人はほぼ10万年間も、今のフランスの地域に住んでいた。 ヨーロッパのこの
地域の最も古い人々の住居は、洞穴だった。 食料を得るために狩をする時の
武器は、石器だった。 この石器時代の人々は、狩をした動物を生き生きと描いた
絵を洞穴に残した。

紀元前3000年頃、フランスの住人たちは、川や海岸沿いに段々と大きな集落を
つくるようになった。 ドルメンと呼ばれる石の部屋に死者を埋葬し、メンヒル
として知られている巨大な柱石を立てた。 当時の農民は、メンヒルを季節の
移り変わりを予知するために用いた。

並べた石と星の関係を見て、農民は穀物を植え、刈り入れる適切な時期を知る事が
出来た。 紀元前800年頃、ケルト人と呼ばれる戦闘好きの民族が東方からやって
来て、たちまちヨーロッパ大陸を支配した。 騎馬軍は鉄の武器を振り回し、
圧倒的多数を頼みに敵を破った。

しかし、ケルト人は次第に人口が増え、征服した土地だけでは生きて行けなく
なって、更に領土を求めて南下した。 そしてケルト人は、ギリシャとローマの
人々と接触するようになった。 ギリシャとローマは、南ヨーロッパの2つの
強力な文明国だった。

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【ローマ帝国とガリア】
紀元前2世紀のローマは、大軍を抱えて拡張を続ける共和国だった。 ローマ人は、
紀元前121年に、ギリシャの貿易港だったマルセイユを占領。 マルセイユ地方を
ガリアと呼んだ。 ガリアの肥沃な平野に住むローマ人の人口は急増した。

紀元前58年、ローマの将軍ユリウス・カエサルは、ケルト人を破ってガリアを
ローマ領と宣言するために、大軍を率いてガリアを侵略した。 ケルト人は族長
ウェルキンゲトリクスの指揮でカエサルに抵抗したが、カエサル軍を追い返す事が
出来なかった。 紀元前52年、ブルゴーニュ地方のアレジアの戦いでケルト人が
ローマ人に負けるまで、戦争は続いた。 ローマ人はウェルキンゲトリクスを
捕虜にして、ケルト人のローマに対する抵抗は終わった。

ローマ人はすぐ、ガリアの殆んど全域を植民地にした。 ローマ人は、ガリアに
道路や都市を建設し大きな農園を開拓した。 ケルト人は、商人や農民になって
成功し、ローマ人の言葉のラテン語を学んで、ローマ人に順応した。 ガリア人は
やがて、キリスト教も受け入れて行った。 キリスト教は4世紀にはローマ人の
公式の宗教となった。 数世紀の間、ガリアは平和であり、繁栄を続けた。

しかし、5世紀の半ばには、ローマ帝国は衰え始める。 非キリスト教徒の
西ゴート族、フランク族、ブルグンド族の戦士たちが、東ヨーロッパからガリアに
侵攻し始めた。 この侵略で、ローマのガリア支配は弱まった。

紀元前450年頃になると、フン族がアジアからガリアに攻めて来た。 アッティラ
王が率いるフン族は、西へ進軍する時、農園や村落、都市を襲って火を放ち、
財産を奪った。 フン族の侵略を止めるため、ガリア内に居るフランク族、
西ゴート族、ブングルド族の軍隊はローマ軍と同盟軍を結成し、450年に、
シャロンの戦いでアッティラを破った。 だが、戦いの後、ローマのガリア支配は
ますます弱くなった。

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