチョフによって、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国へと移管
    された。 この移管は、ソ連の解体が想定されていなかったため当時は問題とはなら
    なかったが、40年後のソ連崩壊により、クリミアのロシア人達は再びロシアへの帰属を
    求めるようになった。

    2013年から2014年に掛けて、ウクライナ経済の低迷を切っ掛けに、ウクライナ国内で
    親露派と親欧米派の対立が激化し、2014年2月24日、ヴィクトル・ヤヌコヴィチ政権が
    崩壊し、暫定政権が発足するが、クリミア自治共和国では、暫定政権への移行に反対
    する親ロシア派のデモが拡大し、反ロシア派住民との間に衝突が発生した。

    3月11日に自治共和国議会とセヴァストポリ市議会は、クリミア独立宣言を採択した上で、
    3月16日には、ウクライナ内の自治共和国に留まって自治権を拡大するか、ロシアに編入
    されるかを決める住民投票を実施した。 その結果、ロシアへの編入が賛成多数となり、
    翌17日にはクリミア共和国としてセヴァストポリと共に独立し、主権国家として、ロシア
    連邦と権限分割条約を結び、ロシアの連邦構成主体として編入される事を求める
    決議を採択した。

    ロシアの・プーチン大統領は同日中にクリミアの主権を承認する大統領令に署名し、
    翌3月18日、クリミアのアクショーノフ首相と編入に関する条約に調印した。 プーチン
    大統領、および『クリミア共和国』は条約署名をもってクリミア共和国、および、セヴァス
    トポリ市はロシアに編入され、ロシア連邦の構成主体になったとの見解を示しており、
    一方でクリミアの独立とロシアへの編入を認めないウクライナとの間で論争が続いて
    いる状態となっている。

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    相変わらず、ウクライナのテレビ放送は、ロシア語とウクライナ語を
    ちゃんぽんで喋っておりますが、これを変だと感じないウクライナ人の
    感覚には付いていけませぬ。 独立から20年以上を経過しても、
    ウクライナ語は余り浸透しておりませんが、ウクライナ政府は、ロシア語
    話者の権利を守るべきで、ロシア語を外国語扱いするのは、間違っています。

    アニ・ロラクもインタビュアーも全てロシア語だけで話していますが、実際の
    ところ、余りウクライナ語が得意ではないのだと思います。 去年は、
    クリミアでの公演をキャンセルしたアニ・ロラクですが、実際は、かなり辛い
    選択を迫られた模様。 そのまま舞台に立てば、過激派に殺される可能性も
    十分ありましたが、それでも、舞台に立ち続けたのは、平和のため。 ロシアも
    ウクライナもベラルーシも関係ないと言い切っておりますが、全くその通りだと
    思います。

    実際、このスラブ国は、切っても切れない血縁関係で結ばれており、全て隣国の
    せいにして相手を憎んでみたところで、離れられません。 今回の内戦も、
    新興財閥オリガルヒから見れば、体のいい金儲けの手段だったのだと思います。
    国単位だけでものを見るのは、他の文化を認めないモノカルチャー世界の宿命で、
    ウクライナ、ロシア、ポーランド、ルーマニア、ハンガリーと多民族共生だった
    筈のウクライナが崩壊し掛けた原因は、正にここにあると思います。



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    旧ソ連時代のみならず、現代のロシアポップス界をも牽引している大御所、ソフィア・
    ロタルの1981年に発表したアルバム『愛はいずこに』 ソフィア・ロタルは、
    ウクライナのルーマニア系の家系に生まれ、その後、クリミアへと引っ越したため、
    現在は、ルーマニア系、元ウクライナ人で、現在はロシア人。 但し、ロシア国籍を
    拒否したという話なので、結局のところ、まだウクライナ人のままなのか?

    gde

    写真なのか、絵なのか全く判別が付かないこの画像。 恐らく、写真を上から絵の
    具か何かで修正したものw ソフィア・ロタルのアルバムの中で、このアルバムだけは、
    CD化されておらず、MP3音源化されただけ。



    ロシアは、ガラパゴス国家の日本とは異なり、MP3音源がかなり普及しており、
    普通にCD屋でもそのまま販売をしております。 このアルバムに収録されている
    曲の中で、最も有名なのは、『赤い矢号』。 モスクワとレニングラード
    (現ペテルブルグ)を結ぶ寝台特急の名前。



    その昔、ロシアの学生証を所持していた際に、ハバロフスク→ノボシビルスク間を
    丸4日間掛けて乗車したのだが、チケットは、当時の学割で、400円で御座いました♪
    当時、飛行機は、燃料不足のため、数ヶ月間に渡り、全便欠航。 当時のロシアの
    平均給与は、3,000円~6,000円ぐらいで、湯水のごとくお金を使ったとしても、
    生活費は、月に1万円も掛からなかった♪

    ソ連時代のレコード会社は、このメロヂヤ1社しかなかったのだが、ソ連末期に、
    メロヂヤ以外の別レーベルが設立された時は、かなり衝撃的で御座いました。

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    旧ソ連時代のみならず、現代のロシアポップス界をも牽引している大御所、ソフィア・ロタルの
    1981年に発表したアルバム『愛はいずこに』 ソフィア・ロタルは、ウクライナの
    ルーマニア系の家系に生まれ、その後、クリミアへと引っ越したため、現在は、
    ルーマニア系、元ウクライナ人で、現在はロシア人。 但し、ロシア国籍を拒否したという
    話なので、結局のところ、まだウクライナ人のままなのか?
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    写真なのか、絵なのか全く判別が付かないこの画像。 恐らく、写真を上から絵の具か何かで
    修正したものw ソフィア・ロタルのアルバムの中で、このアルバムだけは、CD化されて
    おらず、MP3音源化されただけ。



    ロシアは、ガラパゴス国家の日本とは異なり、MP3音源がかなり普及しており、普通にCD屋
    でもそのまま販売をしております。 このアルバムに収録されている曲の中で、最も有名
    なのは、『赤い矢号』。 モスクワとレニングラード(現ペテルブルグ)を結ぶ寝台特急の名前。



    その昔、ロシアの学生証を所持していた際に、ハバロフスク→ノボシビルスク間を丸4日間
    掛けて乗車したのだが、チケットは、当時の学割で、400円で御座いました♪ 当時、
    飛行機は、燃料不足のため、数ヶ月間に渡り、全便欠航。 当時のロシアの平均給与は、
    3,000円~6,000円ぐらいで、湯水のごとくお金を使ったとしても、生活費は、月に1万円も
    掛からなかった♪

    ソ連時代のレコード会社は、このメロヂヤ1社しかなかったのだが、ソ連末期に、メロヂヤ
    以外の別レーベルが設立された時は、かなり衝撃的で御座いました。

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    最近では、日本のメディアでも度々報道をされるようになったウクライナ。 但し、
    100%欧米寄りの偏った報道ばかりが取り上げられており、実際のウクライナの
    姿は報道されず。 ウクライナは、旧ソ連邦構成諸国の中でも、ロシアに次ぐ国力を
    誇っていましたが、元々は、ソ連から独自に独立を目指した国ではなく、ロシアが
    ソ連から独立を果たすための産物に過ぎませんでした。

    1991年12月に、ソ連邦は崩壊しましたが、その直接の原因は、エストニア・
    ラトビア・リトアニアのバルト3国が独立要求したところから始まり、次いで、
    当時ロシア大統領であった、ボリス・エリツィン氏が、ウクライナとベラルーシを
    道ずれにして、『スラブ同盟』の名の下、ロシアのソ連からの独立を宣言したため、
    ソ連の崩壊が決まりました。



    『ウクライナ』は、ロシア語では、『地方』や『田舎』を意味しますが、
    ウクライナでは、『国』を表します。 ロシア発祥の地は、ウクライナであり、
    元々、ロシアとウクライナとベラルーシは、同じ『ルーシ』という国でした。
    その後、モンゴルに首都のキエフを滅ぼされて、モンゴルの支配下になったのが、
    現在のロシア。 ポーランド、リトアニアの支配下になったのが、現在の
    ウクライナとベラルーシ。

    ウクライナは、歴史的にもロシアよりも遥かに古く、ポーランドから独立を
    果たす際に、先にモンゴル支配から抜け出した、同じ正教の国のモスクワ公国
    (現在のロシア)に助けを求め、その際に、国ごと乗っ取られたという歴史が
    あるため、ウクライナ人には、この意識が強く現れており、似て非なる点が
    争いの元となっています。



    ソ連時代のロシアとウクライナの国境は、実際のところ、日本で言うところの
    県境程度の認識であり、旅券を持たずに自由に行き来出来る単なる線に
    過ぎなかったが、その後、ウクライナは、自分の国の独自の
    『アイデンティティー』を求め過ぎて、過度に『国粋主義』寄りに傾きました。
    ロシア語の禁止、ウクライナ語の強要は、その最たるもの。

    ウクライナをはじめとする、旧東欧圏では、一昔前までは、そこまで外国人に
    対して、差別的な言動はありませんでしたが、今では、明らかにウクライナ人
    ではない人の場合は、差別の対象となってしまいます。 ウクライナ人全員では
    ありませんが、そういう人たちがかなり増えたのは、事実です。

    hohluha_468

    アメリカやカナダ等の北米に長年住んでいるウクライナ系住民たちは、ロシアに
    対して、並々ならぬ恨みを抱いているため、それが、今回の内戦に入って
    来た事で、更に事態が悪化しました。

    西側のように、常に文句や不満を吐き出していれば、何か起きたとしても、
    ある程度の歯止めが利きますが、東側は、『全体主義』であるため、常に我慢を
    強いられる社会となっており、それがひとたび爆発すると、歯止めが掛かりません。
    個人的見解としては、ガスパイプライン問題をはじめ、ウクライナほど、周辺諸国に
    迷惑を掛けている国はまずないのと、今後も新興財閥『オリガルヒ』による支配が
    続くのであれば、ウクライナを救済する意味はないため、一度デフォルトして、
    完全にゼロからやり直すべきだと思います。

    旧ソ連時代と比較して、ウクライナは、物質的には豊かになりましたが、心はかなり
    貧困化したと思います。

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    アンナ・セドコーワ(ロシア語:Анна Седокова、1982年12月16日キエフ生まれ)は、
    ウクライナのポップス歌手、並びに、モデルである。 愛称はアーニャ。
     
    i

    2002年に脱退した、アリョーナ・ヴニーツカヤに代わって、ウクライナ・ロシアの女性歌手
    グループ『VIa Gra』の2代目メインヴォーカルとして活躍したが、ディナモ・キエフの
    ベラルーシ人ミッドフィルダー、ヴァレンチーン・ベルケーヴィチとの結婚と妊娠を機会に、
    2004年にグループから脱退した。 生まれた子供は、アリーナと名付けられた。

     
    アンナの抜けたグループは、スヴェトラーナ・ロボダーを新たに加えて活動を続けたが、
    ユニット在籍時の一番人気は、このアンナ・セドコーワであった。

     
    2006年4月より、音楽に関する分野に復帰し、新たに『アンナベーリ』という芸名を
    用いている。 彼女のソロデビューとなったビデオクリップは、『私のこころ』であった。
    それ以降、テレビ番組への取り組みに力を入れ、ロシアやウクライナのいくつかの
    テレビ番組やコンサートで司会を務めている。 モデルとしての活動も積極的に
    行っているが、ファッションモデルとしての活動の他にディナモ・キエフのキャラクター
    モデルも務めている。


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    チナ・カロリ、英語読みで、『ティナ・キャロル』は、ロシア連邦マガダン州
    ヤーゴドノエ地区オロトゥカーン出身のウクライナの歌手、女優。 ウクライナ
    名誉アーティスト。
     
    Pevica-Tina-Karol

    1985年1月25日生まれ、本名は、タチヤーナ・グルゴーリエヴナ・リベルマン。
    1992年に、両親と共に、ウクライナのイヴァーノ=フランキーウシクへと
    引っ越した。 2005年から現在まで、ウクライナ軍の歌謡アンサンブルの
    ソリスト、並びに、航空大学経営物流学部の卒業生。
     

    ウクライナ国内で有名になったのは、2005年の『2005年新しい波』
    コンクールで2位を受賞してから。 その際に得た賞金で、『雲よりも高く』の
    ビデオクリップを制作した。 同年秋には、イラクとコソボの平和維持活動にも
    参加している。

     

    2006年には、アルバム『Show me your love』を発表し、この曲で、
    2006年のウクライナ代表として、ユーロビジョン・ソング・コンテストに
    出場、7位となった。2007年には、ウクライナで最も人気のある歌手として
    認められ、2008年3月には、雑誌『VIVA!』の読者により、『ウクライナで
    最も美しい女性』の称号を受賞した。 同年4月には、『女性雑誌』の
    アンケート調査で、『ウクライナで最も魅力的な女性』にも選ばれている。


    2008年10月には、産休に入ったが、その3週間後には、ステージに
    復帰している。 2009年1月には、『ウクライナ名誉アーティスト』の
    称号を得ており、2009年2月には、『ミス・ウクライナ・ユニバース2009』の
    主催により、『2008年ウクライナで最も美しい歌手』を受賞した。  また、
    同月には、雑誌『VIVA!』で2回目となる、『ウクライナで最も美しい女性』の
    称号を受賞している。 2014年3月26日には、『2014年度最優秀女性
    アーティスト賞』を受賞した。

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    ウクライナの人気ポップスユニット、『Via Gra』の第3期メンバー。
    初代ボーカルであった、アリョーナ・ヴィニーツカヤが、ユニットから
    脱退したため、その代わりに、として、ユニットに参加。
     
    vera

    ユニットとしての活動期間は、2003年~2007年。 本名、ヴェラ・ヴィクトロヴナ・
    キペルマン。 幼少期の苗字は、ガルーシカ。 1982年2月3日生まれ。 2人の
    娘の母だが、2回離婚している。

     

    その名前から、旧ソ連のブレジネフ書記長の姪ではないかと言われる事が多いが、
    定かではない。 首都のキエフではなく、ウクライナ南東部のドニプロゼルジーンシク
    出身。



    Via Graが、t.A.T.u.に続き、日本に来日した際の3名のメンバーの内のひとりが、この
    ヴェラ・ブレジネワ。 その際のメンバーは、ナジェージダ・グラノーフスカヤとアンナ・
    セドコーワ。 この時は、アンナ・セドコーワがメインボーカル。 当時は、アンナ・
    セドコーワの方が、圧倒的に人気が高かった。 ウクライナ語ではなく、全曲ロシア語
    だけで歌っている。



    Via Gra 脱退後は、ソリストとして活躍する傍ら、2回ほど、ロシアで『最も成功した女性』
    にも選ばれた。 Via Gra脱退後、最も活躍をしているのが、ヴェラ・ブレジネワ。



    モルドバのダン・バラン他とも、多数デュエットをしており、ソリストとしてだけではなく、
    多方面での活躍を印象付けた。

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    継ぎはぎの人工国家ウクライナ
    ウクライナは大きく分けると、下記の図のように分かれが、元々ウクライナ人が
    支配していた地域は、黄色い部分のみ。 ザックリと考えると、西側はポーランド、
    東側はロシアである。 青い部分の西部のガリツィア地方は、元々はポーランド領、
    かつ、ウクライナ自体が数百年間に渡りポーランドの支配地であったため、
    この2地域は、本来はポーランドと考えて間違いない。 但し、ポーランド本国の
    宗教はカトリックだが、ウクライナは正教であったため、最終的に、宗主国の
    ポーランドから独立を果たす際に、隣国のモスクワ公国(現在のロシア)の
    力を借りたところ、そのままロシア帝国へと吸収されたのがウクライナ。

    ウクライナ政府は、ガリツィアに対して、異常なまでのこだりを持っているが、
    ウクライナ人達も、ポーランドを西へと追いやっており、ガリツィアは本来は、
    ポーランドに属する方が自然な地域。

    青い部分の南西部にあるベッサラビア(北ブコビナ)は、元々、ルーマニア領、
    同カルパチアは、スロバキア統治の後、ハンガリー領となった地方で、
    現在のウクライナ領ザ・カルパチア州もウクライナからの独立を1度宣言して
    いるため、いつウクライナから分離独立するのか分からない地域。

    ドンバス&クリミア
    日本でも時々「親露武装勢力が支配している地域」として度々メディアでも
    紹介されている緑色の南東部のドンバスは、元々はロシア領であり、
    「ノヴォロシア」とも呼ばれている地域で、ウクライナ人は少なく、ロシア人が
    完全に多数派の地域。 最南端のクリミアは、元々ロシア領であったため、
    ウクライナ支配よりもロシア支配の方が遥かに長く、第二次世界大戦が終結した
    際に、チャーチル、ルーズベルト、スターリンが秘密裏に3者会談を行なった
    「ヤルタ会談」とは、クリミアのことであり、当時のクリミアの帰属はロシアで
    あった。 その後、ウクライナ人のフルシチョフが、ロシアとウクライナの
    「友好の証し」として、一方的にウクライナへと編入したが、当時のソ連邦内の
    国境は、日本で言うところの「県境」程度の認識でしかなく、パスポート等も
    当然必要なかった。

    ウクライナは、各国の国境の移り変わりが複雑に入り乱れた人工国家であるため、
    それらを束ねるのは、ウクライナ人の『愛国心』だけなのかも知れない。
    よって、最近のウクライナは、ネオナチだらけ。 

    Map_468

    ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一した際に、ドイツの国境が画定され、
    ポーランドとの国境問題がなくなった今となっては、ポーランドも今更、
    ガリツィアを返せとも言えないが、当時のゴルバチョフソ連大統領は、
    東西ドイツが統一する条件として、旧ドイツ領の永久放棄と、NATOの東方への
    拡大禁止を西側諸国に約束させている。

    ウクライナ語
    ウクライナ語は、ソ連時代は完全に死語で、高齢者以外は誰も使わない言語で
    あったが、ソ連からの独立後は、国家のアイデンティティーの増大と共に、
    公用語として復活したが、元々、ウクライナ人のネイティブ言語がロシア語で
    あったため、方言程度の差しかないウクライナ語は、なかなか普及しなかった。
    現在のウクライナ語は、上記のガリツィア方言が元になっており、言語的には、
    ロシア語よりも、ポーランド語と非常に酷似しているが、ロシア語でそのまま
    喋っても大方通じるぐらいに非常に酷似している。

    日本から見た場合、例えば、京都が急に共産圏に入ると言い出したら、国民は
    反対するであろう。 いくら東日本の人間が、関西の事を嫌っていたとしても、
    実際に、関西が別世界に属してしまう可能性が出てきた場合、東京も当然、
    大反対すると思われる。

    ヨーロッパは、どこの国でも侵略、奪い合い、戦争の末、国境が画定された
    場所が多く、ウクライナに限らず、隣国との関係は、どこも全て複雑な感情が
    絡み合っており、余り突っ込んだ話が出来ない地域である。

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