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    タグ:ウィーン

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    【バーベンベルグ王朝】
    862年、ローマ教皇は、オットー1世に初代神聖ローマ帝国の帝冠を授けた。
    この新帝国は、ドイツやイタリアにある数多くの小さな王国や、公国等の
    領邦から成り立っていた。 それらの領邦の君主の中で、7人が選挙侯と
    呼ばれる地位を持ち、選挙侯が皇帝を選ぶ仕組みだった。 976年、オットー
    1世はの後継者オットー2世は、バーベンベルグ家のレオポルドをオーストリア
    辺境伯に任命した。 オーストリアのバーベンベルグ王朝の始まりである。

    バーベンベルグ王朝の初期には、バイエルンから多数がオーストリアに
    入植して、村落や農場を作った。 この王朝の君主達は、オーストリアと東の
    マジャール人の土地との境界のライタ川に防衛線を築いた。 道路網が新たに
    整備されて近隣諸国との交易が拡大された。 オーストリアは、神聖ローマ
    帝国内の一領邦ではあったが、実質的には、独立国の要素が大きかった。

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    12世紀中頃に、皇帝とローマ教皇との権力闘争が激しくなったが、
    バーベンベルグ家は皇帝を支持した。 1156年、皇帝フリードリヒ1世は、
    オーストリア辺境伯ハインリッヒ2世ヤスミルゴットの地位を侯爵に引き
    上げて、功労に報いた。 この初代オーストリア公は、初めてウィーンに
    定住した君主である。 この時期のオーストリアは、平和で繁栄を続けた。

    バーベンベルグ家の君主達はまた、十字軍の後援者だった。 十字軍の
    戦士達は、イスラム教徒と戦うために、ドナウ川を経由して中東に向かう
    ことが多かったので、オーストリアの経済的重要性は大きくなった。
    リンツやクレムス等川沿いの都市がこの時期に誕生した。 1192年隣国の
    シュタイヤーマルクの君主が相続者のないまま死ぬと、バーベンベルグ家は
    事前の協定に従って、この公国の支配権を得た。

    【ハプスブルク王朝】
    バーベンベルグ家の領土が拡大するに従って、マジャール人の攻撃がまた盛んに
    なった。 1246年、オーストリア公フリードリヒ2世は、マジャール人との戦いで
    戦死し、バーベンベルグ家は絶えた。 北隣のベーメン(チェコ)の国王
    オットカル2世は、フリードリヒ2世の未亡人と結婚し、オーストリアと
    シュタイヤーマルクを自分の領土に併合した。 1273年、選挙侯達は、スイスの
    裕福な一族の家長であるハプスブルク家のルドルフを神聖ローマ帝国皇帝に
    選出した。 1278年、ハプスブルク家の軍隊は、マルヒフェルトの戦いで
    オットカルを打ち破った。 オットカルの領土は、次々とルドルフの支配下に
    入った。 こうしてルドルフを初代とするハプスブルク王朝が始まり、以後、
    600年以上に渡ってオーストリアに君臨することとなる。

    hapsburg

    ハプスブルク家のオーストリア君主の殆どは、同時に神聖ローマ帝国皇帝でも
    あった。 ハプスブルク家は、結婚によって14世紀中に、ケルンテン、
    フォアアールベルグ、チロルをオーストリアに併合した。 だが、
    ハプスブルク家は、これらの新領土の絶対的な君主ではなく、どの地域でも
    貴族と聖職者達から成る議会の制約を受けた。 議会は、人民に課税し、軍隊を
    徴収する権限を持っていた。 農民達は、過酷な動労を強いられ、領主の許可が
    なければ、結婚も移住も出来なかった。 聖職者は、ローマ教皇以外の権威を
    認めなかた。

    ハプスブルク家は、新たに領土をオーストリア公国にもたらしたものの、秩序
    ある継承順序を定めてはいなかった。 相続者同士の争いはしばしば公国を
    混乱に陥れ、貴族達に対するハプスブルク家の支配力を更に弱めた。
    ハプスブルク家と貴族達の対立は、15世紀初期まで続き、オーストリアの
    経済を衰退させた。

    1463年、シュタイヤーマルクのフリードリヒは、相続争いの内戦を生き抜いて、
    チロル以外のオーストリア全土の支配者となった。 1477年、フリードリヒの
    息子、マクシミリアンは、ブルゴーニュ公の後継ぎマリアと結婚し、
    ネーデルランドの土地(オランダとベルギー)は残らずハプスブルク家の
    領域に編入された。

    1493年に神聖ローマ帝国皇帝となったマクシミリアンは、結婚によって
    ハプスブルク家の領土を拡大させる政策を続け、自分の息子をスペイン王
    フェルディナントの娘と結婚させた。 この結婚から生まれたカール5世は、
    1516年にスペイン王となり、1519年、神聖ローマ帝国皇帝に選出された。
    その結果、カールは、ドイツとスペインを含む広大な領域をハプスブルク家
    当主として支配することとなった。

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    カールの弟のフェルディナント1世は、オーストリアの支配者となり、ベーメンと
    ハンガリー両国の王を兼ねた。 ベーメンは、現在のチェコであり、ハンガリーは、
    マジャール人が創設した国である。 ハンガリー貴族の一部は、トルコの支援を
    得てフェルディナントに反抗した。 当時のトルコは、軍事大国で、バルカン
    半島の大部分を支配下に治めていた。 トルコ軍は、1529年にウィーンに
    迫ったが、フェルディナントの軍は、これを撃退した。

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    モーツアルトが、オーストリアのザルツブルグに生まれたのは、1756年のこと
    だった。 『神童』と呼ばれた彼は、大司教の宮廷副楽長だった父に連れられ、
    幼い頃からヨーロッパ中を演奏旅行に出掛けた。 モーツアルトの滞在を示す
    銘板が、各地で誇らしげに掲げられているのは、このためである。



    ザルツブルグには、モーツアルトの痕跡が至る所にある。 生家に住居、銅像、
    モーツアルトの名前を冠した『モーツアルト クーゲル』というチョコレート
    まである。 しかし、神童を迎え入れる宮廷はどこにもなかった。 ザルツブルグ
    もモーツアルトを評価した訳ではなかった。 父親の口利きで、何とか大司教に
    召し抱えられたものの、袂を分かち、ウィーンに移り住んだ。 順風満帆の筈
    だったが、華々しさの裏で、浪費癖は治らず、ギャンブルに明け暮れ、生活は
    逼迫した。 そして、数多くの名作を作りながら、わずか36歳でこの世を去った。



    ザルツブルグ音楽祭(Salzburger Fetsspiele)が始まったのは、1920年の事だった。
    1842年にモーツアルトの没後50周年を記念して開かれた音楽祭が基となった。
    モーツアルトの世界的な評価が高まり、ザルツブルグにもようやく認められる契機と
    なった。 それが、音楽、オペラ、演劇と総合的な音楽祭へと発展した。

    フルトヴェングラー、ベーム、カラヤンや、輩出した芸術家達が音楽祭を牽引して
    来た。 音楽祭の舞台のひとつ、『岩窟乗馬学校(Felsenreitschule)』は、元々、
    大司教が乗馬競技を見学するために創られた。 メンヒスブルグの岩盤を繰り
    抜いて造られた見物席がそのまま舞台に活かされている。 隣接する祝祭劇場は、
    世界最大級の舞台で、音響に細心の注意が払われて設計されている。
    ザルツブルグ音楽祭は、毎年7月から8月までの夏の期間に開催されている。



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    西洋風コーヒー発祥の地
    1683年、ウィーンがオスマントルコ軍の攻撃を受け、包囲攻撃に失敗した
    トルコ軍が撤退した際に、コーヒー豆の入った袋を大量に残して行きました。
    スパイとして宮廷に雇われていたイスタンブール生まれの人物がその豆を
    利用して、1685年にウィーンにカフェを初めて開業し、コーヒーの味を市民に
    伝えたのがウィーンのカフェ文化の始まりと言われています。

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    その後、ウィーンのカフェ文化は、19世紀に絶頂を迎え、カフェは世紀末
    芸術家や文豪達の集う場となりました。 ウィーンの人々は、それまで
    ヨーロッパにはなかったコーヒーを文化にまで発展させ、生活に不可欠な
    ものとして昇華させたのです。 コーヒー1杯の注文だけで何時間もカフェの
    店内で時間を過ごす、そんなカフェ文化は、今でもウィーン市民の生活の
    一部となっており、2003年には、このウィーンの伝統的なカフェハウスが
    ユネスコの無形文化遺産に登録されました。

    -kultur

    コーヒーばかりではなく、それぞれのカフェご自慢の自家製スイーツは、
    どこのカフェでも人気のメニューとなっており、それぞれ秘伝のレシピを
    用いているため、それぞれのカフェで異なる味を楽しむことが出来ます。
    ザッハトルテに代表される、ウィーンのスイーツは、日本人には、少々
    甘さが気になりますが、伝統的なコーヒーとスイーツの組み合わせは、
    ウィーンでの楽しい一時を約束してくれるでしょう。



    尚、ウィーンでは、コーヒーを注文しただけで、小さなグラス入りの水が
    付いてくるのが定番となっています。 他のヨーロッパ諸国では、水は
    注文しない限り付いてきませんが、この気の利いたサービスは、日本人には
    嬉しいかも知れません。  また、他のヨーロッパ、北米諸国と同様に、
    ウィーンでは、アイスコーヒーというものは一般的でありません。
     
    【ウィーンの主なコーヒーの種類】

    メランジェ 
    Melange
    ウィーンで最もポピュラーなコーヒー。 濃いコーヒーに泡立てたホット
    ミルクを入れた、カプチーノ風のコーヒー。 日本で言うところの、
    ウィンナーコーヒーがこれ。
    melange-big

    ブラウナー Brauner
    コーヒーに少しミルクを入れたもの。 日本で一般的なコーヒーに最も近い。
    大カップと小カップがあるので、注文時にサイズも伝える。
    gr-brauner-big

    アインシュペナー 
    Einspänner
    ホイップクリームをのせたコーヒー。 グラスに入っている。
    einsp-big

    モカ Mokka
    濃いめのブラックコーヒー。 小さなカップに入っている。 店によっては
    シュヴァルツァーとも呼ばれる。
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    英経済誌『エコノミスト』の調査部門『エコノミスト・インテリジェンス・ユニット』が発表した
    世界の都市住みやすい都市ランキング。 このランキングは、世界中の140の都市を
    安定度、保健医療、文化・環境、教育、インフラの5つのカテゴリーの評価を元に
    ランキングを決定しています。

    第10位 オークランド/ニュージーランド
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    ニュージーランド最大の都市で、交通の要所となっている『オークランド』。
    人口は150万で、都市部と大自然の対照的な魅力が特徴の一つ。 語学留学先
    としても人気が高い。

    二ュージーランドの絶景まとめ
    森と氷河、美しい大自然に恵まれたニュージーランドの7つの絶景

    第9位 パース/オーストラリア
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    世界一美しい街と言われているオーストラリア西にある街『パース』。 1962年
    パース上空を通過した宇宙飛行士”ジョン・グレン”は、その美しさから”光の都市”と
    命名したとか。

    オーストラリアの絶景まとめ
    何千万年もの歳月を経て築かれたオーストラリアの絶景7選

    第8位 ヘルシンキ/フィンランド
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    フィンランドの首都『ヘルシンキ』は、バルト湾に面し別名”バルト海の乙女”とも
    呼ばれている美しい街。 白く美しい壁に、緑色の屋根が目印のヘルシンキ
    大聖堂は、毎年多くの観光客が訪れるヘルシンキ随一の有名スポット。 
    市内には、路面電車も走っており便利。

    フィンランドの絶景まとめ
    大自然の神秘と天空に舞うオーロラが魅力的な北欧の必ず見ておくべき絶景スポット6つ

    第7位 シドニー/オーストラリア
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    オーストラリアの経済と文化の中心都市『シドニー』(因みに首都はキャンベラ)。
    オペラハウスをはじめとした都市部はもちろん、シドニー周辺には魅力的な観光
    スポットが数多くあります。

    オーストラリアの絶景まとめ
    何千万年もの歳月を経て築かれたオーストラリアの絶景7選

    第6位 カルガリー/カナダ
    75993087.jpg
    カナダのアルバータ州にある同国有数の世界都市『カルガリー』。
    壮大なカナディアンロッキーの麓に位置するこの街は、ビジネスの中心で
    ありながら都市公園も多いのが特徴的。 アルバータ州は消費税も無料。

    カナダの絶景まとめ
    圧倒的な大自然と優しさに包まれたカナダの7つの絶景

    第5位 アデレード/オーストラリア
    399adf07.jpg
    オーストラリアの南部に位置し、南極海に通じているセントピンセント湾に面した
    都市『アデレート』。 人口は110万人と少ないが、近代的なオフィスビルと
    クラシック様式の古い建物が見事に調和する美しい街並が特徴的。 公園、ビーチ、
    ブドウ園、フルリオ半島など観光スポットも多い。

    オーストラリアの絶景まとめ
    何千万年もの歳月を経て築かれたオーストラリアの絶景7選

    第4位 トロント/カナダ
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    カナダ最大の都市『トロント』。 人口は約260万人と郊外を合わせると600万人。
    別名”人種のモザイク”と呼ばれ、移民がもたらした様々な国籍の文化が地域
    ごとに独立した個性を作り出しています。

    カナダの絶景まとめ
    圧倒的な大自然と優しさに包まれたカナダの7つの絶景

    第3位 バンクーバー/カナダ
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    カナダのブリティッシュコロンビア州南西部にある都市『バンクーバー』。
    民族や言語が多様で、人口のおよそ52%は第一言語が同州の公用語にあたる
    英語ではない。 語学留学先としても人気が高い。

    カナダの絶景まとめ
    圧倒的な大自然と優しさに包まれたカナダの7つの絶景

    第2位 ウィーン/オーストリア
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     モーツァルト生誕の地としても知られているオーストリアの『ウィーン』。
    音楽の聖地として知られるこの街には、いたるところでオーケストラの演奏に
    出逢えるのが特徴。 カフェの文化も古くからあり、カフェ巡りも楽しむことが
    できます。

    オーストリアの絶景まとめ
    独特な文化と歴史・中世が交差する美しき東欧7つの絶景

    第1位 メルボルン/オーストラリア
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    世界で最も住みやすい街ランキング1位に輝いたのは、オーストラリアにある
    『メルボルン』。 オーストラリアのスポーツ、流行、文化の中心地であり、多様な
    文化が溶け合うセント・キルダ・ビーチや、グレート・オーシャンロードなど観光
    スポットも多い。

    オーストラリア、カナダの多くの都市がランクインしていますが、この調査では、
    富裕国で人口密度の低い中規模サイズの都市が比較的生活しやすいという
    傾向が見受けられます。

    逆に、最も住みにくい都市という評価を受けたのは、シリアのダマスカス、バングラデシュの
    ダッカ、パプアニューギニアのポートモレスビーでした。

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    英経済誌『エコノミスト』の調査部門『エコノミスト・インテリジェンス・
    ユニット』が発表した世界の都市住みやすい都市ランキング。 この
    ランキングは、世界中の140の都市を安定度、保健医療、文化・環境、教育、
    インフラの5つのカテゴリーの評価を元にランキングを決定しています。

    第10位 オークランド/ニュージーランド
    0186

    ニュージーランド最大の都市で、交通の要所となっている『オークランド』。
    人口は150万で、都市部と大自然の対照的な魅力が特徴の一つ。 語学留学先
    としても人気が高い。

    二ュージーランドの絶景まとめ
    森と氷河、美しい大自然に恵まれたニュージーランドの7つの絶景

    第9位 パース/オーストラリア
    0284

    世界一美しい街と言われているオーストラリア西にある街『パース』。
    1962年パース上空を通過した宇宙飛行士”ジョン・グレン”は、その美しさ
    から”光の都市”と命名したとか。

    オーストラリアの絶景まとめ
    何千万年もの歳月を経て築かれたオーストラリアの絶景7選

    第8位 ヘルシンキ/フィンランド
    0386

    フィンランドの首都『ヘルシンキ』は、バルト湾に面し別名”バルト海の
    乙女”とも呼ばれている美しい街。 白く美しい壁に、緑色の屋根が目印の
    ヘルシンキ大聖堂は、毎年多くの観光客が訪れるヘルシンキ随一の有名
    スポット。 市内には、路面電車も走っており便利。

    フィンランドの絶景まとめ
    大自然の神秘と天空に舞うオーロラが魅力的な北欧の必ず見ておくべき絶景スポット6つ

    第7位 シドニー/オーストラリア
    0485

    オーストラリアの経済と文化の中心都市『シドニー』(因みに首都はキャンベラ)。
    オペラハウスをはじめとした都市部はもちろん、シドニー周辺には魅力的な観光
    スポットが数多くあります。

    オーストラリアの絶景まとめ
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    第6位 カルガリー/カナダ
    0585

    カナダのアルバータ州にある同国有数の世界都市『カルガリー』。
    壮大なカナディアンロッキーの麓に位置するこの街は、ビジネスの中心で
    ありながら都市公園も多いのが特徴的。 アルバータ州は消費税も無料。

    カナダの絶景まとめ
    圧倒的な大自然と優しさに包まれたカナダの7つの絶景

    第5位 アデレード/オーストラリア
    0683

    オーストラリアの南部に位置し、南極海に通じているセントピンセント湾に
    面した都市『アデレート』。 人口は110万人と少ないが、近代的な
    オフィスビルとクラシック様式の古い建物が見事に調和する美しい街並が
    特徴的。 公園、ビーチ、ブドウ園、フルリオ半島など観光スポットも多い。

    オーストラリアの絶景まとめ
    何千万年もの歳月を経て築かれたオーストラリアの絶景7選

    第4位 トロント/カナダ
    0772

    カナダ最大の都市『トロント』。 人口は約260万人と郊外を合わせると
    600万人。 別名”人種のモザイク”と呼ばれ、移民がもたらした様々な国籍の
    文化が地域ごとに独立した個性を作り出しています。

    カナダの絶景まとめ
    圧倒的な大自然と優しさに包まれたカナダの7つの絶景

    第3位 バンクーバー/カナダ
    0815

    カナダのブリティッシュコロンビア州南西部にある都市『バンクーバー』。
    民族や言語が多様で、人口のおよそ52%は第一言語が同州の公用語にあたる
    英語ではない。 語学留学先としても人気が高い。

    カナダの絶景まとめ
    圧倒的な大自然と優しさに包まれたカナダの7つの絶景

    第2位 ウィーン/オーストリア
    0910
     
    モーツァルト生誕の地としても知られているオーストリアの『ウィーン』。
    音楽の聖地として知られるこの街には、いたるところでオーケストラの演奏に
    出逢えるのが特徴。 カフェの文化も古くからあり、カフェ巡りも楽しむことが
    できます。

    オーストリアの絶景まとめ
    独特な文化と歴史・中世が交差する美しき東欧7つの絶景

    第1位 メルボルン/オーストラリア
    108

    世界で最も住みやすい街ランキング1位に輝いたのは、オーストラリアにある
    『メルボルン』。 オーストラリアのスポーツ、流行、文化の中心地であり、
    多様な文化が溶け合うセント・キルダ・ビーチや、グレート・オーシャン
    ロードなど観光スポットも多い。

    オーストラリア、カナダの多くの都市がランクインしていますが、この調査では、
    富裕国で人口密度の低い中規模サイズの都市が比較的生活しやすいという
    傾向が見受けられます。

    逆に、最も住みにくい都市という評価を受けたのは、シリアのダマスカス、
    バングラデシュのダッカ、パプアニューギニアのポートモレスビーでした。

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    音楽を感じる生活 に参加中!
    ユーロビジョン・ソング・コンテストは、毎年5月下旬にヨーロッパで開催される
    国際的な音楽祭。 英語では、Eurovision Song Contest、フランス語では、
    Concours Eurovision de la Chansonと呼ばれている。

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    この大会では、各国代表のアーティストがそれぞれ生放送で自らの楽曲を披露し、
    それに引き続き、それぞれの参加国が他国に投票をして、大会の優勝者を決定する。
    各国代表の参加者は、欧州放送連合に加盟する全国網の放送局を通じて大会に
    参加しており、放送局は自国代表のアーティストと楽曲を決定し、また自国の視聴者に
    大会を生中継する。

    本大会の起こりは、1950年代、第二次世界大戦後の復興が進んでいたヨーロッパで、
    スイスに本部を置く欧州放送連合が、「明るいエンターテイメント番組」を模索する
    ために始めたもので、大会は1956年の第1回スイス大会以降、毎年開催されており、
    世界的に見ても長寿のテレビ番組のひとつであり、その視聴者の数も1億人から6億人
    程度と見積もられている。 近年では、インターネットでの中継あるため、世界中で
    7万人以上が視聴しているとも言われている。

    第1回大会からの参加国は、ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、
    オランダ、スイスの7カ国。 現在では、ユーロッパほぼ全ての国々が参加している
    大規模なイベントとなっている。

    ConchitaWurst

    『ユーロ』という名前が付いているものの、参加国は、ヨーロッパだけに限定している
    訳ではなく、その周辺国も参加している。 今大会はユーロビジョン・ソング・コンテストの
    60周年を記念し、オーストラリアが初めて参加する。 また、前年は不参加であった
    キプロス、チェコ共和国、セルビアが大会に復帰し、一方ウクライナは2014年ウクライナ
    内戦、および、経済的理由により、不参加となった。 前年度の優勝国が開催国と決め
    られており、昨年度優勝国であるオーストリアが今年の開催国となっている。

    コンテストは2つの準決勝と決勝から成り、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008から
    変わっていない。 それぞれの準決勝から上位10か国ずつが決勝に進出し、また
    主催国のオーストリア、および『Big 5』の5か国(イギリス、イタリア、スペイン、ドイツ、
    フランス)は決勝からの出場となる。

    【準決勝の組み合わせ】
    1組2組3組4組5組
    アルバニアの旗
    アルバニア
    マケドニア共和国の旗
    マケドニア
    マルタの旗
    マルタ
    モンテネグロの旗
    モンテネグロ
    セルビアの旗
    セルビア
    スロベニアの旗
    スロベニア
    スイスの旗
    スイス
    デンマークの旗
    デンマーク
    エストニアの旗
    エストニア
    フィンランドの旗
    フィンランド
    アイスランドの旗 
    アイスランド
    ラトビアの旗
     ラトビア
    ノルウェーの旗 
    ノルウェー
    スウェーデンの旗 
    スウェーデン
    アルメニアの旗 
    アルメニア
    アゼルバイジャンの旗 
    アゼルバイジャン
    ベラルーシの旗 
    ベラルーシ
    グルジアの旗 
    グルジア
    イスラエルの旗 
    イスラエル
    リトアニアの旗 
    リトアニア
    ロシアの旗 
    ロシア
    ベルギーの旗 
    ベルギー
    キプロスの旗 
    キプロス
    ギリシャの旗 
    ギリシャ
    アイルランドの旗 
    アイルランド
    オランダの旗 
    オランダ
    サンマリノの旗 
    サンマリノ
    チェコの旗 
    チェコ
    ハンガリーの旗 
    ハンガリー
    モルドバの旗 
    モルドバ
    ポーランドの旗 
    ポーランド
    ポルトガルの旗 
    ポルトガル
    ルーマニアの旗 
    ルーマニア
    アジアにも同じような音楽祭があれば、お互いの国の文化を知る切っ掛けになるであろう。

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    『ロック・ミー・アマデウス』の世界的なヒット曲で知られる、ファルコは、オーストリア、
    ウィーン出身のアーティスト。 当初は、ハードロック・パンクバンドのベーシストとして、
    音楽活動を開始したが、1981年にソロアーティストとしてデビューし、『秘密警察』
    (原題: Der Kommissar)をヨーロッパでヒットさせる。 この曲はアフター・ザ・ファイアー
    による英語バージョンもリリースされ、アメリカでもヒットした。 この曲が出た頃はまだ
    ラップやヒップホップという言葉が馴染む前であった。



    1985年、『ロック・ミー・アマデウス』(原題: Rock Me Amadeus)をリリース。 刺激的な
    ヒップホップのビートに乗せて、モーツァルトの生涯をラップで歌い込んだこの曲は、
    地元オーストリアを皮切りに、ヨーロッパ各国でヒットチャート第1位を獲得し、翌1986年
    には、アメリカの「Billboard Hot 100」でも第1位の大ヒットを記録する。 アメリカでは、
    英語圏出身以外の外国人アーティストが大ヒットを飛ばすのは非常に難しく、しかも、
    色物扱いされる類の曲であったが、英語とドイツ語を交互に操ったラップの面白さと、
    1984年公開の映画『アマデウス』のヒットを受けた話題性、クラシックの偉人を茶化した
    痛快さが、異例の大ヒットにつながったといわれている。



    その後は世界的なヒットはなかったものの、オーストリアでは安定した音楽活動を続け、
    出したアルバムは国内チャートでほぼ全て1位であった。

    1996年にドミニカ共和国に移住。 1998年2月6日、ドミニカ共和国サント・ドミンゴで
    自動車事故により死去。 尚、検死結果では、血液中から高濃度のアルコールとコカインが
    検出された。 遺体はオーストリアのウィーン中央墓地に埋葬されており、墓には
    『Nachtflug』のジャケットに使われた写真が飾られている。



    2000年にドイツ・ベルリンでミュージカル『Falco meets Amadeus』が初上演され、その後も
    ドイツ語圏各地で上演されている。 没後10年となった2008年には、最後のアルバム名を
    タイトルとした伝記映画『Falco - Verdammt wir leben noch!』が製作され、オーストリア、
    ドイツ、チェコにて公開(日本では未公開だが2010年にキュリオスコープより
    『ROCK ME AMADEUS - ファルコ 運命に翻弄されたスーパースター』のタイトルでDVD
    発売)。 2010年10月、ヨーロッパ圏では代表作『Falco 3』の発売25周年を記念して、
    スペシャル・エディションがデジタルリマスター盤として再発売された。これは、
    『ロック・ミー・アマデウス』が収録された通算3作目のアルバムで、日本盤のタイトルも
    『ロック・ミー・アマデウス』であった。

    Falco_Grab

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    オーストリア共和国は、ヨーロッパにある連邦共和制国家で、首都は、いわずと知れた、
    音楽の都ウィーン。 約650年もの間、中央ヨーロッパにおいて、ハプスブルク家の帝国
    として君臨し、第一次世界大戦前までは、イギリス、ドイツ、フランス、ロシアと並ぶ欧州
    五大列強国とされていた。 1918年、第一次世界大戦での敗戦、並びに、革命により、
    1867年より続いたオーストリア=ハンガリー帝国が解体し、共和制となった。

    かつては、多民族国家であった旧帝国のうち、支配的な民族であったドイツ民族が多数を
    占める地域のみにおおむね領土が削られ、現在に至っている。 1938年には、ナチス・
    ドイツに併合され、敗戦後の1945年から1955年に掛けては、連合国軍による分割占領の
    時代を経て、1955年に独立を回復した。 EU加盟以降は、同言語同民族でありながら、
    複雑な国家関係が続いていたドイツとの距離が再び縮まりつつあり、一部では、ドイツ
    民族至上主義が台頭している。



    ドイツ語での国名、Österreich は、『東の国』という意味であり、フランク王国の頃にオスト
    マルク東方辺境領が設置された事に由来する。 オーストリアは、しばしばオーストラリアと
    間違われるが、オーストラリアは、ラテン語で『南の地』を意味しているため、オーストリア
    とは語源的にも無関係である。

    日本では、オーストリア大使館とオーストラリア大使館を間違える人もおり、東京都港区
    元麻布のオーストリア大使館には、同じく港区三田の『オーストラリア大使館』への地図が
    掲げられている。

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    オーストリアとオーストラリアの国名の混同は日本だけではなく、英語圏の国にも広く
    見られ、聞き取りにくい場合には "European" (ヨーロッパのオーストリア)が付け
    加えられる場合がある。 2006年10月に、駐日オーストリア大使館商務部は、
    オーストラリアとの混同を防ぐため、国名の日本語表記を『オーストリア』から
    『オーストリー』に変更すると発表した。

    オーストリーという表記は、19世紀から1945年まで使われていた『オウストリ』という
    表記に基づいている。 発表は大使館の一部局である商務部によるものだったが、
    署名は、当時のペーター・モーザー大使とエルンスト・ラーシャン商務参事官の連名で
    行われ、大使館および商務部で変更を検討し、オーストリアの国名の全面的な変更を
    思わせるものであった。
     
    20061115-01

    しかし、2006年11月、大使は、国名表記を決定する裁量は日本国にあり、日本国
    外務省への国名変更要請はしていないため、公式な日本語表記は『オーストリア』の
    ままであると発表した。 ただし、オーストリーという表記が広まる事により、
    オーストラリアと混同される事が少なくなる事を願っているとされた。
     
    その後、大使館商務部以外では、大使館、日本の官公庁、マスメディアなどに
    『オーストリー』を使う動きは見られない。 昨年度から、旧ソ連邦構成国家であった、
    グルジアが、『ジョージア』と改名されたが、こちらもその名前が、どれほど定着する
    のか、かなり懐疑的である。

    オーストリアのドイツ語は、ドイツのドイツ語とは差異が大きく、ドイツ語の一方言とする
    のか、または、別言語とするのか、言語学的に見ても、かなり難しいところ。 民族と
    言語はドイツと同じだが、国家とその歴史がドイツとは異なるのがオーストリア。 国が
    異なれば、言語も別であろうとするウクライナとは対極を行っている国。 普段は、
    100%オーストリア・ドイツ語だけで話しているが、基本的に、標準的なドイツ語も喋れる
    のがオーストリア人。

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    国連が毎年調査を行っている、『世界の町、住みやすさランキング』において、常に
    世界のトップをひた走る、ウィーン市内の定期券のデザインが一新された。 これさえ
    あれば、ウィーン市内の国鉄、私鉄、地下鉄、バスの全ての交通機関に無制限で
    乗り降り可能となる万能定期とでも言うべきもの。

    ドイツ語圏、フランス語圏共に、『改札』というものがないため、切符を購入した際には、
    改札らしき場所で、切符に自分でパンチを押さなければ、切符が有効にはならないため、
    注意が必要。 よって、キセルをしようと思えば、幾らでも出来るのだが、度々車内に
    抜き打ちで、検札のコントローラーがやって来るため、その際に切符、または、定期券を
    所持していなければ、一か月分の定期券と同額の罰金を徴収される。

    オーストリア国鉄には、『年間券』という制度があり、こちらは、年間1万円程度の会費を
    支払って会員になると、オーストリア国鉄が全て半額になるというお得な制度。

    尚、ドイツ語圏、フランス語圏では、鉄道の中に普通に自転車を積み込む事が出来る。
    これは、日本とは、決定的に異なる点と言える。 毎日、ぎゅうぎゅう詰めの電車に
    揺られていると、物と同じような扱いを受けているような気分になるのは何故なのだろう?

    尚、ウィーンのIKEAは、ギリギリ ウィーン市外にあるため、この定期だけでは行けない。
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    この季節のオーストリアの定番と言えば、ランゴス♪ 元々は、ハンガリー
    料理だったものが、オーストリアにも入って来たもの。 同じドイツ語圏である
    筈のドイツでは、食べないらしい。

    調理方法は、パイ生地のような小麦粉の生地を、ニンニクをたっぷりと摩り
    下ろしたオリーブ油で揚げるだけ。 その他、チーズを乗せたり、お好みで、
    トマトや、ピクルス等を上に乗せて、ほぼピザのような状態のものもあるが、
    個人的には、シンプルなこのバージョンが一番お勧め。 ウィーン市役所の
    クリスマス市では、毎年、ランゴスの屋台が登場し、ホットワインや焼き栗
    (オーストリアでは、『Kastanien』ではなく、『Maroni』と言う)と共に、
    ウィーンの冬の定番となっている。

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    日本語には、『頂きます』という言葉があるが、ヨーロッパ言語には、その
    ような表現はない。 その代わりに、これから食事をしようとしている人に
    対して、『美味しく召し上がれ』と言います。 ドイツ語の場合は、
    『マールツァイト』『グーテン・アペティート』または、フランス語の
    『ボン・アペティー』と言い、ロシア語の場合は、
    『プリヤードナヴァ・アペチータ』と言います。

    ロシア語では、どうして主格にならないのかと言うと、その前に本来ある筈の
    『望む』という動詞が生格支配だから。 ドイツ語の場合は、4格支配のため、
    その前に付いている形容詞が、『グーテン』と4格に格変化する。 英語には、
    格変化がないが、ドイツ語の4格は、英語の目的語に相当するので、目的格とも
    言う事が出来る。

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    1179409556-2LangosSchafskseTomatenKruter
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    【お勧めの一冊】



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