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    タグ:ウクライナ

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    ウクライナの首都キエフの独立広場(ユーロ・マイダン)で起きた、市民らによる
    抗議デモに端を発したウクライナでの内戦は、あたかも、キエフ市民自らが
    ロシア寄りのヤヌコビッチ政権を嫌って起こした『市民革命』であると日本や欧米の
    メディアは、こぞって報道がなされたが、実際は、アメリカにカネで操られた
    極一部の市民が起こしたニセの革命であり、その後のウクライナの状況は惨憺たる
    ものとなっている。



    キエフからのヤヌコビッチ元大統領の追放を受け、米国務省の高官らは即座に、
    ロシアの侵攻によって、ウクライナはかつてないほど結束を固めたとの見方を
    示した。 ホワイトハウス、駐ロ米大使、共和党国際研究所等も次々に同様の
    見解を発表した。 米国では、政治問題を取り扱っている記者達も、皆一様に
    同様の見解を示したが、極々一部の現実主義者達だけが、ウクライナ内部の
    深い闇の亀裂について指摘し続け、従来からの同国の情勢に大きな変化はない
    だろうと主張した。

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    ウクライナの政治家達は、新たな『親欧米勢力』の下に一致団結し、これまでの
    党派やイデオロギーの違いを超えて、出来る限り早い段階でヨーロッパの一員
    となることを強く望んでいると報じられ、米議員らは、ロシアのウラジーミル・
    プーチン大統領がウクライナ国民に決定的な敗北を喫し、ウクライナの慢性的な
    政治的内紛の時代は過ぎ去ったと確信した。

    日本でも、米国とほぼ同じ報道がなされたが、実際のウクライナ政治は、新興財閥
    オリガルヒらによる更なる政治腐敗が進み、クリミアはおろか、東部のドンバス地域
    では、ウクライナ軍の空爆が連日繰り返され、6,400を超える死者を出した。 この
    地域からの避難者だけでも、130万人以上とも言われている。 ロシア国内に居住
    しているウクライナ人は、350万人とも言われており、モスクワでは、急激に増えた
    ウクライナ人によって、職が奪われたりもしたのだが、そのような不都合は事実は、
    西側では一切報道されず、非常に米国寄りに偏った情報しか提供されなかった。

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    更に、ウクライナ議会では、大統領支持者と首相支持者らの殴り合いが起きた。
    『連立』という名の下に集まりながら、議会内では激しいつかみ合い、罵り合いと
    なった。 支持率の急落を理由に、地方選挙の延期を要求しているアルセニー・
    ヤツェニュク首相と、極僅差だが、首相よりは高い支持率を維持しているペトロ・
    ポロシェンコ大統領の『連立』は既に、完全に崩壊し掛けている。 ポロシェンコ
    大統領と同盟関係にある、アルセン・アバコフ内相とグルジア前大統領で、
    現ウクライナ・オデッサ州知事のミヘイル・サーカシビリも先ごろ、この議会内での
    醜い争いに加わった。 幸いな事に、この争いの場では、殴り合いは起きず、
    アバコフ内相が、サーカシビリ知事の顔面に向けて、水の入ったグラスを投げ付けた
    だけで終わった。 ポロシェンコ派のこの二人の対立は、現在のウクライナの混沌
    たる状況を浮き彫りにしていると言える。 

    現在、ウクライナの指導者達は、内輪もめはもう止めると宣言したが、そのような
    口約束には、何の効力もない。 我が身可愛さの『我田引水』が上手く行か
    なければ、国民などは二の次で、約束など全く守らないであろう。

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    これまで、ウクライナでは、このような大規模なデモや内戦のようなものは起きた
    事がなかったが、汚職を監視するNGO『トランスペアレンシー・
    インターナショナル』も、同国を『ロシアを含む欧州で汚職が最も深刻な国』とし、
    世界汚職ランキングでは、>152位に位置付けている。 家具メーカー
    『イケア』が、10年以上の歳月を掛けても、同国に進出出来ないのは、政府高官に
    賄賂を贈らないからだという話は非常に有名。

    結局、ウクライナは、国際通貨基金(IMF)や、ロシアからの融資に頼り切りになり、
    肝心の汚職対策も進まなかった。 いつまでも自立しない体制が、大規模なデモや
    米国の介入を招いたと言える。 更に、ウクライでは、ザカルパチア州等でも独立
    運動が盛んになって来ており、政治ばかりか、国内情勢も予断を許さない状況と
    なっている。

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    尚、ウクライナは、2015年12月31日に期限が切れた特恵期間中に、ロシアが保有
    する国債とその利子総額30億7,500万ドルを支払わなかったため、ロシア財務省から
    審理手続きの通達が行われ、同国債に関して、デフォルト状態にあるが、
    今のところ、IMFからの具体的な動きは見られていない。

    この事から考えても、IMFは、完全に米国寄りである事が分かるのだが、独立広場
    での内戦が大々的になったのは、ロシアでソチオリンピックが開催されていた
    期間中であるため、『平和の祭典』に対して、自称『世界の警察』を公認して
    憚らない米国がこの事に対して、一切異を唱えなかったのは、自らが先導して
    ウクライナで内戦を引き起こしたからに過ぎない。

    日本の某新聞社は、独立広場での市民戦争が始まった当初、『日給30ドル程度で、
    キエフ市民は米国に操られている』と報じたのだが、その後一切そのような不都合な
    事実は出て来なくなった。 日本のニュースは、翻訳を含めて、その殆どが、米国
    経由で入って来るため、米国寄りのニュースが多々見受けられる。 そのような
    安易な記事に騙されないようにするためには、米国以外の世界情勢にも日々目を
    凝らして、自らの頭で考え、行動する習慣を身に付けたいところ。

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    ロシア帝国の歴史は、絶え間ない膨張の歴史であり、1600年から1900年までの
    間に、ロシアは、毎日130キロ平方メートルの速度で領土を広げた計算となる。
    東西に自然の障害物がないロシアは、いつの時代にも、繰り返しやって来る侵略に
    対して、全くの無防備の状態であった。 力を持つようになってから、ロシアが
    その国境を広げて行ったのは、ひとつには、攻撃を受けやすい自らの中核地帯を
    守るためであった。

    【ロシア拡大の歴史】
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    イワン雷帝は、ボルガ河畔のカザンに侵攻して、タタール人を打ち破り、シベリア
    への道を開いた。 1581年には、コサックの指導者エルマークが毛皮の豊富な
    シベリア西部まで進んだ。 彼は、840人の兵士を推して先住部族を征服し、
    ロシアの領土を大きく押し広げた。

    ピョートル大帝は、海軍に関心を持ち、オランダとイギリスで造船の勉強をした後、
    ロシア艦隊を創設した。 スウェーデンとの北方戦争(1700~21年)で、彼は
    領土をバルト海にまで広げ、フィンランド南部のスウェーデン領や、現在
    リトアニアとラトビアになっている地域を獲得した。 これによって得た
    フィンランド南部の湿地帯に、大帝は新しい首都である、サンクト・ペテルブルグを
    建設した。 彼はまた、太平洋のカムチャッカ半島と千島列島も獲得した。

    18世紀終わりまでに、ロシアはシベリア、ウクライナ西部、リトアニア、
    ポーランド、タタール、クリミアを自国に組み込んで行った。 1809年には、
    フィンランドが加えられ、19世紀前半には、コーカサスの小国であった、グルジア、
    アゼルバイジャンや、中央アジアの広大な地域がロシア帝国の一部となった。

    1741年頃からは、ロシア人は、豊富な毛皮を求めて、海峡を超え、アラスカにまで
    進出するようになった。 1789年には、ロシアで軍務に就いていたイギリス人の
    ジョーゼフ・ビリングスが秘密の探検隊を率いて、アラスカ先住民とその沿岸部を
    調査した。

    【ナポレオンの時代のヨーロッパの国境線】
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    1812年6月、ナポレオンは50万人の兵力を擁する軍隊を率いて、ロシアへと侵入し、
    9月にはモスクワに近いボロディノへと達した。 激しい戦闘の結果、ロシア軍隊の
    優秀な将軍、グルジア公ピョートル・バグラチオンをはじめ、多くの兵士が重症を
    負った。

    1812年9月にナポレオンは、一旦モスクワの占領に成功したが、自ら火を放つ作戦に
    より、モスクワを守る作戦に出たロシア軍により、冬の補給物資までもを猛火に
    よって焼き尽くされたため、10月には、冬将軍に押されて、撤退を余儀なくされた。
    ナポレオン軍は、寒さと飢えに苦しめられ、90%以上の兵士が逃亡の途中で倒れて
    行った。2年後、アレクサンドル1世率いるロシア軍は、誇らしげにパリに入城し、
    以降、ロシアは、ヨーロッパで大きな役割を果たすこととなる。

    クリミア戦争(1853~56年)では、ロシアは、イギリス、フランス、トルコと
    戦った。 指揮がまずく、補給も十分ではなかったロシア軍は、黒海沿岸の
    セバストーポリまでは1年にも渡る攻防の末に敗れたが、海軍はトルコ軍に勝利を
    収めた。 平和条約によって、クリミアは維持したが、黒海でのロシアの勢力は
    低下した。

    ロシア南部やウクライナでは、逃亡した農奴達がコサックになり、辺境地に入植地を
    作った。 最初のうちは、コサック達は、ロシアの権威に抵抗したが、19世紀には、
    彼らの入植地は、豊かな農村となり、コサック達は、皇帝に忠誠心を示した。

    コサックは、毛皮の長い帽子と羊の皮の外套という独特の制服を着て、刀と長い
    やりを持って戦った。 コサックの男達は皆、騎馬兵部隊で軍務に就くことが
    義務付けられ、忠誠心、勇敢さ、乗馬の巧みさで知られた。

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    親露派武装勢力とは?
    日本では、『武装した親露派』とも呼ばれている、ウクライナ東部にある
    ドンバスのロシア系住民達は、いわゆる、『西側』では、完全に悪者扱いを
    されており、2014年に誕生した親米路線のネオナチ政府から常に攻撃を
    受けている。 実際のロシア系住民達がウクライナ・ネオナチ政府から受けた
    酷い仕打ちは、この動画の通りであるが、この事実を『西側』では、全くと
    言っても良いほど伝えなかった。

    【ドンバスでの衝撃の事実を伝えた西側メディアは、極々一部のみ】



    ロシアが一方的に編入したとされているクリミアとは?
    ウクライナ東部のドンバス地域よりも一足先にウクライナからは独立を果たし、
    無事にロシアへの返還が果たされたクリミアでも、ここまでは酷くなかった
    ものの、ウクライナ人による度を過ぎた横行が日々まかり通っていた。
    クリミアでは、そのような理不尽な仕打ちに住民が耐えかね、自ら開催した
    住民投票によって正式にウクライナからの独立の道を選んだが、未だウクライナ
    政府からの空爆が続くロシア系住民の多いドンバス地域の先行きは不透明なまま。
    クリミアは、住民の意思に従い、ロシアへと編入されたが、元々、クリミアは
    ロシア領であったため、特に何の混乱もなく、ロシアへの移管は滞りなく行われた。

    【ドネツク市内で途方に暮れる高齢者にパンの差し入れをする撮影者】
     

    ロシア軍が侵攻?
    西側諸国では、このようなウクライナ東部での内戦を『ロシアが侵攻している』
    としたが、実際は、ウクライナ軍が自国民である、ロシア系住民を空爆したもの。
    アメリカによって操られているウクライナ政府は、自国民の安全すら守らず、
    このような殺戮を繰り返した。 アメリカやイギリスの報道では、全くと言っても
    良いほど、このような報道がなされなかったが、日本でなされている報道とは、
    全く真逆の現実が、そこにはあった。

    【ウクライナ東部のドンバス地域】
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    ウクライナがNATOとEUに加盟?
    ウクライナは、今後、NATOとEU入りを目指すそうだが、このような殺戮を
    平気で繰り返す好戦的な国がNATOIに入る事など到底あり得ず、これからも
    ウクライナは、世界からは孤立して行くであろう。 つい最近では、
    『ロシアへ一方的に併合された』とするクリミアへ取材に行った日本のテレビ局が、
    ウクライナ検察の捜査の対象となったが、そのような自由すら認めない国が
    西側諸国の一員になるのは、未来永劫あり得ない。

    世界はウクライナのネオナチ政権にハッキリとNOを叩きつけなければならない。
    尚、ウクライナのネオナチに若年層が目立つのは、ソ連が崩壊して30年しか
    経過しておらず、ソ連時代の国家的なテロリストを国家的な英雄に仕立て
    上げたため。

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    【キエフ・ルーシの始まり】
    現代ロシア人の祖先は、6世紀には、ヨーロッパ・ロシアのステップ地帯に住み
    着いた東スラブ民族に始まる。 9世紀には、バルト海からバイキングの
    バリャーク人が、ドニエストル川沿いの地域に乗り出し、スカンジナビアから
    ビザンチウムへの交易ルートを開いた。 彼らの首領のひとりである、
    リューリクがロシア最初の王朝を建て、その後継者であるオレーグが最初の
    キエフ・ルーシを創建した。

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    しかし、1237年、外部からの力で破局が訪れた。 タタール(モンゴル)軍が、
    ルーシの多数の都市を侵略し、そのご200年間に渡ってルーシを支配した。
    こうして、ルーシは、少公国に分裂したのだが、その中から、モスクワが次第に
    力を伸ばし、やがて、タタール人の支配を覆す事となる。



    【中心地がキエフからモスクワ公国へ】
    9世紀にオレーグ公が建国したキエフ・ルーシは、ウラジーミル1世、ヤロスラフ
    賢公、ウラジーミ=モノマフといった、偉大な支配者の元で、400年間に渡って
    栄え、ヨーロッパで最も大きく、裕福な国となった。 しかし、1237年、内分の
    半目によって、弱体化していたキエフは、チンギス・ハンの孫である、バツーが
    率いるモンゴル軍(黄金軍団)に滅ぼされた。

    最盛期の1054年には、キエフ・ルーシの領地は、黒海からバルト海まで、北は
    オネガ湖まで至った。 キエフの衰退後、ルーシの中心は、北東部に移り、最初は、
    ウラジーミル、その後は、モスクワ公国の首都モスクワが中心となった。
    モスクワ公国は、白海から、東は、ボルガ川を超えて、シベリア西武にまで至る
    土地を支配した。

    【モンゴルの支配者】
    モンゴルの支配者であるチンギス・ハンは、アジアの本拠地に居ながら、中国、
    インド北部(現在のパキスタン)、中央アジアを征服した。 1222年には、
    優れた騎馬団がルーシ南部を席巻し、ボルガ川とドニエプル川の間の土地を
    荒らし回った。 孫のバツーは、1237年に、ルーシの侵略を終え、キエフ・
    ルーシの大部分と新しい都市ウラジーミルとスズダリを占領した。 更に、彼は、
    ハンガリーとポーランドを目指して西進した。 この際に、アジア側から
    ヨーロッパへと押し出されて、その後、コーカソイド化した民族が、ブルガリア人、
    ハンガリー人、フィンランド人となっている。

    【キエフ・ルーシの歴史】


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    1991年12月末に、ソ連邦が崩壊し、それまでソ連邦内に15あったそれぞれの
    共和国は、独立し、『独立国家共同体(CIS)』という緩やかな国家連合に移行
    する事となった。 その直接の切っ掛けとなったのは、バルト三国での独立
    意識の高まりと、当時のゴルバチョフ氏が押し進めた、『情報公開』により、
    西側の情報が雪崩れ込んだため、それ以上の国家体制が維持出来なくなり、

    最終的に、ロシアが、同じスラブ人国家である、ウクライナとベラルーシを
    引き連れて、独立宣言を行った事にある。 よって、ウクライナ自体は、独自に
    独立活動をした訳ではなく、あくまでも、ロシアが独立する際の『道連れ』的な
    副産物に過ぎなかった。

    【ウクライナにおけるロシア語の使用率】
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    ウクライナは、1991 年に独立するまで、一度も自民族による独立国家を持った
    事がなく、その国境線も 20 世紀の後半になって、ようやく最終画定した経緯が
    あり、特に、東部のロシアとの国境は、長年に渡って、かなり曖昧なままであった。
    また、独立後、数年を経た後でも、ロシアとの国境線は、単なる『県境』程度の
    意味しか持たず、ソ連邦崩壊直後には、CIS内のどこの国境線においても、面倒な
    パスポートのチェック等はなかった。

    ウクライナは、元々は、ルーシ人の国家である、『キエフ・ルーシ』の中心地
    であり、その名の通り、キエフが首都であったが、モンゴルから遥々遠征して来た、
    モンゴル・タタール軍に攻め滅ぼされ、街が徹底的に破壊された後、数百年間に
    渡り、復活する事が出来なかった。 その間、台頭して来たのが、北にある
    モスクワで、当時は、『モスクワ公国』と呼ばれていたのだが、ウクライナは、
    数百年間にも及ぶ、ポーランド支配を脱したかったため、同じ東方正教国家である、
    隣国のモスクワに助けを求めたが、そのまま、モスクワへと吸収され、それ以降、
    モスクワは、『ルーシの正当な後継者』という意味で、『ルーシ国』という意味の
    『ロシア』という国になった。
     
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    ウクライナは、大きく分けると、西部が、ポーランド、リトアニアとの繋がりが
    強く、ガリツィア地方は、元々ポーランド領であったため、ロシアとの繋がりは
    希薄であった。 逆に東部は、ロシアとの国境線がなかなか定まらず、曖昧な
    ままにされたため、ロシア化が進んだ。西部地域は、ハプスブルグ家の支配を
    受けていた影響もあり、宗教的には、カトリックの影響が強い。 東部は、完全に
    東方正教の影響が強く、ウクライナは、東西格差が非常に大きい地域であった。

    ウクライナでは、独立後の1990 年代は、『中欧』概念の復活に乗じて、
    ハプスブルグの流れを汲む『ヨーロッパの一員』へのアイデンティティーに注目が
    集まり、EU、NATOの東方拡大や、2004年末の『オレンジ革命』を経た後は、
    EU加盟により、『ヨーロッパの一員』を希求するウクライナ・アイデンティティと
    『ヨーロッパの隣人(EUの外)でいる』アイデンティティとして議論される機会が
    増えた。 

    『ヨーロッパの一員』を強く熱望する余り、ウクライナ全域で使用されている、
    ロシア語への批判的な処置が行われ、国内で放送されていたロシア語番組には、
    全てウクライナ語の字幕を入る事が義務付けられ、ロシア語は、基本的に『外国語』
    扱いとされ、ウクライナ語以外は、公の場での使用を基本的に禁止された。

    【オレンジ革命の末路 ダイオキシンを盛られたユーシェンコ元大統領】
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    2014年に始まった『ユーロ・マイダン』以降は、ロシア寄りの政治家達を全て
    排除し、アメリカの誘導の元、EU寄りへと強引に舵を切ったが、そのEU自体が
    ウクライナ援助に関しては、全く乗り気ではなく、むしろ、ウクライナ排除の
    方向へと向かっている事実をウクライナ国民は全く知らさせてはいない。
    オリガルヒ(新興財閥)らによる情報操作も甚だしく、ウクライナでは、ウソが
    平然とまかり通っている。

    今後、ウクライナがEUの一員になる事を本気で望むのであれば、正しい情報の
    公開と、オリガルヒによる世界でも指折りの腐敗し切った政治を何とかしない限り、
    ロシアからもEU諸国からも愛想を尽かされる事となる。 本来、ウクライナが
    目指すべき道は、地政学的な事を鑑みても、『東西の架け橋』になる事であり、
    自分達の都合の良い主義主張ばかりをゴリ押ししているウクライナが、EU諸国の
    一員になれる日は、未来永劫ないのではないか?

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    ウクライナは、10年ぐらい前の時とは、全く別の国に成り果てた。 元々旧ポーランド領、
    旧ハンガリー領、旧ルーマニア領、旧ロシア領とバラバラの広大な領土を抱えている国で
    あるため、本来、良いものであるはずの『愛国心』が『ファシズム』と化し、それらの地域を
    束ねる唯一の方法として利用されてしまったため、こうなったものだが、元々は、
    オーストリア領であった、ウクライナ西部地域に対する、オーストリア人の対応は、かなり
    ひややかなものがある。 ドイツ人の対応も似たり寄ったりで、フランス人に至っては、
    興味すらないと思われる。

    米国は間違っていた ウクライナ政府は「バラバラ」だ
     
    2014年末にウクライナのユーロ・マイダンで蜂起が起きた際には、日本の某新聞社も、
    『マイダンで戦って死んでいった英雄たちは、アメリカ側から日給にして30ドル程度を受け
    取ってテロ活動を行っている』と報じたのだが、その後、一切何も言わなくなった。
    ウクライナ内部から始まったとされているこのマイダンも、そもそもが、アメリカが後ろで
    糸を引いていたため、何もかもが、アメリカ寄りの報道しかなされなかった。 よって、
    ロシア側から、ウクライナに対して、人道支援が行われた際にも、国境付近で1週間も
    待たされたり、ウクライナに住んでいるロシア系住民が空爆で何千人も殺されようが、
    西側では一切報道されず、逆に、ロシアがウクライナに侵攻しているとされた。

    >>ウクライナとロシアの自己決定

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    クリミアのロシア返還に関しても同様で、元々、住民達がウクライナ支配を嫌い、
    住民投票を開き、正式にウクライナから独立した後に、クリミア住民達の意思に
    従い、ロシアへと正式に返還されたものなのにも関わらず、日本では、『ロシアが
    不法に占拠しているクリミア』の枕詞が消えることは最後までなかった。

    今回のウクライナ危機は、『情報戦争』とも呼ばれており、各国が、自分達に都合の
    良いように報道を広めたが、その証拠となるようなものは、一切提示されない
    ばかりか、後に、アメリカのバラク・オバマ大統領ですら、アメリカのウクライナへの
    関与を認めている。

    >>オバマ大統領、ウクライナへの政治的関与を認める

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    日本では、外国語教育としては、英語のみしか選択出来ないため、一斉にアメリカ寄りの
    報道がなされたが、ヨーロッパの報道は、これとは全く異なる。 ヨーロッパで、アメリカが
    好きな人は、むしろ稀で、アメリカが嫌いと答える人がその大部分を占める。 物事は、
    一点ばかりから見ると、判断を完全に誤るという、典型的な事件が、今回のウクライナの
    内戦から得た日本の教訓なのでは? 早急に英語以外の外国語を小学校から学べるように
    すべし。

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    ウクライナのペトロ・ポロシェンコ大統領は、2015年9月16日、ロシアの航空会社による
    ウクライナへの乗り入れ、並びに、ウクライナ上空の飛行を10月25日から1年間禁止する
    ことを定めた、『ウクライナ国家安全保障・国防会議(RNBOU)決定』を承認する大統領令に
    署名したが、ロシアは、9月29日、対抗措置として、ウクライナの航空会社によるロシア
    領空の使用を10月25日から禁止することを発表した。

    ウクライナのヤツェニュク首相は大きな航空会社、つまりアエロフロートとトランスアエロの
    飛行禁止を特に強調した。 『ロシアの三色旗をつけたロシアの航空機は、ウクライナの
    空港では、何もすることはできない』とヤツェニュク首相は述べた。

    一方、ロシア航空局は、ロシア連邦運輸省の委任により、ウクライナの航空会社に対して、
    10月25日より、ロシア上空を通過することを止めるよう、通告を行った。
     
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    現在、ロシアとウクライナの両国間の直行便は飛んでおらず、航空券の販売も行われては
    いない。 ロシアからウクライナまで飛行機で行くには、第三国での乗り換えが必要となる。
    その最有力候補となるのが、ベラルーシの国営航空会社『ベルアヴィア』、ラトビアの
    国営航空会社『エア・バルティック』、トルコの『ターキッシュ・エアラインズ』、または、
    『LOTポーランド航空』となっているのだが、どの航空会社も、一旦、ウクライナ付近を
    通過してから、再度逆方向へ戻る形となるため、使い勝手が非常に悪い。

    その他、フランクフルト、ミュンヘン経由のドイツの『ルフトハンザ』や、ウィーン経由の
    『オーストリア航空』も考えられるのだが、これらの航空会社の運賃は高い上、所要時間も
    長くなるため、余りお勧めは出来ない。

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    鉄道での両国間の往来は、今のところ、可能となっており、第三国での飛行機の
    乗り換え時間を考えると、モスクワ⇔キエフ間の所要時間は、航空機とさほど大差が
    ないと思われる。

    ウクライナ東部での戦闘では、これまでに約8,000人の死者が出ている。 ウクライナ軍と
    親ロシア派と呼ばれているロシア系住民との間では、停戦協定が発効しており、散発的な
    違反行為は起きているものの、協定は大枠で順守されているとされる。

    ロシア国内には、約350万人ものウクライナ人が住んでいるため、モスクワ⇔キエフの
    定期便の乗客は、概ね、ウクライナ人となるが、ウクライナ政府は、このような自国民をも
    苦しめる政策ばかりを打ち出しており、現在、ウクライナから分離独立を果たした、クリミア
    半島では、ウクライナの過激派による送電線の破壊により、大規模停電が続いている。

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    ナターシャ・グジーは、日本在住で、ウクライナの民族楽器であるバンドゥーラを
    演奏しながら歌う歌手。 正確に言うと、日本に帰化しているため、ウクライナ系
    日本人となる。

    1986年4月26日に、チェルノブイリ原発で事故が起きた時に、父親がその原発内で
    働いていたため、事故当時、原発から3.5キロにあったプリピャチ市で被曝。



    事故が起きたのは夜中であったため、プリピャチをはじめとする、原発周辺の
    住民達には、3日間事故が起きた事は公表されなかったため、事故が起きた
    当日や翌日も、普通に生活をしていたため、被害が拡大した。

    旧ソ連政府は、プリピャチ市民に対して、3日間だけ避難をするように住民達に
    指示を出したが、その後、二度と、故郷に戻る事は許されてはいない。

    その後、首都のキエフへ家族で移住したが、プリピャチ市は、原発事故後、
    街ごとこの世から消し去られ、現在に至っている。



    福島の人たちが、チェルノブイリ原発4号炉を視察して、『意外と線量が低かった』
    と言ったのは、有名な話。 事故発生当初、チェルノブイリ原発の所長は、事故を
    過小評価し、「火災事故」として報告をしたが、その後、その所長は、自由剥奪
    10年の刑に処せられている。



    チェルノブイリ原発は、事故後も何事もなかったかのように原発の運転を続け、
    最後の3号炉がアメリカの援助によって運転を停止したのは、2000年12月の話。

    おそロシアよりも、もっと恐ろしいのが、ウクライナなのでは。

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    映画に関すること に参加中!

    ロシアのアレクサンドル・コットが監督した作品、「草原の実験」を見に行きました。

    映画の内容は、大まかに説明をすると、カザフスタンにあった世界最大級の
    核実験場、セミパラチンスクでの核実験が始まった頃の話で、草原のド真ん中に
    ぽつんと建っている小さな家に住んでいる少女と父親、そして、近くの村に住んで
    いる青年と、後からその草原にやって来たロシア人青年との三角関係が中心に
    なっているが、その草原で、ある日突然、大事故が起こるという設定。 見渡す
    限りの草原と、そこで起きた核実験によって、一瞬で何もかもが奪われるという
    内容だが、セリフのない無声映画のため、ある程度の予備知識がないと、話の
    展開が早いため、この場面では一体何を意味しているのか、分からなくなる時が
    あるため、要注意。

    今後、渋谷の他にも、宮城、群馬、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡でも順次公開予定。

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    今から、4ヶ月以上も前に、この作品の監督インタビューの部分の翻訳を依頼
    されたのですが、その際に、クライアントから渡されたものは、ロシア語で書かれた
    監督のインタビュー記事のみ。 その時は、Youtubeに動画すらなかったため、
    ロシアのサイトを探りつつ、一体何の映画だろうと思ったのですが、今日映画を
    見てきて、想像通りの映画であったため、翻訳の内容が合っていた事が証明
    されました。

    この映画は、セリフがひとつもない無声映画であるため、劇中でのセリフの翻訳は
    必要なかったため、映画館の内で販売されているパンフレットを買わない限り、
    日本語は出て来ませんが、元々のロシア語での本作品の原題が、『Испытание
    (実験)』であるため、参考資料として頂いた記事の中に小さく書かれていた
    『草原の実験』が、この『Испытание』である事に気付くまでに時間が掛かりました。



    実際に翻訳をした内容は、パンフレットに掲載されている内容の3倍ぐらい訳した
    のですが、適当に編集されていたため、かなり短くなっていました。 この映画の
    舞台は、カザフスタンという事になっていますが、実際に撮影が行われたのは、
    ウクライナのクリミア半島です。 この事実は、パンフレットを買わない限り分かり
    ません。

    翻訳をしていて、毎回感じる事としては、まともな参考資料すらない状態で、かなり
    高度な事を要求されるため、ネットでの検索は欠かせないのと、納品をした後に、
    その後どうなったのかという通知が一切ないため、かなり疑問を感じます。

    今回のこの翻訳も、特に何も連絡を受けていないため、いつから上映されるのか、
    そもそも、日本で公開される事自体知らなかったため、公開直前になって、ようやく
    知った始末。

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    日本の翻訳者の地位が全く向上しないのは、翻訳が単なるツールでしかないと
    思われている事と、機械翻訳と同じで、何でも丸投げしておけば、適当に全部翻訳
    してくれると思われているところで、そもそも、依頼をしているあなたが分からない事が、
    赤の他人の翻訳者に分かりますか?という点に尽きると思う。 何でも右から左に
    流すだけで、中間マージンを取っている自称翻訳会社が多いため、結局はこうなる
    のだが、その翻訳コーディネーターが自体が、使い捨てであるため、それに操られる
    翻訳者も当然、そのような扱いのまま。。

    >>映画『草原の実験』公式サイト

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    日本の政治 に参加中!

    アメリカのオバマ大統領は、CNNのインタビューの中で、「米国は、
    ウクライナにおける権力の移行をやり遂げた」と認めた。 これまで、
    『ユーロマイダン』は、汚職に満ちたヤヌコヴィチ体制に反対する
    一般大衆の抗議行動を基盤とした、ウクライナ内部から生まれたものだ
    と言われてきたが、よくよく考えると、キエフでのクーデターが本格化
    したのは、ロシアでソチオリンピックが開催されていた期間中
    であるため、
    『世界の警察』を自認してやまないアメリカが、口ばしを突っ込んで
    来ない方が不自然と考えるのが妥当な考え方。

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    米国務省のヌーランド報道官は、既に1年前に『米国は、ウクライナに
    おける民主主義発展のために50億ドル出した』と述べており、日本の
    某新聞記者も、ユーロマイダンでのクーデターが勃発した折に、暴動に
    参加したウクライナ人達は、日給3,000円程度で雇われているとハッキリと
    述べている。 その直後に発生したマレーシア航空機の撃墜事件も、腑に
    落ちない点が多過ぎるため、アメリカの関与は、当初から決定的であったが、
    日本の報道機関や、専門家たちは、一方的に、アメリカとウクライナの
    味方をした。

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    見方を変えると、他国の関与によって、政権交代をしたのだから、明らかに
    内政干渉になる筈だが、世界で唯一の超大国は、世界で何をやっても
    良いらしい。 元々、アメリカやカナダには、ウクライナ人の移民が多く、
    100年ほど前に起きた飢餓や、スターリンの粛清から逃れて、遠く北米大陸に
    移り住んだウクライナ人の子孫たちが、今でもその恨みを抱いて生きており、
    その2世、3世の世代になっているため、その恨みが増幅している。

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    カナダ最大の都市であるトロントには、世界最大のウクライナ街があるが、
    そこで、ロシア語で話し掛けると、あからさまに嫌な顔をされる事が
    多々ある。 そもそも、ロシア語とウクライナ語は、そのまま喋っても、
    その殆どが理解可能な言語であるため、本来は、喜ばれるべきだが、
    その逆の状況となっているのは、歴史的な湾曲が進んでる証拠。 元々、
    被害者意識は、増幅されやすく、ありもしない妄想を生み出すのが世の常。

    現在の政権に代わった当日に、ポロシェンコ大統領は、ウクライナ南東部の
    ドンバス地域で大々的な空爆を開始し、総勢で8,000名以上の罪のない
    一般市民が殺され、数十万人にも及ぶ、ロシア系住民たち(日本では、
    親ロ派と呼ばれている)が、ウクライナ国外へと逃れた。 特に、ウクライナ
    南部のオデッサでは、親ロ派がウクライナ人らによって、大量に殺された
    事件があったが、日本では、ほぼ報道すらされなかった。

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    今回のこのウクライナでの大規模な内戦を見ていると、日本には、
    ウクライナとロシアを正確に見ている専門家が皆無に近いことが良く分かる。
    所詮、アメリカのバイアスしか入ってない英語からの直訳のニュースの
    垂れ流しは、そろそろ止めにしないと、アメリカによる洗脳がますます
    酷くなるばかり。 何もかも、イメージだけで物事を判断していると、
    このような醜態を晒すという事を肝に銘じるべし。

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    何度か、ウクライナに関する大学での講演会にも出席して見たが、まともな
    意見を聞くことはなかったため、あの人たちは、一体何のために専門家面して
    長年大学に居座っているのかと非常に疑問を感じたが、そのような適当な
    仕事であったとしても、仲良しごっこでどうにでも出来るのが、日本社会の
    長年の悪しき習慣だといつになったら気付くのか?

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    ウクライナでの内戦が勃発して以来、ウクライナ人の国外への避難民や出稼ぎ者の
    数が激増しているが、そのうち、ウクライナ人の出稼ぎ者が多い主な国は以下の
    通り。

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    ロシア:392万人
    イタリア:104万人
    チェコ:104万人
    ポーランド:56万人
    スペイン:32万人
    ポルトガル:24万人
    ハンガリー:16万人

    日本では、アメリカのプロパガンダにより、ロシアがウクライナを侵略している
    事になっているものの、クリミアは、元々ロシアの領土であり、ウクライナ人の
    フルシチョフが、ソ連時代に『友好の証』として、ロシアからウクライナに勝手に
    併合した領土。 ソ連時代のロシアとウクライナの国境は、日本で言うところの、
    県境程度の線でしかなかったため、特に誰も気にも留めていなかったものの、
    ウクライナ独立後は、ウクライナが極右化したため、火種となった場所。
    よって、日本のメディアが枕詞としている、『ロシアが一方的に併合した』と
    するのは、完全に間違っています。

    クリミアのロシアへの返還は、クリミア住民達が自ら住民投票を行い、一旦
    ウクライナから独立の後、住民達の意思に従って、ロシアへと返還された領土なので、
    日本やアメリカの政治的なプロパガンダには騙されないようにした方が賢いと
    思います。 ソ連の歴史をまともに知らない人間や、ロシア語をまともに理解
    出来ない人間がモスクワ駐在員等を務めているため、結局は、歴史が完全に湾曲
    されています。 日本には、所詮、こんな程度の専門家しか居ないという証拠だと
    思います。

    クリミア住民達は、ロシアへの返還を非常に喜んでいるため、ウクライナによる
    クリミア支配がどれ程酷かったのか、すぐに理解出来ると思います。 そもそも、
    ウクライナがロシアに本当に侵略されていたとしたら、ロシアになど、誰も
    出稼ぎには行きません。 ロシアでは、逆に、ウクライナ人が増え過ぎたため、
    仕事ななくなったと言われています。 ロシア国内で最も多いロシア民族以外の
    外国人は、ウクライナ人です。

    こんな簡単な事実でさえ、良く確かめもせずに平気で報道をしている日本の
    メディアには疑問しか感じません。

    クリミアの真実 ~欧米寄りの報道の矛盾~

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    世界のビックリ面白事件 に参加中!

    先日外国人を締め出す方針を明らかにしたウクライナ・オデッサ州で、前グルジア大統領
    である、サアカシュヴィリ氏が州知事に就任するという前大見ものの体制が発表された。
    サアカシュビリ氏は、2008年の南オセチア紛争を仕掛けて、ロシアの逆撃を被り、敗北して
    グルジア国民の支持を失った。 今回はウクライナ国籍を取得して、親露派の反乱を鎮圧
    した経緯のあるオデッサ州の知事になった。
     
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    オデッサで発生したウクライナ人たちによるロシア系住民の虐殺は、日本では全く
    報道されなかったが、これでウクライナは更に盤石な独裁体制を確立したとも言える。 
    オデッサ州では、ウクライナ人は、パスポートの携帯、外国人の場合は、滞在許可を
    得なければ、オデッサ州には、滞在出来なくなったため、既にほぼ北朝鮮並の厳戒
    体制と言っても過言ではない。

    ドイツやフランスにウクライナを支持しろと言うのは、アメリカの命令により、日本が
    北朝鮮を支持しろと言うのと似たりよったりな状態。 アメリカ仕立ての自称かわいそうな
    国は、正にアメリカに翻弄された哀れな国。 ウクライナ国民の困窮を尻目に、大統領の
    ポロシェンコは、富を着実に蓄えており、大統領に就任する以前と比較すると、数倍は
    金持ちになったと言われている。

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    ウクライナの汚職度ランキングは、175カ国中、142位。 ウクライナ政府は、何をやっても
    とりあえず全てロシアのせいに出来るため、悪質極まりなし。 世界の常識が全く通じない
    ウクライナ。 ウクライナでは、情報もカネで支配されているため、テレビで報道している
    ないようもウソ八百ばかりで全く信用出来ない。

    EUへ移住したいウクライナ人の数は、シリア、イラク、ソマリアからの難民の数へと迫って
    おり、既にロシアへ大量に移住した人の数も含めると、既にその数を上回っているであろう。
    国際社会を目指している筈が、その真逆へと突き進んでいるウクライナ。 ウクライナ人
    以外は認めないというところにも、ナショナリズムが見え隠れしている。



    画像は、2015年6月4日にウクライナで行われたサッカーの試合の様子。 このような
    有り様で、EUやNATOに加入させろと言われても、迷惑極まりなし。 何でもやりたい
    放題やった後に、全てロシアのせいにして来るウクライナは、一度デフォルトして、
    ゼロからやり直すべきなのでは? 旧ソ連崩壊後に、ここまで酷くなったのは、ウクライナ
    だけ。 ものの2年半ぐらい前までのキエフはかなり安全な街だったのに、今では、
    こんな感じに成り果てた。

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