東日本大震災の最大の被災地、宮城県女川町の現在の姿。 余りにも変わり
果てており、大規模な道路工事により、通常の国道から女川の町には入れ
なくなっていました。 現在、女川の中心部まで車で行く場合は、一旦、
コバルトライン方向へと入ってから、再度、女川方向に戻るしかありません。
果てており、大規模な道路工事により、通常の国道から女川の町には入れ
なくなっていました。 現在、女川の中心部まで車で行く場合は、一旦、
コバルトライン方向へと入ってから、再度、女川方向に戻るしかありません。
現在、堀切山から望む女川の中心部には、建物のひとつすらありません。
女川に押し寄せた津波の高さは、この堀切山をも超え、25メートル前後と
言われています。 但し、この堀切山は、階段で更に上に登れるのと、
山上にある女川町地域医療センターの建物が4階建てであるため、そこへ
登って、多くの人達が命を守り切りました。
【堀切山から望む女川の中心部】
女川は、死亡率で見ると、住民の10人に1人が死亡した、東日本大震災最大の
被災地ですが、すぐそばに女川原発があるせいなのか、その被災状況は、全国では
全く伝えられてはいません。 今回は、この献花台で『七十七銀行女川支店』の
ご遺族の田村さんご夫婦と『日和幼稚園』のご遺族の佐藤さんと待ち合わせを
してからこの献花台へと向かいました。 共に、語り部をされていますので、
女川、石巻へお越しの際は、お話を聞いて、命の大切さを今一度考え直してみては?
被災地ですが、すぐそばに女川原発があるせいなのか、その被災状況は、全国では
全く伝えられてはいません。 今回は、この献花台で『七十七銀行女川支店』の
ご遺族の田村さんご夫婦と『日和幼稚園』のご遺族の佐藤さんと待ち合わせを
してからこの献花台へと向かいました。 共に、語り部をされていますので、
女川、石巻へお越しの際は、お話を聞いて、命の大切さを今一度考え直してみては?
まずは、田村さんご夫婦に、『七十七銀行女川支店』の被災状況を伺いました。
田村さんご夫婦は、毎週末、この場所で、語り部を続けていますので、一度
訪れてお話を聞くだけの価値は十分にあると思います。 JR石巻線の終点駅で
ある女川駅からも、さほど遠くありませんが、行く度に道路が変更になるため、
若干分かりづらいかも知れません。
【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
石巻や女川の人達は、『かつてない地震』とは言うものの、『宮城県連続地震』の田村さんご夫婦は、毎週末、この場所で、語り部を続けていますので、一度
訪れてお話を聞くだけの価値は十分にあると思います。 JR石巻線の終点駅で
ある女川駅からも、さほど遠くありませんが、行く度に道路が変更になるため、
若干分かりづらいかも知れません。
【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
被災地から見れば、東日本大震災の地震の方が、地震災害としては、相当まし
だったため、東日本大震災を未曾有の大地震と言うのには、かなりの疑問が
残ります。
【七十七銀行女川支店の被災当時の惨事を伝える資料】
献花台の前で語り部活動中の田村さんご夫妻。 この日は、新聞社の方が
取材をしていました。 暑い日も寒日も、夏も冬もここで語り部を続けています。
医療センターがある堀切山の一段下の部分にこの献花台があるため、遥々堀切山まで
来た人達でも、この献花台に気付かずに立ち寄らない人達も実は多いのが現状。
七十七銀行女川支店は、海のすぐそばにありましたが、海側にあった4階建ての取材をしていました。 暑い日も寒日も、夏も冬もここで語り部を続けています。
医療センターがある堀切山の一段下の部分にこの献花台があるため、遥々堀切山まで
来た人達でも、この献花台に気付かずに立ち寄らない人達も実は多いのが現状。
マリンパル女川の建物が完全に邪魔をして、津波が来たのが銀行の屋上からは、
全く見えなかったそうです。 仙台銀行、石巻信用金庫の行員達は、全員堀切山に
避難をして助かっています。 企業側の防災に対する意識の違いひとつだけで、
明暗が完全に分かれた事案と言えます。
【2015年12月24日に新しく街開きした女川駅前】
2015年の3月に移転再開したJR石巻線女川駅。 200メートルほど内陸側に移転
しましたが、この程度の移動では、恐らく、何の意味もないでしょう。 元の
駅前は、若干嵩上げして、新しい町を建設していますが、元々、その場所は、
津波で全て消滅した場所なので、再度津波が襲って来た場合は、ハッキリ言って、
ひとたまりもないでしょう。
この女川だけは、津波の威力が余りにも凄過ぎて、女川駅のホームに留めてしましたが、この程度の移動では、恐らく、何の意味もないでしょう。 元の
駅前は、若干嵩上げして、新しい町を建設していますが、元々、その場所は、
津波で全て消滅した場所なので、再度津波が襲って来た場合は、ハッキリ言って、
ひとたまりもないでしょう。
あった気動車が山の上にまで流されて横転していたり、4階の屋根の上に車が
刺さっていたり、山の上に家屋の屋根だけが流されていたりしました。 更に、
鉄筋コンクリートの建物が横転したのも女川だけ。
現在女川駅は、無人駅になりました。 駅の中には、温泉施設の『ゆぽっぽ』と
無料の足湯がありますが、これは、絶対に原発マネーで掘り当てたものだと
前々から思っています。 ここは、女川原発からは、直線距離で7.5キロしか
離れていません。
ゆぽっぽの入湯料は500円なので、関東の感覚だと安いと思います。 津波で
流される前の足湯には、屋根があったのですが、今の足湯には、屋根がないので、
雨が降った時には傘が必要です。
女川で唯一残った倒壊した建物。 3つあった倒壊した震災遺構は、その2つが
既に取り壊されたため、女川派出所のみが女川駅前に残りました。 新しい町と
倒壊した建物、両極端な組み合わせですが、ほんの2年程前まで、この場所は、
山のように高い瓦礫置き場でした。
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