紀元前58年にヘルベチア族は、恐らくゴール地方(現在のフランス)の
財宝を求めて東方に進出する。 すると、ローマ帝国の軍隊がヘルベチア族を
攻撃し、やがてヘルベチア地方を占領した。 一方、ローマ軍は、ジュリアス・
シーザー指揮の下、ヨーロッパ大陸の他の地域に住む民族を征服して領土を
広げて行く。 紀元前15年には、ラエチア族も制服された。

ヘルベチアは、ローマ帝国の支配下に入るが、自治は認められていた。 また、
ローマ帝国の領土の一部として、ヘルベチアは繁栄する。 牧畜を行い、穀類や
果物を栽培し、ワインを製造した。 新しい道路が開けて、交易が盛んになり、
小さな市場を持つ街の人口が増えた。

german

紀元前253年に、ライン川の北に定住するゲルマン部族のアラマン族が、
ヘルベチア族の定住地を次々と侵略する。 ローマ軍は、これに対抗して戦い、
ヘルベチアの領土を取り返した。 しかし、この戦いに掛かった費用を
取り戻すため、ローマの役人はヘルベチア人に高い税金を払わせ、無給で
働かせた。

Charlemagne

【ゲルマン民族による統治】
フランク王国の支配下で、スイス地域に住む人々は、段々とキリスト教に
改修し、ローマカトリック教会に所属した。 9世紀には、カロリング家の
カール王(後のカール大帝)が現在のスイス、フランス、オランダ、
オーストリア、イタリア、そして東ヨーロッパの殆どの地域を含む広大な
キリスト教徒の領土を統一し、大帝国が誕生した。 ローマ教皇もカール王の
力を認め、800年には神聖ローマ帝国の皇帝として王冠を授けた。

王国各州に任命された諸侯(貴族階級)は、広大な領土を所有し、外敵の
侵入に備えて兵を雇った。 諸侯は、領地内での支配権を握っていたが、
王には服従した。 王位は、世襲で続き、王国に対する諸侯達の忠誠も
代々受け継がれた。

領地には、諸侯の下に家老、職人、小作人がいて、階級制度が出来
上がっていた。 小作人は、農奴と呼ばれ、諸侯のために無報酬で働く
代わりに、食料を与えられ、保護を受けた。 その身分は、法的に領地に属し、
領地を離れることは許されなかった。

小作主も領主に保護され、その返礼として農園の収穫物の一部を差し出した。
封建制度と呼ばれるこの政治と社会の仕組みは、その後、数百年間続いた。

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