多言語のススメ ~ロシア・東欧情報~

世界各国のニュースを知る事により、多言語、多文化
共生社会を目指します。
日本ではなかなか伝えない世界各地の真実を伝えます。

記事カテゴリーに CIS独立国家共同体(旧ソ連邦) 他を追加しました♪
    マルチリンガル通訳・翻訳者によるブログ。

    英語、ロシア語、フランス語、ドイツ語、オランダ語、ポルトガル語、
    スペイン語、スウェーデン語他の多言語通訳/翻訳業を行っております (^-^)
    仙台弁、石巻弁、宮城弁、東北弁の方言指導、テープ起こしも致します。
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    カテゴリ: 多言語のススメ

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    日本の大学教育の劣化が叫ばれて久しいが、近年、海外へ留学をする学生の数が
    めっきりと減っている。 その理由は、例え海外へ留学をして、新しい視野を得たと
    しても、それを活かせる職場が日本にはほぼないためで、特に、日本企業側が
    このような人材を非常に嫌がるからである。 また、学生側も、わざわざ海外の
    大学へ通って苦労をしてまで、ブラック企業には入りたくないという理由で、
    このような状況となっている。

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    海外留学先の一番人気は、昔も今も、アメリカ一辺倒だが、アメリカの高校までの
    教育は、実は、国際的に見るとかなり低く、数学はOECD加盟国34ヵ国中27位、
    科学は20位(共に2012年現在)と、例年下から数えた方が早い順位となっている。

    アメリカの教育においては、自己主張、創造力の教育に力を入れて来たため、
    基本的知識の習得(読み・書き・そろばん)が他の諸国に比べて遅れている。
    アメリカは、大学の教育レベルが非常に高いと未だに信じている人間が多い
    のだが、教育水準が非常に高いヨーロッパの大学と比較すると、全くお話に
    ならない。 よって、このような大学に留学をしたとしても、日本企業からも
    使える人材として判断をされないことが多い、

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    日本の大学の場合は、諸外国に比べると、大学の教育水準がずば抜けて低く、例え、
    アメリカの大学に行ったとしても、レベルが高く感じられるのだが、ヨーロッパの
    場合は、レベルがある一定のレベルに達していない学生は、絶対に進級出来ない。
    よって、ドイツ語圏の大学だどでは、例え、10年間大学に通っても大学を卒業
    出来ないという事態が生じる。

    アジア諸国、特に、中国とインドでは、逆に海外留学がブームとなっており、
    留学生の数がうなぎ上りとなっており、一頃は、日本、中国、韓国、インド人
    それぞれの留学生の数は、さほど違わなかったのだが、近年では、日本だけ
    両う学生の数が駄々下がりの状況となっている。 この数値は、そっくりそのまま、
    その国の経済状況を示しており、日本は、経済の萎縮により、海外への留学生の
    数まで減り続けている。 同じく経済が余り芳しくない韓国に関しても、ここ数年、
    微減が続いているが、それでも、以前と比較すると、留学生の数は減ってはいない。

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    経済的な余裕がないのであれば、学費が無料なヨーロッパへの留学をお勧めするが、
    アメリカ至上主義のプロパガンダにより、ヨーロッパの大学の優位性などは、一切
    報じられない。 日本の外国語教育に関しても、疑問だらけで、英語以外を一切
    選択出来ない時点で、英語圏以外への留学を非常に難しいものにしている。

    ヨーロッパの一部の大学では、英語での教育も行っているため、外国語に余り自信が
    ないのであれば、英語の授業を選択することをお勧めするが、それでも、海外へ
    なかなか出たがらない若者には、絶望感すら広がっている。

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    外国語をひとつ知る度に、人生が広がる。 物事を色々な角度から多角的に見る
    事によって、視野が広がるが、ひとつの事柄に縛られて、どうにもならない人は、
    外国語をマスターして、海外へ飛び出すと、ものの見方が飛躍的に変わる。 尚、
    日本語の土台がそもそもダメな人間は、例え、外国語を学んでも、まともなレベル
    には到達しないが、それでも、外国を習得するための苦労を知っただけでも、
    それなりの価値は得られるのではないか。

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    英語の歴史は1500年以上にも及ぶ。 5世紀にアングロ・サクソン人たちによって
    イングランドにもたらされた英語は、イングランド全域に定着するだけでも1000年
    以上の歳月を要している。 イギリス諸島を離れて本格的に海外進出を始めたのは
    17世紀初頭になってからのこと。

    英国史上に残る様々な出来事は、英語の伝播においてもターニングポイントと
    なった。 1066年のノルマン征服を境にアングロ・サクソン人による支配が
    終わりを告げ、フランス出身の王たちがイングランドを支配するようになる。
    フランス語およびラテン語が公的な言語となり、標準語として徐々に発達しつつ
    あった英語は、一転して庶民の使う日常語という地位に甘んじることになった。

    しかし英仏百年戦争(1337~1453)によって、フランス語への敵意と、英語が自国語
    であるという意識が芽生えてくる。そして16世紀頃になると宗教改革が起こり、
    格調高いが専門家しか理解できないラテン語の書物よりも、多少拙くとも誰にでも
    わかる土着語による書物が重んじられ始めた。 さらに印刷技術の普及も相まって
    英語の「社会進出」は加速して行く。 

    そんな個々のプロセスから、さらに一歩視点を下げて大きな流れを見て行くと、
    他の言語から取り入れられた「借用語」が英語発展の鍵になっていることがわかる。

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    英語で洗練された文章を書こうとすると、語彙不足のために満足な表現ができない
    ことが度々あったため、表現力不足を解消する1つの方法として作家や翻訳家たちが
    行っていたのが、外国語から語彙を借用することだった。

    フランスからの借用語は政治や宗教、軍事、ファッション、食文化、学問などに
    関するものが多く、ギリシア語は専門的で高度な語が多い。 ラテン語は借用の
    時期によって傾向が全く異なる。 至るところで、おなじみの単語の意外な
    ルーツに出くわす。 語彙の乏しさによる劣等感をバネに、英語が他の言語を
    巻き込みながらうねるように広まっていた様子が分かる。

    国際標準語として不動の地位を確立した英語。 メインの言語として話す
    「母語話者」がいない会話でも使われるほど、その影響力は大きい。だが元を
    辿れば、英語にも北ヨーロッパの片田舎で使われる言語に過ぎなかった時代がある。

    オランダやドイツの一部地域で使われる、フリジア語という言語があるそうだ。
    現在の話者は約50万人で、そのほとんどがオランダ語あるいはドイツ語との
    二言語併用者である。 実は、フリジア語と英語それぞれの元になった言語は、
    隣り合う地域で使われる方言同士だった。 英語史を勉強すると、英語と最も
    系統の近い言語としてフリジア語の名が出されるという。

    地理的にも言語的にも事実上同じところから出発したと言っていいような言語が、
    片や世界的な存在に、片や母語話者もほとんどいない状態になっているのは、
    英語史を紐解く上で、非常に興味深い。

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    【古英語とバイキングの侵入】
     現代英語の元となった古英語は、実は、アングル族が持ち込んで来た言語
    であり、アングロサクソン人が1100年頃まで使っていた言葉である。 つまり、
    系統的には、インド・ヨーロッパ語族の中の西ゲルマン語群に属する言葉と
    なっている。 現代英語の基礎的な単語は、その殆んどが、アングロサクソンの
    言葉であると考えて差し支えない。

    やがて、紀元前597年には聖オーガスティンがケント州からキリスト教の布教を
    開始、イギリスがキリスト教化するに伴って、キリスト教に関連した多くの
    ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語起源の語彙が英語の中に入って来た。

    8世紀に入ると、バイキングと呼ばれる人々がスカンジナビアからイギリスへと
    侵入して来る。 彼らもまた、ゲルマン民族の一派であったが、彼らの言葉は
    同じゲルマン語でも北ゲルマン語群に属していた。 彼らは先住のアングロ
    サクソン人と激しい戦いを繰り広げた後、ローマ人の築いたウォトリング街道の
    北東部に定住することとなった。 その結果、その地域は、デーンロー地域と
    呼ばれ、現在もスカンジナビア起源の地名が残っている。 現代英語の中にも
    900語ほどスカンジナビア起源の語彙が残っている。

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    【フランス語の侵入】

    バイキングは、フランスのノルマンディーに国を建て、彼らは、やがて文化的には
    フランスに融合し、言葉もフランス語を用いるようになって行った。 1066年
    には、ノルマンディー公ウィリアムが、イギリスに侵入し、ヘイスティングスの
    戦いにおいて、ハロルド王を打ち破ってイギリスの王位に就いた。 いわゆる、
    ノルマン征服王朝の成立である。 この時、ウィリアムは、国政と宗教の主な
    ポストには、全てフランスから連れて来た家臣をあてたので、以後数世紀に
    渡って、イギリスの重要なポストには、フランス語を母国語とする人々で占め
    られることとなった。

    国王も例外ではなく、ハロルド王以後は、ほぼ300年の間、英語を用いる王は
    居なかった。 そして、この間に、英語は実に多くのフランス語の語彙が入った。
    それは、ちょうど今日の日本語に、本来、日本語にあった大和言葉と漢語と
    呼ばれる中国語が混在している状況と良く似ている。 日本語の中に漢語に
    あたるものが英語ではフランス語やラテン語となっている。

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    【英語の復活から世界支配へ】

    しかし、ウィリアムと共にイギリスへ渡って来た支配階層も、時が経つに連れて、
    土地の女性と結婚し、生まれて来る子供の世話をする乳母にも土地の女性を雇う
    などしているうちに、次第にフランス語を失って行った。 やがて、13世紀に
    入ると、中世英語で書かれた詩なども出て来るようになり、1337年にフランスとの
    間に百年戦争が起こると、英語に対する意識が急激に高まり、1362年には、議会の
    開会宣言が初めて英語で行われた。

    やがて、15~16世紀になると、現在の英語に近い近代英語が成立し、
    シェイクスピアを初めとする英文学史上でも良く知られた人々の活躍が始まる。
    ちょうどこの頃、ヨーロッパでは大航海時代が始まり、コロンブスがアメリカ
    大陸へ到達し、やがて英語を話す人々は、北アメリカ大陸へも移住を始めた。
    こうした歴史を反映して、アメリカの英語の中には、実は、シェイクスピアの
    時代のイギリス英語に近いものが残っていることがある。

    もちろん、近代的なテクノロジーや音楽、映画などの娯楽産業、それに政治、
    経済の先進国であるアメリカで生まれた言葉がイギリスに逆輸入されることも
    多いが、現代アメリカ英語の発音や、日常会話の語彙の中には、イギリスの
    この時代の発音や語彙が残っていることがあり、人々は、それとは知らずに
    使っていることが良くある。

    近代に入ってイギリスが広大な植民地を建設した結果、英語はアメリカ大陸のみ
    ならず、アジアやアフリカからオセアニアまで世界中の広い地域で使われるように
    なった。 そして、現在では、互いに英語を母語としない人々の間でも国際的な
    共通語の言語として使われている。

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    【英語はドイツ語の兄弟】
    今や英語が国際語であることを疑う人はいない。 それどころか、子供を国際人に
    育てると証して、何の疑いもなく小学生から英語教育を行おうとしている。
    しかしながら、English がアングル族の言葉を意味する Englisc を語源とすること
    からも分かるように、英語は、ブリテン島のイングランドとスコットランドの
    低地地方で話される地域的な言葉でしかなかった。

    更に、近世に入るまでは、ラテン語やフランス語に比べて、その地位も低く
    見られており、神の言葉である聖書は、英語には翻訳出来ないという議論まで
    あった程である。 英語が国際語としての現在の地位を確立するまでには、
    その過程で征服や侵略や植民地化の歴史、そして辛く悲しい移民の歴史があった
    のである。

    英語の歴史的研究も、18世紀になって当時イギリスの植民地であったインドに
    駐在していたひとりのイギリス人判事ウィリアム・ジョーンズ卿の講演から
    始まったに過ぎない。

    ウィリアム・ジョーンズ卿は、古いインドの言葉であるサンスクリット語(梵語)を
    研究し、サンスクリット語とラテン語それにギリシャ語の類似性に気が付いた。
    そして、1786年には、『これらの言語は、現在では既に消滅した共通の言語から
    枝分かれしたものである』ことを示唆する講演を行った。

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    これは、現在インドからヨーロッパに掛けての広大な地域で話されている様々な
    言葉は、実は、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれるひとつの言語グループに
    分類されうること、そして、そのインド・ヨーロッパ語族には、その元になった
    古い言葉、いわゆる『印欧祖語』と呼ばれる言語が存在したことが想定されうる
    という、驚くべき事実の発見であった。

    英語は勿論このインド・ヨーロッパ語族に属しており、その中でも、ドイツ語、
    オランダ語、フリースランド語などと同じく、ゲルマン語派の中の西ゲルマン語群
    に属している。 つまり、英語は、ドイツ語やオランダ語、それに、オランダの
    北西の沖合いに浮かぶ列島フリースランド地域で現在30万人程の人が話すだけに
    なったフリースランド語などと兄弟の言葉なのである。

    フランスの言葉や文化の影響をイギリスに持ち込んだ1066年のノルマン征服が
    なければ、現在のイギリス人は恐らく、オランダ語のような言葉を話していただ
    ろうとまで言われている。

    そもそも、最初にブリテン島に住んだのは、インド・ヨーロッパ語族の中でも、
    ケルト系の言葉を話すブリトン族であった。 その後、ブリテン島を支配して
    いたローマが、5世紀になって、ブリテン島から引き上げると、アングル族、
    サクソン族、ジュート族などのゲルマン民族が現在のデンマークや北海沿岸の
    ドイツからブリテン島へと渡って来た。 この時の様子は、『アングロ・サクソン
    年代記』という古い書物などによって、うかがい知ることが出来る。

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    デンマーク語は、かつてヨーロッパ北部の多くの地域で使われたゲルマン語から派生した
    言語である。 12世紀には、スカンジナビア半島使われる言語は、西スカンジナビア語と
    東スカンジナビア語に分かれた。 前者は、ノルウェー語とフェローズ語で、後者は、
    スウェーデン語とデンマーク語である。  しかし、現代の北欧三国の言語は、非常に良く
    似ている。

    デンマーク語は、長い歴史を通して何度も外部からの影響を受けた。 キリスト教の
    伝来は新しい単語とアルファベットをもたらし、ハンザ同盟との接触は、ドイツ語からの
    多くの借用語を招いた。 都市住民と地方との生活格差が広がるにつれて、方言が発達
    したが、18世紀には、リグスモーレットと呼ばれる標準デンマーク口語が使われ始めた。
    19世紀末の言語改革によって、リグスプロゲットと呼ばれる標準的な文語デンマーク語が
    成立した。

    デンマークからは、多くの偉大な作家や学者が輩出された。 デンマーク文学の創設者
    と呼ばれる18世紀のルドヴィー・ホルベアは、当時の社会を批判する喜劇を書き、歴史に
    関する著作を数多く著したり、詩を書いたりして、言語としてのデンマーク語の形成に寄与
    した。

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    最も有名なデンマーク人作家のひとりに、セーレン・キルケゴールがいる。 1813年生まれ
    のキルケゴールは、実存主義の父と言われている。 信仰は理性によって支えられるもの
    ではなく、信念に基づく行為であると説いた。 キリスト教徒でありながら、しばしば福音
    教会を批判し、教会員たちは振興の基本を本格的に検討していないと主張した。

    1805年生まれのハンス・クリスティアン・アンデルセンは、世界で最も広く翻訳され愛読
    されている文学者のひとりである。 作品の中で最も有名なのは、『人魚姫』、『みにくい
    あひるの子』、『はだかの王様』などの童話で、彼の作品は、物語が面白いだけではなく、
    人間性への深い洞察力に富んでいる。

    19世紀後半には、デンマークでは多くの写実的な文学作品が生まれた。 この時代の
    作家には、イエンス・ペーター・ヤコブセン、ヘルマン・ハング、ヘンリク・ポントピダンなどが
    ある。

    アイザック・ディネセンの筆名で多くの作品を書いたカーレン・ブリクセンは、1885年
    デンマークの上流階級の家に生まれた。 スウェーデン貴族と結婚した彼女は、アフリカの
    農場に移住し、アフリカでの彼女の経験は、『アフリカの農場』などの小説や回想録の
    元となった。 ブリクセンと並んで、1900年以後のデンマーク文学で活躍した作家の
    ひとりに、ヨハンネス・V・イエンセンがあり、小説『長い旅』で1945年にノーベル文学賞を
    受賞した。

    牧師カイ・ムンクは、1930年代に戯曲を書き始めた。 彼はキルケゴールの強い影響を
    受けて、人類はその根本的な罪深さゆえに滅びる運命にあると信じた。 第二次世界
    大戦中、ムンクは、ドイツ占領軍に激しく抵抗し、1944年にゲシュタポに虐殺された。

    現代の一流作家としては、マリアネ・ラーセンとヴィタ・アネルセンがある。 2人の作品は、
    社会における女性の役割の変化をテーマとしている。 クラウス・ルフビャーは、沢山の
    小説、戯曲、詩、映画台本を書いている。

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    スペイン語は、古代ローマで口語として使われていた『俗ラテン語』から派生した
    ロマンス語派の言語の1つで、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語等の
    姉妹言語とは、多くの共通点が見られる。

    第一に、名詞には性の区別があり、形容詞や冠詞は、それに合わせて語形変化する。
    例:el toro negro(黒い雄牛)、la vaca negra(黒い雌牛)。 el や la は、定冠詞単数の
    男性形と女性形で、toro は 雄牛、vaca は雌牛、negro と negra は、形容詞の男性形と
    女性系となっている。

    第二に動詞は、法、時制、人称、数に応じて多くの活用形に変化する。 例:canto
    (私は歌う)、cante(あなたは歌いなさい)。 共にcantar (歌う)の活用形だが、前者は
    直説法現在1人称単数形、後者は接続法(仮定法)現在3人称単数形となっている。



    また、ラテン語の語彙は、英語にも取り入れられているため、他のロマンス語同様、
    英語と良く似た語彙が見られる。 例:petróleo(石油)、democracia(民主制)、
    arquitectura(建築)。

    スペイン語の特異性は、アラビア語の影響を強く受けているところで、これは、スペインが
    8世紀から数百年間に渡りイスラム教徒の支配下にあったことによるもの。 almohada
    (枕)。berenjena(ナス)のような名詞だけではなく、間投詞 ojalá (願わくば)や前置詞
    hasta(~まで)などもアラビア語が起源となっている。

    スペインは、15世紀の大航海時代以降、アメリカ大陸やアジア、アフリカに広大な
    植民地を作った。 その多くにスペイン語が根付き、世界有数の大言語のひとつとなった。

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    【スペイン語の今】

    現代のスペイン語の言語事情には、相反する2つの側面が見られる。 1つは、東部の
    カタルーニャ語、北西部のガリシア語、北東部のバスク語などの地方言語が伸びて来て
    いるところ。 かつて、これらの言語は、使用を禁じられ、弾圧された時代があったが、
    1978年に公布された現憲法で復権を果たし、現在では、スペイン語と並んで、各々の
    自治州の公用語となっている。 どの自治州も地方言語の普及に力を入れているため、
    今度は、むしろ、スペイン語の地位が微妙になるケースも生じている。

    もう1つの側面は、スペイン語を母国語としない人々の流入で、1998年には人口の
    2%に過ぎなかった外国籍人口が、2007年には10%(約450万人)に達した。 この中には
    スペイン語圏であるラテンアメリカの出身者もかなり含まれているが、EUの拡大に伴って、
    ルーマニアやブルガリアなどの東欧からの移民が急増している。 こういう人々は、
    必要に迫られて懸命にスペイン語を習得し、新たなスペイン語人口を形成しつつある。

    ラテンアメリカのスペイン語は、使用域の広さの割りには均質で、人口1億を越すメキシコが
    世界最大のスペイン語国となり、また、アメリカ合衆国内にも約2,500万人のスペイン語
    話者が存在しているため、スペイン語を左右しているのは、ラテンアメリカだと言えるだろう。

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    アイヌ語は、日本固有の2つの言語のうちのひとつ(もうひとつは日本語)であり、
    日本語と地続きで接触して来た唯一の言語。 日本語の方言だと思っている人も
    多いが、系統的にも文法の上でも日本語とは大きく異なる別言語となっている。

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    語順は日本語と同じで、主語や目的語は動詞の前に、修飾語は被修飾語の前に
    置く。 一方、 r で始まる単語が沢山あるところなどは、日本語や朝鮮語、
    ツングース諸語など、周辺のいわゆるアルタイ言語とは異なる。



    文法の特徴の1つは、動詞の主語と目的語を人称接辞というもので示すことで、
    例えば、『私が彼にお金をあげた』は、icen ku-kore となるが、『彼が私にお金を
    あげた』は、 icen en-kore となる。 更に、『私があなたにお金をあげた』は、
    icen eci-kore となる。 つまり、ku- が『私が彼に』、en- が『彼が私に』、eci- が
    『私があなたに』を表すことになる。 また、『私たちが笑った』は、mina-as となるが、
    『私たちがそれを見た』は、ci-nukar となり、同じ『私たちが』が自動詞 mina では、
    接尾辞 -as で、他動詞 nukar では、接尾辞 ci- で表されるなどという現象もある。

    『私の家』と『私の口』を違う形式で表現するのも、アイヌ語の特徴で、cise『家』の
    ように持ち主の『私』がいなくても存在しえるもの、つまり、譲渡可能なものは、
    ku-kor cise のように、ku-kor『私が持つ』という表現で所有関係を表すが、par『口』の
    ように、『私』がいなくなってしまえば、『私の口』も存在しなくなってしまうようなもの、
    つまり、譲渡不可能なものは、ku-paroho のように人称接辞 ku-『私』+paroho
    『~の口』という変化形(所属形と呼ぶ)で表す。 また、場所とそれ以外のものとは、
    文法的に区別される。



    【アイヌ語の今】

    アイヌ語は、日常会話では、殆んど使われなくなったが、そこには、松前藩や明治
    政府以来の、アイヌ人に対する収奪と差別の問題が大きな影を落としている。 しかし、
    現在でもアイヌ語を残し伝えて行こう、現代社会の中で活用して行こうという努力は
    続けられている。

    北海道最大のアイヌ人組織である北海道ウタリ協会は、1980年代から、アイヌ文化の
    継承活動に力を入れ始め、道内各地でアイヌ語教室という活動を始めた。 また、
    1989年からアイヌ民族文化際が始まり、アイヌ語劇が上演されるようになった。
    1994年には、アイヌ語教科書として『アコロ・イタク』が刊行された。 1997年には、
    アイヌ文化振興法が成立し、それに伴って設立されたアイヌ文化振興・研究推進機構
    という財団の主催する、指導者育成講座や上級話者講座、アイヌ語弁論大会、
    出版助成事業などによって、アイヌ語を学ぼうとする人の裾野がかなり広がった。
    STVでは、アイヌ語に関するラジオ番組を放送していたが、現在では、アイヌ人を
    講師にして『アイヌ語ラジオ講座』という番組を流しており、インターネットを通じて
    全国どこからでも聞くことが出来る。;

    【お勧めの1冊】


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    オランダ語は、英語やドイツ語と同じくゲルマン系の語派に属しているため、これらの
    言語と基礎語彙がかなり良く似ている。 また、歴史を振り返ってみると、オランダ人が
    荒波を乗り越え、世界の隅々まで出掛け、言語を含めて文化的影響を残したという
    一時代があった。 日本もその恩恵に浴した国であることは言うまでもない。 もっとも、
    オランダ語の語彙も、他言語からの影響を少なからず被っている。 主に英語や
    フランス語の語彙を取り込み、その多くの借用語がオランダ語には欠かせないものと
    なっている。



    今日、最も多くの語彙を借用するのは英語からで、実際、単語に留まらず、成句や諺に
    まで及んでおり、今やほとんど全く英語を話さないオランダ人ですら口にするように
    なっている。 例えば、tram、flat、fift-fifty、up to date などが挙げられる。 ただ、逆に、
    オランダ語の語彙は、例えば、ドイツ語などの隣接の言語と外見上良く似ているのに、
    意味の上で微妙な違いがあることもあって、注意が必要となっている。

    例えば、蘭:aardig 素敵な、独:artig 行儀が良い、蘭:aandacht 注意、独:Andacht
    敬虔さ、蘭: verzoecken 懇願する、独:versuchen 試みるなどがある。

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    【オランダ語の今】

    現在の標準オランダ語は、パタビア共和国以来の中央集権によって発達したホラント州の
    社会的上流階級の言葉が1900年ごろから標準語として認められるようになったもので、
    そもそも、オランダ語の呼称に関して言うと、その国名はHolland あるいは、Netherlandと
    して知られているにも関わらず、その国民名と言語名は Dutch という言語名で呼ばれる
    ことが普通となっている。

    12~13世紀以降、ドイツは Deutschland という国名で知られていた。 そして、15~16
    世紀になると、英語の Dutch は、オランダ国内の諸方言を含んだ意味でのドイツ語の
    ことを指すようになった。 オランダが独立し、大航海時代(17世紀)に入ると、英国との
    接触が頻繁になり、英語において Dutch という語は、次第に意味が狭まって行き、単に
    現在のホラント州を中心としたオランダ北部統一7州として知られる地域を指すように
    なった。

    日本におけるオランダ語の研究の歴史は長く、江戸時代の『ハルマ』や『訳鍵』といった
    蘭日辞書の編纂に始まる。 蘭学とは、広義には、当時の日本人がオランダ語を通じて
    学んだ西洋の学問一般を指し、医学をはじめとする西洋の学問は、オランダ語を媒体
    として日本に取り入れられた。 わずか4000坪の長崎の出島は、日蘭貿易の拠点で
    あったのみならず、近代科学や思想が日本に流入する唯一の窓口でもあった。

    【お勧めの一冊】


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    フィンランド語には、母音が8つあり、最初の4つは、日本語のアイウエオとほぼ同じ
    母音となっている。 残りの4つの母音のうち、u は、英語と同じで唇を丸くして発音
    します。 日本語のウとは殆んどの方言では唇を丸くせず、イと同じような平べったい
    唇の形で発音するため、日本語のウでは代用出来ない。 ä はドイツ語の ä よりは
    英語の hand や bag の ӕ に近い。 ö は、ドイツ語の ö のように、オを発音する
    唇の構えでエを発音するとこの音になる。 y は、ドイツ語の ü のように、u の口構えで
    イーを発音するとこの音になる。



    母音の数の多さに加え、母音調和と呼ばれる現象があり、これは、a o u と ä ö y が
    別々のグループを作っていて、1つの単語の中に混在しないという現象をこう呼ぶ。
    但し、 e と i は、どちらのグループにの母音とも同じ単語の中で共存出来る。

    母音調和があるために、名詞や動詞の活用語尾も2通りある。 語尾は1つだけでは
    なく、いくつか連続することもあるため、語尾がいくつも連なった長い単語も母音調和の
    対象となる。

    理屈だけで考えると面倒な言語に思えるが、不思議なことに、実際にフィンランド語を
    話す時は、2つのグループの母音を混在させると、非常に発音しにくくなる。 少なくとも
    母語として話す人々にとっては、母音調和は、効率的、かつ、自然な仕組みという
    ことになる。

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    【フィンランド語の今】

    首都ヘルシンキは、今でこそフィンランド語一色のように見えるが、19世紀に首都として
    建造された頃は、スウェーデン語一色の街であった。 このことは、ヘルシンキという
    街の名前や、市内各地の地名からも明らかで、ヘルシンキで話されるフィンランド語の
    俗語は、スウェーデン語起源の語彙であふれている。 もちろん、ヘルシンキには
    スウェーデン語系の住民も少なからず住んでいる。 ヘルシンキは、現在でも、
    フィンランド語とスウェーデン語の両方を公用語とする自治体で、通りの名前も道路
    標識も2つの言語で書かれている。

    ヘルシンキ大学にフィンランド語学が設置されたのは、1851年だが、初代の教授の
    カストレーンも、次の教授のレンルートも共にフィンランド語が母語なのに、名前は、
    スウェーデン語で、2人共フィンランド語学の講義も論文もスウェーデン語で行っていた。
    フィンランド語で講義をしたり、論文を書いたり出来なかった理由の1つは、学術用語が
    整備されていなかったためであった。



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    ハンガリー語(自称はマジャール語)は、ウラル語族のフィン・ウゴル語派に属している
    言語で、同じ語族には、北欧で話されているフィンランド語やエストア語などがあります。
    ウラル諸語の中でも系統的にハンガリー語に一番近い言語は、ロシアのシベリア地方で
    話されているウゴル語派のハンティ語とマンシ語となっている。 しかし、同じ語派の
    仲間とは言うものの、語彙も文法もかなり違っており、今では互いに全く通じない。

    19世紀末には、ハンガリー語の系統をめぐり、『ウゴル・トルコ語戦争』と呼ばれる
    大論争が起きた。 ハンガリー語は、フィン・ウゴル語と同系統だと主張する学者達との
    間で激しい議論が戦わされた。

    この背景には、ハンガリー語の語彙の中に少なくない数のチュルク系の語彙が含まれて
    いること、母音調和という音現象があること、文中での文法関係を語に後続する自辞に
    よって表すこと(膠着語の特徴)など、チュルク語派との共通性があった。 現在では、
    チュルク語系の語彙は、ハンガリー語の話者がかつてウラル山脈の辺りから中央アジアを
    経て、現在のハンガリーの地に移動する過程で借用されたものとされている。



    このように、周辺諸国の言語(インド・ヨーロッパ語族に属する)とは系統を異にすること
    から、ハンガリー語は、ヨーロッパの中にあって一風変わった言語とみなされている。
    他の言語にあは余り見られない現象のひとつに、動詞の定・不定活用がある。
    ハンガリー語では動詞が主語の単数・複数と人称だけではなく、目的語が定まって
    いるか(定活用)、そうでないか(不定活用)によって、異なった変化をする。

    例えば、何でもいいのでペンを1本探している場合は、keres-ek(私は探す=不定活用)、
    特定のペンを探している場合には、keres-em(私は探す=定活用)のように使い分け
    なければならない。

    つまり、ハンガリー語では、動詞の活用語尾の中に主語だけではなく、目的語の情報も
    含まれている。 この現象は、ウラル諸語の中でも珍しいもので、フィンランド語や
    エストニア語には見られない。 定冠詞の用法とあいまって、日本語を母国語とする
    者にとっては、習得が難しい言語のひとつとされている。

    ハンガリー語の話者の頭の中では、いつも物事の定・不定が認識されていると言って
    良い。 この定・不定の区別に加えて重要なのが、人称の区別で、ハンガリー語では
    動詞だけではなく、名詞や後置詞、不定詞も人称変化をする。

    europesvg

    【ハンガリー語の今】

    言語は時間と共に常に変化しているが、これを言葉の乱れと非難する人も居れば、
    自然な現象だと認める人も居る。 ハンガリー語の例としては、動詞の中に ik 動詞と
    呼ばれるタイプのものがあり、変化の基となる語幹が -ik で終わっている動詞をこのように
    呼んで、他の動詞とは区別している。 その理由は、 ik 動詞は普通の動詞とは少し
    違う活用をするからである。

    tanul-ok(私は勉強する) lak-om(私は住んでいる)
    tanul-sz(私は勉強する) lak-sz(私は住んでいる)
    tanul(彼/彼女は勉強する) lak-ik(彼/彼女は勉強する)

    上の例からも分かるように、 ik 動詞の lak-ik(住んでいる)の1人称・単数・現在形では、
    規範的な文法に従えば、lak-om となるが、現在では、lak-ok という形も良く耳にする。
    これは、ik 動詞と普通動詞の区別が失われつつある事を表しているが、こうした傾向は、
    既に17世紀に始まっており、かつでは仮定法や命令形でも存在していた両者の区別は
    現在では殆んど残っていない。

    この他にも、不規則変化をする名詞が不規則的な変化形を取るようになるなど、類似の
    現象がいくつか見られる。ハンガリー語では、日常的に使用頻度が高い語の中に
    不規則変化をするものが多いため、こうした傾向は学習者にとってはことばの乱れ
    どころか、かえって規則的になっているため、歓迎されるかも知れない。



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    イギリス英語の起源は、現在のドイツ北東部方面に住んでいたアングロ・サクソン人が
    ブリテン島に渡来したところから始まる。 5世紀半ばの出来事であった。 インド・
    ヨーロッパ語派に属し、古英語、中英語、近代英語と発展を遂げ、20世紀になってからは、
    現代英語と呼ばれている。 また、イギリスの英語は、17世紀初頭に大西洋を渡り、
    アメリカに根付き、アメリカ英語として独自の発展を遂げている。 英米語は基本的には
    共通しているが、それでも違いは多々ある。



    発音:母音の後の r (bird、car、dark など)は、イギリスでは発音されず、アメリカでは
    発音される。 ask、cat、hat などの a は、英では[a]、米では[ӕ]、dot 、God、hot
    などの o は、英では[ɔ]米では[a]となっている。

    綴り:英 programme materialise kilometre labour
       米 program materialize kilometer labor

    語彙:英 lift、米 elevator などの違いは良く知られている。 ここでは、英米の順で、
    自動車用語を見てみたいと思う。

    bonnet/hood boot/trunk bumper/ fender, dip switch/dimmer, gear lever/stick shift,
    fascia/daschboard, indicator/blinker, silencer/muffler, windscreen/windshield

    面白いことに、日本語のカタカナ表記では、両方をごっちゃに使っている。

    imagee

    【英米語の今】


    現在、イギリスの言語学者が注目しているのは、ロンドンの中心に拡大しつつある
    エスチュアリ・イングリッシュ(Estuary Englich)で、これは、イギリス英語の変化の
    見本のようなもので、変化は発音に顕著に現れている。

    ① l が母音化する。
    これは語頭以外のとこで良く生じる。 例えば、milk bottle ミウクボトゥ(miwk bottoo)、
    football はフッボゥ(foobaw)のように聞こえる。

    ② th が f になる。 birth、thin、youth などは、birf、fin、youf と発音される。



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    ブルガリア語は、スラヴ語の1つで、マケドニア語、セルビア語、クロアチア語、
    スロヴェニア語と共に南スラヴ語群を形成している。 その中でもマケドニア語とは
    双子のように非常に良く似ている。

    ブルガリア語の母音は6つで、а ъ и е о у となっており、奥舌の ъ を除き、日本語の
    母音に極めて近い発音となっている。 一方、子音は、21個あり、子音で終わったり、
    また、語中に子音が重なったりする単語が多く、日本人にとっては、決して発音し易い
    ものではない。

    bulgar

    ブルガリア語は、一言で言うと、恐らく、語尾変化が非常に多い言語で、他のスラヴ語と
    共通の特徴のひとつとして、名詞には性があり、活用の際、性のタイプによって形が
    変わるということが挙げられる。 名詞は全て男性、女性、中性の何れかに属し、また、
    名詞が修飾される場合は、修飾する語も名詞の性に合わせて形を変えて行く。

    一方、ブルガリア語は、他のスラヴ語に存在しない特徴も沢山持っており、例えば、
    格変化が失われて、その代わりに前置詞が使われている。 また、限定を表す接尾辞が
    名詞に付き、定・不定というカテゴリーを表している。 これらの非スラヴ的特徴の
    背景には、バルカン半島で話される言語同士の接触、いわゆる、バルカン言語連合
    という減少の影響があると言われている。

    また、他のスラヴ語では失われているが、ブルガリア語とマケドニア語では今でも現存
    している不定過去(現在完了)という時制は、機能が強化され、その結果、モーダルな
    カテゴリーとしての『伝聞法』が出来ており、推量や伝聞、または、驚異といった意味が
    表される。 例えば、雨が降ったことを目撃者として伝える場合は、普通の完了過去
    валя を使うが、雨を目撃していない場合は、『雨が降った』という事柄の情報源を明確に
    しなければならず、出来事を推量(воляло e 『雨が降ったようだ』)として伝えたり、
    第三者の情報による伝聞(воляло 『雨が振ったそうだ』)として伝えたりする。

    ブルガリア語(とマケドニア語)のこの現象に関しては、非常に似た体系を持っている
    トルコ語の影響が指摘されているが、原因はハッキリしていない。



    【ブルガリア語の今昔】

    スラヴ民族がバルカン半島に住み着いたのは、5~6世紀頃だと言われており、現在
    ブルガリア国が位置する地域のスラヴ民族は、当時その地域に住んでいたトラキア人と
    7世紀ごろアルタイ山脈から移動して来たシュルク系の原ブルガリア人と一緒になり、
    ブルガリアという国を築いた。 人数が最も多かったスラヴ人が他の民族を支配し、
    自分達の言語を共通の言語として定めた。

    9世紀には、キリロス・メトディウス兄弟が東方正教会のキリスト教の布教のために
    文字を創った。 その文字と共に、ブルガリア語の最古の形として知られている
    古代教会スラヴ語は、他のスラヴ語圏でも文語として使われていたが、12世紀からは、
    口語的要素を交えた中世ブルガリア語が使われるようになり、古代教会スラヴ語と
    区別された。 その後、15世紀から19世紀の間、ブルガリアは、オスマン・トルコ帝国の
    支配下に置かれ、トルコ語との接触によって、言語にも様々な変化が生じた。 現在
    使われているブルガリア語の成立は、19世紀後半から20世紀初頭に掛けての間と
    見られている。

    ブルガリア語が話されているバルカン半島では、その地域の言語同士が接触し、
    互いに影響し合って来た。 その結果、類型的には、全く異なる言語が同じ特徴を持つ
    ようになった。 また、言語体系にもその影響が現れ、様々な隣国、および、民族の
    言語と並んで、最も古い時代に接触していたトラキア人の言語からの単語や、
    原ブルガリア人の言語からの単語、更に、隣国のトルコやギリシャなどからの借用語まで、
    多数見られる。 現在は、コンピューターの普及に伴い、英語からの外来語も増えている。



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