410年にローマ人がイギリスから撤退すると、イングランドとウェールズは、
地方の支配者が統治する幾つもの小さな王国に分裂した。 ピクトランドと
アイルランドは、一度もローマに征服されることはなかった。 ピクトランド
には、ピクト人が住んでおり、アイルランドには、スコットランド人が住んで
いた。 スコットランド人は、ピクトランドを侵略し、自分達の民族の名前を
とって、スコットランドという名前を付けた。

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6世紀には、アングル人、サクソン人、ジュート人、と呼ばれるゲルマン人が
大挙して北ヨーロッパからイギリスへやって来るようになった。 彼らは、
その後の100年の間に、イングランドのほとんどの地域とスコットランドの
低地に定住した。 アングル人は、その名を取って、イングランドとし、この時
から、イングランドに住む人々は、アングロサクソンと呼ばれるようになった。
元々、イングランドに住んでいたケルト人は、西方のコーンウォールと
ウェールズへ追いやられた。 6世紀から7世紀には、ヨーロッパから
宣教師がやって来て、アングロ・サクソン人をキリスト教徒にした。

アイルランドには、既に432年、聖パトリックがキリスト教をもたらしていた。
その後の500年代に、聖コルンバがスコットランドとイングランド北部に
キリスト教を広めた。 一方、イングランド南部には、カトリックの総本山の
ローマからの聖アウグスティヌスが派遣され、人々をキリスト教に改宗させた。

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900年代には、バイキングがイギリスの海岸を襲った。 1016年以降は、
カヌートというデンマークのバイキングがイングランドを治めた。 伝説に
よると、カヌート王の家来は、王には神のような力があると信じていた。
そのような力は、持っていないことを示すため、カヌート王は、陸へ打ち
寄せる波に止まるように命じたという。 もちろん、波は止まらず、水位は
上昇し続けた。 デンマークによる支配が終わって間もなく、イングランドは、
別のバイキングに征服された。 1066年、北フランスのノルマン人が侵略した
のである。

ノルマンの王たちは、国中に城を築いて権力を示し続けた。 支配者である
ノルマン人は、フランス語を話し、それが次第にアングロ・サクソン語と
混じって行き、現在の英語の元となった。

イングランドを支配下に置いたノルマンの王たちは、1171年にアイルランドを、
1289年には、ウェールズを征服した。 しかし、かつての支配者だったローマ人
同様、スコットランドには撃退された。

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