多言語翻訳 Samurai Global ~多言語のススメ~

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共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    カテゴリ:東ヨーロッパ > ウクライナ・ベラルーシ

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    戦争 に参加中!

    【ウクライナ事情】
    旧ソ連から独立を果たしたウクライナは、欧米諸国では、常にロシアに虐げられた
    可哀想な国という扱いで、10年程前までは、ここまで極右化した国ではなかった。

    アメリカのグランドゼロで起こった9.11も、アメリカの自作自演だと言われて
    いる通り、世界の警察を自称して止まないアメリカがくちばしを突っ込んでくると、
    世界各地では必ず戦争が起きるため、アメリカは、常に、差別する相手と敵を
    探していると言える。


     
    日本では、徹底して悪者扱いをされている、ヤヌコビッチ ウクライナ前大統領は、
    それまで、公の場では、ウクライナ語でしか喋る事を許されなかったのを、これまで
    通り、ロシア語でも喋れるように戻した人物。 ユーシェンコの時代には、
    ロシア語を外国語扱いとし、公の場で話す事を禁止していた。 ウクライナ全土
    では、概ねロシア語のみで話していのにも関わらず、このような愚かな言語統制を
    行ったのは、世界広しと言えども、ウクライナぐらいであろう。

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    【クリミアの帰属】

    クリミアは、元々が、ロシアの領土であり、第二次大戦の末期に、クリミア半島の
    ヤルタで、スターリン、チャーチル、ルーズベルトの三者会談が開かれたのだが、
    その時に、クリミアがソ連邦内のどこの共和国の所属だったかというと、ロシア。

    その後、ウクライナ人のフルシチョフ書記長によって、クリミアは、ウクライナに
    一方的に併合され、当時は、それを「友好の証」と称していたが、その当時の
    ロシアとウクライナの国境線は、日本で言うところの、県境程度の簡単なもので、
    国境を超える際に、特にパスポートも必要なかったため、ロシア人達もクリミアの
    併合を特に気にも止めていなかったのだが、ソ連邦が崩壊して、ウクライナが独立を
    果たしてからは、それまでの支配層・特権階級であったロシア系住民は、逆に、
    ウクライナ人から迫害や乱暴狼藉をされる側になった。



    クリミア住民は、20年以上にも渡り、ウクライナ人からの差別、乱暴、レイプ等に
    耐え抜いたものの、2014年になって、ついに、堪忍袋の尾が切れて、住民達による
    正式な住民投票を経て、ウクライナから一旦独立の後、住民達の意思に従って、
    クリミアはロシアに返還された。

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    【ドンバスへの被害の拡大】

    その後、ロシア系住民(日本では、親ロ派と呼ばれている)の不満が東部へと拡大
    したのが、現在のウクライナであり、旧ソ連時代のウクライナ東部は、ロシア人の
    移住が進み、元々は、支配的な立場であったロシア系住民の多くは、ウクライナ人の
    事を田舎者扱いし、一時期ウクライナ語は禁止されていた。

    ウクライナの独立後、ウクライナは、ウクライナ人だけの国となってしまったため
    (これは、旧ソ連邦の他の国も状況は同じ)、ロシア系住民は、逆に、差別、弾圧の
    対象と成り下がった。 ウクライナ東部では、ロシア系住民への空爆や、殺戮が
    繰り返され、数十万人単位でのロシアへの避難民が出ているが、そのような不都合な
    事実は、西側メディアでは一切伝えられていない。

    >>無誘導ロケット砲での民間人殺害 人口集中地域でのグラート・ロケット砲使用停止を

    【忍び寄るアメリカ】
     
    独立後、事あるごとにロシアに楯突いて来たウクライナに目を付けたのは、
    アメリカで、前回のオレンジ革命でも、ロシアを陥れるために、アメリカが
    大々的に裏で糸を引いていたのは、明白な事実。 その結果、ウクライナでは、
    数年間に渡り、ロシア語が禁止になったのは、既に述べた通り。

    ウクライナでは、ポーランド寄りにある西部の極一部を除いて、皆ロシア語で
    話しているのだが、そのロシア語は、ウクライナでは、外国語扱いとされ、
    ロシア語放送には、全てウクライナ語の字幕が義務付けられ、日本から、
    ウクライナへ何か製品を輸出したければ、ウクライナ語のマニュアルの添付が
    強制化された。

    >>日本が見習うべきはロシア。プーチンのようにユダヤ金融資本を日本から追い出せ

    それを解除したのが、今回追放された、ヤヌコビッチ元大統領。 ウクライナの
    政治は、汚職が蔓延しており、政治家は、国民のためではなく、自分たちのため
    だけに暴利をむさぼり、その不満を愛国心に転化して、ロシアに非難の矛先を
    向けている。 ウォール街のユダヤ資本家に操られて、世界中で戦争を繰り返して
    いるのは、むしろ、アメリカの方で、戦争でお金儲けをしている人たちがいなく
    ならない限り、この世から戦争はなくならない。

    >>マレーシア17便は墜落していなかった。ボストンと同じように役者たちが演技していた
    マレーシア航空機17便最後の映像 ウクライナ空軍が撃墜したと言われている

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    この事実を完全に無視して、アメリカ寄りの報道しかしていない日本のメディアは、
    ウソ、偽り、間違を平気で公共の電波を通して垂れ流しているが、そもそも、
    ドイツ、フランス等のまともなヨーロッパ人は、この事実を知っているため、
    ウクライナをまともには助けようとはしない。

    ロシアは、これまでにも、アメリカの一方的な偏見により、数々の嫌がらせや、
    ウソのプロパガンダばかりを流されて来たのだが、このような事実関係をしっかりと
    知っていれば、日本政府やマスコミの情報操作には騙されずに済んだと思うのだが、
    そもそも、日本には、ロシアの事をまともに認識出来ている人間が、皆無に近い
    ため、この先も、ロシアと日本との関係は、一向に改善しない。

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    日本の政治 に参加中!

    アメリカのオバマ大統領は、CNNのインタビューの中で、「米国は、
    ウクライナにおける権力の移行をやり遂げた」と認めた。 これまで、
    『ユーロマイダン』は、汚職に満ちたヤヌコヴィチ体制に反対する
    一般大衆の抗議行動を基盤とした、ウクライナ内部から生まれたものだ
    と言われてきたが、よくよく考えると、キエフでのクーデターが本格化
    したのは、ロシアでソチオリンピックが開催されていた期間中
    であるため、
    『世界の警察』を自認してやまないアメリカが、口ばしを突っ込んで
    来ない方が不自然と考えるのが妥当な考え方。

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    米国務省のヌーランド報道官は、既に1年前に『米国は、ウクライナに
    おける民主主義発展のために50億ドル出した』と述べており、日本の
    某新聞記者も、ユーロマイダンでのクーデターが勃発した折に、暴動に
    参加したウクライナ人達は、日給3,000円程度で雇われているとハッキリと
    述べている。 その直後に発生したマレーシア航空機の撃墜事件も、腑に
    落ちない点が多過ぎるため、アメリカの関与は、当初から決定的であったが、
    日本の報道機関や、専門家たちは、一方的に、アメリカとウクライナの
    味方をした。

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    見方を変えると、他国の関与によって、政権交代をしたのだから、明らかに
    内政干渉になる筈だが、世界で唯一の超大国は、世界で何をやっても
    良いらしい。 元々、アメリカやカナダには、ウクライナ人の移民が多く、
    100年ほど前に起きた飢餓や、スターリンの粛清から逃れて、遠く北米大陸に
    移り住んだウクライナ人の子孫たちが、今でもその恨みを抱いて生きており、
    その2世、3世の世代になっているため、その恨みが増幅している。

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    カナダ最大の都市であるトロントには、世界最大のウクライナ街があるが、
    そこで、ロシア語で話し掛けると、あからさまに嫌な顔をされる事が
    多々ある。 そもそも、ロシア語とウクライナ語は、そのまま喋っても、
    その殆どが理解可能な言語であるため、本来は、喜ばれるべきだが、
    その逆の状況となっているのは、歴史的な湾曲が進んでる証拠。 元々、
    被害者意識は、増幅されやすく、ありもしない妄想を生み出すのが世の常。

    現在の政権に代わった当日に、ポロシェンコ大統領は、ウクライナ南東部の
    ドンバス地域で大々的な空爆を開始し、総勢で8,000名以上の罪のない
    一般市民が殺され、数十万人にも及ぶ、ロシア系住民たち(日本では、
    親ロ派と呼ばれている)が、ウクライナ国外へと逃れた。 特に、ウクライナ
    南部のオデッサでは、親ロ派がウクライナ人らによって、大量に殺された
    事件があったが、日本では、ほぼ報道すらされなかった。

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    今回のこのウクライナでの大規模な内戦を見ていると、日本には、
    ウクライナとロシアを正確に見ている専門家が皆無に近いことが良く分かる。
    所詮、アメリカのバイアスしか入ってない英語からの直訳のニュースの
    垂れ流しは、そろそろ止めにしないと、アメリカによる洗脳がますます
    酷くなるばかり。 何もかも、イメージだけで物事を判断していると、
    このような醜態を晒すという事を肝に銘じるべし。

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    何度か、ウクライナに関する大学での講演会にも出席して見たが、まともな
    意見を聞くことはなかったため、あの人たちは、一体何のために専門家面して
    長年大学に居座っているのかと非常に疑問を感じたが、そのような適当な
    仕事であったとしても、仲良しごっこでどうにでも出来るのが、日本社会の
    長年の悪しき習慣だといつになったら気付くのか?

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    ウクライナでの内戦が勃発して以来、ウクライナ人の国外への避難民や出稼ぎ者の
    数が激増しているが、そのうち、ウクライナ人の出稼ぎ者が多い主な国は以下の
    通り。

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    ロシア:392万人
    イタリア:104万人
    チェコ:104万人
    ポーランド:56万人
    スペイン:32万人
    ポルトガル:24万人
    ハンガリー:16万人

    日本では、アメリカのプロパガンダにより、ロシアがウクライナを侵略している
    事になっているものの、クリミアは、元々ロシアの領土であり、ウクライナ人の
    フルシチョフが、ソ連時代に『友好の証』として、ロシアからウクライナに勝手に
    併合した領土。 ソ連時代のロシアとウクライナの国境は、日本で言うところの、
    県境程度の線でしかなかったため、特に誰も気にも留めていなかったものの、
    ウクライナ独立後は、ウクライナが極右化したため、火種となった場所。
    よって、日本のメディアが枕詞としている、『ロシアが一方的に併合した』と
    するのは、完全に間違っています。

    クリミアのロシアへの返還は、クリミア住民達が自ら住民投票を行い、一旦
    ウクライナから独立の後、住民達の意思に従って、ロシアへと返還された領土なので、
    日本やアメリカの政治的なプロパガンダには騙されないようにした方が賢いと
    思います。 ソ連の歴史をまともに知らない人間や、ロシア語をまともに理解
    出来ない人間がモスクワ駐在員等を務めているため、結局は、歴史が完全に湾曲
    されています。 日本には、所詮、こんな程度の専門家しか居ないという証拠だと
    思います。

    クリミア住民達は、ロシアへの返還を非常に喜んでいるため、ウクライナによる
    クリミア支配がどれ程酷かったのか、すぐに理解出来ると思います。 そもそも、
    ウクライナがロシアに本当に侵略されていたとしたら、ロシアになど、誰も
    出稼ぎには行きません。 ロシアでは、逆に、ウクライナ人が増え過ぎたため、
    仕事ななくなったと言われています。 ロシア国内で最も多いロシア民族以外の
    外国人は、ウクライナ人です。

    こんな簡単な事実でさえ、良く確かめもせずに平気で報道をしている日本の
    メディアには疑問しか感じません。

    クリミアの真実 ~欧米寄りの報道の矛盾~

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    世界のビックリ面白事件 に参加中!

    先日外国人を締め出す方針を明らかにしたウクライナ・オデッサ州で、前グルジア大統領
    である、サアカシュヴィリ氏が州知事に就任するという前大見ものの体制が発表された。
    サアカシュビリ氏は、2008年の南オセチア紛争を仕掛けて、ロシアの逆撃を被り、敗北して
    グルジア国民の支持を失った。 今回はウクライナ国籍を取得して、親露派の反乱を鎮圧
    した経緯のあるオデッサ州の知事になった。
     
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    オデッサで発生したウクライナ人たちによるロシア系住民の虐殺は、日本では全く
    報道されなかったが、これでウクライナは更に盤石な独裁体制を確立したとも言える。 
    オデッサ州では、ウクライナ人は、パスポートの携帯、外国人の場合は、滞在許可を
    得なければ、オデッサ州には、滞在出来なくなったため、既にほぼ北朝鮮並の厳戒
    体制と言っても過言ではない。

    ドイツやフランスにウクライナを支持しろと言うのは、アメリカの命令により、日本が
    北朝鮮を支持しろと言うのと似たりよったりな状態。 アメリカ仕立ての自称かわいそうな
    国は、正にアメリカに翻弄された哀れな国。 ウクライナ国民の困窮を尻目に、大統領の
    ポロシェンコは、富を着実に蓄えており、大統領に就任する以前と比較すると、数倍は
    金持ちになったと言われている。

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    ウクライナの汚職度ランキングは、175カ国中、142位。 ウクライナ政府は、何をやっても
    とりあえず全てロシアのせいに出来るため、悪質極まりなし。 世界の常識が全く通じない
    ウクライナ。 ウクライナでは、情報もカネで支配されているため、テレビで報道している
    ないようもウソ八百ばかりで全く信用出来ない。

    EUへ移住したいウクライナ人の数は、シリア、イラク、ソマリアからの難民の数へと迫って
    おり、既にロシアへ大量に移住した人の数も含めると、既にその数を上回っているであろう。
    国際社会を目指している筈が、その真逆へと突き進んでいるウクライナ。 ウクライナ人
    以外は認めないというところにも、ナショナリズムが見え隠れしている。



    画像は、2015年6月4日にウクライナで行われたサッカーの試合の様子。 このような
    有り様で、EUやNATOに加入させろと言われても、迷惑極まりなし。 何でもやりたい
    放題やった後に、全てロシアのせいにして来るウクライナは、一度デフォルトして、
    ゼロからやり直すべきなのでは? 旧ソ連崩壊後に、ここまで酷くなったのは、ウクライナ
    だけ。 ものの2年半ぐらい前までのキエフはかなり安全な街だったのに、今では、
    こんな感じに成り果てた。

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    ガリツィヤ地方とは?
    現ウクライナ領のガリツィヤ地方は、元々ポーランド領としての歴史の方が
    長く、今後、ポーランドからの領土返還運動が起きる可能性が高いが、
    ウクライナ国内で、ウクライナ語を日常的に使用しているのは、このガツィヤ
    地方ぐらいであるため、今後、本格的な帰属問題が起きる可能性が高い。
    第二次大戦後、ポーランドは、その領土を国ごとドイツ側、つまり、西側に
    ずらされたが、そのウクライナ側で西側にずらされた地域がこのガリツィヤ地方。

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    広義でのウクライナは、当然このガリツィヤが含まれるが、元々ウクライナ人が
    居住していた地域は、キエフ寄りの地域であるため、狭義でのウクライナは、
    ガリツィヤが含まれない。 ウクライナ語で、『ウクライナ』とは、『国』や
    『内国』という意味であるが、元々のスラブ語では、『クライ』が『地方』や
    『僻地』を指すため、ロシア語話者に、ウクライナは、『田舎』と誤解される
    事が多い。 このため、ウクライナ人は、ウクライナに対する前置詞として、
    на ではなく、必ず в を使用するのだが、ロシア語としては、明らかな間違い。

    ロシア語とウクライナ語の関係
    スラブ語の中では、ロシア語とウクライナ語が最も似ていないが、それは、
    この周辺地域から、わざわざ人工的にウクライナ語を復活させたため。
    それ以前のウクライナ語は、長年に渡って使用が禁止されていたため、ほぼ死語で
    あった。 旧ソ連邦の崩壊と共に、国家の象徴として急遽にウクライナ語が
    引っ張り出されたのだが、ソ連崩壊以前にウクライナ語を使用していたのは、
    かなりの高齢者であるため、実際にウクライナ語をネイティブとして使用
    出来るのは、20代と80代以上、並びに、よほど田舎の方に住んでいた人たち
    ではないかと思われる。

    それ以外の世代は、元々全員ロシア語がネイティブ言語であるため、方言程度の
    差しかないウクライナ語を習得するのは、かなり容易となっている。 現在の
    ガリツィヤの中心都市は、リボフであるが、ウクライナ語では、リビウと
    呼ばれている。 リボフの人たちも当然、ロシア語で話す事は出来るが、かなり
    ウクライナ語訛りが入っているのが特徴。 
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    キエフ・ルーシ
    ルーシ人とは、現在のロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人を指すが、
    大ロシア人がロシア人、小ロシア人がウクライナ人と分類されており、モンゴル軍
    襲来後に、モンゴルに支配されたか否かで、分かれた民族。 ベラルーシは、
    旧ソ連崩壊前までは、『白ロシア』と呼ばれていたが、その理由は、黄色民族で
    あるモンゴルに支配されていない『白人のルーシ』という意味。

    現在のロシアは、元々は、『モスクワ公国』が起源であるが、ルーシの後継者
    である、現在のウクライナを手に入れた時から、『ルーシ国』という意味の
    ロシアを名乗るようになった。 尚、モスクワの地名の起源は、市内を流れる
    『モスクワ川』から取ったもの。
     
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    ルーシの都であったキエフは、その当時、ヨーロッパでは、ロンドンに次ぐ大都市で
    あったが、モンゴル・タタール軍により、徹底的に破壊しつくされたため、その後、
    数百年間に渡たり、復活する事が出来なかったため、北方にあるモスクワが台頭し、
    その後、ウクライナがポーランドからの一時的な独立を果たした際には、同じ
    正教徒のモスクワの力を借りて独立したもの。

    これは、ブルガリアも同様で、約500年間にも渡ってオスマン・トルコに支配されて
    いたが、露土戦争でロシアが勝利を収めたため、独立を勝ち取ったもの。 よって、
    その後、ブルガリアは、一貫して親露路線を歩んだ。

    第二次大戦後
    ドイツは、東西統一を果たした際に、ゴルバチョフ氏から、今後永久に領土の
    要求をしない事を約束させられているため、ドイツからの領土要求はないものと
    思われるが、ポーランドはどうなるのか分らない。 ポーランドは、歴史上、
    3分割されて、国が滅んだ悲劇の国として語られる事が多いが、実際のところは、
    モンゴル・タタール軍に攻め滅ぼされたルーシ(現在のウクライナ)を約300年
    以上にも渡って支配していたため、同じような事を別の国にやられただけ。

    ウクライナでは、この他にも、旧ハンガリー領のカルパチア、旧ルーマニア領の
    ブコビナ、並びに、ベッサラビアがあるため、東部での内戦を上手く処理出来ない
    場合は、西部地域にまで、その火の子が飛び火する事となる。

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    ウクライナのチェルノブイリ原発が未曾有の原発事故を起こしたのは、1986年4月26日
    1時23分(モスクワ時間)。 それから、29年が経過したが、事故を起こした4号機には
    炉心から溶け出た「象の足」と呼ばれる核燃料などが手つかずのまま残されているなど、
    原発の廃炉作業が未だに目途が立たず、問題が山積みのまま残されている。

    後に決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) において、最悪のレベル7に分類
    される事故である。 当時、チェルノブイリ原子力発電所にはソ連が独自に設計開発した
    黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK)のRBMK-1000型を使用した4つの原子炉が
    稼働しており、そのうち4号炉が炉心溶融(メルトダウン)ののち爆発し、放射性降下物が
    ウクライナ・ベラルーシ・ロシアなどを汚染した。 1991年のソ連崩壊以後は、原子力
    発電所が領土内に立地しているウクライナに処理義務がある。



    2015年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、
    原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度
    汚染地域が約100箇所に渡って点在し、ホットスポット内においては、農業や畜産業などが
    全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。

    事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電
    系統の実験を行っていたが、この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したと
    される。 爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に量にして推定10t前後、14
    エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された。 これに関しては、広島市に投下された
    原子爆弾による放出量の約400倍とする国際原子力機関 (IAEA) による記録が残され
    ている。



    当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を内外に公表せず、施設周辺
    住民の避難措置も取られなかったため、彼らは数日間、事実を知らぬまま通常の生活を
    送り、高線量の放射性物質を浴び被曝した。 しかし、翌4月27日にスウェーデンの
    フォルスマルク原子力発電所にて、この事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が
    検出され、近隣国からも同様の報告があったため、スウェーデン当局が調査を開始、
    この調査結果について、事実確認を受けたソ連は、4月28日にその内容を認め、事故が
    世界中に発覚した。



    爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。 爆発した4号炉をコンクリートで封じ込める
    ために、延べ約80万人の労働者が動員され、4号炉を封じ込めるための構造物は石棺と
    呼ばれている。
     
    事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、
    約16万人が移住を余儀なくされた。 避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、事故
    発生から1か月後までに、原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したと
    ソ連政府によって発表されている。 しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人
    などの一部の住民は、移住せずにその場での生活を続けた。 放射性物質による汚染は、
    現場付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアにも拡大した。

    現在、チェルノブイリ4号機の建物の内部では、毎時7マイクロシーベルトという、高い
    放射線量を示している。 4号機には、合わせて19万トンもの高レベル放射性廃棄物が
    あり、廃炉に向けて、高さ109メートルの新しいシェルターの建設が進められている。
    このシェルターの計画は、当初の予定から2年ほど遅れ、2017年完成予定となっている。

    核燃料の除去に関しては、現状、そのような技術がないため、遠い将来の課題となって
    いる。 爆発から29年が経したが、チェルノブイリ原発は、廃炉に向けた目処すら立って
    いない。

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    相変わらず、ウクライナのテレビ放送は、ロシア語とウクライナ語を
    ちゃんぽんで喋っておりますが、これを変だと感じないウクライナ人の
    感覚には付いていけませぬ。 独立から20年以上を経過しても、
    ウクライナ語は余り浸透しておりませんが、ウクライナ政府は、ロシア語
    話者の権利を守るべきで、ロシア語を外国語扱いするのは、間違っています。

    アニ・ロラクもインタビュアーも全てロシア語だけで話していますが、実際の
    ところ、余りウクライナ語が得意ではないのだと思います。 去年は、
    クリミアでの公演をキャンセルしたアニ・ロラクですが、実際は、かなり辛い
    選択を迫られた模様。 そのまま舞台に立てば、過激派に殺される可能性も
    十分ありましたが、それでも、舞台に立ち続けたのは、平和のため。 ロシアも
    ウクライナもベラルーシも関係ないと言い切っておりますが、全くその通りだと
    思います。

    実際、このスラブ国は、切っても切れない血縁関係で結ばれており、全て隣国の
    せいにして相手を憎んでみたところで、離れられません。 今回の内戦も、
    新興財閥オリガルヒから見れば、体のいい金儲けの手段だったのだと思います。
    国単位だけでものを見るのは、他の文化を認めないモノカルチャー世界の宿命で、
    ウクライナ、ロシア、ポーランド、ルーマニア、ハンガリーと多民族共生だった
    筈のウクライナが崩壊し掛けた原因は、正にここにあると思います。



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    最近では、日本のメディアでも度々報道をされるようになったウクライナ。 但し、
    100%欧米寄りの偏った報道ばかりが取り上げられており、実際のウクライナの
    姿は報道されず。 ウクライナは、旧ソ連邦構成諸国の中でも、ロシアに次ぐ国力を
    誇っていましたが、元々は、ソ連から独自に独立を目指した国ではなく、ロシアが
    ソ連から独立を果たすための産物に過ぎませんでした。

    1991年12月に、ソ連邦は崩壊しましたが、その直接の原因は、エストニア・
    ラトビア・リトアニアのバルト3国が独立要求したところから始まり、次いで、
    当時ロシア大統領であった、ボリス・エリツィン氏が、ウクライナとベラルーシを
    道ずれにして、『スラブ同盟』の名の下、ロシアのソ連からの独立を宣言したため、
    ソ連の崩壊が決まりました。



    『ウクライナ』は、ロシア語では、『地方』や『田舎』を意味しますが、
    ウクライナでは、『国』を表します。 ロシア発祥の地は、ウクライナであり、
    元々、ロシアとウクライナとベラルーシは、同じ『ルーシ』という国でした。
    その後、モンゴルに首都のキエフを滅ぼされて、モンゴルの支配下になったのが、
    現在のロシア。 ポーランド、リトアニアの支配下になったのが、現在の
    ウクライナとベラルーシ。

    ウクライナは、歴史的にもロシアよりも遥かに古く、ポーランドから独立を
    果たす際に、先にモンゴル支配から抜け出した、同じ正教の国のモスクワ公国
    (現在のロシア)に助けを求め、その際に、国ごと乗っ取られたという歴史が
    あるため、ウクライナ人には、この意識が強く現れており、似て非なる点が
    争いの元となっています。



    ソ連時代のロシアとウクライナの国境は、実際のところ、日本で言うところの
    県境程度の認識であり、旅券を持たずに自由に行き来出来る単なる線に
    過ぎなかったが、その後、ウクライナは、自分の国の独自の
    『アイデンティティー』を求め過ぎて、過度に『国粋主義』寄りに傾きました。
    ロシア語の禁止、ウクライナ語の強要は、その最たるもの。

    ウクライナをはじめとする、旧東欧圏では、一昔前までは、そこまで外国人に
    対して、差別的な言動はありませんでしたが、今では、明らかにウクライナ人
    ではない人の場合は、差別の対象となってしまいます。 ウクライナ人全員では
    ありませんが、そういう人たちがかなり増えたのは、事実です。

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    アメリカやカナダ等の北米に長年住んでいるウクライナ系住民たちは、ロシアに
    対して、並々ならぬ恨みを抱いているため、それが、今回の内戦に入って
    来た事で、更に事態が悪化しました。

    西側のように、常に文句や不満を吐き出していれば、何か起きたとしても、
    ある程度の歯止めが利きますが、東側は、『全体主義』であるため、常に我慢を
    強いられる社会となっており、それがひとたび爆発すると、歯止めが掛かりません。
    個人的見解としては、ガスパイプライン問題をはじめ、ウクライナほど、周辺諸国に
    迷惑を掛けている国はまずないのと、今後も新興財閥『オリガルヒ』による支配が
    続くのであれば、ウクライナを救済する意味はないため、一度デフォルトして、
    完全にゼロからやり直すべきだと思います。

    旧ソ連時代と比較して、ウクライナは、物質的には豊かになりましたが、心はかなり
    貧困化したと思います。

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    アンナ・セドコーワ(ロシア語:Анна Седокова、1982年12月16日キエフ生まれ)は、
    ウクライナのポップス歌手、並びに、モデルである。 愛称はアーニャ。
     
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    2002年に脱退した、アリョーナ・ヴニーツカヤに代わって、ウクライナ・ロシアの女性歌手
    グループ『VIa Gra』の2代目メインヴォーカルとして活躍したが、ディナモ・キエフの
    ベラルーシ人ミッドフィルダー、ヴァレンチーン・ベルケーヴィチとの結婚と妊娠を機会に、
    2004年にグループから脱退した。 生まれた子供は、アリーナと名付けられた。

     
    アンナの抜けたグループは、スヴェトラーナ・ロボダーを新たに加えて活動を続けたが、
    ユニット在籍時の一番人気は、このアンナ・セドコーワであった。

     
    2006年4月より、音楽に関する分野に復帰し、新たに『アンナベーリ』という芸名を
    用いている。 彼女のソロデビューとなったビデオクリップは、『私のこころ』であった。
    それ以降、テレビ番組への取り組みに力を入れ、ロシアやウクライナのいくつかの
    テレビ番組やコンサートで司会を務めている。 モデルとしての活動も積極的に
    行っているが、ファッションモデルとしての活動の他にディナモ・キエフのキャラクター
    モデルも務めている。


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    アリョーナ・ヴーニンツカヤ(ロシア語:Алёна Винницкая)は、1974年12月27日、
    ウクライナのキエフ生まれのンガーソングライターである。 ウクライナの公用語で
    あるウクライナ語での名前はアリオーナ・ヴィーヌィツィカ(ウクライナ語:Альона
    Вінницька)となり、ウクライナのテレビ放送では、主にウクライナ語名で紹介
    されている。  但し、ウクライナのアーティストで、ウクライナ語で歌っているのは、
    非常に稀で、ほぼ全員がロシア語のみを使用している。
     
    zadiraka_com

    ウクライナのレコード会社と契約をしているため、基本的にはウクライナ語表記で紹介
    されるが、ホームページではロシア語を使用している。  本名は、ウクライナ語で
    オリハ・ヴィクトリウナ・ヴィーヌィツィカ(Ольга Вікторівна Винницька)、ロシア語で
    オリガ・ヴィクトロヴナ・ヴィーニンツカヤ(Ольга Викторовна Винницкая)。


    アリョーナは、過去に複数のグループで作詞・作曲・ヴォーカルなどを担当していたが、
    1997年から2000年まで、テレビ音楽番組やラジオ番組、またニュースのレポーター
    として働いていた。 その後、音楽プロデューサーのコンスタンチン・メラゼと知り合い、
    『Via Gra』を結成する事となるのだが、その際にオーディションで選ばれたのが、
    ナジェージダ・グラノーフスカヤ。 キエフ生まれのアリョーナとは、10歳も年齢差があり、
    田舎から出てきたばかりのナージャとは、やはりそりが合わなかったというのが、
    『Via Gra』から脱退した、本当の理由らしい。


    『Via Gra』は、『ヴォーカル・インストゥルメンタル・アンサンブル』と、ウクライナ語で
    『遊ぶ』や『演奏する』という意味の『Gra』を組み合わせたものだが、その他にも、
    様々な諸説あり、その中でも、『ヴィーニンツカヤ』の『Vi』と、アリョーナの『A』、
    『グラノーフスカヤ』の『Gra』を取って、『Via Gra』となったとする説もある。


    尚、アリョーナは、この『Via Gra』時代に『Cool Before』のセルゲーイ・アレクセーエフと
    結婚した。 2002年には、アリョーナと同じキエフ生まれのアンナ・セドコーワ(アーニャ:
    Анна Седокова)を加え、『Via Gra』はトリオとなった。 2003年に、アリョーナは、
    『Via Gra』から脱退し、その後、ソロ活動へと転身した。

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    チナ・カロリ、英語読みで、『ティナ・キャロル』は、ロシア連邦マガダン州
    ヤーゴドノエ地区オロトゥカーン出身のウクライナの歌手、女優。 ウクライナ
    名誉アーティスト。
     
    Pevica-Tina-Karol

    1985年1月25日生まれ、本名は、タチヤーナ・グルゴーリエヴナ・リベルマン。
    1992年に、両親と共に、ウクライナのイヴァーノ=フランキーウシクへと
    引っ越した。 2005年から現在まで、ウクライナ軍の歌謡アンサンブルの
    ソリスト、並びに、航空大学経営物流学部の卒業生。
     

    ウクライナ国内で有名になったのは、2005年の『2005年新しい波』
    コンクールで2位を受賞してから。 その際に得た賞金で、『雲よりも高く』の
    ビデオクリップを制作した。 同年秋には、イラクとコソボの平和維持活動にも
    参加している。

     

    2006年には、アルバム『Show me your love』を発表し、この曲で、
    2006年のウクライナ代表として、ユーロビジョン・ソング・コンテストに
    出場、7位となった。2007年には、ウクライナで最も人気のある歌手として
    認められ、2008年3月には、雑誌『VIVA!』の読者により、『ウクライナで
    最も美しい女性』の称号を受賞した。 同年4月には、『女性雑誌』の
    アンケート調査で、『ウクライナで最も魅力的な女性』にも選ばれている。


    2008年10月には、産休に入ったが、その3週間後には、ステージに
    復帰している。 2009年1月には、『ウクライナ名誉アーティスト』の
    称号を得ており、2009年2月には、『ミス・ウクライナ・ユニバース2009』の
    主催により、『2008年ウクライナで最も美しい歌手』を受賞した。  また、
    同月には、雑誌『VIVA!』で2回目となる、『ウクライナで最も美しい女性』の
    称号を受賞している。 2014年3月26日には、『2014年度最優秀女性
    アーティスト賞』を受賞した。

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    ウクライナの人気ポップスユニット、『Via Gra』の第3期メンバー。
    初代ボーカルであった、アリョーナ・ヴィニーツカヤが、ユニットから
    脱退したため、その代わりに、として、ユニットに参加。
     
    vera

    ユニットとしての活動期間は、2003年~2007年。 本名、ヴェラ・ヴィクトロヴナ・
    キペルマン。 幼少期の苗字は、ガルーシカ。 1982年2月3日生まれ。 2人の
    娘の母だが、2回離婚している。

     

    その名前から、旧ソ連のブレジネフ書記長の姪ではないかと言われる事が多いが、
    定かではない。 首都のキエフではなく、ウクライナ南東部のドニプロゼルジーンシク
    出身。



    Via Graが、t.A.T.u.に続き、日本に来日した際の3名のメンバーの内のひとりが、この
    ヴェラ・ブレジネワ。 その際のメンバーは、ナジェージダ・グラノーフスカヤとアンナ・
    セドコーワ。 この時は、アンナ・セドコーワがメインボーカル。 当時は、アンナ・
    セドコーワの方が、圧倒的に人気が高かった。 ウクライナ語ではなく、全曲ロシア語
    だけで歌っている。



    Via Gra 脱退後は、ソリストとして活躍する傍ら、2回ほど、ロシアで『最も成功した女性』
    にも選ばれた。 Via Gra脱退後、最も活躍をしているのが、ヴェラ・ブレジネワ。



    モルドバのダン・バラン他とも、多数デュエットをしており、ソリストとしてだけではなく、
    多方面での活躍を印象付けた。

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