カロリング朝は、領主たちがユーグ・カペーを国王に選出した987年で終わる。
カペーは強大な公爵で、その領地は、パリ周辺から南のオルレアンにまで広がって
いた。 領主たちは、思いのままになる人物を国王に選んだと信じたが、カペは
996年に、フランスの王位に自分の息子であるロベール2世に継がせ、カペー朝が
始まる。 カペー朝時代は、領主たちは領地の支配を続けたが、戦時には国王に
尽くすことを求められた。

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12世紀までに、カペー朝の領土は、広がり始めていた。 ルイ7世(在位1137~
1180年)は、1137年にアリエノール・ダキテーヌというアキテーヌの相続者と
結婚して、王領を増やした。 しかし、国王夫婦の間には娘しか生まれなかった
ので、アリエノールを離婚し、王位を継ぐ男子を産んでくれそうな女性と再婚した。

しかし、アリエノールはアキテーヌの広い土地を所有したまま、ノルマンディー
王アンリと再婚した。 アンリが1154年にイギリス国王となると、アリエノールの
所有地もイギリスの土地になった。 アキテーヌの領有問題は、イギリスと
フランスの数世紀に渡る紛争の原因になった。

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ルイ7世の息子であるフィリップ2世が、1180年にフランス国王になると、政略
結婚と征服によって王権を強めた。 北フランスのノルマンディーとアンジューも
手に入れた。

南部のプロバンスでは、宗教をめぐって異端者たちの反乱が起きた。 怒った
ローマ教皇は十字軍(宗教戦争)を提唱した。 フィリップ2世と息子のルイ8世は、
教皇に味方し、プロヴァンスをフランス国王の治下におさめた。

ルイ8世の息子、ルイ9世は、現実的な統治者であると同時に、信心深かった。
各地に宗教裁判所を不満を聞き入れ、紛争を解決した。 また、公正な行政制度で
フランス国民の信頼を得た。 ルイ9世は、教会に対する強い愛着のしるしとして、
多くの都市に新しい大寺院や宗教上の記念碑を建てることを命じた。 ルイ9世は、
中東とアフリカへの十字軍を指揮して遠征中の1270年に没した。 死後、ローマ・
カトリック教会から聖人に列せられた。

フィリップ4世(在位1285~1314年)は、教会を王権の支配下に置いた。 また、
地方の行政官、裁判官、税吏に対する王の権限を強めて行った。 フィリップ4世
は1302年に、全国三都会という討議集会を開いた。 フィリップ4世の改革を
支持した土地貴族たちによるこの全国三都会が、後のフランス議会の基礎と
なった。

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