先史時代、現在のオーストリアとなっている地域の渓谷は、氷河に覆われていた。
紀元前1万年頃、この氷河は溶けて、北へ後退した。 気温の温暖化につれて、
穴居していた先史人類たちは、森林や渓谷で狩猟や耕作を始めた。

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そのうちに、人々はこの地域の岩塩を採掘したり、金属の器具や武器を作るように
なった。 その結果、紀元前3000年頃には、この地域は、ヨーロッパ交易の中心に
なっていた。 紀元前800年頃、ザルツカンマーグート地域のハルシュタット付近に
重要な交易中心が出来、熟練した工人たちが作った鉄や青銅の剣は、ヨーロッパの
西部や北部に輸出された。

紀元前450年頃、ケルト人と呼ばれる熟練した騎馬戦士が、東からヨーロッパ東部を
横断してドナウ川の南岸に侵入し、ノリクム王国を建てた。 ケルトの工人たちは
鉄、銅、青銅を使って武器や日常用具を作った。 岩塩と鉄鉱石の管理で、強力で
安定した王国となったノリクムは、数世紀に渡って繁栄した。

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【ローマ統治下のオーストリア】

ケルト人の土地の北には、今のドイツ人の祖先であるゲルマン人が住んでいた。
ゲルマン人は、ノリクムの鉱山や定住地を度々攻撃し、ついには、王国を通過して
王国の南にあるローマ人の都市を度々攻撃した。

ローマ人は、イタリア半島を根拠地とする民族だが、紀元前1世紀には、地中海
沿岸のほとんどを征服して大帝国を築きつつあった。 ローマ人たちは、
ゲルマン人の攻撃を阻止するためにノルクムに侵入し、紀元前15年頃、ケルト人
たちを征服して、ドナウ川沿いに新しく要塞を築き始めた。 ローマ帝国は、
この地域に3つの州を創った。 アルプス山地のラエティア、オーストリア中部の
ノリクム、そして、ノリクムの東でドナウ川の南岸を占めるパンノニアである。

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この地域のローマ諸州では、安定した軍政の下で、200年に渡って平和が続き、
往来の激しい交易ルートに沿って、新しい都市が次々に建設された。 商人たちは、
帝国の他の地域に、岩塩、金属、羊毛、家畜を輸出した。 ローマ人たちは、
ウィンドボナ(現在のウィーン)とその東のカンヌントゥムに、城壁に囲まれた
都市を建設した。

しかし、西暦2世紀の後期になると、繁栄していたノリクムの諸都市は、ローマの
国境外に住む好戦的な諸民族の攻撃に再びさらされることとなった。 ドナウ川
越の攻撃は、4世紀一杯続いた。 その間に帝国の指導者層が分裂して、国境
沿いの諸州への支配力が弱まった。 こうして、この地域での交易は次第に衰えた。

400年代になると、ローマの軍隊は、北部の諸州から撤退した。 すると、東からは
スラブ人が、北からはゲルマン人が、ローマの諸州を次々と攻撃した。 5世紀末
にはローマはすっかり衰退し、アジアから来たフン族の大軍が、アッティアラ
という名の王に率いられて、ヨーロッパ中部を制圧した。 農地や交易ルートを
めぐる争いもしばしば戦争の原因となった。

ゲルマン人たちは、ノリクムとラエティアを征服し、スラブ人たちは、パンノニアに
定着した。 北東からチェコ人たちがドナウ渓谷に侵入し、また西から移動して来た
アレマニ人は、オーストリア西部の山岳地帯に幾つもの村落を作った。

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