多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    マルチリンガル通訳・翻訳者によるブログ。

    英語、ロシア語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、ポルトガル語、
    スペイン語、スウェーデン語他の多言語通訳/翻訳業を行っております (^-^)
    仙台弁、石巻弁、宮城弁、東北弁の方言指導、テープ起こしも致します。
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    カテゴリ:北ヨーロッパ > スウェーデン

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    1600年代初期に、スウェーデン国王グスタヴ2世アドルフの軍事拡張策が成功して、
    スウェーデンはバルト海地方の大国になった。 ドイツとの三十年戦争(1618年~
    1648年)の際、国王は、勇猛な戦士だったフィンランド兵の戦闘の上手さに頼って、
    ドイツに出兵した。 スウェーデンは戦費を調達するために、フィンランド人をはじめ、
    領内の国民全てに過酷な税を課した。

    グスタヴ2世アドルフが1632年に死に、ただ1人の後継者、6歳の王女クリスティーナが
    王位に就いた。クリスティーナが成人になるまで、スウェーデン貴族アレクセル・
    オクセンチャールナは、やはり裕福な貴族で、競争相手の政治家ペール・ブラーヘ公の
    追い落としを図り、新設のフィンランド総督に任命してトゥルクに左遷した。

    ブラーヘ総統は、フィンランド人のために全力を尽くした。 スウェーデン語より
    フィンランド語を使うことを奨励し、聖書のフィンランド語完訳を開始した。 1640年には
    フィンランド最初の大学をトゥルクに創設した。 同じ頃、ブラーヘ総督は、ラーヘ市を
    オストロボスニア地方の西部地区の中心都市に決めた。

    Raateroad

    【紛争と改革】

    ブラーヘ総統が退任した1658年までに、スウェーデンには重大な変革が起きていた。
    摂政オクセンチャールナが死に、クリスティーナ女王が王位を放棄し、継承者の
    カール10世グスタヴは自国の領土拡大とロシアの拡大阻止のため、ポーランドと
    戦争をしていた。 スウェーデン軍がポーランドと交戦中、フィンランド人たちは侵攻
    して来たロシア軍を破った。 スウェーデンとロシアは1660年、フィンランド東部国境を
    設定し、ポーランドの一部とデンマークをスウェーデンの領土にするカルディス条約を
    結んだ。

    1672年、若いスウェーデン国王カール11世は、国王独裁を宣言し、伝統的に官僚と
    分担して来た権限を取り上げた。 また、フィンランドでスウェーデン語を広めて、
    スウェーデン文化との結び付きを強めた。 1686年にカール国王は、スウェーデンの
    ルター派教会をフィンランドのの公式の教会と決め、その監督を任命した。

    スウェーデン国王は、トゥルク教会の監督に、全フィンランドの人に読み書きを教える
    責任を課した。 監督と教区の司祭たちはが真剣に教えた結果、フィンランドは、ほぼ
    全住民が読み書き出来る国のひとつになった。

    読み書き能力の普及を除けば、1600年代末期のフィンランドには、大した進歩が
    なかった。 スウェーデンの支配者たちは、スウェーデンに兵士を提供し、税金を
    支払っているフィンランド人を、ますます省みなくなった。 更に、フィンランドは、
    1696年と1697年の大飢饉で、住民の3分の1が病気で死んだ。

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    15世紀と16世紀を通じて、フィンランド人は、スウェーデン国民として統合化して行った。
    フィンランド人は、自分たちをスウェーデン国王支配化の他の民族と同一だとみなしていた。
    この間に、スウェーデン語を話すフィンランド生まれの貴族が台頭し、フィンランド領内で
    権力を持つようになった。 地方の裁判所の判事や、スウェーデン国王のために、
    フィンランド領内の城を管理する役人になるフィンランド人もおり、スウェーデン国王政府に
    最高官吏として積極的に参加した。 フィンランド貴族達には、領内の財政を運用したり
    海軍を再興したりして、スウェーデン王国を補助した者もいる。 大勢のフィンランド人が
    スウェーデンの首都ストックホルムに住み働いた。

    agricola

    15世紀までにトゥルクの司教たちは、フィンランド人にローマカトリック教を布教し、多神教の
    フィンランド人は、次第に一神教のキリスト教に改宗して行った。 まだ大学がなかった
    16世紀には、フィンランドは優秀な子弟をヨーロッパ各地の教育、宗教の中心地に留学
    させた。 例えば、フィンランド人の学者ミカエル・アグリコラ(1510年~1557年) は、
    ドイツのウィッテンベルグの大学で学んでいる。

    アグリコラは、新約聖書をフィンランド語に翻訳し、また、フィンランド人にマルティン・ルターの
    革命的な宗教思想と新信教の宗教改革を紹介した。 この運動は、ローマカトリック教会の
    権威への挑戦だった。 16世紀に北ヨーロッパ各地で、プロテスタントのルター派が
    広まった。

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    スウェーデン政府は、壊れた物を修理に出すと税控除を受けられる制度を2017年
    1月から導入しようとしている。 電化製品、自転車から洗濯機、衣服や靴など、
    あらゆる物が対象となる。 修理を依頼する者も修理業者も税の優遇を受け
    られるため、この法案が可決されると、修理費用が大幅に抑えられ、修理をより
    合理的な経済活動へと変換出来ると期待されている。

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    スウェーデンでは何かを修理すると、その修理費に付加価値税が加算される
    システムを取っているが、2016年9月20日、スウェーデンの与党である社民党と
    環境党による連立政権は、自転車、衣服、靴などの修理に課される付加価値税の
    税率を25%から12%に下げる法案を議会に提出した。

    また、冷蔵庫、オーブン、食器洗い機、洗濯機といった家電を修理する業者は、
    その人件費の半分を所得税から還付してもらえるという法案も提出される予定と
    なっているため、もはや古くなったり、壊れたりした物を捨てて、新たに購入する
    ことは、環境に優しくないばかりか、余り合理的ではないのかも知れない。

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    この付加価値税の減税の実施後、400スウェーデンクローナ(約4,700円)
    相当の修理を依頼した場合、50スウェーデンクローナ(約600円)ほど修理費が安く
    なる計算となり、スウェーデンの修理産業を刺激するには十分な額となっている。
    また、修理産業を振興させることで、きちんとした教育を受けていない移民のための
    雇用の創出となることも期待されている。

    スウェーデンは、1990年比の年間二酸化炭素排出量をすでに23%削減しており、
    国内の電力の半分以上が再生可能エネルギーによって賄われている。  しかし、
    消費に関連する排出は着実に増加しており、無駄な消費や生産を減らして再活用
    しようという動きは、フランスやドイツでも広がりつつある。

    この法案は、政府の予算案として議会に提出され、12月に可決されれば、2017年
    1月から法律となる。 使い捨て文化は、廃棄物処理の問題もあるのだが、何よりも
    物を大事にするという精神を育てるという意味では、非常に活気的な法律だと言える。

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    1588年、若くて人気のあるクリスティアン4世が王位に就いた。 王は、コペンハーゲンの
    市街を拡張し、株式交換所や、フレゼレグスボア城など、多くの華麗な建築物を
    建造させた。 しかし、クリスティアン4世の領土的な野望は、やがてこの国の
    財政を重く圧迫することになった。

    1611年、クリスティアン4世は、スウェーデンと戦争を始めたが、敗北の連続で、
    経費ばかりがかさんだ。 1613年から1618年に至る5年間の平和により、デンマークの
    経済力は回復した。 1618年にドイツで三十年戦争が始まると、クリスティアン4世と
    その軍隊は、ドイツのプロテスタント勢力を助けて、カトリックの軍と戦った。 1626年、
    デンマーク軍は、ドイツのハルツ地方で大敗北を喫した。 3年後、ドイツのカトリック
    諸侯軍は、ユトランド半島を占領し、クリスティアン4世は、和議を結ばなければ
    ならなかった。 1643年、スウェーデンがデンマークを攻撃し、デンマークは、またもや
    敗北した。

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    1648年に講和条約が結ばれ、デンマークは、ゴットランド島をスウェーデンに返還し、
    現在スウェーデンの中央部となっているイェムトランとヘレダーレンを割譲した。
    デンマーク海軍は壊滅し、貿易は衰退して国力は傾いた。 元老院は、クリスティアン
    4世の息子フレゼレグ3世を国王に選ぶに先立って、王権に厳しい制限を付け、
    勝手に戦争をする事を禁じた。 それにも関わらず、フレゼレグ3世は、1657年、
    失われた領土を回復しようとスウェーデンに攻撃を加えた。 1658年、スウェーデン軍は
    氷結したエーレ海峡を渡ってデンマークに攻め込み、フレゼレグ3世は、講和を余儀なく
    された。 その結果、デンマークは、ノルウェーのトロンヘイム地方を割譲した他、
    スコーネとボルンホルム島をスウェーデンに譲渡した。

    1660年、スウェーデンとの戦争が再度勃発し、オランダと同盟したデンマークが有利と
    なった。 講和条約によってスウェーデンは、トロンヘイム地方とボルンホルム島を
    デンマークに返還したが、スコーネなどエーレ海峡東岸地域は、最終的に
    スウェーデンの領土となった。

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    【労働環境】
    スウェーデンでは、会社がその従業員を大切にするのは極当たり前のことであり、
    管理職と一般従業員がひとつになって働くことが奨励されている。 皆がチーム
    作りのために協力し、重役であったとしても、カジュアルな服装をし、重役室も
    簡素である場合が多い。 受付係も置かず、重役が自分で電話に出る。 この
    スウェーデン式の経営は、世界で賞賛されている。

    また、スウェーデンでストライキが起こることは殆どない。 政府、労働者、
    産業界、それそれのリーダー達が緊密に連携しを取って問題を解決している。
    この体制においては、労働組合が極めて重要な役割を果たしている。

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    【失業率】
    1970年代から80年代に掛けて、ヨーロッパの殆どの国々では経済状態が悪く、
    失業者が沢山居た。 しかし、スウェーデンでは正反対であった。 全ての職を
    満たせるだけの国民が居なかったのである。 この時期に、仕事を求めて移民が
    スウェーデンに来るようになった。 その多くは、チリ、パレスチナ、ソマリア、
    イラク、イラン等からの難民で、武力衝突等のために、母国を離れなければなら
    なかった人達であった。

    スウェーデン政府は、スウェーデン国民と同様のチャンスを新たにこの国に来た
    人達にも与る事に努めた。 しかし、1990年代に国の経済が悪化し始めると、
    それは極めて難しくなった。 移民だけはなく、この国の多くの人達にとっても、
    仕事を見つける事は困難になった。 1990年代中頃には、スウェーデンに住む人の
    10人に1人が失業者という状態であった。

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    【新しい取り組み】
    一部の人々は、新しい取り組みを求め始めた。 2006年9月、穏健党の率いる4党
    連合が、それまで70年近くの大部分の間政権の座にあった社会民主党から政権を
    奪った。 そして、穏健党党首のフレデリック・ラインフェルトが首相に就任した。
    新政権は、雇用を増やし、福祉手当を削減することに乗り出した。 しかしながら、
    この4党連合は、競争力のある産業と強固な福祉制度とを兼ね備えたスウェーデン
    方式を今も変わらず支持している。

    世界の人々は、スウェーデン・モデルと呼ばれるこの方式を賞賛している。 この
    方式の成功は、スウェーデン国民の特性に掛かっている。 彼らは、良識を働かせる
    事を喜びとし、そして妥協する事をも喜ばしい事と考える国民であるため、
    スウェーデン人は、この方式を誇りを持ち、自分達は他の国々が見習う事の出来る
    ひとつの見本を示していると思っている。

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    【変化の世紀】
    1800年代、スウェーデンの人口は急増したが、それに見合うだけの職は
    なかった。 何千人もの人々が新しい生活を求めて移民となり、スウェーデンを
    旅立った。 1850年から1930年代までに、130万人がアメリカ合衆国に移住した。
    その間にスウェーデンの経済は向上した。 鉄道や運河により、交通の便が良く
    なった。 製材と木材パルプ工場がスウェーデンの産業の基盤だった。

    1842年には、議会の決定により、小学校で無償教育が始まった。 教育を受けた
    人が増えるにつれて、人々は政治運動や労働者団体、労働組合に参加するように
    なった。 長い間の運動が実り、1921年、この国の全ての成人が国会議員選挙の
    投票権を得た。

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    【スウェーデンモデル】 
    1900年代には、産業化が急速に進展した。 仕事を求めて、沢山の人達が
    ストックホルム、マルメー、イェーテボリ、その他の都市に移り住んだ。
    1936年、スウェーデンの政治家達は、福祉国家としての発展に着手した。
    政府は失業者や病気の人達にお金を支給した。

    強い労働組合と福祉制度のお陰で、スウェーデンは産業の繁栄を労働者のための
    好条件に繋げた国として知られるようになった。 これは『スウェーデンモデル』と
    呼ばれている。

    このスウェーデンモデルは、実際に十分な成果をもたらした。 労働組合が強く、
    社会民主主義勢力が政権に就いている場合、所得の不平等が低く、福祉サービスが
    包括的で、雇用とインフレ、賃金と投資、および、成長と社会政策の間の
    トレードオフが緩和されていることを示している。

    スウェーデンの教育は、私立も含めて、小学校から大学院まで全て無料である。
    学校では、教科書や教材はもちろん、給食まで無償となっており、個人が使う
    ノートさえ支給される。 自治体によっては、通学定期ももらえるという。
    スウェーデンでは、手厚い奨学金制度が整い、海外留学でさえ奨学金が支給される
    ため、親の所得や当人の財産などには全く関係なく、誰でも無料で大学や大学院で
    学ぶことができる。

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    現在のスウェーデンは、多くの国々と同様、新たな課題に直面している。
    経済の活性化を求める声もあるが、今もスウェーデンモデルを支持する国民は多い。
    彼らは、極端な不平等をなくすというスウェーデンモデルの基本的意図は当たり前の
    事と信じており、彼らにとっては、その信念がスウェーデン国民としての大切な
    部分を成している。 それが、スウェーデンを世界でも高水準の高福祉国家たら
    しめた理由なのかも知れない。

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    貴族のグスタフ・エリクソン・バーサは、『ストックホルムの大虐殺』を免れ、
    軍隊を組織し、クリスチャン2世をスウェーデンから追い出した。 これにより、
    カルマン同盟は崩壊した。 1523年6月6日、グスタフは、スウェーデン国王に
    選出された。 スウェーデンでは、この日を建国記念日として、今も祝っている。

    グスタフは、君主制を強化し、軍隊も変えた。 それまでの軍隊はたいてい、
    戦争が起きると招集され、戦いが終われば家に帰された。 しかし、グスタフの
    軍隊は、戦争があろうとなかろうと、常に集団をなしていた。 ヨーロッパの
    キリスト教がカトリックとプロテスタントに分裂した時、グスタフはルター派
    というプロテスタントの一派を選んだ。 カトリック教会の財産と土地支配権は、
    国のものとなった。

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    それまで、スウェーデン国王は、貴族から選出されていた。 1544年、議会で
    法律が変えられ、国王の子孫が王位を継ぐことになり、グスタフの一族による
    バーサ王朝が1818年まで続いていた。 1600年代には、グスタフ2世アドルフを
    はじめとする王たちが、バルト海周辺の土地を征服し、スウェーデンをヨーロッパ
    屈指の強国にした。 しかし、1709年、スウェーデンは、ロシアに敗れた。
    その10年後、国王の権限の多くが議会に移された。

    1700年代、ヨーロッパの思想家たちは、人間は理性を用いることによって、知識と
    自由を探求するべきだと主張した。 この啓蒙思想と呼ばれる考え方を持つ人達の
    中には、植物学者のリンネウスや物理学者のアンデルス・セルシウス等の
    スウェーデン人もいた。 国王グスタフ3世は、芸術の黄金時代を支えた。 グスタフ
    3世は、議会から権力を奪い返したが、敵も多く、1792年に舞踏会で暗殺された。

    1805年、国王グスタフ4世は、フランスに対抗するヨーロッパ諸国の同盟に
    加わった。 当時、フランスを率いていたのは、ナポレオンと同盟を結んだ
    ロシア軍が、13世紀からスウェーデンの領土になっていたフィンランドの大部分を
    占領した。 この敗北の後、グスタフ4世は、王位を退くことを余儀なくされた。

    新国王カール13世には子供がいなかった。 スウェーデン議会は、フランス軍人
    ジャン=バティスト・ベルナドットを皇太子に選出した。 彼の率いるスウェーデン
    軍とその同盟軍は、1813年にナポレオンを破った。 和平調停の中でノルウェーは、
    スウェーデンの支配下に置かれることになり、スウェーデンとノルウェーの同君
    連合が1905年まで続いた。 ベルナッドは1818年、カール14世として即位した。

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    700年代に後半になると、スベア人をはじめとするスウェーデン、ノルウェー、
    デンマークの氏族たちは、ヨーロッパの北部沿岸を襲うようになり、バイキングと
    呼ばれた。 バイキングとは、彼らの使っていた古代スカンジナビア語で『海賊』を
    意味する。 彼らは、バイキング船に乗って、遠くスペインやイタリアまでも
    襲撃した。 後にはヨーロッパ人として最初に大西洋を横断し、北アメリカ大陸に
    到達した。

    彼らの多くは、人を襲い、盗みを働くだけの海賊だったが、なかには、辿り着いた
    場所に定住して農民となる者もいた。 更に、商人になる者もいた。 スウェーデンの
    バイキングは、バルト海を渡ってヨーロッパの川へと船を進め、内陸まで入って
    行った。 そして、奴隷、ハチミツ、毛皮、琥珀などの交易で富を成して行った。

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    【キリスト教の国】

    キリスト教の宣教師達が最初にスウェーデンにやって来たのは、800年代から
    900年代の頃となっている。 1008年、ヴェスティルイェータランドの王、
    オーロフ・シュットコンヌングが洗礼を受けた。 オーロフは、自らを
    スウェーデン国王と名乗った。 オーロフや後継の王達はが多神教徒と戦い、
    1100年代にスウェーデンは、キリスト教の国となった。

    vikinga

    【貿易と同盟】
    1300年代になると、スウェーデンでは、ドイツの商人が勢力を持つようになった。
    彼らは、北ドイツに基盤を置く承認の組合、ハンザ同盟に属する商人だった。
    ハンザ同盟の商人達は、ストックホルムと度とランド島のビスビューに拠点を
    設けていた。 その他にも交易都市が発展して行った。 スウェーデンの貴族は
    裕福になり、権力も強くなった。

    1389年、スウェーデンの貴族達が国王アルブレヒトに対して反乱を起こした。
    貴族達を後押ししたのは、ノルウェーのマルグレーテ女王で、女王はデンマークも
    支配していた。 アルブレヒトは破れ、1397年、マルグレーテの姪の息子である
    エリクが、スウェーデンとノルウェーとデンマークの王となる同盟が結ばれ、
    エリクがカルマルで即位した。

    このカルマル同盟を結んだ3国の間で争いが起きた。 1471年にスウェーデンが
    デンマークの国王クリスチャン1世を倒した。 1520年には、デンマーク国王
    クリスチャン2世がスウェーデンを侵略した。 クリスチャン2世は、スウェーデンの
    貴族達を晩餐会に招き、82人の貴族を打ち首にした。 これは、
    『ストックホルムの大虐殺』として知られている。

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    スウェーデンの地に最初に人がやって来たのは、およそ1万年前、最後の氷期の
    終わり頃だった。 彼らは、トナカイを狩り、果物や木の実を採ってあちこちに
    移動していた。 氷が溶けて来ると、人々は小舟に乗って、湖や川を通り、更に
    北へと移動した。 考古学者たちは、彼らの使った火打ち石、弓矢、魚を捕る
    ための槍などを発掘している。

    紀元前約4,000年頃から、スウェーデン南部では、人々が定住し、農耕を始める
    ようになった。 彼らは、穀物を栽培し、牛を飼った。 死者を埋葬する塚を作り、
    岩に彫刻や絵を施した。 紀元前約1,500年には、南部の人達は、小舟でバルト海を
    渡り、更にドナウ川に沿ってヨーロッパ本土まで入ったりして、交易をするように
    なった。 こうして船による旅の中で、商人達は、青銅の作り方を身に付けた。
    一方、北部では、その間も変わらず、人々は狩猟と採集の暮らしをしていた。

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    西暦1世紀に、スウェーデン人は、ローマ帝国との交易を行っていた。 ローマの
    作家タキトゥスは、西暦98年に表した著書『ゲルマニア』の中で、スウェーデン人
    について記し、彼らを『スイオーネス』と呼んでいる。 タキトゥスによれば、
    彼らは、たくましい男達で、船団を組み、強力な武器を持っていた。 これが
    スウェーデン人について書かれた最古の文献である。

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    西暦500年頃、好戦的なスベア人がスウェーデン南東部で勢力を持つように
    なった。 スベア人は、彼らの王が死ぬと、その遺体を現在のストックホルムの
    北にあるウプサラに埋葬した。 ウプサラには王宮があり、スベア人が信仰する
    オーディン、フレイ、トールという神々を祀る神殿もあった。 スウェーデンの
    人々は、自分達の国をスベリエと呼ぶ。 これは、『スベアの地』という意味。

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    日本では、財務省によって国立大学の学費の大幅な値上げ案が提案され、
    財政制度等審議会において、既にその案の実施が可決されているのだが、世界では、
    大学の学費が無料の国がむしろ多く、先進国の中で、大学の学費が有料、かつ、
    高額なのは、英語圏と日本のみとなっている。

    >>日本の学費は世界一高い?

    高福祉国家としても有名な北欧諸国では、国民の大学の学費は全て無料となっており、
    その中でも、スウェーデン、デンマークは、2012年からEU圏以外の留学生は有料と
    なったが、フィンランド、ノルウェーでは、未だに外国人でも学費が全て無料となっている。



    フィンランド、ノルウェーでは、これプラス、大学生であれば誰でも返済不要の奨学金
    として、毎月550ユーロ(約7万2千円)が政府から支給されている。 スウェーデンでも
    CSNという同様のシステムが存在しており、大学生としてフルタイムで勉強していれば、
    奨学金として、給付型約1万円(704SEK)、返済型約2万5千円(1772SEK)を毎週
    貰うことが出来る。 これを一ヶ月に換算すると、返済不要の給付型4万円、返済型
    約10万円を合わせた、合計14万円程貰う事が可能。 これは、所得に関係なく、
    希望者全てに支給される。

    >>【ドイツ】外国人でも学費が無料の国

    北欧諸国の大学では、英語での授業も充実しており、近年では、学費の高いアメリカや
    イギリスからも学生達がわざわざやって来る程。 アメリカやイギリスの場合、
    日本同様、学費が非常に高額な事でも有名だが、日本以外の国では、これを補うという
    意味で、返還不要の給付型奨学金が用意されているため、世界で最も劣悪な大学
    環境は、日本という事となる。 日本でも、奨学金は用意されているものの、その
    殆どが返還型であり、かつ、その利率がかなり高く設定されているため、日本の大学生は、
    大学卒業と同時に、ローン返済地獄が始まる。 よって、例え、奨学金を貰っていたと
    しても、学生生活中にはアルバイト生活に明け暮れ、学業がおろそかになる事が多い。

    >>『奨学金』という名の学生ローン地獄

    近年、問題となっている、奨学金の返済問題や、ブラックアルバイトは、このような
    学生の弱みに完全に付け込んでおり、商売第一主義者らによる、国家破綻の道でしか
    ないという事を認識している日本の大学生は、どれぐらい居るだろうか?

    20151125151003

    日本は、OCED加盟国中、学費に対する公的支出が最も低い国としても知られており、
    『学問軽視』のこの政策は、学生が国の将来を担う『国の宝』という意識が欠落して
    いるところから来ているため、学問をも『金儲けの場』として、国民を利用しているからに
    他ならない。

    尚、北欧諸国では、政府が税金を投入して『フォルケホイスコーレ』と呼ばれる『国民学校』
    のようなものが運営されており、国民が学費面でも安心して自由に学べる環境が整え
    られている。 ドイツでは、同様に、『フォルクスホーフシューレ』が政府によって運営
    されている。

    EleverKagge

    これらの学校では、その学校にも寄るが、生活費込みで、月約10万円程の費用のみで、
    授業料、食費、住居費、光熱費、全て込みで学ぶ事が出来る。 特に、デンマークと
    ノルウェーでは、英語での授業が非常に充実しているため、デンマーク語やノルウェー語が
    例え出来なくても、英語で授業が受けられる体制が整っているため、やみくもに英語圏に
    高額の授業料を支払ってまで留学をするのであれば、むしろ、学費が無料な北欧諸国への
    留学をお勧めします。 尚、ドイツ語圏やフランス語圏でも大学は、無料となっているが、
    北欧諸国程、英語での授業が少ないため、ドイツ語やフランス語が出来ない学生には、
    余りお勧め出来ない。

    デンマーク、ドイツ、フランスには、『ワーキングホリデー』の制度もあるため、この制度を
    利用して、月10万円程度の授業料+生活費で何もかも済ませられる現地の
    フォルケホイスコーレ』で学ぶという選択肢を検討してみる価値は十分にあると思う。

    >>【悲報】 財務省が「国立大学の授業料」の値上げを提案!

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    誰もが大好きなサンタクロース。 フィンランドの北極圏に住む本物のサンタクロース
    からクリスマスのこの時期に、心温まるメッセージが届く事をご存知だろうか?
    sample222

    サンタクロースからの手紙 
    は、フィンランドのロヴァニエミ市に実在する
    サンタクロース村のサンタクロースグリーティングセンターから国際郵便で送られて
    来る。 お手紙の絵柄やデザインはフィンランドでは有名な、絵本作家やイラスト
    レーター、国際郵便切手を手掛けた画家などの作品。
     
    pht_01

    サンタクロースからの手紙は、毎年新しく制作されており、世界各国の言語で
    作られるため、日本語もある。 封筒にはフィンランドの国際郵便切手が貼られ
    消印はサンタクロース郵便局のものが押される。

    遥か遠く、北極圏のサンタクロース村から届く本物の「サンタクロースからの手紙 」は
    大切な人のクリスマスに、きっと夢と笑顔を届けることでしょう。 



    【サンタクロース事務局】
    東京都千代田区神田錦町2-9 岡田ビル4F
    共信商事株式会社内
    E-mail:kyoshin@s-kyoshin.com
    TEL:03-3293-0980 FAX:03-3293-6469

    更に、サンタクロース村に「村民登録」をすると、「サンタクロース村通信」の更新
    情報や、「ふれあいサンタ」企画の模様、フィンランド・ラップランドの情報や
    サンタクロースからの手紙 」の最新情報などをメールマガジンで受け取る事も可能。

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    フィンランドは、国民全てが、必要最低限の生活をおくるための費用として、国民全員に
    非課税で一律1カ月800ユーロ(約11万円)のベーシックインカムを支給するための
    調査に入った。 この制度の導入の最終的な決定は、2016年11月までに行われる
    見通しとなっており、フィンランドが世界で初めて、ベーシックインカム制度を導入する
    国家となるかも知れない。
    fig012ff1
    ベーシックインカムを導入する際の利点としては、生活保護をはじめとする、政府による
    全ての社会的な福祉給付金の支給を取りやめて、ベーシックインカムとして一本化出来る
    ところにあるのだが、現代の社会福祉制度は、かなり複雑化しており、ベーシックインカム
    のみに統一し、その制度自体を簡素化出来るため、公務員への人件費も削減出来る。
    また、中抜き等の損失も抑えられるとしている。

    最近行われたフィンランドの世論調査では、国民全体の約69%がこの制度の導入に
    賛成の意見表明を行っており、国民の期待は大きい。 
    tohhhp
    現在、オランダでも同様の動きが広まっており、ベーシックインカム制度導入のための
    試験制度が、来年度からユトレヒトで導入される事が既に決定している。

    これまでに、このベーシックインカムを導入した国はないが、フィンランドかオランダで
    正式に導入が決定されれば、その他の国々への波及も期待出来るため、これからも
    この両国からは目が離せない。

    尚、つい先日、『フィンランドが世界ではじめてベーシックインカム導入へ』と報道されたのは、
    誤報で、元々は、海外のニュースサイトが「フィンランドがベーシックインカム導入を計画中」
    と報道したのが発端となり、日本のニュースサイトが「導入することを決定しました」と誤って
    翻訳し、更に、この情報をライブドアニュース等が掲載・拡散した事から大きな話題となった
    もの。 尚、ライブドアニュースでは、一時『フィンランドが世界初のベーシックインカムを導入
    決定 毎月11万円支給』というタイトルで記事を掲載していたが、現在は『導入決定』→
    『導入へ』に修正している。

    日本では、既に年金制度が破綻し、生活保護等の社会的な救済制度が全くと言って良いほど
    機能していないため、日本政府にも早急にこのベーシックインカムの導入を検討して欲しい
    ところ。
     
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