初めて海を渡ったサムライ
慶長遣欧使節は、慶長18年(1613年)に仙台藩主の伊達政宗がフランシスコ会
宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王
フェリペ3世、および、ローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節であるが、
元々、この使節団は、その2年前の1611年に三陸を大規模な津波を襲ったのを
契機に、徳川家康の許可を得て、仙台藩が単独、かつ独自に派遣した使節団
である。
当時の日本は、江戸幕府による鎖国令が敷かれており、津波による大災害を
好機へと変え、ガレオン船を建造して、海外へとその活路を見出そうとした
伊達政宗の野望とも言える壮大な計画である。 この時、伊達政宗は、
「奥州王」の名において、イスパニア艦隊の日本への派遣をこの使節団に要請
しており、当時世界最強であったイスパニア艦隊がその政宗の要請に応じて
いれば、日本は根底から何もかもが変わっていた可能性がある。 一説に
よれば、徳川幕府を倒すためにこの使節団を派遣したとも言われている。
コリア・デル・リオ
欧州遣欧使節は、現在の宮城県石巻市の月の浦を出航し、ヌエヴァ・イスパニア
(メキシコ)を経由して、一路ローマを目指したが、その途中のスペイン南部に
あるコリア・デル・リオという小さな街で長期滞在した。 この街で滞在をした
理由は、ルイス・ソテロの出身地であるためと言われている。 この滞在には、
諸説あるが、使節団は、最長で1年程度をこの街で過ごしたとも言われている。
この街には、ハポン(Japón=日本)姓、もしくは、Xapón姓の人が数百人
住んでおり、この使節団の中で日本に帰らず現地に留まり移住したキリスト
教徒の仙台藩の藩士や使節の現地人水夫、その支援者の子孫であると言われ
ている。
【コリア・デル・リオ】
政宗の野望費える
1615年1月30日、使節団は首都マドリードにてイスパニア国王フェリペ3世に謁見を
許された。 2月17日、支倉常長は、フェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の
付属教会で洗礼を受けた。 8月22日、使節団はマドリードを出発した。 使節団は
その後、10月25日にローマに到着し、10月29日、ローマにおいて栄誉あるローマ
入市式を行った。 11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に
謁見し、ローマ市民権証書が授与された。 但し、交渉は難航し、結局、政宗の
嘆願が受け入れられることはなかった。
この使節団は、出航直後にキリシタン禁令や宣教師追放令が出たことから、
7年後に帰国するものの、洗礼を受けていた支倉常長を当主とする支倉家は
御家断絶の憂き目に。 ルイス・ソテロもマニラから密入国しようとしたが
捕らえられ、寛永元年7月12日(1624年8月25日)に長崎の大村で火刑により
殉教した。
7年後に帰国するものの、洗礼を受けていた支倉常長を当主とする支倉家は
御家断絶の憂き目に。 ルイス・ソテロもマニラから密入国しようとしたが
捕らえられ、寛永元年7月12日(1624年8月25日)に長崎の大村で火刑により
殉教した。
岩倉使節団
その後、使節団のことは語られることなく、明治6(1873)年に岩倉具視率いる
「岩倉使節団」がイタリアのヴェネツィアで常長の書状を発見したことで、慶長遣欧
使節の偉業が明らかとなった。 これが切っ掛けで、当時逆賊扱いをされていた
仙台の地に、日本で2番目の高等学校、仙台第二高等学校(現在の東北大学)が開設
されることとなった。
使節団が持ち帰った貴重な資料は国宝に指定されていたが、2013年6月にユネスコの
「世界記憶遺産」に登録され、仙台市博物館に保管されている。
東日本大震災
コリア・デル・リオでの滞在は、たった1日のみであったが、東日本大震災が
発生した際に、このコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れているという
噂を聞き付け、スペイン語でコリア・デル・リオ市役所に問い合わせたところ、
全くのデマであることが判明したため、結局、この地に住むことはなかったが、
もし、本当にコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れていたならば、今頃は、
日本などからは離れて、この地で生きていたと思う。 宿泊した宿のオーナーも
ハポンと言う人であった。
発生した際に、このコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れているという
噂を聞き付け、スペイン語でコリア・デル・リオ市役所に問い合わせたところ、
全くのデマであることが判明したため、結局、この地に住むことはなかったが、
もし、本当にコリア・デル・リオ市が避難民を受け入れていたならば、今頃は、
日本などからは離れて、この地で生きていたと思う。 宿泊した宿のオーナーも
ハポンと言う人であった。
コリア・デル・リオ市は、日本人の末裔の街であるため、日本人観光客向けに日本語
での案内もあるのだが、肝心の日本人が、その史実を全く知らないため、ここには、
滅多に日本人が来ないとか。 コリア・デル・リオは、セビリアからバスで1時間
程度の場所にあるため、昔のサムライの気概を感じるために、コリア・デル・リオを
訪れて見るのも一興だと思う。
>>遠い帆 ~日本で始めて海を渡ったサムライ~
>>トップページに戻る
クリックをお願いします☆
にほんブログ村
での案内もあるのだが、肝心の日本人が、その史実を全く知らないため、ここには、
滅多に日本人が来ないとか。 コリア・デル・リオは、セビリアからバスで1時間
程度の場所にあるため、昔のサムライの気概を感じるために、コリア・デル・リオを
訪れて見るのも一興だと思う。
>>遠い帆 ~日本で始めて海を渡ったサムライ~
>>トップページに戻る
クリックをお願いします☆
にほんブログ村