多言語翻訳GoWest ~多言語のススメ~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

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    カテゴリ:東ヨーロッパ > ブルガリア・旧ユーゴスラビア・アルバニア

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    ブルガリア語は、元々アジア人であったブルガール人が、モンゴル・タタールの
    大軍に押し出されて、遥々ヨーロッパの地まで民族大移動してきた際に、そこに
    住んでいたスラブ人と同化し、スラブ語化された言語であり、支配者の言語が、
    被支配者の言語に吸収されたという、世界でも非常に稀な言語となっている。
    この逆パターンが、ハンガリー語とフィンランド語で、アジアから押し出された、
    マジャール人とフィン人のアジア系言語は、そのまま、ヨーロッパに根付いた。

    ブルガリア語は、古くから、スラブ人の間では、宗教・学問の言語として使用
    されていた「古代教会スラブ語」であり、その元となった言語であるため、非常に
    古い文語の歴史を持っているものの、約500年間にも及ぶオスマントルコ支配の
    時代に、新たに教会用語となったギリシャ語に押されて、かなり衰退したが、
    18世紀後半に入って、ブルガリア人聖職者の間から、ブルガリア語復興の機運が
    生まれ、現代ブルガリア語の元となる新ブルガリア語が形成されて、民族意識が
    高まり、ブルガリア語は、オスマン帝国からの独立運動を支える重要な役割を
    果たした。

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    スラブ祖語は、元々、古代のブルガリア語でるため、ブルガリア語に似ている
    言語ほど、昔の文法体型を維持している事になるが、ブルガリア語自体が、
    オスマントルコ支配の時代に、かなり崩れてしまったため、文法的には、英語に
    かなり近い。 文法が崩れ去った言語は、どの言語も、ほとんど、英語のように
    なるという共通点がある。

    スラブ語の『私』は、ブルガリア語以外、全て『ja』だが、古代教会スラブ語では、
    『私』の事を『az』と言うのと、スラブ語では、『アルファベット』の事を
    『azbuka』と言うため、スラブ人は、「az」が「私」という意味である事を皆
    知っている。 ロシア語とブルガリア語は、そのまま喋ってもほぼ内容が理解出来る
    ぐらい似ている言語だが、スラブ語は、ゲルマン語他の言語と比較して、それぞれの
    言語に分かれたのがかなり遅かったため、ブルガリア語以外も全言語がかなり
    似通っている。 よって、スラブ語のうちの何れかの言語をある程度理解出来て
    いれば、その他の言語でも何を言っているのか、ほぼ理解可能。

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    ブルガリア語とマケドニア語は、方言程度の違いしかない、非常に似通った言語で
    あるため、ブルガリア人は、皆マケドニア語の事を、ブルガリア語の方言だと
    思っている。

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    ヤドランカ・ストヤコヴィッチ(Jadranka Stojaković) は、20年以上にも渡り、
    日本を拠点に活動をしていたシンガーソングライター、並びに、歌手。
    ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエボ出身。 16歳の時に
    ドイツに住んでいた叔父のジャズグループに加わり、ベースとボーカルを担当。
    その後、フィロゾフスキー大学で心理学を専攻し、卒業後、更にサラエボ国立
    美術大学で絵画を学んだ。

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    1984年、サラエボオリンピックのメインテーマ曲を作詞、作曲、自らその
    テーマ曲を歌い、一躍ユーゴスラビアの国民的歌手となる。 以前から日本文化、
    特に浮世絵、俳句に興味を抱き、日本でレコーディングを行なうために来日
    するが、その間に祖国ボスニアでの内戦が酷くなり、それ以降、日本を活動の
    中心として活動を続けていたが、2009年にステージで大怪我を負い、その後、
    クロアチアでの仕事へと向かうが、病状が悪化し、ボスニアでのリハビリ生活を
    始めるが、難病のASLである事が医師から告げられ、現在は、ボスニアの
    スルプスカ共和国の中心地である、バニャ・ルーカで病気療養のため、
    入院生活を送っている。

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    日本で発表したアルバムでは、母国語のセルビア・クロアチア語以外にも英語、
    日本語でも歌っており、NHK教育『あつまれ! じゃんけんぽん』の主題歌や、
    TBS『神々の詩』の挿入歌等も手掛けている。 2001年には、坂本龍一が呼び
    かけた『地雷ZERO』キャンペーンにもボーカリストとして参加、TBS
    『NEWS23』にも出演し、注目を集めた。

    歌手だけではなく、画家としても幅広く活躍をしており、ここ数年では、
    イギリスの有名誌SONGLiNES誌でヤドランカの曲が代表曲として収録された
    CDが2007年度の年間ベストアルバムに選ばれ、ヨーロッパで話題となった。



    2009年6月には、国から40年間音楽分野で貢献したことが評価され、日本では
    文化勲章にあたる賞が与えられた。 映画『魂萌え!』の主題歌の他、2009年
    4月からのテレビ東京系列の報道ドキュメンタリー番組『ルビコンの決断』の
    テーマソングも歌っている。

    2011年4月には、NHK『みんなのうた』において、母国ボスニアの民族楽器名を
    タイトルに冠した『誰かがサズを弾いていた』がオンエアされた。



    2016年5月3日、入院先のバニャ・ルーカで、65歳の人生を閉じた。 東日本
    大震災発生直後に帰国したため、常に被災地を気に掛け、最後まで日本を
    愛した人生でした。  

    「日本の全てが好き」ALSの歌姫が伝えたいこと

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    ブルガール人は、かつて現在のロシアからウクライナに掛けて定住していた
    テュルク系遊牧民で、元々は、モンゴロイド系人種であった。 その後、広い
    地域に分散していた一派が、バルカン半島のドナウ川下流域からトラキア地方に
    侵入し、ブルガリア帝国を建国。 キリスト教の正教会信仰を取り入れ、先住民
    である南スラヴ人に同化されて、現在のブルガリア人の先祖となった。 そのため
    プロト・ブルガリア人とも呼ばれる。

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    ブルガール人の先祖は、2世紀頃にウラル山脈以西、および、中央アジア西部から
    ヨーロッパ大陸の東部に姿を表し、カスピ海と黒海の間に広がる草原地帯で
    遊牧生活をおくるようになった。 一部はこの地域でフン人の西進に加わり、
    東ヨーロッパに移動した。 フン人の西進後、ブルガール人の一派は5世紀頃から、
    アヴァール人の一派と共に度々東ローマ帝国支配下の東ヨーロッパ方面に侵入する
    ようになった。
     
    6世紀の中頃、ブルガール人は、アゾフ海の北岸からヴォルガ川下流域の草原
    地帯において部族連合国家「大ブルガリア」を形成した。 しかし、ブルガール
    部族連合は分裂し、北方にはヴォルガ・ブルガール、西方にはドナウ・ブルガールが
    移住して行った。 原住地に残ったブルガール人たちは、アゾフ海沿岸を支配する
    部族連合国家を維持し、ヴォルガ・ブルガールやドナウ・ブルガールとの対比から、
    大ブルガリアと呼ばれた。 大ブルガリアの本拠地は、現在のアゾフ・ロストフの
    北方の草原にあった。
     
    bulgar-emap

    大ブルガリアは、7世紀頃、モンゴルの支配を脱して西進を開始したカフカス北麓の
    チュルク系遊牧民集団ハザールによって駆逐され、多くの部族民は、ハザール可
    汗国に加わり、次第にハザール人と同化して行ったが、10世紀のハザールの滅亡と
    共に、ほとんど解体した。 一部の部族集団は、ヴォルガ川を遡ってカマ川との合流
    地点に近いヴォルガ川屈曲部(現在のタタルスタン共和国周辺)に定住、農業と
    交易に従事するヴォルガ・ブルガールとなった。

    彼らは、ハザール可汗国の支配下に入るが、のちにアッバース朝と通行を結んで
    イスラム教を受容、ハザールの衰退と共に独立して王国を形成したが、13世紀に
    モンゴル帝国に征服されて滅亡した。 ヴォルガ・ブルガールの人々はジョチ・
    ウルス(キプチャク・ハン国)の領民となり、現在ヴォルガ屈曲部に住む
    テュルク系民族のヴォルガ・タタール人やチュヴァシ人はその後裔であるとされる。
    特にチュヴァシ人の話すチュヴァシ語は、チュルク諸語の中でもブルガール人の
    話していた言語の特徴を保持しているという。
     
    Bulgaria_800ad

    一部の部族集団は、黒海北岸を経てバルカン半島に進入、ドナウ川の下流域に
    定住した。 この集団をドナウ・ブルガールと言う。 彼らは南隣する東ローマ
    帝国と戦い現地のスラヴ人を支配する国家を形成し、680年に第一次ブルガリア
    帝国(ブルガール・ハン国)を建国した。 ブルガール・ハン国のブルガール
    人達は、9世紀頃にキリスト教を受け入れ、次第にコーカソイドに属する
    スラヴ人と同化し、今日のブルガリア人を形成して行った。

    Bulgar_warrior

    【ブルガール語】
    ブルガール人が使用していたとされるブルガール語は、バルカン半島、ヴォルガ川
    中流域、北カフカスなどで話されていたと考えられる言語。 テュルク諸語の中での
    位置付けは不明確であるが、チュヴァシ語と近縁と見られている。 ブルガール語の
    話者は、ヴォルガ・ブルガール、ドナウ・ブルガールを構成する民族集団に含まれて
    いたと考えられている。 現代のチュヴァシ語は、他のテュルク諸語とブルガール語
    との間で見られる音韻上の対立が規則的に現れる事から、現在存在する言語の
    中では、ブルガール語に近縁の唯一の言語であるとみなされている。 尚、現在の
    ヴォルガ・タタール語は、ブルガール語の要素を一部含むものの、キプチャク系
    テュルク言語とブルガール語の混交言語と考えられている。

    【ドナウ・ブルガール語】
    9世紀には、ドナウ・ブルガール人のスラヴ化に伴い、バルカンでの話者は途絶
    したと見られている。 ドナウ・ブルガール語の碑文は、ブルガリア北部の
    プリスカや、ルーマニアのムルファトラルで発見されている。 これらの碑文は
    ギリシア文字や突厥文字(オルホン文字)の古チュルク文字にて書かれており、
    内容は祈祷文や讃辞の他、法廷目録である。
     
    ドナウ・ブルガール語の碑文は、ギリシア語で書かれた同一碑文と共に見つかる
    例があり、スラヴ化が進む前のブルガリア第一帝国の支配者が、ギリシア語を
    公用語として使用していた事が分かる。 尚、現在のブルガリア語は、被支配者で
    あった南スラブ人の言葉であり、支配者の言語が被支配者の言語に吸収されたと
    言う、世界的に見ても、かなり珍らしい言語となっているが、その被支配者で
    あった言語が、スラブ祖語である古代教会スラブ語の基となったのは、かなり
    興味深い。 

    【ヴォルガ・ブルガール語】
    ヴォルガ川中流域では、13世紀から14世紀ごろまで存続したとみられるが、
    モンゴルによるヴォルガ征服に伴い、住民のキプチャク化が進み死語となった。
    ヴォルガ川流域では、アラビア文字や古テュルク文字を使ったヴォルガ・
    ブルガール語の碑文が多数発見されている。

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    ユーゴスラビアは、南東ヨーロッパのバルカン半島地域にかつて存在した、
    南スラブ人を主体とした国家。 かつては、東欧で最も進んだ開放路線を
    歩んでいた筈のユーゴスラビアは、かつての支配国である、オーストリアと
    トルコの2大帝国の置き土産とも言うべき、宗教、並びに、民族間の対立へと
    発展し、その後、各民族間で、血で血を洗う泥沼の内戦へと突入。 進み
    過ぎていたがために、他の東欧諸国とは一切歩調を合わせる事無く、連邦は
    あえなく崩壊した。 『ユーゴスラビア』の国名の由来は、南スラヴ人の
    独立と統一を求めるユーゴスラヴ運動に由来しており、『南スラブ国』
    という意味。



    かつて、ユーゴスラビア連邦をひとつにまとめるためのスローガンが実は
    存在していたが、それは、『7つの国境』『6つの共和国』『5つの民族』
    『4つの言葉』『3つの宗教』『2つの文字』『1つの国家』というものであった。
    現在は、その6つの構成共和国が全て独立し、スロベニア、クロアチア、
    ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアとなって
    おり、それぞれが独立国家となっている。 また、セルビアの自治州で
    あったコソボは、2008年に独立を宣言したものの、コソボを承認している
    国は少数に留まっており、セルビアをはじめとするコソボの独立を承認して
    いない国々からは、依然、コソボはセルビアの自治州とされている。

    5つの民族の定義も現在では曖昧で、まず、イスラム教徒のムスリム人を
    別民族とし、かつ、アルバニア系のコソボ人、ハンガリー系のボイボディナ人が
    セルビア内に混在しているため、かつての連邦内での民族の数の定義は、
    あくまでも、プロパガンダ用に過ぎなかった。

    4つの言葉も、言語学的に、セルビア語とクロアチア語は、同一言語とされ
    ていた共産党時代とは打って変わって、以前までは、同一言語であった、
    セルボ・クロアチア語は、政治的、民族的な対立によって、現在では、
    セルビア語、クロアチア語、ボスニア語がそれぞれ別言語として独立しており、
    更に、セルビア内には、アルバニア語話者、並びに、ハンガリー語話者も
    多いため、こちらもかなり懐疑的。 

    yugoslavi

    3つの宗教に関しては、現在でも、正教、カトリック、イスラム教で変わらず。
    2つの文字に関しては、以前までは、セルビア、並びに、ボスニアでは、
    ロシア語と同じキリル文字が主に使用されていたものの、2000年以降は、
    順次ローマ字への移行が進められて、現在では、セルビアやボスニアでも、
    キリル文字ではなく、ローマ字が主に使われるようになったため、2つの
    文字の定義も完全に崩壊した。

    国名として『ユーゴスラビア』を名乗っていたのは、1929年から2003年
    までの間で、実質的な枠組みとしては、1918年に建国されたセルビア人・
    クロアチア人・スロベニア人王国が始まり。 その後、1929年に
    『ユーゴスラビア王国』へと改名された。 1945年からは、社会主義体勢が
    確立され、『ユーゴスラビア連邦人民共和国』と改称され、1991年の
    ユーゴスラビア紛争までは、この体制が維持されたが、スロベニアと
    クロアチアを中心とする、工業先進地域が、連邦からの独立を要求し、
    セルビアを中心とする連邦政府と対立、その後、泥沼の内戦へと陥ったものの、
    スロベニアとクロアチアは、内戦も最小限に留める事に成功したため、
    そのまま連邦からは独立。 その後、多少遅れて、ボスニア・ヘルツェゴビナと
    マケドニアも独立を宣言したため、特に、セルビア人とクロアチア人、並びに、
    ムスリム人が混在していたボスニアでは、内戦が激しく、数年間に渡り激しい
    戦いが繰り広げられた。

    その後も連邦に留まったのは、同じセルビア人を中心とするセルビア共和国と
    モンテネグロ共和国のみで、1992年にはこの2国間で『ユーゴスラビア連邦
    共和国』が結成されたものの、2003年には緩やかな国家連合へと移行し、
    国名を『セルビア・モンテネグロ』と改称したため、ユーゴスラビアの名を
    冠する国家は無くなった。 更に、2006年には、モンテネグロが独立したため、
    国家連合自体も解消され、ユーゴスラビアは、完全消滅となった。
     
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    ユーゴスラビアの首都は、終始一貫して、現在のセルビアの首都である
    ベオグラードであった。 よって、ユーゴスラビアは、セルビア人が中心の
    国家であった。 これに反発したクロアチア人とスロベニア人も、同じ
    南スラブ人ではあるものの、宗教の違いは超えられず、それが、怨念へと発展し、
    今でも、ボスニアでは、セルビア人共和国とクロアチア人共和国の激しい
    対立へと繋がっている。

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    世界のイケメン男子好きの皆様、大変お待たせぶっこきましたw
    本日ご紹介致しますは、旧ユーゴスラビアが誇ります、イケメンのお二人。
     
    2CELLOS

    旧ユーゴスラビアは、隣国のブルガリアとは異なり、皆で歌う合唱団というものが
    殆どない代わりに、クラシック音楽のレベルが非常に高い。 ロシア人以外で初めて
    見たヨーロッパ人は、旧ユーゴ人だったのですが、今では、セルビア人だったのか、
    クロアチア人だったのかを知るすべもなし。



    私の周りに居るのは、旧ユーゴ系では、殆どがセルビア人なので、恐らくセルビア人か?
    昔は、旧ユーゴでも、何人という感覚がなく、皆仲良く暮らしていましたが、内戦による
    分裂の後は、憎しみが前面に出てしまっているため、元に戻す事は出来ませんが、
    旧ユーゴの対立の元々の原因は、宗教で、長くオーストリアの支配下であったクロアチアと
    スロベニアが旧ユーゴからの独立を要求したところから泥沼の戦争が始まりました。



    ロシアとウクライナの場合は、宗教は同じなので、対立の原因は、政治です。

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    カトリック、プロテスタントと並ぶ、キリスト教の世界三大宗派とされている、
    東方正教の国々が、全て合体すると、このような図となる。 ロシア文字と
    されている、キリル文字は、元々は、ギリシャ文字を改良したもの。
    マケドニア(当時は、ブルガリア領)のキリル兄弟が考え出した文字で、
    その後、正教世界へと広がった。

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    この色付けされている国々の殆どは、キリル文字を使用しているが、その後、
    ルーマニア、モルドバ(ルーマニア語と同じだが、ソ連末期までは、キリル
    文字を使用)、セルビア(一部ボスニア)がローマ字へと変更している。
    セルビア語とクロアチア語は、宗教の違いにより、文字が異なっており、
    それを理由に別言語と言う事が出来たのだが、今では、政治的な対立により、
    セルビア語、クロアチア語、ボスニア語の3つに分裂している。 元々、
    この3つの言語は、方言程度の差すらなく、ほぼ同一言語。 よって、
    旧ユーゴの時代は、セルビア・クロアチア語、セルボ・クロアチア語、または、
    ユーゴスラビア語と呼ばれていた。

    この他にも、仏教国である、モンゴルでもキリル文字が使用されている。
    これは、ソ連時代に、最も親ソ連路線を取っていた名残。

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