継ぎはぎの人工国家ウクライナ
ウクライナは大きく分けると、下記の図のように分かれが、元々ウクライナ人が
支配していた地域は、黄色い部分のみ。 ザックリと考えると、西側はポーランド、
東側はロシアである。 青い部分の西部のガリツィア地方は、元々はポーランド領、
かつ、ウクライナ自体が数百年間に渡りポーランドの支配地であったため、
この2地域は、本来はポーランドと考えて間違いない。 但し、ポーランド本国の
宗教はカトリックだが、ウクライナは正教であったため、最終的に、宗主国の
ポーランドから独立を果たす際に、隣国のモスクワ公国(現在のロシア)の
力を借りたところ、そのままロシア帝国へと吸収されたのがウクライナ。
ウクライナ政府は、ガリツィアに対して、異常なまでのこだりを持っているが、
ウクライナ人達も、ポーランドを西へと追いやっており、ガリツィアは本来は、
ポーランドに属する方が自然な地域。
青い部分の南西部にあるベッサラビア(北ブコビナ)は、元々、ルーマニア領、
同カルパチアは、スロバキア統治の後、ハンガリー領となった地方で、
現在のウクライナ領ザ・カルパチア州もウクライナからの独立を1度宣言して
いるため、いつウクライナから分離独立するのか分からない地域。
ドンバス&クリミア
日本でも時々「親露武装勢力が支配している地域」として度々メディアでも
紹介されている緑色の南東部のドンバスは、元々はロシア領であり、
「ノヴォロシア」とも呼ばれている地域で、ウクライナ人は少なく、ロシア人が
完全に多数派の地域。 最南端のクリミアは、元々ロシア領であったため、
ウクライナ支配よりもロシア支配の方が遥かに長く、第二次世界大戦が終結した
際に、チャーチル、ルーズベルト、スターリンが秘密裏に3者会談を行なった
「ヤルタ会談」とは、クリミアのことであり、当時のクリミアの帰属はロシアで
あった。 その後、ウクライナ人のフルシチョフが、ロシアとウクライナの
「友好の証し」として、一方的にウクライナへと編入したが、当時のソ連邦内の
国境は、日本で言うところの「県境」程度の認識でしかなく、パスポート等も
当然必要なかった。
ウクライナは、各国の国境の移り変わりが複雑に入り乱れた人工国家であるため、
それらを束ねるのは、ウクライナ人の『愛国心』だけなのかも知れない。
よって、最近のウクライナは、ネオナチだらけ。
ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一した際に、ドイツの国境が画定され、
ポーランドとの国境問題がなくなった今となっては、ポーランドも今更、
ガリツィアを返せとも言えないが、当時のゴルバチョフソ連大統領は、
東西ドイツが統一する条件として、旧ドイツ領の永久放棄と、NATOの東方への
拡大禁止を西側諸国に約束させている。
ウクライナ語
ウクライナ語は、ソ連時代は完全に死語で、高齢者以外は誰も使わない言語で
あったが、ソ連からの独立後は、国家のアイデンティティーの増大と共に、
公用語として復活したが、元々、ウクライナ人のネイティブ言語がロシア語で
あったため、方言程度の差しかないウクライナ語は、なかなか普及しなかった。
現在のウクライナ語は、上記のガリツィア方言が元になっており、言語的には、
ロシア語よりも、ポーランド語と非常に酷似しているが、ロシア語でそのまま
喋っても大方通じるぐらいに非常に酷似している。
日本から見た場合、例えば、京都が急に共産圏に入ると言い出したら、国民は
反対するであろう。 いくら東日本の人間が、関西の事を嫌っていたとしても、
実際に、関西が別世界に属してしまう可能性が出てきた場合、東京も当然、
大反対すると思われる。
ヨーロッパは、どこの国でも侵略、奪い合い、戦争の末、国境が画定された
場所が多く、ウクライナに限らず、隣国との関係は、どこも全て複雑な感情が
絡み合っており、余り突っ込んだ話が出来ない地域である。
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