東京通詞 ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    タグ:アルプス

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    スイスの作家ヨハンナ・シュピリ原作の『ハイジ』を実写版で忠実に再現。
    日本では『アルプスの少女ハイジ』以来、約40年振りとなる。 『ハイジ』が
    書かれたのは1880年で、今から約135年も前の話で、今も変わらぬ人を
    思い遣る心は、子供に読ませたい古典童話ナンバーワンとなっている。

     

    【ストーリー】
    アルプスの山の大自然に囲まれ、ガンコだけれど優しい祖父や、麓に住む
    ヤギ飼いのペーターと楽しく暮らしていたハイジ。ところがある日突然、
    大富豪のお嬢様のクララの話し相手として、フランクフルトの都会へ連れて
    行かれることになります。 足が悪く車いす生活を送っていたクララは、
    明るく素直なハイジに励まされ、元気を取り戻して行きます。

    やがてハイジとクララは固い友情で結ばれますが、ハイジは日に日に山へ
    帰りたいという想いが強くなって行くのでした。 そんな時、お屋敷では
    幽霊騒動が持ち上がります。 夢遊病と診断されたハイジは、山へと帰って
    行きますが、その後、ハイジを追って、クララも山へやって来ます。
    アルプスの山々や雄大な自然に囲まれて、次第に元気を取り戻すクララは、
    遂に立つことが出来るようになります。

    【アルムおんじの暗い過去】


    原作にしか書かれていないアルムおんじの暗い過去とは、殺人だった。。
    広大な土地を持つ裕福な家に生まれたアルムおんじは、若い頃から気性が
    荒く、飲んだくれた挙句の果てに、賭け事で身を滅ぼしてしまう。 全ての
    土地と家を取り上げられて、おんじの両親は、悲しみの余り、相次いで
    亡くなります。 泣く泣く故郷を離れる事となったおんじは、ナポリで
    外国人の傭兵に就きます。 そこで些細な事が切っ掛けとなり、人を
    殴り殺してしまいます。 そのまま軍隊を逃げ出し、人知れず身を隠して
    15年ほど生活をし、ようやく結婚もしたところ、すぐに奥さんを亡くして
    しまいます。 ハイジの父親である息子も事故で亡くしてしまい、
    その後、その事故が原因で、ハイジの母親のアーデルハイドもすっかりと
    体調を崩してしまい、やがて亡くなってしまいます。 こうして、
    アルムおんじは、人里離れて山奥で1人暮らす事となったのです。 

    【マイエンフェルト】

    実際にスイスにあるハイジの山小屋は、この映画とは似てはおらず、日本の
    アニメと全く同じなのだが、丸太をくり抜いた窓は、今では、サッシに
    なっているものの、それ以外は、アニメそのまま。 ハイジの山小屋は、
    スイスのマイエンフェルトに実際にあります。

    【お勧めの一品】



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    1815年のウィーン会議で、ナポレオンに占領されていたジュネーヴ、バレー、
    ヌーシャテルの旧同盟州が新たにスイス連邦に加わえられることが決定され、
    22州の連邦が成立する。 この時、スイスの永世中立と独立も承認された。

    ウィーン会議では、スイス憲法の問題は取り上げられなかった。 ナポレオンの
    敗退後、スイス憲法は効力を失い、スイスの領土は殆んど2、3の有力な家に
    よって支配され、半ば独立した州(カントン)のゆるやかな連合体に戻った。

    工場労働者や農民から、政府の民主化に強化する要求が盛んに出され、それに
    連れて再び宗教と社会の対立が激しくなった。 1880年代になると、改革運動が
    強まり、政府が倒される州もあった。

    1834年に、最も自由な都市州において、教会の所有する土地への課税、信仰の
    自由、教会から独立した公立学校制度を要求する運動が高まった。 これに
    反感を抱いた保守的なカトリック派の7州が同盟を結んで、この運動に対抗した。
    連邦政府は、同盟の解散を命じるが、7州が拒絶したため、1847年に、3週間に
    渡って内乱が起きた。 7州の同盟軍は敗北し、翌年、新憲法が制定された。

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    【1848年憲法】
    新憲法は、州と連邦政府間の権限を慎重に分けるものだった。 将来ヨーロッパで
    いかなる紛争が起きても、スイスの中立を守るため、外敵の攻撃に備える軍隊と
    防衛制度を区別する条項が盛り込まれた。 更に、商取引の効率を上げるため、
    慣習と度量衡と通貨にそれぞれ同一の基準が設けられた。

    新憲法によって、スイスが抱えていた最もやっかいな政治上の問題が解決し、
    経済活動に集中出来るようになった。 その結果、19世紀中頃には、景気が著しく
    向上した。 自由貿易政策により貿易が増大し、産業も発展した。 スイスは、
    貿易相手国がスイスからの輸入品に関税を掛けなかった。 スイスは、小国だが、
    自由貿易の政策のお陰で、外国に多くの市場を獲得出来たのである。

    政府の制約を受けないスイスの商業は、瞬く間に発展した。 教育を受けた
    商人階級と政府の力で、政界の産業界と市場の変化にうまく対応することが出来た。

    自国の製品を輸出するため、鉄道と道路網が整えられ、生産性を高めるため
    機械化して、諸外国と有利な通商協定を結んだ。 スイスの繁栄には観光も
    役立った。 アルプスの雄大な自然を求めて、外国から大勢の人々が観光や
    保養にやって来たからである。

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    1300年代にオーストリアを征服し、そこを新しい根拠地にしていた
    ハプスブルグ家の狙いは、ウーリ地方南部のサンゴッタルド峠を通るアルプス
    越えの重要ルートを管理する事だった。 1315年に、ハプスブルグ軍は、
    シュウィーツ地方で、同盟軍と衝突し(モルガンテンの戦い)、敗北した。

    14世紀の後半には、ベルン、ルツェルン、ツーク、チューリヒ、グラールスの
    各州が、スイス同盟に加わり、同盟の領域は広がった(いわゆる『8州
    (カントン)同盟』)。 軍事力を増強した同盟軍は、1386年、88年と続いて
    ハプスブルグ軍を打ち破る。同盟軍はまた、ヨーロッパの他の軍勢を相手に
    領土をめぐって何度か戦いを交わし、そのつど勝利をおさめた。

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    同盟体が拡大するに連れて、州の代表達の間で、勢力範囲についてほぼ同意が
    取り交わされていた。 ところが、1400年代の中頃、チューリヒ州は、境界の
    東方と南方の領地を吸収するため、ハプスブルグ家と再び同盟を結ぶ。 同盟軍は、
    それに対抗し、チューリヒとの間で何度か激しい戦いが交わされた。

    1450年についにチューリヒは敗北を認め、スイス同盟に復帰した。 その後、
    同盟軍は、1470年代に、フランス北東部のバーガンディー公国と戦った。
    オーストリアとフランスの援軍を得て、同盟軍は、勝利をおさめる。 戦いで、
    スイス側に付いたフリブールとゾーロツェルンの2地域が、1481年、スイス同盟に
    加入する。

    1490年代に、オーストリア皇帝マキシミリアン1世は、再び神聖ローマ帝国の
    支配権を握ろうとする。 当時スイス同盟は、少なくとも、名目上は、まだ
    神聖ローマ帝国に属していた。

    オーストリア軍がスイス同盟の東方の地域、グラウビュンデンを攻撃すると、
    同盟軍は、反撃に出る。 同盟軍は、勝利をおさめ、事実上、神聖ローマ帝国
    からの独立を獲得した。

    1500年代に入り、スイス同盟は、オーストリア、フランス、イタリアを相手に、
    イタリア北部の広大で肥沃な平野を獲得する争いに関わる。 1515年、同盟軍は、
    フランス軍に敗北し、8000以上の兵を失った。

    その語の和平条約で、スイスは、領土の南方の広大な土地ティチーノを手に入れる。
    この条約によって、スイスとフランスの間の自由貿易が広がった。

    やがて農村から都市へ移住する人が増え、織物やガラス、木、金属製品の生産に
    従事したため、スイスの産業は発展した。 また、スイス兵は戦いに熟練して
    いたので、他の国の兵士として働きに出るようになる。 特に、当時戦力を拡大
    する必要性があったフランス軍には、大勢のスイス兵士が加わって戦った。

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